苺ショートとジンジャークッキー

胡麻桜 薫

苺ショートとジンジャークッキー

「早過ぎるわよ。まだ十一月の中旬なのに」


 ショッピングモールの一階。吹き抜けになった大ホールで、小机こづくえ柚子ゆずがボソリとぼやいた。

 彼女の前には、巨大なクリスマスツリーがデーンとそびえ立っている。


「え〜いいじゃないですか。こうやってクリスマスまで気分を盛り上げていくんですよ」


 古淵こぶちあかねはハシャギ声でそう言いながら、手に持ったスマートフォンでツリーの写真を何枚も撮っている。


「なんで盛り上がるのに一ヶ月以上も必要なのよ。時間かかりすぎでしょ」


 柚子に呆れ顔でそう指摘され、茜はエヘヘッとゆるい笑顔を浮かべた。


「スロースターターなんです〜」

「意味間違えてると思う・・・」



 柚子と茜。

 二人は職場の同僚だった。柚子が先輩で、茜が後輩だ。


 今日は休日。お昼に駅で待ち合わせをした二人は、駅前のレストランでランチを済ませ、今はショッピングモールを訪れていた。

 今週からクリスマスイベントが始まっており、モールのあちこちが華やかに飾り立てられている。


「ほら、もう写真は充分撮ったでしょ? 早く行くわよ」

「え〜ツリーを背景にして一緒に写りましょうよ。ほら、あそこにフォトスポットもありますし。誰かに撮ってくださいって頼みますから!」


 茜はキョロキョロと辺りを見回し、頼めそうな人を探し始めた。


「い、いいわよ! 恥ずかしいから」


 柚子は慌ててその場から逃げ出した。

 茜と一緒に写るのは構わないが、ツリーの周りにはたくさんの人が集まっている。高校生でもあるまいし、浮かれた写真を誰かに撮ってもらうのはちょっと照れくさかった。


「あ、先輩! 待ってくださいよ〜」


 茜は逃げ去る柚子の姿に気がつき、急いで彼女を追いかけた。



 ──結局そのまま、二人は上の階にある雑貨屋へと移動した。


「わ〜可愛い!」


 茜はツリーの前での記念撮影ができなかったことに不服そうだったが、店の入り口に並ぶクリスマス商品を目にすると、すぐご機嫌になった。


 ハンカチやマグカップ、ハンドクリームやポーチなど、モールのクリスマスイベントに合わせて発売された新商品は、赤や緑を基調としたクリスマスらしい色合いで統一されている。


 柚子は陳列用テーブルの上に乗った商品をまじまじと見つめた。


「マグカップか・・・」


 くつろぐネコのイラストが描かれたマグカップが、柚子の目を引いた。

 寒い日にこのマグカップで温かい飲み物を飲んだら、とてもリラックスできそうだ。


 柚子はチラリと茜の方を見た。すると、それに気がついた茜がニヤッと嬉しそうな顔をした。


「あっ、もしかして今、わたしへのクリスマスプレゼントにしようかな〜って思いました?」

「思ってないわよ」


 柚子はキッパリと言い捨てた。

 

