ファミリーボックス

帆尊歩

第1話 ファミリーボックス

東京は大都会だ。

それがあたしの東京のイメージだった。ところが、来てみるとなんてのどかな印象。

この辺りは東京都下、実際は山の手のさらに上なので、都下ではなく、そんな言葉はないんだけれど、都上だ。

このあたりは武蔵野というらしい。

国木田独歩の「武蔵野」は、針葉樹の森が広がっていると書かれていたけれど、そんな物はどこにもない。

家の近くには多摩川という川が流れている。

あたしにとって川と言えば天竜川なんだけれど、暴れ天竜と言われる天竜川と違い、多摩川はゆったりと流れている。

河川敷も大きいし、様々のグラウンドがあり、子供たちがそこで野球やサッカーをしている。

この武蔵野が、これから住む場所なんだとあたしは考えると少し憂鬱だ。

あたしの居場所は信州だ。

それほど土地に対する執着があったとは思わないけれど、来てまだ数日だというのに、信州の山々が恋しい。

だからここ武蔵野は好きになれない。

でも、ここをあたしの居場所にしなければならない。



「加奈。適当に整理してくれれば良いから。捨てても良いし、まとめておいてもいい」

「はい叔父さん。出来るだけ綺麗にしておきます」

「イヤ。別に無理しなくて良いから」

「いえ、でも」

「まあ、ほどほどに」パパのお兄さんだ。

あたしはほとんど会ったことはなかったけれど、うちの事情を知って助けてくれた。


うちの経済事情では、あたしを東京の大学に進学なんて出来るはずはなかった。

うちは母子家庭で、ママはそこそこの収入があったので、学費まではなんとかなりそうだったけど、さすがに東京で一人暮らしとなると部屋代だとか、電気、ガス、上下水道とかでかなり厳しい。

諦めかけていたとき、死んだパパのお兄さんが、今は誰も住んでいない家に住んでも良いと言ってくれた。

パパのお兄さんは結構遠くに住んでいて、この家をもてあましていた。

だから申し出てくれたと言うことなんだけれど、只というとママやあたしが気を使うと思ったのか、家のメンテをしてくれと言われた。

その代り電気、水道、ガスは基本料金だけは払っているので、出た分だけ払ってくれれば良いと言われた。

住居費がかからないということで、奨学金とバイトで、あたしは東京の大学に進学できた。


あたしはまず、自分の居住スペースから整える必要があった。

台所とお風呂とトイレ、自分の部屋。

ここまでは、ママが有給を取って手伝いに来てくれた。

後はおいおいやっていく感じ。


この家はパパの実家だ。

ママも数度しか来たことがない。

事情は良くは分からないけれど、つまりパパとママの結婚は良くは思われていなかったらしく、駆け落ちのような感じで、パパはママの生まれ故郷に来た。

だから、家はあたしが生まれた時から信州だった。

そんなパパはあたしが生まれてすぐに亡くなり、ママやママのパパに助けられながら、あたしは育った。

だから、パパの実家の親戚との接触はほぼなかったから、わたしは東京に家があることも知らなかった。



家は5LDK、部屋を一つあたし用に使わせて貰うが、それでも後4部屋ある。

どの部屋にも押し入れがあり、タンスが置かれている。

そしてその全てにきちんと様々な物が納められている。

十五年前におばあちゃんが亡くなり、それ以来この家は空家だったらしい。

おじいちゃんはその五年前に亡くなり、叔父さんも仕事の関係で静岡に。パパもママの実家の長野に、だから家族の器としてのこの家の役割は、ずっと前に終えてしまっていた。

でも、この家には失われた家族の記憶が色濃くいる。

でもそれを受け継ぐ人は、もう誰もいない。


あたしは休みのたびに、押し入れやタンスの中を確認していく。

様々な物が残っている。

パパや叔父さんが子供の時のおもちゃや、ゲーム。

ゲームと言ってもボードゲームと呼ばれる人生ゲームや、モノポリー。

人生ゲームって、こんなに昔からあったんだって、逆に感心させられた。

そして最も多いのが写真たち。

写真はアルバムの形の物と、写真その物をまとめている物とあり、古い物は白黒の写真で、仏壇に飾られているおばあちゃんが、若いときの写真、おじいちゃんとのツーショット写真、そうした物が次から次に出てきた。


「叔父さん」とあたしは、静岡の叔父さんに電話をする。

片付けの段階で、写真など捨てて良いのかどうか判断に困る物をどうするか尋ねるためだ。

叔父さんにはこの家の引き渡しで、初めて会った。

ママに言わせると、この叔父さんはパパにそっくりらしい。

だから、パパが生きていたらこんな感じなんだなと思った。

叔父さんは私を見て、

「こんな綺麗な娘を授かったのに死んじまいやがって」と独り言のようにつぶやいたかと思うと、涙をこぼした。

かつて、この家でどんなやりとりがあったのだろうと考えてしまう。



「ああ、加奈かい」

「はい」

「家はどうだ。快適かい?と言いたいところだけど。もう古い家だからな」

「叔父さん、いろいろ片付けているんですけれど、写真とかが多くて、これは捨てられませんよね」

「イヤかまわないよ。実は本当に必要な物は、すでに引き上げているんだ。後は、解体するので全てゴミ。だから加奈が欲しいものがあれば何でも持っていって良いから。後は捨てるものだから」

