光の粒子を集めて

藍葉詩依

光の粒子を集めて

 願い事が一つ叶うなら何を願う? と聞かれれば僕はこう答える。

 

 大好きなあの子に会いたい、と。

 

 ❀❀❀――――❀❀❀

 

 本来であれば一本道であるはずの所を煌々と輝く星を目に焼き付けておこうと上ばかり見ていた僕は道を外れてしまったみたいだ。

 

 綺麗に整えられた道を外れ、砂利道へと進んでしまいこの先の道はいくつにも別れている。

 星ばかり見ていたためにここに来るまでの風景を頼りに来た道を戻ることもできない。そもそもここに来るまで建物などがあったかも定かじゃない。

 いい歳だと言うのに迷子だ。

 

 スマートフォンなんてものがあれば検索をして道を調べることができるみたいだけどあいにく僕はそんな物を持っていない。


「どうせなら寄り道してもいいかな」


 気楽な考えは脳内だけに留まらず声にも出た。

 声に出したことの影響か「寄り道」は案外いいもののように感じられて、ふらふらと足を進める。

 もしかしたら、この寄り道であの子に会えるかもなんて淡い期待を持ちながら。

 時間を忘れて気の向くままに、行きたい方向へ。


 そんなふうに歩くのはとても楽しいけど体力は無限じゃない。

 そろそろ疲れてきたぞと体が声を上げ始めた頃、僕は瞳に映る光景に感嘆の声を上げた。


「すごい……」


 僕に耳が付いていたら興奮のあまり耳を揺らしていたこと間違いなしだ。

 ここに来るまでの風景はぽつぽつとした明かりと小さな家だけだったのだがここからは別世界じゃないかと思うほど多くの街灯が立ち並び、同じように多くのビルが建っている。


 一つ一つのビルをじっくり見てみたいという衝動をどうにか押さえて、まずは休憩できそうな場所を探す。


 足を進めながらきょろきょろと顔を動かす様は田舎から都会に旅行へ来た人みたいだ。

 パン屋さんにハンバーガー屋さん、蕎麦屋さん。どちらかというと僕は喉が渇いているからそれらはまた今度だ。


 さて、どうしようと少し足を止めた僕の視界に一つの扉が目に入った。


 真っ白なアンティーク調の扉。


 扉の前にはメニューボードが置かれているからカフェ、かな。

 そう考えて、真っ白な扉に手をかける。

 今までは悩みながらも扉に手をかけたことはなかったというのにどうしてかこの扉は開けなければいけないような気がした。


 少しだけ力を込めて扉を押すとカランという心地いい音が耳に届く。

 夏に飾られていた風鈴もこんな音だったなと思いながら足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 ふわふわとした声で僕を迎えてくれたのは高校生くらいのお兄さん。

 ただお兄さんはゆるくパーマがかかっている髪を染めているから高校生よりも上なのかもしれない。


 僕だって本当は立派に成人しているというのに身長が150cmしかなくて、顔も童顔だなんて言われてしまうから見た目では実際の年齢なんて分からないということはよくわかっている。


「お好きな席にどうぞ」


 ぼうっと立っていた僕に店員さんは人を安心させる笑顔でそれだけ言うとカウンター内へと入った。

 そんな店員さんともう少し会話をしてみたくて、僕はカウンター席へと腰を下ろした。


 カフェに足を踏み入れたというのにコーヒーの違いなんて分からなくて、それでも少しかっこつけたくて良く耳にするブレンドを注文した僕はカチャカチャという音を心地よく感じながら目を閉じ、ここに来るまでのことを思い出した。


