第4話 出会い
金色の髪の毛を二つに結んだ少女は、火炎サソリの前に立ちはだかる。手には両刃の剣を握りしめ、巨大な甲虫との間合いを測る。その体躯はピートよりも小さく、華奢に見えた。
ピートは腰が抜けて逃げることができない。それを察した少女は自ら火炎サソリの目前に飛び込み、自分を標的にした。
火炎サソリの体は頭胸部と、細長い腹部とに別れている。頭胸部には目があり、鋏の付いた触肢(うで)と8本の足が生えている。腹部の終端からは長い尻尾が生えており、先端には毒針がある。この針には猛毒が詰まっており、動けなくした獲物を捕食するのだ。
不意に近づいてきた人間に、火炎サソリは驚いて間合いを取ると、口から火球を放ってきた。この火球こそが”火炎サソリ”と呼ばれる所以である。厄介なことに、このモンスターは火球を中~遠距離へと自在に飛ばしてくる。よって火炎サソリを倒すには火球を避けながら接近し、鋏と毒針をかわして頭胸部を破壊するしかない。
金色の髪の少女は、ピートを巻き込まないように広間の逆側へと走った。彼女が走っていく地面に次々と火球が落下して爆炎が上がる。しかし、少女は降り注ぐ火球を俊足で振り切っていた。火炎サソリの攻撃範囲を素早さで圧倒している。
火炎サソリの火球が切れてきた。いくら体内で火球を生成できても、何度も連発していては弾が尽きるのだ。
少女は勝機とみるや、踵を返し火炎サソリに向かって走り出した。目的は接近戦に持ち込んでの頭胸部の撃破だ。俊足でサソリに走り寄り、その姿を眼前に捕える。サソリは両手の鋏を振り回して接近を拒むが、少女は軽やかなステップで回避し、握りしめた剣で頭胸部を狙う。
そのときだった。少女は上方に殺気を感じた。瞬時に体をひねり地面に転がる。直後、火炎サソリの尻尾が振り下ろされ、地面に突き刺さった。体をひねっていなければ、毒針の刺突が体を貫いていたかもしれない。
火球と触肢(うで)の鋏、尻尾の毒針。三重の攻撃が近づくことを許さない。一方、火炎サソリは、火球の補充を済ませたようだった。口から炎が吹きあがるのが見える。
またもや、火炎サソリの火球が次々と少女を襲った。少女は俊敏な足で火球を避け続ける。しかし、彼女は片足をついて息を荒げていた。少女のスタミナは明らかに消耗しているのが見て取れる。
ピートは孤軍奮闘する彼女を見ながら、何とかならないかと考えていた。
「僕が強化魔術を使えれば…あるいは…。」
…わかっている。ピートのバフを使ったところで彼女を助けられるわけがないことを。
でも、本当の理由はそうじゃない。心臓がドキドキしている。彼女を見てから、ピートの鼓動の高鳴りは鳴りやまなかった。そうだ、少女の戦いにピートは見とれていたのだ。ピートが彼女を助けたい本当の理由は…。
「そうだ…そうなんだ…。」
ピートの足は不思議と軽く動いた。先ほどまで腰が抜けていたとは思えないほどに。ピートは巨大な火炎サソリと対峙している少女に向かって走り出した。
広間の向こうに佇んでいる少女までの距離は遠い。火炎サソリが火球を吹けばピートなんていちころだ。それでも彼は走った。どうしても伝えたい気持ちがあったからだ。どうしても守りたい気持ちがあったからだ。
「…!?」
少女の眼が近づいてくるピートを阻止する。それでも、ピートは息を切らして彼女の傍まで走り寄り、ぜえぜえと息を吸っては吐いた。
このままでは全滅だ。少女は美しく整った顔を曇らせ、唇をかみしめている。
息を切らしたまま顔を上げた少年は、少女に気持ちをぶつけた。
「僕はあなたに…一目惚れしたんです!!」
「え……?」
少女は突然の告白を受け、一瞬思考が停止したようだった。構わずにピートは強化魔術の詠唱を始めた。
「祝福の精霊よ。かのものに戦いの恩恵を与えんこと。」
ピートの腕から輝く光が浮かび上がる。祝福の精霊の力が青白い光となって舞い上がっているのだ。少女とピートの目線が一瞬重なった。
ピートは最後に少女の背中に手を触れた。
「ひゃっ…!」
少女の驚く声が聞こえてくる。すると、ピートの腕から青白い光が少女の背中に吸い込まれていく。その白い背中にはピートの手のひらの痕だけが残っていた。
次の瞬間、少女の身体全体に強力なバフが付与された。なんと攻撃力・防御力・敏捷性が4倍に強化されたのである。
ピートは露ほども気づいていないが、彼の強化魔術の特殊スキルが発動したのだ。それは、強化魔術をかける相手への好意に応じて、魔術効果が通常よりも強化されるというものであった。それも、初恋の相手ともなれば効果は段違いだ。これほど強力な強化魔術は、初級のバッファーではまずお目にかかれない。
このような特殊な条件をもつ魔術は、現在の魔法体系では考えられない現象である。いったいピートの強化魔術の根源には何が秘められているのだろうか。
