第31話 姫君、ご立腹
泰久様と再会してからも、私の生活は特段変わらない。
尼僧として、毎日陽玲寺で働く。陽慶和尚も、哲蓮殿も淳念殿も、変わらない態度で接してくれている。
変わったことと言えば、琴殿がたまに訪ねてくることだ。
泰久様は、私のことを御両親にだけ伝えたらしい。
お二人とも大層驚いたそうだが(当たり前だけど)、私がこのまま陽玲寺にいることを黙認してくれるそうだ。
「少しでも難色を示したら、その場で斬り殺されそうだった」と、御影の義父上からこっそり送られてきた文には記されていた。
私と再会して以来、泰久様が見違えるほど元気を取り戻されたとも書かれており、私もほっとする。
それから琴殿。
泰久様はできる限り私のことを内密にすべく、琴殿にも伝えるつもりはなかったそうだが、なにせ琴殿の夫は、あの何でも顔に出る熊殿だ。
ある時から突然ご機嫌になった夫に、浮気を疑った琴殿。
理由を問い詰めるも、熊殿は固く口を閉ざし、激怒した琴殿が遂に家出する事態に至った。
側近の修羅場に責任を感じた泰久様は、已む無く琴殿を呼び、私のことを伝えたそうだ。
琴殿は大層喜び、それ以来寺への手紙などの配達係を請け負ってくれている。
正直、泰久様や熊殿が足しげく寺に通っては、何かあると言っているようなものなので、琴殿にバレたことは、結果的にありがたかったのだが。
◇◇◇◇
「若殿は物凄いお働きですよ。先日は、北上家に従う白地家と郷田家を、戦わずして調略で尾谷家に寝返らせました。尾谷でも、御影の若殿の名は一目を置かれるようになっていると、又七様も申しておりました」
「そうですか……。無理をなされていないと良いのですが」
泰久様が活躍されるのは嬉しい。でもあまりの働きぶりに心配になる。
琴殿は軽やかに笑った。
「若殿はむしろ生き生きとしておられますよ。来年には、いよいよ北上家への総攻撃が始まると、もっぱらの噂です」
「いよいよですか……」
私が北上家から御影家に嫁いだ日より、三年を過ぎていた。
僅か三年で、あれ程隆盛を極めていた北上家が滅亡に瀕するなど、これが諸行無常か……としみじみ思う。
もはや父も母も亡いが、生まれ育った家なので、何も思わない訳ではない。
翌年春、北上家は尾谷家を中心とする軍勢に攻められ、本拠陥落。
最後の当主、北上義春は焼け落ちる城の中で自害したという。
その日、私は一心に手を合わせた。
戦の犠牲となった、すべての人の鎮魂を願って。
◇◇◇◇
北上家の滅亡後、色々と後処理のため、泰久様は尾谷家の城にいるらしい。
琴殿が持ってきた文には、近況の説明と共に、「早くそなたのもとに戻りたい」と書かれていた。いつも公文書のような泰久様の文には珍しく、少し赤面した。
琴殿がお帰りになった後、いつも通り、淳念殿と境内の掃除をしていた時だった。
「御免、誰ぞいるか」
本堂の方向から、男の声がした。淳念殿が走って出迎えに行く。来客は淳念殿に任せ、私はそのまま掃除を続けようとすると、客人の声が聞こえた。
「こちらに、尼僧が一人おられると思うが、その方にお会いしたい」
……私?
影から来客を覗いてみる。明らかに武士と思われる男が五人。いずれも御影家では見たことのない男たちだ。当然思い当たる節もない。
警戒感が最高潮になる。
「……失礼ながら、どちら様でしょうか?」
淳念殿も明らかに警戒している。
「我らは尾谷家家臣。わしは家老の古川燈兵衛と申す。こちらに御影家に縁のある尼僧がおられると聞き、少々話がしたく参上仕った」
家老を名乗った男は三十代中頃位か、物腰が穏やかで、武士というより文官タイプに見える怜悧な顔立ちの男だった。
しかし、私は尾谷家に繋がりなんてない。
わざわざ尾谷家の家老が御影領に侵入してきているのだ、明らかに私の身元が分かっていてのことだろう。
(まさか北上家の残党狩り⁉)
思い当たる節は他にない。焦っていると、哲蓮殿も現れる。
「当寺にはお探しの者はおらぬ。お引き取り願いたい!」
哲蓮殿は槍を構えている。尾谷家の武将たちが俄かに殺気立つ。
いくら哲蓮殿でも、武将五人を相手にタダで済むとは思えない。
このまま争いになって、哲蓮殿や淳念殿が傷つくのは絶対に避けたい。
こうなれば、私が出ていくしかないか……と覚悟を決めた時だった。
「ふぉふぉ、何の騒ぎじゃの?」
陽慶和尚が現れた。片手には徳利を握っている。
(あの和尚!昼間から呑むなと散々言ったのに!)
こんな時なのに、怒りが湧いてきた。
古川と名乗った家老が丁寧に礼をする。
「突然訪問いたす無礼は平にお詫び申し上げる。我らは決して御影家と争うつもりも、
「よかろう。ちょうど酒の相手が欲しかったところじゃ。上がりなされい」
陽慶和尚は尾谷家の武将たちを招き入れる。
私たちはただ見送るしかなかった。
◇◇◇◇
私は哲蓮殿に言われ、自室に籠った。外では哲蓮殿と淳念殿が、槍を持って警戒してくれている。
何時間か経っただろうか、陽も傾いてきた頃、陽慶和尚がのんびりとやってきた。
この和尚は普段から酔っているような調子なので、酒をいくら呑んでも様子が変わらない。
「花詠尼よ。古川殿の話によると、尾谷家の大殿が、そなたに会いたがっているそうだ」
「はい?」
「行ってきなさい。明朝出立で伝えておいた。」
「はああ⁉」
全く意味が分からない。
北上家を倒し、今ノリに乗っている尾谷家の当主が、私に会いたい理由があるはずない。
しかも、この和尚、簡単に人を売りやがった。
「ご住職、それは流石に……。御影家に知れたら大変なことになりますぞ」
「花詠尼様に何かあったらどうするのですか⁉」
哲蓮殿と淳念殿が、口々に抗議してくれるが、和尚はどこ吹く風だ。
「まあ、妙なことにはならぬであろう。この高僧が言っておるのだ」
全く信用できない。
しかし、和尚は相変わらず掴みどころのない話し方だが、目が優しい。決して危険に放り込もうとしているような感じではなかった。
それに、私が嫌がったところで、もし尾谷家の者たちが強硬手段を取ったら、抵抗のしようがない。
自称徳の高いお坊さんの言うことを、ここは信じてみよう、と決意した。
「分かりました。ではしばらく出掛けます」
◇◇◇◇
翌日、旅支度を整え、二日酔いで頭の痛そうな尾谷の方たちの前に出る。
「花詠尼と申します。よろしくお願いいたします」
挨拶をすると、不思議なことに少し間があった。
「……尾谷家家老、古川燈兵衛と申します。尼御前にはご不便をおかけしますが、何卒ご容赦願います」
やはりこの家老はしっかりしているが、他の武将たちは何やらざわざわしている。
「……思っていたのと少し違うな」「ああ、噂だと絶世の美姫とか……」
こいつらマジ失礼だな。
こそこそ話してんの聞こえてるからな。と心の中で、尼にあるまじき汚い言葉を言いつつ、表面上は平静を装う。
「では参りましょうか」
にっこり笑ってスタスタ歩き出す。
慌てて付いてくる尾谷の武将達は、しばらく無視することにした。
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