第1章 3-1 白と朱の覚醒
「……強いのは分かってたけどさ」
ポツリとそんな言葉を思わず漏らした力也は、言わざるを得ない状況に唖然としていた。
幸いなことに怪物たちからの襲撃をノルンが単身で矛となり、盾となりて守護してくれている。
ありがたいことは間違いない、そして時と場合を考えても今こんなことを言うべきではないということも理解していた。
それでも言わなくてはならないと、少年の善性がツッコミを入れよと訴え、それに答える。
「――だからって、これはやり過ぎですよノルンさん!!!!」
絶叫じみた叫びを上げた力也の眼前に広がっているのは、一言で語るなら瓦礫の山だった。
廊下はあちこちに穿たれた穴が拡がり、一部崩落した天井もあり、その下には怪物たちが死に体で生き埋めになっている。
床も所々で階下へ無理やり繋がるような落とし穴までできていて、建物という形状を辛うじて保っている状態になっている。
そんな光景に学び舎を容赦なく破壊する彼女は、今でもその堅牢な槍を振るい、際限なく出現する化け物共を屠り続けていた。
すでに戦いは校舎の一階に場所を移し、岡田は顔を歪ませながらも立て続けに影を呼び出しては迎撃に向かわせる。
それらを押し潰し、刺し穿ち、薙ぎ払う朱の竜の攻撃は天災そのものだ。
次元が違いすぎる戦いに焦りが生まれるのは、有利と思っていた男に生じて忌々しそうに歯噛みする。
「化け物め……! そうまでしてあの女の味方をするか!」
「私に言わせれば貴方のほうが化け物に見えますけどね。 これほどの魔獣召喚、一体何人を触媒にしたのですか?」
「お前には関係ない! そうだ、私の愛妾にならないか? 私のものになれば今よりもっといい立場をくれてやるぞ!」
憎悪の念を込めた言葉をぶつける岡田に対して、未だ人化すら解いていないノルンは地面にて踏み潰している怪物を槍で一刺して絶命させる。
表情を変えることなく、邪魔をするなら容赦なく排除していく少女に、男は苦し紛れとばかりにとんでもない提案を出した。
離れていたが、力也にも聞こえる声で告げていたため、生徒として居た堪れないと抱かなくていい罪悪感に苛まれる。
それを顔色変えずに聞き流しているノルンの眼光は、敵と見なす男へと向けられ、切っ先こそ外しているがいつでも穿く準備はできていた。
反応がないため、聞く耳など持つわけがないという無言の圧に岡田は自らの掌をギチギチと握り潰す。
「……どいつもこいつも」
「もう終わりですか? ならば茶番はこれまでにしましょう、貴方には聞きたいことが――」
「どいつもこいつも、この私を馬鹿にしやがってぇぇぇぇぇ!!!!」
話は終わりだとノルンが矛先を向けようとした時、岡田の足元に異様な黒い魔法陣が浮かび上がり、その気配に何かを悟った竜が後ろへと飛び退く。
何事だと見下ろす力也だったが、それを見たときに感じたことのない怖気に襲われた。
男ではない、その下の魔法陣の中から見上げるように、二つの鋭い眼光に睨まれたような錯覚を覚えたとき、およそ人の声とは思えない何かが聞こえてくる。
’ミツケタ、ゲンショノイロ、ソノサイオウタルシロ……!’
「――ぐっ、グゥっ! ぎ、ギギギギギギギギギギギギギギギィィィィィィィィ!!!!」
おぞましいほどの何かが現れようとしている、しかしそれは単独では顕現できないのか、魔法陣に立っていたちょうど良い贄を糧にその体を蝕むように黒い触手が絡みついていく。
桁違いの何かが出てこようとしている状況に、理性か、あるいは本能からか、力也はこの場から逃げなければならないと察する。
だが現状、ほぼ半壊している校舎から逃走するには崩落に巻き込まれてしまう可能性が高く、助けを借りるにもノルンはそばに居なかった。
あれはまずい、何かは分からないが、あれだけは今の自分では太刀打ちできない、心からそう叫ぶように逃げろと全身の細胞が訴えるが、動くことができない。
恐怖で体が竦んでしまったのだろうか、動けと懸命に命じても足も手も満足に動かせなかった。
そうこうしている間に岡田だったものは飲み込まれ、やがて頭まですっぽりと黒い何かに包まれると、凶悪なまでの瞳が4つ出現する。
瞬間、辺りを震撼させるほどの咆哮が轟き、その叫びに耳を塞がなくてはいけないほどの絶叫に、力也は鼓膜が破れそうになった。
一方でノルンは表情を変えず、じっと見つめるその先で体を形成していく様に、槍を構え直す。
登場の儀式は完了した、現れたのはおよそ5mほどの巨体を有する黒い怪物、4つの目に8つの手足、その全てに獰猛な爪を生やしていた。
臀部には尻尾と言うべきものが3つ生えており、そのどれもが口のようなものがついて、ケタケタと歪な笑い声を上げ、捕食するべき対象である上方の無垢な獲物を見据える。
’ウマソウ、シロ、シロハウマイ……! イマヨリモット、ツヨクナレル……!’
