亡霊

シリウス

第1話

午後7時半。

雷を合図に遅い夕立が始まった。

電車の窓を透明な斜線が切り裂きながら、風景が段々と色褪せていく。

私は去りゆく景色を眺めていた。だがこれがあまりにも面白くない。同じような道、同じような家、同じような人々がただ通り過ぎていくだけなのだから、面白くないに決まっている。


「何か面白い話はないかい?」


私の困った口癖である。この言葉で人を悩ませた回数は数え切れない。退屈になるとついつい使ってしまうのである。


「って言われても分からん」


と言われるのがおちなのだが。

前にいる友人はいつもと同じようにどこかぼんやりと眺めている。

考え込んでいて聞こえてないようだ。


「おい。」


もう一度呼べばやっと現実世界に戻ってくる。

至極めんどくさそうだ。


「僕が面白い話題を提供できないのを知っていて、なぜ性懲りもなく聞んですかね。」

「聞くという動作をするだけで数秒気がまぎれるからさ。」

「君の方がよっぽど面白い話を持っているのに、わざわざ数秒だけのために僕を煩わせないでほしいかな。」


にっこり笑うが案外腹黒いところがある。なんてったってこいつの冗談は皮肉と同義だ。どうしてこんな風になってしまったのか知りたい。昔はもっと素直だったのに、もったいない。その分私が素直、というよりは自由気ままなのである。


「だがほら、これだけで3分ほどは退屈が紛れた。」

「こっちはなぜ君が毎日退屈している理由が知りたい。」

「それはいい質問だね。君には到底分からないだろう。」

「そりゃあ、僕は君と違ってまともですからね。」

「そりゃあひどい言いようだ。君が異常なのかもしれないじゃないか。」

「それはないでしょうよ。」

「いや、可能性としてはあるだろう。だが私たちはお互い間違ってる気がする。」

「じゃあなにが正解なんでしょう。」

「私たちは両方異常なんだろう。」


誇らしげに言い切ると睨まれた。図星だったのかもしれない。


私たちがなぜ一緒にいるか不思議で仕方がない。なんせ性格が正反対なのである。自由と安定、理想主義と現実主義、楽観主義と悲観主義、表裏一体と本音と建前、積極性と消極性、自我の主張と周囲との協調、、、。言い出せばきりがない。だが、いつからか私たちは一緒に過ごすようになっていた。経緯はよく覚えてない。


そのことを話すとそういうものだろうと言われた。


「ジョバンニとカムパネルラだってそうでしょう。別に珍しくないじゃなですか。」

「私はカムパネルラかね、まだ死にたくはないのだが。」

「それを言ったら僕だって除け者は嫌ですよ。」


そう言って笑い合ったのをふと思い出した。

今思えば、あのように意見が一致したのは初めてだったかもしれない。

それと同時に、どうして私たちの関係がとっくの昔に崩れていないのか、疑問が湧いた。

普通、ここまで意見が合わないとなると何かと関係が軋むはずである。ただ、その質問を聞いてはいけないような気がして、私は黙ってしまった。私の変化に気づいたのか、顔を覗き込まれた。


「またしょうもないことを考えているんですか?」


しょうもないこととは哲学、もっぱら人生の意味なのである。

人生の意味、未来、夢。そう言ったことを話すことはほとんどなくなった。

何をすればいいのか分からない。何もしたくない。それを言うと怒られた。

世界にはもっと苦労している人々がいて私の立場が喉が出るほど欲しがるやつが大勢いると。

でも私はお金や地位の獲得が人生の意味だとは思えなかった。

かといって、他の意味を見出すことはできなかった。

意見が合わないだけならまだ良かった。しかしこの意見の相違が互いを混乱させ傷つける要因になっている。一つ一つの議論が積み重なって結局二人とも大きな傷を抱えるようになってしまった。そしていくら気をつけても傷つけ合うことが止まらないのである。


少し前の話だ。

私たちは同じ人が好きになった。直接それについて話すことはなかったが、私は薄々は気づいていて、でも何も言わなかった。何とかなるだろうとたかを括っていた。

その人は私を選んでしまった。


私よりも幸せにできることが心の底では分かっていた。

でも愛の味を忘れることはできないのだ。


徹底的に二人が会わないように手を回した。

最低な人間だと思う。それでも二人を一気に失う、いや、結局自分は二人なしでは自分ではないのだ、つまり自分を失うのは嫌だった。


何か他の方法があっただろうか。

私がこれほどまでに自己中心的な人間であることは誰も知らないのだろう。

私ですらこの時になってようやく気がついた。

もっと前から私は君を深く傷つけていたのか?


離れればいいのかもしれない。距離をとり、赤の他人として関われば時間と共に傷は癒える。でもそれはできない。

お互いがお互いに惹かれあってしまうのだ。私は束の間の夢を与え、そして愚痴愚痴言われながらもありのままの自分を認めてもらえる。

それは根本にある私たちの孤独を埋めるのだ。

残酷なほど近くて残酷なほど違う。


「私は誰なのだろう。」


呟きは誰にも届かない。

ただ電車に揺られる亡霊が一人雨にかき消されようとしていた。

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亡霊 シリウス @canis_major

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