毘藍婆-3

 頭蓋を割られた真中谷は、既に息をしていなかった。紅子は白目を剥いて斃れた骸に一瞥をくれただけで、特に気にしなかった。そのつもりで、一撃を放ったのだ。

 逸撰隊は〔人斬り隊〕である。隊務を果たす為には、手段を選ばない。拉致も、拷問も、人殺しも。そして、それが許されている組織なのだ。

 しかし、そうは思わない男がいる。二番組の組頭を務める勝安五郎かつ やすごろうという三十路男だ。紅子が一味を打ち倒したのを見計らうように現れた勝は、真中谷を殺したことに怒り心頭の様子だった。


「おい、聞いているのか」

「聞いてるよ」


 紅子は、耳の穴を小指でほじりながら言った。

 背後では、三番組と勝が率いて来た二番組の隊士による、本堂の家探しが行われている。


「なら答えろ」


 勝が、一歩前に踏み出した。今にも噛みつかんばかりの距離で吠えている。

 四角い顔に、濃い眉毛。筋骨逞しい勝は、一見して武闘派のように見えるが、その性格は何かにつけて細かくて小煩い、神経質な男だ。


「手下はともかく、真中谷は棺桶ではなく、歩かせて連れてこいと言ったはずだぞ」

「煩いわね」

「会津侯が、奴の身柄を欲しがっているのだ。松平容頌まつだいら かたのぶ様は、公儀内でも強い影響力をお持ちだ。その御方との約束を反故にするとは。局長ひいては田沼様の顔を潰すんだぞ」

「だから言ったでしょう? 相手が思った以上に強かったのよ」


 平然と答えながら、その言葉をすっかりと忘れていたことに気付いた。

 しかし、あの時は約束はしなかった。極力と答えていたし、局長の甲賀もそれでいいと言っていた。


「それはわかる。が、その為に三番組の隊士がいるのではないか? 数に頼んで生け捕りにすればよかったのだ」

「それでは犠牲が出るわ。真中谷は凄腕だった」

「犠牲? 俺たちは逸撰隊だぞ。命令が第一のはず」

「それに、あたしの主義じゃないし」


 その一言に、勝は頭を抱えた。何かにつけて、隊士たちを命令通りに管理したがる勝には、到底受け入れられない発言だったのだろう。


「やはり、それだ。逸撰隊は、お前の玩具でもなければ、隊務はお前の欲望を満たすものではない。夜狐の一味の時もそうだ。今回もそう。どうして隊士に実戦を経験させんのだ」

「見て学ぶことも大切だと思うわよ、あたしはね」

「それでは、お前に三番組に預けた意味が無い。新設された三番組は経験が浅く、故に戦死者も多い。そこで局長はお前に実戦を」

「なら、あんたが面倒を見てやれば? 子守りなんてあたしの柄じゃないし、そもそも二番組の役目じゃないの?」


 逸撰隊二番組は、大まかに言うと後方支援が役目だった。

 情報精査、事務処理、隊務の調整、局長補佐、そして一番組・三番組の支援。三番組頭の戦死を受けての組頭代行は、三番組支援の範疇に入る。それをわざわざ一番組を外れて、自分が率いなければならないのか理解が出来ない。実戦の経験というなら、勝の腕前も相当なものなのだ。


「私は私で忙しい。二番組も率いねばならん」

「あたしらが賊を片付けたのを見計らったように駆け付けておいて、忙しいだってよく言うよ。あたしだって、一番隊があるってのに」

「局長の命令は絶対だ。隊の規則だ」

「規則規則と煩いよ、あんた」


 勝とは、最初から馬が合わなかった。理由を挙げれば切りが無いが、要は癪に障るのだ。犬猿の仲とはこういう時の為にある言葉だと、この男と出会って紅子は実感した。

 勝とは、口喧嘩だけでなく、取っ組み合いもした。二人が不仲であるというのは、隊内で知らない者はおらず、口論ぐらいなら誰も気にしない。

 だからと言って、紅子は勝を評価していないわけではない。直新影流じきしんかげりゅうの使い手であるし、何より隅々まで目が行き届く。冗談も通じない生真面目な堅物で、何かと規則・規則と煩いが、この男がいるから寄せ集めの逸撰隊が、辛うじて組織としてのていを保っていられる。逸撰隊には、局長の次席は置かれていないが、実質は勝が副長だと紅子ですら思っているぐらいだ。