 結構歩いたというのに会いたいと思った人とは出会えていない。


 話せるとは元から思っていないからひと目、彼女の姿を見たい。

 泣いてばかりいたあの子が今は笑ってくれているのかをこの目で確認したい。


 そんなことも許されないのだろうかと思うと瞼が熱くなる。


「お待たせしました」

「あ、ありがとうございます」


 泣いてしまいそうになった所でコトリとカップが置かれて、顔を上げると優しく微笑む店員さんと目が合う。


「星、綺麗でした?」

「え……」


 唐突な言葉に上手く反応出来なかった僕のことは気にもせず店員さんはのんびりと今日は天気がいいからと続けた。


「綺麗、でした」

「そっか、じゃあ月も綺麗だったかな」

「そうですね、月も綺麗でした。店員さんは月とか星が好きなんですか?」

「好きですよ。今日は満月だから満月が綺麗に見える日はさらにワクワクする」


 にこにこと語る店員さんは上機嫌だ。

 それにしても月が綺麗に見えるからと言ってワクワクするというのはどういうことだろうか。


 僕にはない感覚で、店員さんの目をまじまじと見つめると店員さんはイタズラめいた笑みをこぼした。


「満月は一番エネルギーが高まる時っていわれてること君は知ってる?」

「知らないです」

「そっか。満月はね地球が太陽と月に挟まれて一直線に並ぶことならエネルギーが高まる時って言われてるんだよ。そして!」


 店員さんはピンと人差し指をたてると目をキラキラ輝かせた。


「潜在意識や無意識の中に眠っている能力が輝いて現れやすい時なんだ! 新しい自分に出会えそうでワクワクしない!?」

「いや、僕は別に……」


 店員さんの勢いに少しだけ後ずさりながら答えると店員さんは分かりやすく肩を落とした。コロコロ変わる表情もわかりやすい行動もまるで子供だな、と思う。


「君なら分かってくれそうだったのになぁ」

「すみません……」

「謝らなくていいよ。ちなみに三日月は物事の始まりを意味するものって言われていて、また三日月を見ると幸運に恵まれるっていう言い伝えもあるんだよ」

「へぇ……」


 またしても知らない知識に感嘆しているとカランというベルが耳に届いた。


「こーんばんは!」

「いらっしゃーい」


 溌剌としたセーラー服の女の子を店員さんは気安く出迎え、彼女がカウンター席へと座ると既に用意していたのかカップを差し出し、今回のお客様は随分と可愛らしいよと彼女に告げた。


「そうみたいだね」


 店員さんの言葉に彼女はふっと笑い、僕をみる。


「あ、あの……?」


 じっと見られていることに耐えかねて声を出すと彼女はあぁ、ごめんなさい! と謝った。


「いえ、大丈夫ですけど……」

「改めまして、passerelleへようこそ。ここは人と人を、正しく言えば想い合う存在を繋ぐ場所です」


 そう言ったのは店員さんではなく、セーラー服の女の子。


「えっと……?」


 彼女の言葉が上手く理解できずに目を丸くさせるだけとなった僕に彼女は朗らかに笑って、一から説明しますねと穏やかな声で告げた。


「このカフェpasserelleは現実世界にちゃんと存在しますが貴方がいるここは狭間です」

「狭間……」

「はい。生きている人が住む世界と亡くなった人が住む世界の狭間です。もっと簡単にいうならあの世とこの世の狭間ですね」

「はぁ……」

「なんでこんな空間ができているかっていう説明は面倒なので省きます。気になったらこっちの店員に聞いてください」


 いきなり話を振られたお兄さんは慣れているのかひらひらと手を振った。

 女の子はそんなお兄さんに構わず続ける。


「貴方がこのお店を見つけ、入れたということは貴方には会いたい人。なにか伝えたい人がいますよね」

「それは……」

「飼い主さん、ですか?」


 先程から驚かされてばかりだったけど、僕は彼女の言葉がよりいっそう信じられなくて口がぽかんと開いた。


「わか、るの?」


 やっと声に出すことが出来たのはそんな言葉。

 今の僕は身長150cmの小学生男子のような風貌だ。


 元々あった長い耳もなくなり四足歩行ではなく二足歩行。


 一番会いたいと願うあの子と同じ姿になれたことに歓喜して、もしかするとこの姿のまま新しい人生をやり直すことが出来るのではないかと希望を抱いたりした。


「わかります。元々はうさぎ、ですよね」

「うん、そう」

「会いたいのは飼い主さんですか?」

「ううん……正しく言うなら飼い主さんの家族だった小さな女の子。寝る時に、ずっと泣いてたんだ。ごめんねってずっと謝ってた。だから今笑ってくれてるのかが気になってて……でも、話もできるなら謝らなくていいんだよって幸せだったんだよって伝えたい。君は、その子に会わせてくれるの……?」

