第6話 謎の強化魔術
ピートの強化魔術は謎が多い。
彼の強化魔術(バフ)はフォルテにだけ強力な効果をもたらす特殊なものだった。この強化魔術は好意を持つ人物にだけ作用するとも考えられる。ピートの中にあるフォルテへの思いを力に変える魔術なのだろうか。
だが、そんな魔術などは聞いたことがない。ましてやピートは特別な強化魔術師ではない。ただの田舎から出てきた駆け出しの冒険者なのである。
このような特殊な魔術は、現代の魔術体系からは考えられないものだ。ピートの強化魔術の根源には大いなる謎が潜んでいる。
今日は天気が良く、風の気持ちいい朝だった。ピクニックに行くには最適な日になるだろう。
だけど彼らは当然のようにダンジョンに挑む。モンスターと戦う危険と宝を手に入れる喜びに憑りつかれた者たちこそが冒険者だ。
ピートたち一行は手始めに、ダンジョン管理ギルド・アルカネットに足を運んだ。
アルカネットでは冒険者のパーティ情報とダンジョンの入退室時間を記録している。時間が経っても帰らないパーティがいる場合、緊急事態と捉えて探索部隊を派遣するためだ。ピートとフォルテのように新しくパーティを組む場合は、アルカネットでパーティ情報を更新する必要がある。
ピートはカウンターのアンジェリカに声をかけた。
「アンジェリカさん! こんにちは。ぼく、新しくパーティを組むことになりました。」
「こんにちは、ピート君。…あら? フォルテさんじゃないですか?」
「…………こんにちは。」
フォルテは顔を少し逸らしながらそう言った。
「アンジェリカさんはフォルテさんとも知り合いなんですか?」
「もちろんですよ! フォルテさんのことは冒険者登録のころから知ってます。仲間をもたずにダンジョンの深層を目指すソロハンター・フォルテ! 期待のルーキーとして特集されたこともあるんですよ。」
『フォルテさんってそんなに有名だったんだ…。』
フォルテの知名度の高さにピートは驚いた。確かに、火炎ムカデ戦で見せた俊敏な動きと卓越した剣術は目を見張るものだった。初級冒険者の中でも頭一つ抜けた存在なのだろう。
「だけどフォルテさん、人見知りが激しくてパーティを組まなかったから心配だったんですよ……。」
「ア…アンジェリカさん! 余計なこと言わないで…!」
「いつもひとりで誰とも関わろうとしないから、私と会話をするようになるのも苦労しましたよね。」
「ウキュッ……!!」
フォルテは小動物のような声を出した。
なるほど、初めて出会ったときに突然逃げ出したのはそういう理由だったんだ。フォルテが不自然に口角を吊り上げて、顔を硬くしているのは緊張している証拠なのだ。
「ダンジョンも階層が深くなるとソロでは危険ですからね。ピート君とフォルテさんが一緒のパーティなら私も安心です!」
アンジェリカは花が咲くように笑った。
フォルテがパーティを組まなかったのはソロにこだわっていた訳ではなく、人見知りが原因だったようだ。だが、彼女はピートに対してはそんな素振りを見せたこともない。それが少年には不思議だった。
コンフリー・ダンジョンは街の外にある大きな地下洞窟だ。店が並んでいる大通りを進んでいけば、自然とダンジョンの入り口にたどりつくようになっている。
ダンジョンの入り口は丘のように盛り上がっており、地上部分は簡易な作りである。しかし、地下に下りると硬い岩盤を四角く削ったような複雑な迷路が広がっている。
今日は、ダンジョンの地下19階層に潜る予定だ。
昨日、宿屋でダンジョン攻略の計画を立てていたときにフォルテは言った。
「ピートの強化魔術(バフ)は強力だけど、発動条件と精度に疑問が残る。君がそれを自由自在に扱えるように経験を積む必要があるわね。」
ピートも同意見だった。少年は自分でもよくわからない強化魔術(バフ)を正確に扱える自信が無かったのである。
地下19階層から20階層にかけては、リザードマン(トカゲ男)が群れを成して徘徊している。リザードマンはソロで行動していたフォルテには相性が悪い敵だった。いくらフォルテの戦闘能力が高いと言っても、集団に囲まれてしまうと背後などの死角には対応できない上に、スタミナが切れたら相手の思うつぼだ。
さらに地下20階層にはフロアボスが鎮座している。
そのため、まずは地下19階層のリザードマン対策がてら、ピートの強化魔術(バフ)の練習をすることに決まったのだ。
フォルテが指にはめているスタックリングは、一度訪れたことのある階層まで瞬間移動する事ができるマジックアイテムである。ピートとフォルテが地下19階層にたどり着くとスタックリングは消滅した。あくまで片道切符のアイテムなのだ。逆に地上に戻る場合は、エスケープリングというマジックアイテムを使うことになる。
