第4話 見たい未来と席替え。

「……私の好きな人を、そんなふうに言わないでほしいな」


 僕の目をまっすぐに見つめながら、恵流さんがはっきりとそう告げる。こんなに情けない姿を見せてもなお、彼女は僕に失望してはくれなかった。


「なんで……」

「……だって、唯斗くんは私の運命の人だもん。唯斗くんの良いところは、私が全部知ってるから」


 ……やっぱり分からない。彼女は僕の何を知っているんだろう。どこまで僕のことを知っているんだろう。なんでこんなにも、僕は彼女を知らないんだろう。


「知らないよ、そんなこと……!」

「『まだ』、知らないだけだよ」


 そうして困惑する僕を尻目に、彼女は畳み掛けるように話しかけてくる。


「私と同じ大学に行くために1日10時間も勉強してくれたこと。誕生日ケーキの砂糖と塩を間違えたのに1人で全部完食してくれたこと。よく夜泣きしたあの子を毎日朝までおぶってくれたこと。私のことをずっと1番に考えて、どんな時も一緒にいてくれたこと……私は、知ってるよ」


 まるで懐かしむように、昔話をするかのように、恵流さんは僕の知らない未来を語る。あまりに突拍子もないことだったけど、どうしてもそれが嘘には思えなかった。


「それ……未来の話?」

「うん。私の体験した、唯斗くんとの未来の話」


 僕にそんなことが出来るだろうか。もしかしたら、他の誰かと間違えているんじゃないだろうか。そんな言葉が口から出そうになるが……『何か』に塞がれてしまい、それはせき止められた。


(……は?)


 どうして彼女の瞳が、こんなに近くにあるのだろう。どうして彼女の匂いが、こんなに近いのだろう。唇にあるこの感触は……前にも体験したような、この痺れてしまいそうな甘い感覚は……


(恵流……さん?)


 キスをされたのだと気づいた時には、もうすでに体が壁に押しつけられて動けなくなっていた。驚く間も無く手を握られて、頭が真っ白になって、考えていたことなんて全部吹き飛んで……


「……っ……ねえ、唯斗くん。好きなんだよ、本当に。心の底から」

(あぁ、やっぱり……)


 最後に残ったのは、恵流さんのことが好きだという気持ちだけだった。釣り合わないとか、相応しくないとか、そんなことどうでも良くなって……この人と一緒にいたいだけなんだと、心の底から思ってしまった。


「だから、そんなこと言わないで。唯斗くんは……私の、未来の夫なんだから」

「僕は……やっぱり、まだ信じられない」


 まだ、恵流さんの言っていることを信じられたわけじゃない。自分を信じられるわけでもない。もしかしたら、やっぱりからかわれているだけなのかもしれない。


「でも……本当にしたいとは思ったよ」

「それ、プロポーズ?」

「は、はい……」

「……うん。私も、大好きだよ!」


 やっぱり、この人には敵わない。少しは格好いいことを言ったつもりだったのに満点の笑顔で返され、結局こちらがまたドキドキさせられてしまった。


「……おっ、桐原! 遅かったな?」

「うん。ちょっと話してて」


 そうして、2人で教室に帰ってくると僕の席にはさっきの彼が座っていた。色々と言いたいことがあったけど、恵流さんと話したらもうどうでもよくなった。


「また姫宮さんと話してたのか?」

「うん、そうだけど」


 僕はまだ僕を信じられないけど、恵流さんは僕のことを信じてくれた。彼女の隣にいていいんだって言ってくれた。


「お前もあんま期待しすぎんなよ。流石に高嶺の花だぜ?」

「心配してくれてありがとう……でも、大丈夫。だって────」


 だったら僕も、恵流さんに相応しい自分になろう。今はまだまだ未熟かもしれないけど、それでもいつか胸を張って、彼女の隣に居られるように……


「────恵流さんは、僕の未来の嫁だから」


 恵流さんが見てきた『未来』を、僕も一緒に過ごせるように。



 ◇



 それからは、文字通り流れるように時間が過ぎていった。恵流さんと同じ大学に行くために死ぬほど頑張った大学受験、なんとか大手の内定を取れた就活、親戚全員が集まった結婚式、初めてばかりで大変だった子育て。


 時には病気にもなったし、喧嘩することも……なかったわけじゃなかった。嬉しいことが沢山あった分、大変なことも数えきれないほどあった。それでも……


「……あなた……聞こえますか? 私ですよ、恵流です」

(ここは……どこだ?)


