第32話 姫君、確信する

 尾谷家の本拠へは、朝から晩まで休みなく歩いて、丸三日はゆうにかかるくらいの距離らしい。

 早くもうんざりした顔をした私に、家老の古川殿は「もし、尼御前がよろしければですが……」と切り出した。


それがしの馬に乗られますか?」

「馬ですか⁉」


 私は馬に乗ったことは無い。

 けど、乗ってみたいと思っていたので、即同意する。


「お願いします!」


 古川殿に引っ張ってもらい、馬によじ登る。背後から支えてくれる古川殿に、若干照れを感じたが、走り出した瞬間から、そんなことを考える余裕は無くなった。


(速い!揺れる!お尻痛い!怖い!)


 手綱にすがりつく。

 さっきまで恥ずかしいと思っていたのに、(もっとしっかり支えろや!)と古川殿に密かにキレる。

 心の中は大騒ぎだったが、実際のところ、口を開けば舌を噛みそうで、私はひたすら歯を食い縛り続けた。


 途中、寺や農家で休む場所を借りつつ、歩くよりは早く尾谷家の本拠に付いた時、私の体力はゼロだった。


「着きましたぞ。……尼御前、大丈夫ですか?」

「……はい」


 もう、駕籠も馬もうんざりだ。

 今後はどこへでも歩いていこう、心に決める。



 ◇◇◇◇



 尾谷家の城は大きな湖に面しており、山城である御影家や北上家とは趣が違う。


 尾谷家の現当主、尾谷時高はわずか十五歳で家督を継いだと聞く。

 そこから十年余り、あの北上義泰と対等に渡り合い、遂には北上家を滅ぼしたのだから、相当な傑物であることは想像に難くない。

 広い座敷に通され、待つうちに、だんだん不安に襲われる。


(古川殿は心配ないって言ってたけど、本当かなあ……。いきなり斬り殺されたりしないよね……?)


 緊張気味に待っていると、「御館様のお越しです」と小姓の声が掛かる。畳に手をつき、叩頭する。

 足音が聞こえ、上座にドカッと座る音がすると、間髪いれず「面を上げられよ」と声をかけられた。

 頭を上げ、前方に座る男、尾谷時高の顔を見る。


(若っ!)


 二十五~六歳だというのだから、若いのは当然だが、どちらかと童顔で幼い。まだ十代にも見える。

 その少年のような男が、興味津々と言った目で私を見ている。


「で、この尼が、例の北上の娘か?」


 いきなりの発言に身を縮こませる。


(そうです、なんて答えたら殺されるんだろうか。とにかく、陽玲寺や御影家には責が行かないようにしないと……)


 焦る私に助け船を出してくれたのは、時高の隣に座る古川殿だった。


「御館様、その言い方では尼御前が怯えておりますぞ。順を追って説明して差し上げるべきかと」


 古川殿の言葉に、時高は明るく笑う。


「いや、済まん済まん。思わず気が急いてしまったわ。尼殿も気を悪くされるな」


 ……尾谷時高は、新進気鋭の戦国大名だと思っていたが、ちょっとイメージと違う。

 なんと言うか……軽い。


「今更北上の者をどうこうしようとは思っておらぬ。北上の姫一人生き残ったところで、我らには影響はない。尼殿を呼んだ理由は一つ、御影与三郎泰久の件だ」


 泰久様の名前が出て、ドキッとする。


「あの男は本当に凄い」


 尾谷時高の口から出てきたのは、シンプルな賛辞だった。


「北上に従う武将を、一滴の血も流さず次から次へと調略して歩き、北上の本拠攻めでは、最短で城を落とす策を献じてきた。おかげで、我らはこの二年、茶を飲んでいるだけで北上を落とせたようなものだ」


 笑っていた時高だったが、次の瞬間、フッと真顔になる。


「だが、それ程の才を持っている男が野放しになっていることが、我は恐ろしい」


 ゾッとするような声のトーンに、寒気が走る。


「奴は褒美を受け取らぬ。我の直臣にしようとしても、所領を与えようとしても、全て断る。一体何のために働いているのか、全く読めぬ。かつては北上義泰に目を掛けられながら、簡単に裏切った男だ。これではいつ何時我らも裏切られるか。これ程怖い男はいない。そう思わぬか?」


 一言一言が、刃のように鋭い。

 やはり、この男はただ者ではない。とんでもない威圧感を感じる。


「そこで、その燈兵衛に調べさせたのだ」


 話を振られた古川殿が苦笑いする。


「御影殿のことを調べた結果、出てきたのが尼御前です。あの御影殿が尼にいれ込んでいるとは甚だ不思議でしたが、年頃、出家の時期、そして噂に聞く容姿から、どう考えても離縁した北上の姫君だろうと考えました」


 再び時高は笑う。


「おかげで、ようやく奴が戦う理由が分かった。おなごの為に働くなぞ我には全く理解できぬが、使えるものは使わせてもらう。そのために尼殿に来てもらったのだ」


 底知れぬ恐怖を感じ、手が震えた。

 何をしようとしているか分からないが、碌でもないことの予感はする。


「……私を、どうなさるおつもりですか?」

「手荒なことをするつもりは無い。そうだな……、一番効果的な方法は、尼殿に人質としてこの城にいてもらうことかな。御影家からは跡継ぎとその母御を預かっているが、尼殿の方が役に立ちそうだ」


 ヘラヘラと笑う時高は、全く何を考えているか分からない。話しぶりは常に軽いが、酷薄な雰囲気が漂う。


「尼殿には十分な生活を約束しよう。還俗げんぞくしていただいても構わない」


 怖い。怖いが、私は泰久様の枷にはなりたくない。そして、もう泰久様を諦めたくもない。

 覚悟を決め、真っすぐに稀代の大名を見つめる。


「畏れながら、それは逆効果かと存じます」


 時高の顔から笑いが消える。冷たい顔で、ジッと私を見据える。


「それは何故か。まさか己が御影泰久にとって大した存在ではないとでも言い出す気か?」

「いえ。そうではありません。泰久様は、私を大切にしてくださいます。大切にしてくださっているからこそです」


 自惚れと思われるかもしれない。でも自惚れてしまうくらい、泰久様からはずっと大切にされてきた。


「私が人質となれば、確かに泰久様は尾谷家に弓を引くことは無いでしょう。ただ、それは私が幸せであればこそです。泰久様は、何より私の幸せを願ってくださいます。尾谷家での人質という立場が、私にとって苦しみであると判断すれば、泰久様はいかなる手を使っても、私を解放してくださるでしょう」


 恥ずかしげもなく言い切る。いつのまにか手の震えは止まっていた。

 そう、私は彼を信じている。


「そして、尾谷家で私が幸せになることはありませぬ。私の幸せは、泰久様の隣でお仕えすることでございますゆえ」


 これは確信を持って言える。例え尾谷家がどれだけ良い待遇を用意してくれたとしても、絶対に満たされない。

 私は、泰久様と生きていきたい。

 あの方を、心から愛しているのだから。


「もし叶わなければ……、そうですね、私、怨霊にでもなってしまうかもしれませんね」


 今度は私がニッコリ笑って、尾谷時高を見据えた。

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