ダンジョンの中には、地上では感じなかった湿気と冷気が漂っていた。通路が石畳で舗装されているため、足を滑らさないことだけが安心だ。きっと、ダンジョン管理ギルド・アルカネットが長い時間をかけてダンジョンを保守・管理してきた結果だ。壁には魔術で作られたケースの中に灯のあるマジックランタンがダンジョン内を照らしている。
通路の奥にある広間で、影がゆらりと動いた。リザードマンの姿が3体、広間で動いているのが見える。こちらには気づいていないようだ。
リザードマン(トカゲ男)は、全身に爬虫類の鱗を浮かべており、人間のように二本足で行動するモンスターである。手には剣や盾などの武器を持ち、集団で狩りをする。ギョロリとした丸い目にトカゲのように尖った口をした顔は、不気味としかいいようがない。
「ピート、ちょうどいい相手よ。奴らがこっちに気付くまでにバフの詠唱をお願い。」
「わかりました。フォルテさん。」
フォルテのパーティにはピートというバッファーが加わった。そのため、今まで多勢に無勢で適わなかった相手でも、囲まれる前に倒すという戦術が可能になったのだ。
ピートはフォルテの背中に手を当てて強化魔術を唱えた。
「祝福の精霊よ。かのものに戦いの恩恵を与えんことを。その名はフォルテ。」
精霊の青い光がフォルテの背中を通じて身体強化の力を授けていく。しかし、ピートの強化魔術(バフ)は、攻撃力+20の効果を与えただけだった。
「な…なんで……?」
ピートは愕然とした。前回の強化魔術は夢か幻だったのだろうか。
こちらの魔術の光に気づいたリザードマンが剣をもって近づいてくる。
しかし、フォルテは危機的な状況においても打開策を考えていた。
「前回にあって今回に無いもの…。いったい何が……。あっ!」
ピートが何かに気づくと同時に、フォルテは声を上げた。
「ピート…あなたは私のことをどう思ってる?」
「え…、僕はフォルテさんのことが…。」
「私のことが?」
「す…すき…です…。」
「もっと大きな声で言って!」
「フォルテさん、あなたのことが…大好きです!!」
ピートはフォルテに心からの告白をする。
そのとき、ピートは故郷の村のおばあちゃん先生が言っていた言葉を思い出した。
『強化魔術は誰かを愛する気持ち、誰かを信頼する気持ちで唱えるんですよ。』
先生はいつもこう言いながらニコッと笑うのだった。
「今よ!強化魔術を唱えて。」
フォルテの声でピートは我に返った。
「祝福の精霊よ。かのものに戦いの恩恵を与えんこと。その名はフォルテ!」
フォルテの身体に青白い光が飛んでいき、彼女の身体を包み込む。
強化魔術の詠唱の最後に対象者の名前を唱えると、体に触れずとも強化を付与することができる。襲い来るリザードマンたちは、青白い光に目がくらんで動けないでいた。
ピートの強化魔術(バフ)により、フォルテの攻撃力・防御力・敏捷性が4倍に強化される。
「体から力が湧き出る! やったわよ、ピート!」
「やった…成功しました!フォルテさん!」
そのままフォルテはモンスターたちに視線を向けると、両手で剣を構えた。瞬間、大地を蹴って少女の身体が疾走する。剣を振り下ろそうとする1体目のリザードマンの一撃を緩やかに避けると、一太刀で袈裟切りにする。硬い鱗ごと切り裂いた傷口からは血しぶきが上がる。続いて、2体目、3体目に向かってフォルテは追尾する弾のように飛んでいった。リザードマンたちは声を上げる暇もなく、冷たい床に沈んだ。
広間でひとり上体を起こしたフォルテは、こちらに手を振っていた。やがて、ピートの居るほうに向かって駆けてくる。
「やったーー!! やったわピート。あなたの強化魔術は本物よ!」
フォルテは飛び跳ねながらハイタッチのポーズをした。ピートは彼女の女の子らしい姿に、つい赤くなりながらハイタッチを返す。
2人はエスケープリングで地下19階層から地上へと帰った。モンスターを倒して手に入れた宝物はアルカネットでゴールドに換金した。ダンジョンで手に入れたアイテムはアルカネットで鑑定してお金に変えてくれる。冒険者たちはそれを装備や宿屋の費用に充てられるし、アイテムは必要としているギルドに流通していく。このようにしてコンフリーの街は豊かな交易街として賑わっているのだ。
ピートたちは冒険者のパブで料理をお腹いっぱい食べて、夜は小さな宿屋に泊まった。
ピートはベッドに横になり今日のことを思い出していた。
好意が強化に大きく作用するバフ。この世界でも珍しい特殊な強化魔術。
この魔術がいったいどんなものなのか。ピートはまだ知る由もない。
だけど確かなのは、ピートはどんどんフォルテを好きになる。そして、強化魔術(バフ)はそのたびに強くなっていく予感がした。
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