第2話 影は静かに
店がぽつほつとある通りを抜け、中学校の隣を通って秋は祖父母の家に着いた。
いつもなら普通に開けられるのだが、秋は心無しか緊張している。帰省するだけなら、そこまでの事は無いのだが、今回は状況が違う。住むことになるのだ。いつものようにとは、いかない。
少し家の周りを歩いてみた。塀の内側に祖父が懸命に世話をしている庭がある。昔はここで、蝉を取ったり、花火をしたりと楽しんだものだった。花火を庭の植物に向け、祖父に本気で怒られた記憶が蘇る。
秋はかぶりを振り、家の扉へと向かい、手をかけた。鍵は当然空いていない。こんな田舎で、強盗など存在しないのだ。島民がお互いを知っている顔なじみばかりなため、直ぐにバレるからだ。
秋はできるだけ普通の速さで開けた。第一声はもちろん、「ただいま」であった。
奥から返事をする声が聞こえ、パタパタと廊下を走る声が聞こえてくる。多分祖母だ。
「はい。お待たせしました。……あ、秋ちゃん! よぉ来たねぇ」
秋の顔を見た瞬間、優しい笑顔で出迎える祖母。何か言われるのではないかと怯えていた秋は、安堵して玄関で靴を脱いだ。
「秋。大きくなったなぁ」
祖父はソファで座りながら、新聞を読んでいた。老眼鏡を外し、秋の方を見て驚いた声をかける。
「爺さん……久々だからね」
暖かい祖父母の家の様子に嬉しくなり、秋はこれ以上何も言えなくなってしまった。
「長旅で疲れたでしょう。すぐお昼にするから、ちょっと待っててね」
手を洗っていらっしゃいと、廊下の洗面所に促され、秋は手を洗った。廊下はエアコンが効いておらず、先程の暑さが襲いかかってきたが、秋は手を抜かずに丹念に洗った。昔、祖母に見つかって怒られたことがあるからだ。
昔の様子が重なり、秋は思わず苦笑する。そんな時もあったと、変わらない洗面所を見て思い出したからだ。
昼食は素麺であった。葱、錦糸卵、胡瓜といった薬味も完備されているものだ。特に秋は錦糸卵が好きであった。昔を思い出す味に、冷たい素麺との相性が素晴らしい。つゆが染み込んだ卵の味は格別で、それだけを暫く食べていたいほどだ。
そんな秋の様子を見て、祖母は追加の卵を焼いてくれた。皿を出された時、祖母と祖父の笑顔が恥ずかしく、秋はいたたまれなくなった。
「秋はよく食べるねぇ」
祖母が嬉しそうに言う。祖父も頷いていた。
「いや、そんなことは……」
「何を恥ずかしがってるの。いいことじゃない」
祖母に言われて、益々恥ずかしくなった。急いで卵を食べ、荷物を解き始めた。
「秋はこの後予定はあるか?」
荷物を解き終わった頃を見計らって、祖父が聞いてきた。秋は既に制服に着替えていたので、祖父はそれを見て何かを察したようだが、秋の返答を待った。
「この格好でわかると思うけど、これから学校なんだ。転校の手続きをしなくちゃ行けない」
祖父はしっかり挨拶して来いと言い、リビングに戻って行った。
それと反対に、秋は手提げ鞄を持って家を出た。
制服は白いシャツであったが、ズボンは黒いものなので下半身が日光を吸収して熱い。手提げから水のペットボトルを取り出し、飲みながら歩く。
向かう先は、中学校から歩いて数分ほどの場所にある、大君島高等学校である。
大君島高等学校は、その名の通り島にある唯一の高校だ。生徒数も多くなく、各学年一クラス程度しかいない。進学率はまぁまぁで、田舎を出たい生徒は進学、島外就職し、それ以外は島で就職する。その振れ幅のため偏差値はそこまで高くない。
そしてここは、秋が今から通う学校だ。夏休みまであと一週間しかないが、休むわけにはいかない。学校としてはそういう方針だった。秋のように、「理由」がある分尚更であった。
秋は校門の隙間から滑り込んだ。車が入れないように、授業中はこのようにして対応している。
開けようと思えば簡単に開けられるが、田舎なので誰も開けない。その前提にある防犯意識であった。監視カメラも特に着いていない。平成の世では有り得ない態度だ。
秋は真っ直ぐ進み、職員用玄関へ向かった。体育の授業終わりなのか、グラウンド側から話し声が聞こえてきたためである。
