煩悩

(イチャイチャ注意)





桂は煩悩と戦っていた。


ミツキと一緒に生活を始めてから二か月ほどだ。

その頃にはマンションと事務所のあるビルは引き渡すと決めていた。

何度か麻衣の田舎にも行っている。

引っ越し先を決めるのだ。


「ご飯出来たよ。」


ミツキがキッチンから顔を出した。


「ああ、今行く。」


二人の間には小さないさかいはあっても基本的には平和だった。

他人が一緒に住み始めれば意見が割れる事など当たり前だ。

全く問題は無いはずなのだ。


だが、


「あいつ、するすると逃げやがって……。」


食後にコーヒーを用意しながら桂が呟いた。

ミツキはキッチンで後片付けをしている。

既に食洗器の使い方はマスターした。


ともかくミツキのガードが堅いのだ。

鉄壁とも言える。


彼女の生まれを考えると仕方がないかもしれない。

その鉄壁故に自分を守る術を覚え、

最初の二人の出会いで運動神経が尋常でない桂の後頭部に

こぶを作ったのだ。


彼女が故意に桂を避けているのではないのは分かっていた。


ミツキがソファーに座り外の景色を見てる時など、

そっとその隣に彼が座る。

さりげなく近寄り髪に触れると途端に

彼女の体が硬直するのだ。


「ああ、ごめん、お米セットしないと。」


などと言って離れていく。

彼女の頭など今までに何度も触っている。

褒めてやると嬉しそうな顔をしてこちらを見るが、

良いムードの時に彼が触ると硬直するのだ。

多分怖さがあるのだろう。


彼女の心情は理解はしているつもりだが、

さすがに彼もれて来た。


何しろ桂も健康的な成人男性だ。

目の前に何とも言えない美味しいものがあるのだ。

毎日それは自分のそばにいる。

しかも最近は彼女もちゃんと食べているからか、

以前の様ながりがりでなく顔色も良くなって

全体的にふんわりとした雰囲気になって来た。

彼はミツキを押し倒す夢まで見た。


「中坊じゃあるまいし。」


切ない言葉だ。


ある時、桂とミツキは廃ビルの事務所にいた。

こちらも手放す予定になっているので物を取りに来たのだ。


「でもまあ、見事に何もないな。」


冷蔵庫やテレビなどの電化製品はともかく、

机や家具などはほとんど拾って来たものだ。

電化製品もリサイクル店やジャンク屋で買ったものが多い。


パソコンやスマホは持って帰るが、

今時のパソコンはノートに近いぐらい薄い。

モニター部分は空中ディスプレイだ。

手提げ一つに軽く入る。


「食器とかも拾って来たの?」

「ああ、そうだ、鍋とかもだな。」

「だから食器が全部バラバラだったんだ。

コンビニ弁当の容器もあるし。」


桂が仕掛けた防犯カメラも全て壊されたので持って行く気はなかった。

床にはいまだに血の跡が残っている。


「自転車も置いて行く?」


一階に置いてある自転車の山だ。

一応乗れるように整備はしてある。


「置いて行く。」


桂ははっきりと言った。

彼は全てそのままにしてここを去るつもりだった。


「そうだ、ミツキ。」


桂が机から古いスマホを取り出した。


「どうする。」


ミツキがそれを見る。


「それも、置いて行こうかな。」


何か月も放置してあったので充電用の道具のビニールテープが

少しはがれかけていた。


「さよならする。」


桂はそれを机にしまった。


「まあ、これも契約解除しなきゃならんが、

海に落としたとしておこうか。」


ミツキが頷いた。


「そしてお前がいたアパートも解約しなきゃならん。

一度アパートに戻ろう。」

「うん、それに立ち退くことも言わないとね。

親父がお金をもらっていたからさあ。」


ミツキが最初に持っていたお金が立退料だった。

それを北川は使わずに隠していたようだが、

彼は最期にそれをミツキに持って行けと言ったのだ。

その心情はどんなものだったのだろう。


ミツキには分からない。

だがそれがあの彼が初めて見せた温情だと彼女は思いたかった。


そして二人は今まで乗ってきた自転車も置いて行った。


「可愛い色の自転車だから気に入っていたけどなあ。

ありがとうだね。」


彼女が初めて乗った自転車で女性用の綺麗な色をしていた。

後輪部に高校名の入ったシールが貼ってあった。


「それはその高校が自転車通学を許可した人に貼るシールだ。

でも拾ったのはビジネス街だからな、

卒業しても面倒ではがさなかったんじゃないかな。」

「高校……。」


ミツキが呟く。


二人は自転車を置いて来たので、

帰りはマンションまで歩いて行かなくてはいけない。

20分ほどの散歩だ。

今まで何度もそこと事務所を自転車で行き来したが今日で最後だ。


「お前、学校に行きたいんじゃないか?」


桂が聞く。


「うーん、少しそうしたい気持ちはあるかな。

でもこの歳で小学校に行くなんてかなり恥ずかしいかも。」


ミツキが寂しそうに笑う。


「通う人もいるにはいるがな。」


二人は少し無言で歩く。


「ミツキ、俺が教えてやろうか。」


桂が言うとミツキが驚いたように彼を見た。


「知識は無駄にならん、覚えておいて損はない。

それに優秀な俺様には小学レベルは簡単だ。」


桂が偉そうに物を言うといつもミツキは必ず茶々を入れる。

だが今は輝く目で彼を見た。


「良いの?」


いつもと違う反応に彼はドキリとする。


「あ、ああ、ガッツリしごくぞ。」

「はい、先生!」


よほど勉強がしたかったのだろう。

だがそのきっかけが分からなかったのかもしれない。

学校に行っていないミツキだからこそ、

そこで学ぶ何かが大事なのを分かっているのかもしれない。


少しばかり後ろを歩いていたミツキが彼の横に来た。

そして彼の手にそっと自分の手を差し入れて来た。


小さく暖かい彼女の手だ。


桂の心臓が割れ鐘の様に激しく轟いた。


だが桂はそんな様子など見せずに彼女の手を優しく握る。

ミツキが彼を見上げる。

桂も彼女を見た。


「でも桂、何でもかんでもやってもらっちゃって悪いね。」

「いや、構わんよ。

美味い飯を作ってくれればな。」


桂はにっこりと笑う。

それは彼のとっておきの笑顔だ。

だがその心の中で彼は叫んだ。

第一関門突破と。

男とはそんなものだ。


まだ先は長いかもしれない。

だが頑張れ桂。耐えろ。


結局は彼女はお前のものだ。





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遠山桂相談事務所・サイドストーリー ましさかはぶ子 @soranamu

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