第33話 姫君、未来へ

 張り詰めたような空気を破ったのは、部屋中に響き渡る、尾谷時高の笑い声だった。


「ハハハハハ!流石は北上義泰の娘、御影泰久の惚れこんでいる女だ。並みの胆力ではないな」

「御屋形様、お戯れが過ぎますぞ」


 空気が一気に緩む。よくわからず、間抜けな顔をする私に、時高は朗らかに言った。


「いや、済まぬ。尼殿がどういったおなごか知りたくてな。少し調子に乗りすぎてしまった」


 先ほどまでの威圧感は全くない。


「我らとて、御影泰久に恨まれるのは怖い。奴は女のように綺麗な顔をしているくせに、怒らせたらいつ刀を抜くか分からん」

(……泰久様、どんな危険人物になっているんだ)


「尼殿を与えておけば、おとなしくしていそうだしな。脅すより恩を売った方が良さそうだ」

「某もそう思います」


 尾谷主従が勝手に話を進めている。私は急展開に付いていけない。


「という訳で、尼殿。そなた、早急に還俗して、御影泰久に嫁いでもらいたい。そうだな、古川の縁者ということにしよう」

「え……?」

「嫌か?一応古川家も当家の一門衆で名門だぞ。確かにご実家を滅ぼした我らの縁者というのは、わだかまりがあるとは思うが、そこは乱世の習いだとでも思って耐えよ」

「いえ、そういうことではありません。あの……」


 なんて言っていいか全くわからない。答えようがなくて呆然とする。


「おっと、そろそろ来たか」


 足音が私たちのいる座敷の前に止まり、スッと襖が開く。

 廊下に座って頭を下げる人物を、私が見間違う訳がない。


「御影与三郎泰久、お呼びによりまかり越しました」

 言って頭を上げる泰久様と、ばっちり目が合う。


「……鶴?」

「……あ、泰久様、お久しゅうございます」


 何とも言いようがなく、思わず挨拶してしまった。一瞬ぽかんとした顔をした泰久様だが、みるみる表情が険しくなる。


「御館様、これはどういうことでしょうか。何故、我が御影領の尼僧がここに?」


 なるほど、先程の言葉の意味が分かった。

 泰久様、返答によっては今すぐにでも斬り捨てる、と顔に書いてある。あんなに穏やかな人だったのに、いつからこんなに気が短くなっちゃったの⁉と焦りつつ、慌てて止めに入る。


 危険すぎる泰久様の態度を気にした様子もなく、時高が話し出す。


「今日はそなたに褒美を渡そうと思うてな。そこの尼殿、中々に肝の座ったおなごで、御影家の嫁としてどうか?家柄も古川の縁者ということになっておるゆえ、問題なかろう」


 相変わらず軽い話しぶりに、泰久様が呆然とする。


「は……?」

「不満か?なら別の娘を用意する。尼殿にも他の……」

「い、いえ、不満は一切ございません。ですが、」

「ならば問題なかろう。燈兵衛、縁談の準備を進めよ。まずは尼殿の還俗からだな」

「かしこまりました」


 この尾谷主従、本当に勝手に話を進めていく。

 泰久様も私も呆然とした状態のまま、段取りが決まっていった。


「さて、御影与三郎。北上家攻略とその後処理、誠にご苦労であった。そなたの働きに見合う褒美をと考えたが、御納得いただけたかな」


 尾谷時高はからかうような口調で問いかける。だが、相変わらず他人を推し量ろうとしている目をしている。


「……はい、ありがたき幸せにございます。今後も尾谷家に忠節を尽くしまする」


 泰久様が深々と頭を下げる。私もその隣で、共に頭を下げた。

 時高の満足げな笑い声が座敷内に響いた。



 ◇◇◇◇



 私は還俗し、尼から姫に戻った。

 北上家の鶴姫ではなく、あくまでも古川家の花姫ということになったが、誰も私を花姫とは呼ばない。


 尾谷家の方からは「尼殿」もしくは「御影の奥方」と既に呼ばれ、御影家の方は、泰久様はじめ、皆「鶴」で呼ぶ。

 少しは設定を守る人はいないのだろうか。


 髪がある程度伸びるのを待ち、半年後、まだ少々長さの足りない髪を下げ、私は二度目の花嫁衣装に身を包んだ。

 特段思い入れの無い尾谷領を後にし、懐かしい御影領に『帰って』来た。


 御影の城で駕籠を降りるが、何だか異様に恥ずかしい。

 だって頭を下げている御影の家臣の皆さん、明らかに笑いを噛み殺しているし!


