5話(最終話)

「貴方を帰らぬ人にさせてしまって、ごめんなさい」


 貴方の匂いがまだ残っているこの暗い部屋で、大学に一人で通うのが怖くて、お守り替わりにしようと卒業旅行のときに撮った写真を入れたフォトフレームを手に持つ。

 今日、葬式を終えた。


 当然、貴方のお母さんは事故の経緯を警察から聞いている。

 飛び出た私を突き飛ばし、自らを犠牲にしたと。


 斎場でお会いし、別室で向き合ったとき、目に涙を浮かべてキッと睨まれた。手を出されてもいい。むしろ、一発二発叩いてほしいとさえ思った。

 もう私を断罪できる人は他に誰もいないから。


 でも、わなわなと拳を震わせはしても決してそれを振るうことはない。


「蔵野さん」


 そうして、数多の感情を押し殺した声で名前を呼ばれた。


「はい」

「雅斗の夢を、聞いたことはありますか?」

「……いいえ、そういった話はしたことがなかったので」

「そう」


 思いつくことでいえば、大学で学んでいた経営学にまつわるもの。でも、これは確定情報でないから。下手に外せる雰囲気でもない。


 素直に教えてもらおう。


「雅斗はね、昔から人想いのいい子だったの」


 想い馳せるように瞼を伏せ、溢れ出そうな涙を耐えながら話してくれた。

 父親が中学の頃に死んだしまったこと。そのあと、生活費はもちろん学費も稼がないといけなくなり、いろいろな援助を受けても生活は厳しかったこと。


 そんなある日、シングルマザーとして日々懸命に生きるお母さんに貴方は言ったそうね。


「俺、将来は誰からも愛されるようなヒーローになれなくていいから、守りたい人の傍に居続けられるようにするよ。お母さんを幸せにして、好きな人も幸せにして、その温もりをずっと抱きしめていたいんだ」


 話を聞いている間、俯くことしか出来なかった。目の前で、声を震わせるお母さんより先に涙を見せるなんて、そんなことがあっていいはずがない。


「そんな雅斗が、いつも楽しそうに話していた貴方のことを、私が傷つけるのは違うと分かっているわ。だから、これ以上はなにも言いません。ただ、今日で私が貴方と顔を合わせるのも最後です。さようなら」


 そうして、手にハンカチを持ったお母さんが先に部屋を出ていかれた。




「まだ私を守ってくれていたなんて……思わなかった」


 追想をやめて、意識をこの部屋に向ける。

 貴方の机にあの日からまだ返せてない資料の本が置かれたまま。そこに、フォトフレームを傾けて立てかけた。


「でも、ごめんね」


 今あるこの人生が私だけのものじゃないことは、お母さんの話からもよく分かっている。貴方から託されたものだと。

 でも、この数日間、一人で過ごして改めて思い知ったの。私の幸せは全て貴方といたからだったんだって。

 綺麗な景色も美味しい食事も、家で何もせずにいるときも。


 私の生きる意味は貴方がいることだったんだよ。私の命を守ってくれていたのは貴方だったんだよ。


「だから、最期まで見守っててね」


 椅子に上る。

 ロープはネット通販で買った。今はどこにでも死を望む人がいる。その分落とされる情報も多い。

 今日が本番だと決めていたから試してはいないけど、貴方がいるからきっと大丈夫。


 にっこりと、朗らかでいるいつもと変わらない笑顔。その視線の先に私がいる。

 唯一違うことがあるとすれば、そこに人としての温もりがないこと。それがプリントされた写真だと強く主張する。


 でも、関係ない。貴方の笑顔は正しいから。

 悩んで選んだ服を見せたとき、課題の答え合わせをしていたとき、必ず見せてくれていたよね。


 それが肯定になる。


 だから、今から私がしようとしていることを貴方は認めてくれる。

 そんなはずない!

 胸の奥で叫ぶ私には無理矢理蓋をした。


 見つめる先に愛する人がいる。笑ってそこにいてくれる。それだけで十分なの。

 だから、私も精一杯の笑顔で――


「ありがとう。ずっと幸せだったよ」

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笑顔の温度 木種 @Hs_willy

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