職員用玄関では昇降口とは打って変わった静かな雰囲気であった。蛍光灯が切れかかっているのか少し薄暗く、入っていいのか分からない雰囲気であった。
入口を探して迷っていると、後ろから声を掛けられた。
「何? お前もサボり?」
反射で後ろを向くと、そこにはいかにもな不良といった服装の男が居た。
髪は尖っていて、ワックスの嫌な匂いが仄かに香っている。制服の前は開けられ、赤いシャツが見えていた。
秋は敵対心を剥き出しにして答えた。
「お前に関係無いだろ」
不良は意外そうな顔をした。直ぐに笑顔に変わり、気分を上げた声で笑う。
「面白ぇな、お前。この格好見て、普通はビビるか立ち去るだろ?」
「……そうか。次からはそうするよ」
不良は益々喜んだ。変わったヤツだと秋は思った。
「お前、名前何よ? 教えてくれ」
「……如月秋」
「俺は小野坂李典。二年生だ」
同じ学年だ。秋は顔に出さなかった。さっきから、この男に対して良い印象は持っていない。遊び慣れている人間は、秋は今一番苦手であった。
そう言って立ち去ろうとした。不良は最後に振り返り、秋に告げた。
「あんまり遅刻すんなよー!」
自分はサボっている癖に人には言うのか。秋は小野坂を改めておかしな奴だと認識したのだった。
職員用玄関前は、静寂に包まれた。チャイムが鳴る気配も無い。そろそろ昼休みが始まったことを理解した秋は、職員用玄関の中へ消えていった。
学校生活、何事もなければいいのだが。秋は分不相応な夢を抱き、職員室へと向かったのであった。
*
「……なんですか。これ」
「見てわかるだろ。ホトケさんだ」
「うっ……」
駐在は口を抑えて近くの茂みへと向かう。この平和ボケした島では、そういうモノに縁がないらしい。表向きは平和そのもののような島である。中身は、火薬庫と言わんばかりに一触即発ではあるが、まだ事件性は無いはずだ。
大君島の駐在から連絡があったのが五時間前。車と船を飛ばし、刑事はできる限り急いで来た。そこで、現場の状況を見たのである。
「惨殺体ね。ひでぇもんだな」
鑑識や解剖に回すまで詳しいことは分からないが、肩口からバッサリと切り払われた傷跡が致命傷。そこから出血多量で絶命といったところだ。刑事はこの顔に面識が無い。手持ちの財布からは身分証明書だけ抜き取られている。つまり、身元判明まで時間が掛かる。ということは、それだけ初動捜査にも影響が出る。
「島の人間ならともかく、違ぇなら判別は無理だぞ」
上の命令は中々に無茶ぶりで、勢いよく引き受けた五時間前の自分を呪いたくなる。が、状況は改善しない。大人しく応援を呼ぼう。
「倉持刑事……この人、見たことがあります」
駐在の言葉に耳を疑う倉持刑事。値千金の情報。すぐに手帳と筆記用具を取り出して、続きを促す。
「確か一、二週間前の事でした。守護家の取材がしたいと、交番に道を尋ねてましたよ」
「名前は? 聞いてるのか?」
確か……と少し考え出す駐在。倉持刑事は時間がかかると見て、状況の整理を行う。
守護家の取材。そんな事を考える島民は居ない。ならば、外から来たものだと言うこと。それを殺害する理由が現時点である者は。
……守護家の連中だけだろう。だとしたら長期戦だ。現代日本に法という物が産まれる前から、この地を治めていた三つの家。今でこそ島は法治国家としての役割を果たしているが、彼らの家までがどうかはわからない。
警察だと言おうが、話すような信頼は得られない。門前払いが妥当だ。……面倒になるな。
「黒田……鉄則という名前だったかと思います。記者の仕事をしてると言ってました」
倉持刑事は大きくため息を吐いた。捜査が軟膏を極めることが、多分確定したからである。彼は気持ちを落ち着かせるために、買ってあったタバコに火を点けた。
たなびく煙が一筋、漂うように宇宙へと昇っていった。
ゼロ年代に生まれて 中樫恵太 @keita-nagagashi
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