「……これなら勝てる!!」
少女は立ち上がると、両刃の剣を水平に構えて火炎ムカデを睨みつけた。そして敵に向かって走り始める。前までとは比べ物にならない速度だ。あっという間に少女は火炎サソリへと近づいていく。その姿はまるで風を切る鷹のようだった。
火炎サソリは土ぼこりを上げて近づいてくる少女に向かって、3発の火球を連続して発射した。少女はそれを身体に当たる寸前で身体をひねって避ける。避ける。避ける。彼女は火球の爆炎を背中の向こうに置き去りにした。
少女が接近戦をしかけると、モンスターは鋏のような触肢(うで)を叩きつけてくる。彼女は上体を一度かがめると、恐れることなく火炎サソリに向かって跳躍した。弾丸のように舞った少女の身体は触肢の一撃をすりぬける。サソリの尻尾が持ち上がり、毒針を突き出してくる。少女は剣先を前に構えたまま、空中でサソリと交錯した。
どちらの攻撃が早かったのか。その結果はすぐに出た。火炎サソリの尻尾は固い甲殻ごと切り離され、地面に堕ちていったのだ。
「ギエエ―――――!!」
火炎サソリの叫び声が広間に響いた。モンスターの体には、尻尾の切断面から出た体液が飛び散っていた。
そのまま少女が超速度の剣閃を放つと、モンスターのふたつの触肢(うで)が割れたスイカのように斬れ落ちた。火炎サソリは、もはや届くことのない触肢(うで)を振り回している。
「終わりよ!!」
少女は青く光る剣閃で火炎サソリの頭胸部を切り裂いた。強烈な一閃は、相手の口から目にかけた中心を切り裂き、腹部までを両断した。火炎サソリは断末魔の叫びを上げることもなく絶命していた。
少女の身体から青白く光っていたバフが霧散した。少女は剣の重さに耐えかねるように腰をついた。強力なバフで身体が消耗したうえ、緊張の糸が切れたためだろう。
ピートは立ち上がり、へたり込んでいる少女に手を伸ばした。
「ウキュッ!?」
少女は口の端を吊り上げると、小動物のようなへんてこな声を上げて逃げた。…逃げた!
「待ってください!!僕はピート・ラムズイヤーといいます!お礼を言いたいんです!」
走っていた少女の足が止まった。
「ピート・ラムズイヤー……?」
少女は踵を返して帰ってきた。
「ピート…?トビオ渓谷の…。」
「!?」
ピートが驚いたのも仕方ない。トビオ渓谷はピートの故郷の村から近くにある渓谷の名前だったからだ。なぜこの少女が…?彼女はピートの手を、幼子が兄の手を掴むように握った。
「いたたたた…!ちょっと手が痛いです!」
「す…すまない…。」
少女は手を後ろに回してから言った。
「私の名前はフォルテ・キャラウェイ。よろしく、ピート・ラムズイヤー。私はハーフエルフだから、モンスターなどと気味悪がられることが多い…。だから、なるべく人とは関わらないようにしている。でも、君は不思議と安心するんだね。」
ハーフエルフとは人間とエルフの混血を指す。エルフは森の奥で暮らす長命な種族だ。人間の社会では、たびたびハーフエルフへの差別が問題となっていた。心ない人から気味悪がられたり、モンスター呼ばわりされることもあった。
「ところでピート、さっきの凄いバフはいったいどうしたの!?」
「わ…わからないんです。突然使えたというか…。」
ピートは本当に理由がわからないのだった。もし、初恋をしたら強化魔術の効果が上がったと言ったら信じてもらえるのだろうか?
「ありがとう…!ピートの魔法のおかげで火炎サソリを倒せた。」
「そんな、僕こそフォルテさんに助けられて…ありがとうございます!」
フォルテは、両手の人差し指をつんつんと突き合わせる。そして身体をもじもじさせながら顔を赤らめた。
「あの…。こういうことをいうのは初めてなんだ。もし良ければ…。」
フォルテは何か言いたそうに、もどかし気に口を動かしている。
「ええと…ピート。私と仲間になってくれないか?」
「え……。本当ですか…? 本当にいいんですか…!?」
フォルテは優しく微笑んでこう言った。
「君の強化魔術、そして君の勇気に私は助けられた。ピート、君がいなければ私は火炎サソリには勝てなかっただろう。」
少女はピートに向かって細く白い手を伸ばした。
「だから、仲間になるとしたら君しかいないと思ったんだ。」
ピートを認めてくれた女性。そして少年の初恋の人。彼に断る意味なんてなかった。
「はい…。よろしくお願いします。フォルテさん。」
ピートはフォルテの差し出した手を握り返した。細い手は柔らかく体温を伴っていた。
こうしてピートは、フォルテとパーティを組むことになった。
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