「……っ!!」
確実に狙いをつけられていることを知り、力也が小さい悲鳴を漏らす姿すら前菜になり得るのか、怪物はもうノルンという敵対者に興味すら失っていた。
岡田という人間の意思はもうどこにも残っていないのか、化け物に全て飲み込まれたようで、その巨体は頑強な足腰を使い、今まさに力也の元へ襲い掛かろうと飛び上がる。
ダメだと、なんとか動こうとするも、飛び上がってきた怪物が浮かぶようにその姿を現し、その手で力也を握り潰そうと手を伸ばした。
捕まる、そう思うも、彼の騎士が決してそれを許さない。
「私を無視するとはいい度胸だ。 そして、この私が主をむざむざやらせるほど、愚鈍に見えたか?」
その一言と共に、これまでにないほどの激音が響き渡り、大地震でも起きたかのような振動に力也はなんとか地面にしがみつくように踏ん張った。
何が起きたのかと、少しずつ静かになっていくのを感じて顔をあげれば、そこには下にいたはずのノルンが何食わぬ顔で槍を持って立っている。
先ほどまで彼女の前あたりにいたはずの怪物はどこにも姿がなく、瓦礫が崩れる音が聞こえてきたことから、叩き落としたのかと少年は呆然とした。
一階からここまで、およそ10mはある高さを少女は難なく飛んできたのだろう、それも竜ならば容易いことなのかもしれない。
「力也様、お願いが御座います」
「……えっ?」
「どうか私の手を握ってください、今はそれだけしていただければ十分で御座います」
「な、なんで?」
「説明は後でいたします、今のままでは仕留め損ねてしまいます。 どうか、お力添えを!」
だからこそノルンが振り返り、どこか疲れた顔をしていたことに驚く暇もなく、手を伸ばして握るよう頼み込んできた。
理由は後でする、その言葉が意味する状況が建物の下から聞こえてくる怒りを帯びた叫びに、まだ終わっていないことを告げている。
悠長に話をしている暇はないことを力也は納得し、言われるがままノルンの手を強く握りしめたときだ。
刹那、時間が止まったような感覚に陥り、同時に自分の中で何かの鍵が開き、ゆっくりと扉が開いていくような解放感を覚える。
感じたことのない溢れるような熱が内側から漏れ出すと、その奔流はまっすぐ繋いだ手を伝ってノルンへと流れていった。
その瞬間、爆発するかのような白い光が二人を包み込み、階下で起き上がった怪物はそれを目撃し、怨嗟の声を上げて再び舞い上がる。
その力は俺のものだと、そう主張するように無抵抗なはずの獲物に爪と尻尾全てが食らいつくように襲い掛かった。
攻撃は、ただ一度の防御だけで全て防がれてしまうなど、怪物は思っていなかった。
目も眩むほどの光に閉じていた瞳を開ける力也の視線の先には、ノルンが立っている。
しかしこれまでにないほど、彼女はとても美しく、優雅に、そして凛々しいまでの騎士の装いをしていた。
「それほど多くいただいたわけではありませんが、これほどとは……。 流石は
元々の朱い竜へと戻り、翼と尻尾を生やし、さらに白銀の鎧と小手、具足を身に付けた絵に描いたような女騎士というべき姿に、力也は見惚れてしまう。
その後ろで怪物が懸命に押し返そうとするも、物ともせずその手に持つ槍だけで見事に防いでいたノルンの腕が振るわれた。
廊下はすでに階段の踊り場があった場所からそれぞれ左右に分かれるように崩壊しており、力也たちがいる反対側へ怪物たちは飛ばされる。
同時に3本の腕と1本の尻尾が斬り落とした騎士が、残酷なまでに告げた。
「さて、少し本気を出すとします。 惨めに叫びながらその命を散らしなさい」
ベルクレス物語 風鳴 @furen-leo
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