「会えるかどうかはあなたの頑張り次第です」

「え……」


 てっきりもちろん、ここはそういう場所ですから、とかそんな言葉を期待していた僕はなんだか裏切られた気持ちになった。


「頑張り次第って……」

「願いは無条件で叶えられるものじゃないんですよ。私ができるのは出会えるチャンスをあげることくらいです」

「チャンス……」


 どういうこと? と質問を続ける前に彼女は細長い小瓶をカウンター席へと置いた。小瓶はコルクのようなもので蓋がされていて銀の月のチャームが着いているだけで肝心な中身は無い。


「この小瓶は今、何も入ってないですけど、貴方が会いたい人との思い出を見つけると溜まっていきます」

「……思い出す、ではなくて?」

「そこに気づくとはすごいですね」


 ふとした疑問を言葉にすれば彼女は感心したように手を叩いた。


「思い出すのではなくて見つけ出す、です。明日から次の三日月になる前日まで。貴方が生きている間に過ごした場所へ日替わりで道が繋がります。その場所から思い出の欠片を見つけてください」

「思い出の欠片……」

「金平糖みたいな形をしたものですよ。大きさはもっと小さいですが」

「それを……集めるだけ?」

「簡単なように聞こえるかもしれませんが簡単にはいかないです。このカフェにたどり着いてこの瓶がいっぱいになるまで探し出せた人は2%程度。全てがいっぱいになったとしても会いたい人に会えるのは時間にしてしまえば貴方がその欠片を探すよりも遥かに短い。どうします?」


 そう問いかける彼女の瞳はどこか僕を試すような、挑発めいた色をしていた。

 僕の答えはもちろん決まっている。


「やります。チャンスがあるならどんなことだって」


 迷いなんて何一つなかった。

 

 ❀❀❀――――❀❀❀

 

 一番最初に繋がったのは僕が飼い主さんと出会う前にいたペットショップだった。


 繋がった先の場所にどのくらいの数の思い出の欠片があるのかは分からないらしい。


 彼女――御影杏と名乗ったあの子は知っていて教えてくれていないような、そんな気もしたけど……別にどちらでもいい。


 教えてもらわなくたって探し出す自信はある。

 自信というより意地かもしれないけど。

 ペットショップの看板をみて、そういえばこんな名前だったなと思いを馳せながら足を踏み入れるとレジの横に早速金平糖のようなものを見つけた。真っ白なそれを物珍しい思いで手に取ると途端に眩く光り出す。


「え!?」


 光り出すなんて聞いてなかった僕はぎゅっと目を閉じて恐る恐る目を開いた。


「うさたん!」


 目に入ったのは僕の膝位までしか身長がない女の子。

 その子は僕がいちばん会いたかった子だ。


「雪ちゃん……」


 震える唇で紡いだ音はかすれていたが雪ちゃんには届いてないらしい。


「うさぎさんと仲良くするのよ」

「うさたんなかよし!」


 にこにことお母さんに返事をして、お父さんに名前を付けてやろうなと撫でられている姿を僕は新鮮な気持ちで見守る。


 僕の記憶に、こんな記憶はない。


 だけど、とても暖かくて実際にあったことなんだと自然と思えた。


 眩く光った欠片は段々と小さくなり、欠片をオレンジに彩ると輝きを失った。


 僕は無くさないように慌てて御影さんからもらった小瓶にいれる。そうするとそれまで僕の視界に写っていた姿は煙のように消えた。


「なるほど……なかなか酷いなぁ……」


 輝きを無くすと同時に姿が見えなくなるのではなく、小瓶に入れることで姿が見えなくなるということは小瓶に入れなければ懐かしい思い出にずっと浸ることが出来るということだ。


