老いらくの恋 👒

上月くるを

老いらくの恋 👒





 読書にもバイオリズムがあるのだろうか。

 去年のいまごろも司馬さんを読んでいた。


 それがカクヨムさんに仕掛けられた(笑)武蔵野文学賞の関連本を読むうちに黒井千次さん、井伏鱒二さんから自然に太宰治に行き着き、ある日、すっと熱が冷めた。


 やはりこの歳で自己愛を鏡に映したような恋愛譚には酔えないし読めないし……。  

 で、気づいたら、ふたたび司馬遼太郎さんを中心とした歴史作家に回帰していた。




      🎩




 感情の洪水のようなダザイ(笑)と逆に、冷淡すぎるほどクールな司馬さんのエッセイをこちらも極めてクールに拝読しているつもりが、ふいに足もとをすくわれた。


「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何もなし」の手紙文で有名な歌人・川田順さんの転居にまつわるさりげない、だが人として尊いエピソードが飄々と紹介されている。


 ちなみに川田さんのプロフィールを簡潔にご紹介すると、住友コンツェルンの次期総理事と目されながら辞任して文学に専念し始めたのが二・二六事件の昭和十一年。


 妻を亡くしたあと、弟子・鈴鹿俊子との恋愛で不倫騒動を起こし、その責を負って亡妻の墓前で死のうとしたのは、奇しくも太宰治の入水と同じ昭和二十三年のこと。


 のち、夫(大学教授)と離婚した俊子と再婚し、子どもも引き取って新しい家庭に晩年の安寧を得たことは、なにはともあれ部外者としてほっとする結末ではあった。


 だが、ひとつだけ、橙子が気に入らないのは、女性が三十歳近くも若かったこと。

これが同年代だったら手放しだけど、とかく男性は若い女性好きだからねえ。(笑)


 それに……どう見ても祖父、まごまごすれば曾祖父にも見えそうな義父を、俊子の子どもたちはどう受け止めただろうか。大人の都合で不憫なことよと、それも少し。


 


      👘



 

 昭和三十年代というから不倫騒動がなんとか落ち着いたころだろう、歌人と新家族は藤沢・辻堂に移り住んだが、そのとき前の所有主から思いがけない厚情を受けた。

 

 土地家屋の売買契約書に記載がなかった畳の総入れ替え、高価なステンレス製流し台の無料譲渡、また床の間には霊芝れいしの盆栽が置かれ、風呂の薪まで用意されていた。


 清廉に清廉で応えたというだけの話に、橙子はずどんと撃たれてしまった。六十余年前の日本社会には損得抜きの人情が生きていたのだ。なのにわれわれ後進は……。




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