「解体する予定だったんですか」

「ああ」

「良いんですか私なんかが住んで、というか私のために?」

「うん、まあ。加奈のお父さんとお母さんには、申し訳ないことをしたと思っているんだ。僕も味方をしてあげられなかった。実はお袋も死ぬ前、加奈に会いたいと言っていた。でも

追い出したような形になっていたし、加奈のお父さんも死んで、加奈に会いたいとは言えなかったんだろうな」

「母はその事を知っていたんですか」

「加奈をその家に住まわせる事を提案したときに話した。あの時に何も出来なかった罪滅ぼしをしたいってね」何があったんだろうと私は思う。

「あの、おばあちゃんは、どんな人だったんですか」

「根は優しいんだけれど、意地っ張りでね。加奈のお母さんは苦手だったんじゃないかな。それが分かっていたから、加奈に会いたいと言えなかったじゃないかな。だから叔父さんからお願いなんだけど、仏壇に手を合わせて。おばあちゃんと会話をしてやって欲しい」

「わかりました」


会ったこともない祖母、あたしは想像するしかない。



あたしは、毎朝仏壇の水を替えておばあちゃんの顔を見つめる。

何を話して良いか分からない。

だから初めはただ手を合わせるだけ、でも段々と会話をするようになる。


(おばあちゃん。初めまして。加奈です)そしてあたしは、おばあちゃんの写真を見つめる。

初めはそれだけ。


膨大な写真のアルバムに入っている物は、年代が書かれている。

順番に見ていく。

そにあるのは家族の歴史。

パパや、叔父さんが生まれる前の、おじいちゃんとおばあちゃんの写真から始まり、二人でどこかに出掛けたときの写真たち。

そして結婚式の写真。

白黒の写真たち。セピア色になっているのに、おばあちゃんの緊張と喜びの混じった表情。そして、パパと叔父さんが生まれた頃。

嬉しさにあふれたおじいちゃんの顔。

パパと叔父さんの、小学校に入学するときの写真。

小学校の卒業の写真。

中学の入学式の写真。

中学の部活の写真。

中学の卒業の写真。

そしてその間の、何でもない写真たち。

バックが見覚えのあるこの家のどこか。

そして高校の入学式の写真。

高校の部活。

家族四人の旅行の写真。

高校の卒業の写真。

あたしは想像する。

朝おじいちゃんは背広姿で食卓に座り、新聞を読んでいる。

おばあちゃんに食事の時は新聞を読まないように注意される。

二階から叔父さんが制服姿で降りてきて、食卓に座る。

おばあちゃんが、起きてこないパパを起こしに二階に上がる。

下まで聞こえる大きな声でパパを叱る。

やっと四人そろって朝食。

おばあちゃんはうるさく、おかわりはとか、こぼさないでとか、注意をしていく。

おじいちゃんはいつものことと意に返した風もなく、ご飯を食べる。


「じゃ母さん、行ってくる」と言って、おじいちゃんは鞄を持って玄関へ。

パパと叔父さんはまだ目玉焼きを口に運んでる。

「早くしなさい」と少しイライラしておばあちゃんが言う。

首をすくめるように怒られまいと叔父さんとパパが、立ち上がり玄関に行こうとする。

そのころにはおじいちゃんはすでに玄関のドアを閉めようとしてしている。

「お母さん行ってきます」と叔父さん。

「行ってきます」とパパ。

「二人とも、気をつけるのよ」

「はーい」

「はーい」


きっとこれが毎朝繰り返されて来たこの家の日常。

でもここにその時の人は誰もいない。ここに家族は、もう無い。

そしてその家族を構成してきた人も、叔父さんをおいて誰一人存在していない。

ここに残っているのは、その家族のための箱が残っているだけ。

ここはそんな家族の思いをしまっていたファミリー。ボックス。

母子家庭だった、あたしには、なかった日常。


あたしは少しだけ気分が悪くなった。

家を飛び出し、自転車で多摩川まで行く。

是政橋は橋を支える柱が立ち、広い河原を眺める。

この武蔵野にあった一家族は。

今は跡形もなくなった。

この思いは何。

あたしはそれが羨ましいの。

あたしにそんな家族はいなかった、いつだってママと二人。

ママのおじいちゃんとおばあちゃんはいたけれど、近いとはいえ、一緒に暮らしていたわけではない。

そのママだって、いつも仕事が忙しくて、あたしは一人だった。

そんなファミリーボックスの残骸の中であたしは、暮らしていけるのだろうか。

あたしの目の前には、多摩川の流れが、そしてそれを包み込む武蔵野の風があたしを包み込む。

なんとなく武蔵野の風が優しくなっようで、あたしは少しだけ、武蔵野が好きになりかけたかもしれないと思った。

信州ではない武蔵野の風、あたしは深呼吸をした。

あたしは、ここで生きていこう。

あたしは、夕暮れの武蔵野の空気の中でそんな事を思った。

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ファミリーボックス 帆尊歩 @hosonayumu

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