 だけど、この場所に繋がるのは一日だけ。


 思い出に浸っていれば他の欠片を探す時間が圧倒的に足りなくなる。


 今までの記憶に浸って会うことを諦めるか、記憶を抱えて雪ちゃんと会うかどちらかを選べということだ。


 思い出は酷く甘く、優しい。幸せでしかない。


 だけど、欠片を集めて彼女と会った時にどうなるかは不確定だ。僕は幸せだったよと伝えたいなんて身勝手な感情で……もう雪ちゃんは何も思っていないかもしれない。今更会いにこられても迷惑だと思われるかもしれない。そう考えると足が鉛のように重たくなった。

 

 目を閉じてすぅっと大きく深呼吸をする。

 小瓶を胸に抱きしめて、大丈夫と声に出す。

 自己暗示のようなものだ。


「大丈夫」


 一度だけでは足りなくてもう一度。

 例え、迷惑だと思われても僕は伝えたい。

 しっかりしろ、迷うなと自身に言い聞かせて目を開けた。


「絶対、会うんだ」


 このチャンスを逃してしまうなんてそんなことはしたくない。


 僕は再度、足を進めた。


 ペットショップで僕が見つけられたのか六個の欠片。

 あっても一つだけかなと思っていた僕は予想外すぎて、笑うしかなかった。

 この場所でも六個あったということは僕が過ごしていた家では数え切れないほど、むしろ欠片で家を埋めつくすほどあるのではと思ったけど、そんなに簡単なことではなかった。


 同じ場所に繋がることは無いという説明だったけど、正しく言えば同じ場所で時間が違う場所には繋がるらしい。


 僕が飼い主さんの家で過ごすようになってからの年。

 雪ちゃんが幼稚園を卒業する年。

 そんなふうに同じ家でも置かれている家具が変わったり、欠片がみせてくれる思い出の雪ちゃんが成長していたりと日々違う光景を楽しむことが出来た。


 欠片がみせてくれる思い出は相変わらず僕が覚えていない記憶もあったけど、中には僕が覚えている思い出もあって、その幻に触れた時はあまりの懐かしさに泣き出したくなった。


 一つの欠片も見逃さないように、思い出がない場所にも目を向けて、丁寧に丁寧に探す。

 それでも小瓶はなかなか埋まらなくて、段々と埋め尽くすことが出来るのだろうか、会えるのだろうかという不安に駆られた。


 頑張っても会えないのであれば、頑張らずに欠片がみせてくれる思い出に浸れば……そんなことを何度考えたか分からない。

 誘惑に負けそうになって、かぶりを振って、自分をたてなおす。そんな日々を過した。


 この時間が終わるまで後二日となった頃、小瓶はあと四cm程という所まで埋まった。

 あと二日、どこに繋がるのかというのは考えるまでもなかった。

 僕の予想通り、繋がったのは病院とお墓だった。


 動かなくなった僕を見てお母さんに縋るように泣く、そんな雪ちゃんが痛々しくて、大丈夫だよとここにいるよと声に出したけど、欠片の中の雪ちゃんが反応してくれることはなくて、雪ちゃんと同じ姿でも話が出来なければ何も意味は無いと突きつけられた。


 この二日どれだけ欠片を集めてもそんな雪ちゃんしか現れない。


 泣いて、泣いて、泣き止まない君を抱きしめたい。


 その一心で欠片を集めた。

 