 その後も、二人はのんびりとモールの中を見て回った。

 どの店も魅力的な商品を並べており、ついつい手を伸ばしそうになってしまう。我慢したり、我慢しきれずに買ってしまったりしながら、二人は楽しい時を過ごした。


「ん? この素敵な匂いは・・・ジンジャークッキーですね!」


 軽やかな足取りで歩いていた茜が、お菓子屋さんの前で不意に立ち止まった。


 彼女の言う通り、店の中からジンジャークッキーの香りがする。他のお菓子の甘い香りとは少し違う、大人っぽいスパイスの香りだ。


「お店の中で焼いてるみたいですね。いいなあ、焼きたてのクッキー・・・」

「好きなの? ジンジャークッキー」


 柚子が尋ねると、茜は大きく頷いた。


「はい! 味も好きなんですけど、ジンジャークッキーの香りが大好きなんです。なんか、冬だなあっていう感じがして」


 茜は子供のようにキラキラと目を輝かせている。きっと、楽しい冬の思い出が頭に浮かんでいるのだろう。

 柚子はそんな茜を見て、心がホッと温かくなっていくのを感じた。


「冬・・・そうね、確かにそういう香りかも。ジンジャークッキーって、ヨーロッパやアメリカではクリスマスの定番らしいから」


 しみじみと語る柚子をよそに、茜の関心は早くも別のことへと移っているようだった。


「う〜ん、なんかいい匂いを嗅いだらお腹が減ってきちゃいました。先輩、あそこにあるカフェに入りません? 何か甘いものでも食べましょうよ!」


「・・・せわしないわね」


 呆れた表情でそう言われ、茜はバツが悪そうに弁解した。


「あはは、すみません。でも・・・ほら、お昼はデザート抜いちゃいましたし・・・」


 柚子はクスッと笑みをこぼした。


「まあ、いいけど。じゃあ、お茶にしましょうか」

「やった〜ありがとうございます!」



──────────────



 カフェの店内で、茜はニヤニヤしながら指摘した。


「先輩。食べてるじゃないですか、クリスマスメニュー」


 柚子の前にあるのは苺のショートケーキ。クリスマスっぽいひいらぎの飾りが付いている。

 この店では普段、苺ショートは出していない。クリスマス期間の特別メニューだ。


「別に、クリスマスイベントに対して敵意を抱いているわけではないもの。始めるのが早過ぎじゃないかって、そう感じただけよ」


 柚子は肩をすくめた。


 二人はテーブル席に向かい合って座っていた。ちなみに、茜はアップルパイを食べている。


「それに、苺ショートはクリスマスだけのものじゃないでしょ。苺ショートはオールシーズンよ」

「苺が好きなんですねえ」


 ケーキの上に乗った苺を美味しそうに食べる柚子を見て、茜は満足そうに頷いた。


「それにしても、本当にもうクリスマスムードですね。流れてるBGMもクリスマスっぽいものでしたし」

「そうね」

「なんだか、本当にもうクリスマスがきたみたいですよね!」

「そうね・・・」


 無邪気にはしゃいでいた茜は、柚子が顔を曇らせていることに気がつきハッとした。


「先輩、どうしました? もしかして、こういうクリスマスの雰囲気とか、好きじゃなかったですか?」


 茜は心配そうに柚子の顔を見つめた。


「クリスマスは好きよ。にぎやかなのも嫌いじゃない。ただ・・・」


 柚子は不満そうに口をとがらせた。


「まだ十一月なのに、まるでクリスマスデートみたいじゃない。これじゃあ、茜と本当のクリスマスデートをした時の味わいが薄れちゃう。なんだか、もったいない気がして嫌なの・・・」


 茜はポカンと口を開けた。


「せんぱい・・・」


 柚子はうっすらと顔を赤くし、気まずそうに視線を逸らしている。『恥ずかしいことを言ってしまった』と顔に書いてあるみたいだった。


「先輩!! わ〜ん、なんて可愛いこと言ってくれるんですかっ!!」


 茜は、パーッという効果音がつきそうなくらい満面の笑みを広げた。


「な、なによ、そこまで大きなリアクションとるほどの発言じゃないでしょ」


 こちらに視線を戻した柚子の顔は、まだ赤いままだった。


「いやいやいや、感激しちゃうに決まってるじゃないですか!」


 茜はテーブルに身を乗り出し、一気にまくし立てた。


「それより先輩、大丈夫ですよ。クリスマスデート本番は、もっとクリスマスっぽくしますから! わたし、雰囲気の良い場所をリサーチします! 本番はもっともっとクリスマス気分を味わえて、感動できますよ! それでも先輩が不安なら、これからクリスマスまでは街中でデートするのはやめましょう。クリスマスムードの場所は避けるんです! そうだ、山でデートするとか!」


 柚子は首を横に振った。


「山は嫌。これから寒くなるもの」


 茜は、それじゃあ・・・と考えを巡らせ始めた。腕を組んで考える茜は、おかしいくらい真剣な表情になっている。

 気恥ずかしさのあまりムッツリとしていた柚子は、思わず表情を緩め、真剣に考え込む茜の様子を優しく見守った。



──────────────



 お茶を終えた二人はカフェを出て、再びのんびりとモールの中を歩いた。


 茜は並んで歩く柚子の手をそっと握った。触れられるのを待っていたように、柚子はすぐに手を握り返した。


 二人は手を繋いで歩いた。


「あの〜先輩」

「何?」


 茜が不安げに尋ねた。


「本当のクリスマスデートの時は、クリスマスツリーの前で一緒に写真撮ってくれます?」


 柚子はふわりと微笑み、優しい声で答えた。


「いいわよ。フォトスポットで一緒に撮りましょう」


 茜は笑顔を輝かせ、繋いだ手をブンブンと前後に振った。


「やった!」

「ちょっと、はしゃぎ過ぎ! 恥ずかしいからそんなに手を振らないで! もう、まだクリスマスじゃないんだからね」

「もうちょっと! もうちょっとだけこうさせてくださいよ〜」


 茜はそう言いながらブンブンと手を振り続けた。

 柚子は「子供っぽいんだから・・・」とぼやきながらも、手を振り解こうとはしなかった。


 モールの中ではロマンチックなクリスマスBGMが流れている。


 壁に飾られた雪の結晶が、まるで本物みたいにきらめいていた。

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