(この男の重要性は理解しているんだけどねぇ……)


 それでも、嫌いなものは嫌い。それを紅子は隠すつもりもない。


「あの、よろしいですか?」


 いがみ合う二人を制止するように、勝が率いて来た二番隊の隊士が、本堂の中から声を掛けてきた。こちらに来て欲しいと、言っている。根城の家探しをしていたのだが、何か見つけたのだろう。

 紅子は勝と顔を見合わせると、鼻を鳴らして中に入った。

 悪臭が鼻を突く。酒とすえた汗の臭い。敷かれた布団の上には、酒器や花札が散乱している。

 本堂の隅で隊士たちが集まっていた。二人に気付いた隊士が、


「これを見てください」


 と、立ち上がった。


「おい、これ」


 思わず紅子は言い、肩を並べる勝が深く頷いた。

 真中谷一味の私物と思われる行李の中に、羅刹らせつ像が描かれた木簡が束になって収められていたのだ。

 その数は十二枚にも及び、袱紗で包まれて保管されていた。


「ますますお前の失態が大きくなったな」


 そう言って勝が肩に手を乗せて来たので、紅子は勢いよく払った。


「あたしは戻る。あんたが三番組の面倒を見てくれ」


 紅子を制止しようと喚く勝を無視し、本堂を出た紅子は蒼嵐に飛び乗った。

 上州の荒野を駆けた。風が全身を打つ。鞭を入れなくとも、蒼嵐は紅子の気持ちを察したように、駆ける速さを強めていく。


「まさか、こんなことになるなんて」


 呟いてみた。

 羅刹道らせつどう。羅刹天を信仰する、新手の宗派だ。組織としての全貌は解明されてはいないが、宗派を率いる男が耶馬行羅やま ぎょうらという名前で、教えとしての人殺しを容認し、骸の傍に羅刹天の木簡を置くというぐらいはわかっている。

 そして、もう一つ。紅子にとって、復讐すべき相手であること。

 羅刹道が、夫である明楽伝十郎あけら でんじゅうろうを殺したのだ。今から五年前。紅子が二十三歳の時だった。

 御庭番だった伝十郎は、お役目の最中に甲州で殺された。めった刺しにされた挙句、喉をぱっくりと裂かれていたのだ。そして、その傍には、先程の木簡が置かれていたのである。紅子が逸撰隊として働いているのも、この羅刹道を堂々と追えるからという理由が大きい。女の身では、復讐を果たすのは難しい。話を訊こうにも相手にされない。そんな紅子には、逸撰隊の看板は必要だったのだ。


(なのに、あたしと来たら……)


 紅子は下唇を強く噛んでいた。

 勝の言う通りだった。やはり、真中谷は殺すべきではなかったのだ。

 ここ最近、羅刹道は目立った動きを見せていなかった。それが紅子に油断を生んでいた原因であるが、ここにきてまた動き出したということか。

 脳裏に伝十郎の笑顔が浮かぶ。御庭番という厳しい役目をしながら、よく笑う男だった。初めて会ったのは、父親に従って役目に帯同した時。助っ人の一人に伝十郎がいたのだ。それから時折組むようになり、父の死後に男女の関係になった。

 伝十郎は、暖かい春の風のような男だった。自分には無い穏やかさと優しさがあり、それでこんな女でも愛してくれた。その伝十郎を奪ったのは、羅刹道。

 手下を捕らえたとは言え、肝心の真中谷を殺してしまったのだ。腹が立つが、勝が言った通りになった。命令に背いた罰なのだ。

 紅子は、いつもより強く蒼嵐の尻に鞭を入れた。

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その女の名は、ルージュ~公儀特務機関 逸撰隊~ 筑前助広 @chikuzen

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