 これでいっぱいになるのではと期待を持ちながら欠片を小瓶にいれるとカロンと音をたて、輝きを失ったはずの欠片が一つ、また一つとキラキラ輝き始めた。


「え……」


 こうなる、という説明はされてなかったためどうすればいいのかわからず、光を見つめているとやがて小瓶から光が漏れだし、その光が扉のような形を作る。


 光だけで作られた扉は初め歪だったがしっかりと形を作り、輝きを失っていくと同時に白く染め上がった。


 作られた扉の先に雪ちゃんがいるのでは……そんな淡い期待を胸に扉へ手をかけて、ひとつ大きく息を吸ってから扉を開けた。


「こんばんは!」

「……」


 扉の先にいたのは雪ちゃんではなく、僕に欠片を集めるようにといった女の子。御影杏だった。


「……てっきり、雪ちゃんがここにいるのかと」


 勝手に期待をして、そうならなかっただけなのに声には分かりやすく寂しさが乗った。


「まだ居ないですよ」

「まだ……?」

「はい、彼女をここに連れてくるには貴方が集めた欠片が必要なので。小瓶渡してくれますか?」


 手を差し出した御影さんの手に小瓶を載せると、チャームとして付いていた銀の月が黄色へと色を変え、中に入っていた欠片が液体へと変わった。


 まるで魔法みたいだと呆けていると御影さんは小瓶から目を外して、僕をみる。


「確かに、預かりました。雪さんの案内は私がしっかりうけおいます」

「案内?」

「そうですよ、私は案内人です。貴方のように迷子になっている人へチャンスをあげて、チャンスを掴み取った人には報酬を。そんな仕事です」

「天使みたいな?」


 そういうと御影さんは声に出して笑った。


「天使が私みたいな小娘なわけないじゃないですか。私これでも人間です。貴方の大事な雪さんと同じ世界で過ごしてますよ」

「え!?」

「だからこそ、雪さんをここに連れてくることができるんですよ」


 御影さんは心底楽しそうにウィンクを一つ落とすと、姿勢を正して、僕の目をまっすぐ見た。


「私ができるのは貴方が集めた思い出の欠片を借りて、雪さんをここに案内する。そして雪さんが帰る道を作るだけです」

「うん」

「雪さんの帰り道を私が案内することはできません。貴方がしっかりと元の世界へ帰るよう説得してください」

「帰れなかったら、どうなるの?」

「この空間はずっとある訳では無いので真っ暗な世界に一人落とされます。現実世界では意識不明の重体になりやがて死にます」

「え……」

「だから、絶対帰るように説得してください」


 真剣な瞳に僕は必ずと答えた。

 御影さんは安堵の息を吐き、良かったと呟いて姿勢を崩す。


「貴方が集めた欠片はこの空間を作り終えた後も貴方の元には戻らず、雪さんの手に渡ります」

「え、雪ちゃんの?」

「形は変わりますけどね。それが貴方達二人の思い出であり、絆です」

「どんなふうに変わるの?」

「それはー」


 人差し指を唇に寄せて御影さんが微笑む。


「秘密です」

「えぇ?」


 その後、何度聞いても御影さんが教えてくれることは無かった。


「私と貴方が出逢えるのはこれが最後です。雪さんとの時間が幸福で溢れることを、願ってますね」


 彼女はそれだけ言うと僕が来た扉から出ていき、彼女が出ていくと共に扉が消えた。

 彼女が出ていった一人の空間で目を閉じる。

 瞼に移るのは楽しそうに笑う雪ちゃんの姿とずっと泣いていた姿。


「やっと、会えるよ」

 

 ❀❀❀――――❀❀❀

 

 扉が無くなったこの空間に雪ちゃんがどうやって来るのか、いくら考えても分からなくて……ただ待つだけとなった僕の視界にいきなりシャボン玉が現れた。


「え……」


 唐突な出来事に思わず僕は飛び退いたけど、小さなシャボン玉は踊るように僕の周りをくるくるとまわる。


 恐る恐るそのシャボン玉に触れると弾けて声が聞こえた。


「おねーさん、知ってますか?」


 この声は御影さん。

 御影さんはお兄さんが教えてくれた三日月の言い伝えを語った。


「へぇ、よく知ってるね」


 その声に心臓がとくんと跳ねた。

 ずっと、ずっと聞きたかった声だ。

 雪ちゃんが御影さんと話してる。

 二人の会話は僕の耳にとても心地いい。

 一瞬、声が途切れたかと思えば御影さんの声がまた届く。


「雪さん、So that you spend a happy time」


 その声とともにまた新たなシャボン玉が僕の目の前に現れた。


 先程と違うのは人が入れるほど大きいということ。

 僕は迷わずそのシャボン玉へ触れる。


 ぱんっと音を立てながら弾けたシャボン玉から雪ちゃんが出てきて慌てて床に衝突しないように手を伸ばしたけどそうするまでも無く、光の粒子がクッションのようになって雪ちゃんを優しく床に着地させた。


