ゼロ年代に生まれて

中樫恵太

第1話 帰郷

 七月十六日


 船が揺れるのと同時に、テレビの野球中継も途切れた。如月秋の子どもの頃から全く変わっていない。テレビ自体はブラウン管から少し小さめの薄型液晶テレビに変わってはいるが。


 秋はスクランブルが流れ続けるテレビから視線を外し、備え付けられた窓から外を見た。あとどれぐらいで島に着くのだろうか。窓の外に映るのは、一面の青い海。まだまだ目的地まで時間がかかりそうである。


 秋は一つため息をこぼし、視線をテレビに戻した。真っ黒なテレビは陽の光を受けて船内を映し出している。


 当然、そこに秋自身もいる。真っ黒な世界に映り込む、自分。秋にはそれが心地よかった。テレビのうるさい応援歌や声援、誇張しまくりの実況解説も聞こえてこない。


 ついさっきまで映し出されていた夢の舞台は、テレビが消えた瞬間、暗闇の世界へと変貌を遂げる。


 今、秋以外にテレビを見ている乗客はいない。当然だ。皆、手元のスマートフォンに目を落とすか、小声で島について話しているかだ。


 珍しいが、家族連れでうるさくなるよりよっぽどマシだろう。あと二、三週間もすれば帰省の客で船内は溢れかえる。考えたくもない風景だ。


 秋は思案をやめ、自分の世界に入るようにヘッドホンをつけた。昔流行った、耳かけ式のものである。音楽を聴きながら、彼は目を閉じた。




 転校というのはあまり良いものではない。小学生の頃はクラスなどでお別れ会に憧れたことはある。

 しかし、実際自分が似た立場になると気が滅入る。まず、転校先のことが何も分からないし、たった一人だ。


 新学年からならまだマシなのだが、学期の途中であれば地獄なことこの上ない。グループができている中に入らなければならないからだ。


 自分にそんな勇気は毛ほどもないし、入ろうとも思わない。転勤族には、ひっそりと過ごし、いつの間にかいなくなる、そんな空気がお似合いなのだ。


 そんなしゅうが今回転校する先は田舎も田舎、ド田舎である。いや、離島の方が正しいか。

 名前は大君島おおきみしま。はるか昔に有名な豪族である大君が命を狙われ、この島に逃げてきたことに由来しているらしい。


 この辺りの歴史の話は祖父母に教わった。

 つまり秋がこの島に来るのは初めてではない。長期休暇のたびに訪れていたので、それなりに愛着もある。


 今回の転校先としてはなかなか悪くないのではないか。……いつもであれば。


 船が停止する少し前、秋は船室を出て二階に上がった。


 潮風を体全体に受け夏の日差しが体に降り注ぐ。汗が吹き出るが、存外に心地よい気分だ。


 徐々に近づく島を眺めながら、秋は手近な席に座りペットボトルの水を飲む。だいぶ温くなっていたが、秋は構わなかった。


 舟がもうすぐ着くとアナウンスを告げ、秋はタラップに向かった。ちょうど人が目の前に現れ、ぶつかりそうになる。暑い中ロングコートを羽織っている男だ。汗ひとつかかない蒼白な顔に少し不気味になる。


「あの……すみません」

「……」


 無視だ。少々面食らったが、怒っている様子はない。どちらかというと秋を気にも停めていない様子だ。秋は恐る恐る後ろに並び、音楽に興じる。


 そのうち他の乗客もタラップに集まってきた。真夏にロングコートの男を見るとぎょっとしていたようだが、関わりたくないのか見なかったことにしてやりすごしている。


 そのうち男は階段に向かい、車を乗り入れた駐車場へと降りていった。


 タラップの一番前は秋。これからこの島で生活する人間にしては少ない荷物。観光にしては多い荷物。周囲の人々の好奇の目に触れる。

 うんざりする視線に耐えながら、秋は音楽プレーヤーのボリュームを大きく回した。


 ずっと流れる景色を見ていたせいだろうか、はたまた人の中にいたせいだろうか、秋は少し気分が悪くなるのを感じる。


 暗い顔を一層険しくさせながら、秋は耐えた。タラップはもう反対側の物を取り付けようとしている。耐えろ、耐えろ、耐えろ。自分に言い聞かせ、更にヘッドホンのボリュームを回す。


 回漕店に降りたら、しばらく休もう。そう思い、準備ができたタラップを秋は急いで、逃げるように降りていった。


 少し、降りる前にロングコートの男が思い出されたが、秋は回漕店で休むことを優先することにした。


 *


「はぁ……」

 コーラの瓶をゴミ箱に捨てながら、秋は一息ついた。


 あれからしばらく休んで、やっと気分が良くなってきた。飲み物を買おうと自販機の前にいると、回漕店の店員から瓶コーラを薦められた。


 気分が悪い秋は関わりたくなかったが、瓶コーラは安かったし、久しく飲んでなかったので買うことにした。


 蓋を開けると、コーラの冷たさと暑い中に急に出されたせいか、白い気体が辺りに漂う。少し気分が良くなるのを感じながら、一口。


 口の中を駆け回る炭酸と清涼感を全身で感じ、飲み込んだ。美味い。そのまま二口、三口と息付く暇もなく秋は瓶コーラを空にした。


 話しかけられたときは辟易したが、こうしてこのコーラのおかげで気分は良くなったのだ。感謝すべきだろう。もちろん口に出して言うことはないが。


 時間にはまだ余裕があったので、秋は回漕店内を見て回ることにした。笑顔の店員に感謝を込めて軽く会釈し、秋は回漕店内への暖簾をくぐる。


 一瞥し、お土産が多いなと感じる。まぁ帰りのフェリーになるわけだし、最後に何か買っていこうとする客には持ってこいだと思う。


 しかし売っているものが少し胡散臭い。その筆頭、大君島謹製のパワーストーン。厄除け、無病息災、なんでも揃って一九八〇円だ。高い。こんな物で無病息災なら医者は必要ない。


 詐欺ではないのかと、一抹の不安を覚えながらも奥へ進む。奥には鬼の面、「大君島」と銘が書かれた木刀、小さい社や祭器のキーホルダーなど、どことなく宗教色の強いラインナップだ。


 急に秋は入口の笑顔の店員の顔を思い出した。優しそうな笑顔だったが、どことなく張り付いた印象を感じる。


 秋は少し不気味になり回漕店を出ることにした。出るときは店員の顔を見られなかった。


 秋は荷物を抱え、回漕店の扉を開ける。夏の暑い熱気が身体に降りかかる。それだけで汗が吹き出そうだった。


 秋は足早に祖父母の家を目指す。これからしばらく暮らすことになる、実家へと――――。

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