第6話 早朝の事故

トビオ渓谷。リンデン村から山をいくつか越えたところにある深い谷だ。橋がひとつ架かっており、谷底の水を飲む動物の姿をうかがうことができる。

だが、そんな穏やかな姿は冬になると激変する。渓流を凍てつかせんほどの吹雪が山頂から吹き荒れ、木々は雪の絨毯に覆われていく。

剝き出しの岩肌には雪が積もり、やがて崩れて雪崩が起こる。そのように危険な自然を前に動物たちは体を寄せ合い冬が過ぎるのを待つのだった。

ピートは幼いころ、猟師である祖父に会うためにトビオ渓谷に来ていた。そして谷底に動くものを見つけたのだった。一瞬、小さな子供のように見えた。

あれは何だろう?橋から見てみよう。あれ?見えなくなった…。仕方ない。渓谷の下に下りてみるしかないか…。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


まぶたの裏が明るい。チッチッチッと鳥のさえずりが聞こえてくる。

『ああ、夢だったか。』

窓から差し込む光が意識を覚醒させていく。目を覚ましたのは宿屋のベッドの上だった。柔らかい日差しの中、ピートは温かい毛布の感触を楽しみながら、しばし微睡んでいた。

「ん~~~~~…もう少し…。」

ピートが目を開く……。

すると、少年の目前、顔と顔が重なるほどの距離でフォルテが寝息を立てていた。

あまりの衝撃にピートは動けなかった。突然のことで心臓の鼓動が短距離走者のように高鳴っていく。同時にピートはフォルテから目を離すことが出来なかった。

美しく端正な少女が子供のように無垢な顔で眠っている。水に濡れたような長いまつ毛。人形のように丸いカーブを描いた鼻先。水分を含みピンク色に艶めく唇は、吐息とともに小さく上下している。

美しい金髪がベッドシーツに広がり、女の子の甘い香りがしてきた。


「んん…………。」


フォルテは毛布の隙間から入り込んだ外気より逃れようとして身をよじった。


『わぁっ……!!』


ピートはもう少しで声を上げそうになった。どうやらフォルテは、下着を着ただけの姿で潜り込んでいるようなのだ。毛布がはだけ、無防備な真白く美しい肌が少年の目の前にさらけ出された。

両腕の隙間から、布面積の少ない下着に小ぶりな胸の谷間がのぞいている。下半身には股間部に柔らかく張り付いた下着と、妖精のように柔らかで細く伸びる太腿の曲線があらわになっていた。

ピートの頭の中は、火をかけたやかんの様に沸騰し始めていた。ピー――ッと音を出す前にこの状況を何とかしなければいけない。

ピートは音を立てずに慎重にベッドから下りると、フォルテが起きないように毛布を被せる。そして枕元の戸棚から衣服や道具を取り出し、逃げるように部屋を出た。顔は茹で上がったように真っ赤だし、心臓は破裂寸前だ。


「うぅ……ん。」


フォルテは顔をしかめたかと思うと、そのままスゥスゥと吐息をもらし始める。

ピートはパンツ姿で廊下に飛び出すと、あわてて服を着た。そして頭を抱えた。


「なんでぼくのベッドにフォルテさんが!!」


ピートは急いで昨日のことを思い出していた。昨日…昨日といえば…。

昨夜、ピートはフォルテの部屋でダンジョン攻略について話し合っていた。冒険の疲れか、眠気に襲われ意識を失うピート。あとは見たままの顛末だ。

きっと、フォルテが睡魔にやられたピートをベッドまで運んで寝かせてくれたのだろう。そして自分も寝てしまったと…。


「いや…鈍感すぎるでしょ!男女で同じベッドに寝るなんてさ! 僕だって男の子なんだよ! 男と思われてないとしても男だよ!無防備すぎるでしょ!? そういうのは駄目だよ!」


そんなことを考えながら、フォルテが起きるまで部屋の前で待つピートだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


時間は昨日の夜10時までさかのぼる。

チェアーに座ったフォルテはダンジョンの地図を折りたたみながら言った。

「よし!これで明日の予定は立て終わったわね。」

ダンジョンの話をするフォルテは楽しそうに頬を緩ませている。組んだ両手を頭に回すと、刺激の強い生足をぐぐ~~っとフロアに伸ばした。


「ねぇ、ピートはどうして冒険者になろうと思ったの…?」

「僕が冒険者になろうと思った理由…?ええと…。」


ピートは少し考えて言った。


「勇者に…、正義の勇者になりたいと思ったから…。」

「勇者…!」


フォルテは目を見開いた。目の前の少年の真っ直ぐな瞳に驚きを隠せなかったからだ。


「魔術学校で言ったんだ…。みんなを助けて、魔王をやっつける勇者になりたいって。もちろん大笑いされたけど…。でも、そのときの気持ちはずっと残ってるんだ。今日は少し疲れたせいか、変なことを言っちゃったかな…。あはは…。」


ピートはこくりこくりと眠たげな様子を隠せなくなった。彼が覚えているのはここまでだ。やがて眠りの淵に落ちていく。

くぅ~。くぅ~。少年のあどけない寝顔がそこにあった。


「正義の勇者か…。」


フォルテは少年の寝顔を見下ろして言った。


「…人を見捨て続けた私には絶対になれないよね…。」


フォルテは人間の誰とも組みせずに戦ってきた。人間に出会うとひどい目に合うと思ったから、自然と気配を消してひとりで行動する術を身に着けていた。

近くに人間がいる場合はすぐに退避することを徹底した。フォルテはそうやってソロハンターとなったのだ。

しかし、そうして生きる過程でモンスターに襲われる冒険者を何度となく見捨ててきた。

彼女にとってソロハンターという呼称は誇りではなく、自分の卑しさ、卑怯さを表していたのだった。


「ピート…、私は自分の卑小な生き方を雪ぐことができるかもと期待したんだ…。」


そうだ。火炎サソリのときも、ピートが岩石に隠れていなければ見捨てて逃げたのかもしれない。

ピートが”あの人”だったからつい甘えて、卑怯者の側に引き込んだんだ。ひとりはやっぱり寂しかったから。

そう考えると自分が嫌いになった。


そして後日、フォルテに試練が訪れるのである。


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