 目を閉じたままの雪ちゃんをじっと見つめる。


 僕が知っている頃の雪ちゃんとは髪色も身長も何もかもが違う。

 それでも、懐かしいなと、大好きだと感じるのは何故だろう。


「雪ちゃん……」


 ずっと呼びたかった名前を震える声で呼んで、早く起きて欲しいと思いながら今度は力強く呼んでみる


「雪ちゃん!」


 何度も呼んで、このまま起きなかったらどうしようかと不安になった時、雪ちゃんはやっと目を開けた。


「もう、寝すぎだよ」


 そういえば彼女はお寝坊さんだったとまた懐かしい記憶を引っ張り出しながら混乱していそうな雪ちゃんに大丈夫? と声をかければ不思議そうに名前を呼ばれた。


 それだけでじんわりと胸を暖かくさせる。


「そうだよ? なんで疑問形?」


 確かにあの頃と姿形は違うけど、すぐに僕の名前が出てきたということはきっと彼女も分かってる。

 そう思ってわざとおちゃらけて見せた。


 そうすると雪ちゃんはすごい勢いで僕を質問攻めしてきた。

 彼女と目を合わせて会話ができる日が来るなんて、なんて幸せだろう。自然と顔は綻ぶ。


 質問と同時に雪ちゃんはたくさん僕に謝ってきて次第に泣き出してしまった。

 次から次へと流れでる雫がどうすれば止まるのか分からなくて困り果てた僕が選んだのは彼女を抱きしめることだった。


 僕は雪ちゃんに抱きしめられると安心して、落ち着くことが出来たから。

 雪ちゃんも落ち着けたらいいなと思いながら大好きという思いも込めてぎゅうっと抱きしめる。


「雪ちゃん、大好きだよ」


 僕がまた兎として生きていた頃、何度も伝えたいと思った言葉を口に出すと彼女は私もと答えてくれた。


 しばらくすれば彼女の涙は止まっていて、その事にほっとしながら落ち着いた? と聞けば雪ちゃんは僕が大好きだった明るい笑顔でうん! ありがとう! フィー! と言ってくれた。

 

 それからというもの僕と雪ちゃんは思い出を語り合った。雪ちゃんからすれば何年も前だけど、僕からすればここ最近見たばかりの記憶。


 一つ話せば連想ゲームのように次から次へと様々な思い出が浮かび上がる。

 