 祝言も、「えっ、またやるの」的な空気が漂う中、何の厳かさも無く、泰久様と半笑いで盃を交わした。

 前回と違ったのは、祝言後の酒宴だ。御影家の一族郎党揃い踏みで、大宴会が一晩中繰り広げられた。


「鶴殿、辛い思いをさせて本当に済まなかった。御影を、与三郎を救ってくれて、本当に感謝している」

 と義父上、義母上に頭を下げられる。


「そんな、おやめください!不束な義娘ですが、今一度よろしくお願いします」

 私も頭を下げるが、義父母も頭を上げてくれず、お互い頭を下げたまま、膠着状態に陥る。


「……私は今でも許していませんので……」


 泰久様がボソッと呟き、義父の肩が怯えたように跳ねる。


(父親を脅すのは止めなされ……早くこの状況を何とかして!)


 いたたまれない義両親との挨拶が終わると、入れ替わり立ち替わり、挨拶やお酌が来る。

 そして現れたのは、顔をぐしゃぐしゃにした熊殿だった。顔中の穴から水分が出ていて大変なことになっている。


「若殿、奥方様、本当に、本当に良かった……‼」


 言い終わるや否や、熊殿は大きな泣き声を上げ始めた。その横から笑顔の琴殿が手ぬぐいを差し出している。


「若様、奥方様、誠におめでとうございます!」

「ありがとうございます。琴殿、これからもお裁縫を教えてください」

「……ええ、奥方様がお望みなら……」


 若干間があった気がするし、なぜか琴殿は微妙な表情になっているが、了承を得られた。

 琴殿がふと泰久様を見て、話を変える。


「そうそう、若様にお願いされていた件ですが、本日、外でお待ちいただいております。お入れしてよろしいですか?」

「間に合ったか!お連れせよ」


 泰久様が嬉しそうに答える。

 何のことか分からず、問いかけようとしたとき、琴殿に促され、廊下から尼姿の一人の女が入ってきた。


「……おみつ……」

「姫様、よく御無事で……」


 それ以上は声にならなかった。みつに勢いよく抱き着き、子供のように泣いてしまった。

 落ち着くと、みつから近況を聞いた。みつは出家していたため、北上家滅亡の戦禍に巻き込まれることなく、今も静かに暮らせているらしい。

 多恵は遠縁の侍に嫁ぎ、北上家滅亡による混乱に巻き込まれたが生き延び、夫は御影家に仕官したそうだ。今は子育ての真っ最中だと、みつは穏やかに話していた。

 みつは泰久様に向き合うと、丁寧に頭を下げた。


「若様、姫様をお救いいただきまして誠にありがとうございました。何卒、今後も姫様をお守りくださいませ」

「承った」と真面目な顔で答える泰久様を見て、みつは満足げに目を細めていた。



 ◇◇◇◇



 宴会はまだまだ続いているが、私たちは先に奥に下がった。

 遠くで宴会の喧騒が聞こえる中、静かに二人で肩を寄せ合う。


「泰久様、本当にありがとうございました」


 私が心から礼を述べると、泰久様は心底不思議そうな声を出す。


「何がだ?」

「全部です。みつを呼んでくださったこと、私とまた結婚してくださったこと。……泰久様と出会えて、鶴は本当に幸せです」

「……それは私の方だ」


 泰久様が静かに語りだす。


「鶴がいてくれたから、逃げてばかりだった私は前を向くことができた。鶴がいてくれたから、戦うことができた。鶴は、私の生きる意味そのものだ」


 そっと抱き寄せられる。


「もう二度と放さぬが……良いか?」

「勿論です。私の夫は、生涯泰久様お一人ですから」


 私はこれからも泰久様と戦国の世を生きていく。

 今後も波乱はあるだろうけど、精一杯立ち向かい、乗り越えていく。


 悔いを残さない生涯を、愛する人と二人で。



 ◇◇◇◇




 御影家はその後も数多くの荒波を乗り越え、遂には幕末まで続く名家となる。

 戦国末期、幼い当主の後見となり、御影家を支えた当主の叔父、御影与三郎泰久の名は、多くの史書に残されることとなった。


 その泰久と言えば、生涯側室を持たなかった愛妻家としても有名である。

 最初に結婚した北上家の娘とは離縁し、その後尾谷家一門衆の娘と再婚したとされるが、御影家の多くの私文書では、両者は同一人物として記されている。


 多くの障害を乗り越え、一途に想いを貫いた二人の逸話にあやかり、御影家の菩提寺である陽玲寺は、いつしか恋愛成就の聖地とされ、今も参拝客が絶えないという。

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転生先は怨霊姫⁉悲劇の姫君(予定)は、若殿様と戦国時代を駆け抜ける 駿木優 @surugiyu

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