 おぼろげな意識の中、視界に映る最愛の妻の姿を見ながら僕はそんなことを考える。ベッドの感触が柔らかく、なぜか体が浮くような感覚……ああ、そうか。僕、確か心臓の発作が悪化して……


「あれから70年……本当に、すぐでしたね」

(……死ぬ、のか)


 ついに、この時が来たんだ。恵流さんの『70年も連れ添った』という懐かしい言葉が頭の中にこだまして、それをようやく理解する。そうか、もう70年も……結局、本当に恵流さんの言うとおりになってしまった。


「あなたは、幸せでしたか? 私は、あなたを幸せにできましたか?」

(僕は……貴女あなたと、出会えて……)


 人工呼吸器のせいで言葉が出ない。意識が朦朧とする。この気持ちをどう伝えたら……


(手を……)

「……っ、そうですか……それなら、よかった」


 最後の力を振り絞って重い腕を動かし、小さな指輪を付けている彼女の手を強く握りしめる。僕は幸せだった。本当に幸せ者だ。この人と出会って、一緒に過ごして、結婚して……最高に幸せにされてしまった。


(でも、心残りがあるとすれば……)


 ……彼女は、幸せだったのだろうか。僕はもっと恵流さんを幸せに出来たんじゃないだろうか。貰った幸せを、喜びを、優しさを、驚きを……ちゃんと全部、返せただろうか。その問いを投げかける前に、終わりはやって来て……


(僕は、あなたを────)









(────っ、ここは……)


 目を開けると、そこに広がっていたのはどこか懐かしい景色。僕は教室のような場所で、机の上に置かれた小さな紙を見つめていた。どうやら死後の世界……ってわけじゃなさそうだ。


(この空気も、この雰囲気も、すっごく懐かしい……もしかして!)


 状況を把握した僕は直感的にこの状況を理解する。高校生の頃にあった席替えの日に戻ってきたのだと。ということは、もしかして……


(……恵流さん!)


 隣を見ると、物静かな雰囲気を纏った長い黒髪の美少女が……あの日と変わらない彼女の姿があった。驚きと喜びが混ざり頭の中が真っ白になって……話すことなんて何も考えていないのに、思わず話しかけてしまう。


「……あっ、あの! 姫宮恵流……さん、だよね?」

「えっ? はい、そうですけど……」


 だが、その反応はあの時と少し違った。まるで僕とは初めて話した、と言わんばかりに戸惑っているようで……


「あの、大丈夫ですか? 少しボーッとしてるような……」

(────ああ、そういうことか)


 それを見て、僕はようやく理解する。今度はなのだと。きっとこの世界が恵流さんの体験した『未来』……僕がタイムリープしてきた世界なのだ、と。


(今度は、僕が幸せにするよ。僕の全部で恵流さんを幸せにして……もう一回、ちゃんと聞いてみせる)


 だから僕は……そして恵流さんは、この日に戻ってきたんだ。何度でも一緒に過ごしたいと思ったから、その日々が永遠に続いてほしいと思うほどに幸せだったから……誰よりも幸せにしたいと思ったから、この運命の日に戻ってきたんだ。


「あの、姫宮さん!」

「は、はい?」


 なら、僕たちはこの奇跡を何度でも噛み締めよう。何度でもこの時を過ごそう。そして、何度でも2人で幸せになろう。


 そう決意した僕が言うべき言葉は、もう決まっていた。


「僕は────あなたの、未来の夫です!」

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【短編】隣の席の(自称)未来の嫁が可愛すぎる。〜クラスでは目立たない僕ですが、(自称)未来の嫁な美少女になぜか猛アタックされてます〜 ゆーやけさん @yuuyake2756

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