 互いに笑って、拗ねて、また笑って。そんな時間。楽しくて、幸せで……ただただ幸福だった。


 こんな時間がずっと続けばいい。


 そう思ったけど、視界の端に移る小さな粒子が僕に終わりを告げてくる。


「楽しい時間は、過ぎるのが早いね」


 笑顔でいようと思ったのに、思わずここにいたいという感情が表情に出てしまった。

 僕の言葉に雪ちゃんは戸惑いの声を落とした。


「もう終わりみたい」


 そう告げると彼女も僕と同じように顔をくしゃりと歪めた。


 あぁ、やだな。また泣かせてしまう。


 だけど彼女を暗い場所に閉じ込めるなんて、死なせてしまうことなんてしたくない。

 子供のようにやだやだといい告げる雪ちゃんに、戻れなくなってしまうことを告げると雪ちゃんは声を荒らげた。


「戻れなくったっていい! フィーといたい!」


 その言葉に僕だって! と言いそうになって慌てて唇を噛んで、彼女の頬を挟む。

 勢い余ってパシン! という音がなってしまったけど、その音に雪ちゃんは驚いて少しだけ冷静になった。


「フィ、フィー……?」


 寂しい、と僕が思っていたら彼女に伝わってしまう。

 しっかりしないと。

 そう言い聞かせて、寂しいという感情を奥底に沈めた。


「それは絶対ダメだよ、雪ちゃん」


 彼女には彼女の世界があって、こんな場所で、暗い場所で過ごすなんてそんなのダメだ。


「雪ちゃんは雪ちゃんの時間を過ごさないと」

「私の、時間……?」

「うん、そうだよ、ねえ雪ちゃん最後の僕の願い聞いてくれる?」

「願い?」

「うん……何?」


 未だ戸惑ったままの可愛い女の子に、泣いてばかりだったあのころの雪ちゃんを重ねて僕はずっと伝えたかった言葉を、願いをゆっくりと紡ぐ。


「あのね、僕のことを思い出して泣いてくれたことが嬉しいって言ったけど、その言葉は忘れてほしいな、僕のことを思い出す暇なんてないくらい雪ちゃんが毎日幸せなのがいい。もし、幸せな中でも僕のことを思い出すことがあったらその時は今日のたくさん話した時間を思い出して笑顔でいて? 僕はそのほうが嬉しい。雪ちゃんの幸せは僕の幸せでもあって、笑顔でいてくれるのが一番嬉しいんだ」


 我ながら、残酷なことを言っていると思う。

 それでも優しい雪ちゃんなら聞いてくれるだろうと思った。


 予想通りに叶えると、頑張ると言ってくれた雪ちゃんの周りには先程よりも多くの粒子が集まっている。


 もうきっと、これで最後だ。


「ありがとう、雪ちゃん、大好きだよ」


 短い言葉に何年も積み重ねた思いが伝わるようにゆっくりと、一つ一つの音を大事にしながら紡ぐと彼女は飛びっきりの笑顔で答えてくれた。


「私も……大好きだよ! フィー!!」


 彼女の言葉と共にゆらゆらと揺れていた粒子は僕と雪ちゃんの体を包むように形を変えた。

 雪ちゃんにはきっと、今までこの粒子が見えていなかったのだろう。

 抗おうと体を動かしながら慌てた声で僕を呼ぶ。


「時間だ、雪ちゃん逆らわないで、そのシャボン玉にちゃんと乗って、僕ももう行くね」

「フィー!! やだ、行かないで!!」


 懇願する声に思わず答えてしまいそうになって、手を伸ばさないようぎゅっと拳を作って力強く握る。


「来てくれてありがとう、雪ちゃん、僕雪ちゃんの笑った顔が大好きなんだ、笑顔を見せて」


 泣きそうになるのをこらえて僕も精一杯の笑顔を作った。


 雪ちゃんは両手で顔を覆いながら何度もかぶりを振っていたけどやがて決心したように顔を上げた。


「フィー、ずっとずっと見守っていてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう、幸せな時間をありがとう、フィー……フィー!! ずっと! ずっと! 大好きだよ!! バイバイ!」


 必死に彼女が言葉を紡ぐ間も涙は零れていたけど、彼女がみせてくれた笑顔はとても綺麗で可愛かった。


 雪ちゃんが言葉を紡いでいる間も光の粒子は大きいシャボン玉を作り出していた。


 きっと、もう少しで完成だ。


 僕の身長も段々と縮んでいってることが自身でわかる。


 雪ちゃんの笑顔を心に刻みこもうと彼女を見れば彼女もこちらを向いてくれて、その事がとても嬉しくて自然と笑顔になった。


 まだ人の姿であるうちに、言葉が通じるうちにこの言葉だけは彼女に伝えなければともう一度口を開く。


「僕もずっと大好きだよ」


 その言葉が、僕と雪ちゃんが交わした最後の言葉となった。

 

 僕を包んだ粒子は僕が何年も歩き続けていた場所へと運び込むとパチンと弾けて消えた。

 

 一本道でいつまでたっても何も見えない道。

 そのはずだったのだが今は見える場所に真っ白な教会のようなものが見える。

 

 雪ちゃんが自身の時間を進むように、僕もやっと先へ進めるようだ。

「ありがとう」

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