岩山登り

めへ

岩山登り

ゴツゴツとした岩山、山頂まで何メートルあるか知れぬそれを、大勢の老若男女が必死に登っている。中には男なのか女なのかよく分からぬ姿の者もいる。

岩山に道は無い。皆、両手両足で山の突起を頼りに登る。

手足や視聴覚の不自由な者もいるが、皆手探りや体の使える部分を行使して必死に登っていた。

足を踏み外したりして落ちていく者は多く、しかし誰もそれを意に介さない。むしろ他者を蹴落としていく者すら少なくなかった。


田中は既に地上が見えない程の高さまで登っていた。周囲は自分と同じく心身共に頑健な男達ばかりだ。

彼はその事に満足していた。競うのなら同じレベルの者と競いたい。

ここに登るまでに数多の者を蹴り落としてきた。それは彼だけでなく、今周囲にいる者達も同じだった。その程度で脱落する様な軟弱者とは競いたくはない。

道中、まだ登り始めの頃にすぐ隣で足を踏み外し落ちそうになっている男がいた。

男は体に不自由は無さそうであったが、動きが見るからに鈍重で表情もぼんやりとしており、田中は彼を「足りない奴」だと見なしていた。こんな低レベルな者が自分と並ぶと思うと我慢ならず、いずれ蹴り落としてやろうと思っていたのだが、その必要も無かったわけだ。

両手で岩を必死に掴み、自分に助けを求めるその男を、追い討ちをかけるように足払いした。

「お前を助けていたら、俺たちの登り進む時間が無くなるんだよ!」と言って。

その様にして葬った者は多く、田中はそして周囲の者達も罪悪感など微塵も感じてはいない。

むしろ自分達の価値を下げる存在を追い払う当然の行為だと思っている。


ふと隣を見ると、珍しく女がいた。

田中は基本的に女を蔑視しているが、自分達と並ぶに値する能力を持つ女であれば存在を許していた。

しかしその女は動きはモタモタとしており非常に鈍重に思えた。服装や髪型もダサくてセンスが無い。

さらに、手足も顔も傷だらけだった。これは足を踏み外したり、蹴り落とされたりしても落ちる途中でどこかの岩にしがみつきそして再び登り始めるといった事を繰り返している者の特徴であった。

その逞しさは大したものだと認めるが、しかしこんな鈍重でダサい女を自分達と並べるわけにはいかない。早々に蹴り落とさなければと思って隣を見ると、女は消えていた。

なんだ、自分が手を下すまでもなく自ら落ちていったか。

そう思ったその時、ガクンと体が下へ下がる感覚。手足が岩山から離れ、真っ逆さまに落ちる瞬間、田中は岩山にしがみつきながら笑顔で自分を見送る女を見た。さっきまで自分が蹴り落とそうと考えていた、あの女だった。

いつの間にか自分の後方へ回り、服の裾か何かを引っ張ったのだ。


気付くと田中は夥しい死体の上にいた。岩山から落下した者の、そしてこれまで自分が蹴り落としてきた者達の死体の上に。


さっきの女が岩山から用心深く降りてきた。そして田中を見てにっこり笑うとどこかへ去って行った。

あの女は山頂を目指して登っていたのではなかった、自分を引きずり落とすため、ただそれだけのために…しかし何故だ?ひょっとして自分が蹴り落とした者の一人だったのか?


田中は死体がクッションとなった事で一命をとりとめたものの、全身付随となった。

彼は今、同様に岩山から落ちて某かの障害により登れなくなった者や元々心身の不自由さから登れない者の集う施設のベッドにいる。

食事は週に一、二回食べさせてもらえる。オムツは週に一度しか替えてもらえなかった。かろうじて水だけは三日に一度飲ませてもらえた。

床擦れする背中が痛んだ。


この施設で、田中はかつて自分が足払いしたあの鈍重そうな男と会った。

男は岩山から落ちた事で片足が不自由になっていたが、それでも松葉づえを使って動く事ができるため食事は自由に、食べたい時に食べ、飲みたい時に飲み、排泄もトイレで自由にしていた。


あまりに喉の渇いていた田中は施設の職員に懇願した、水を飲ませてくれと。岩山で男が田中に助けを求めた時のように、それは悲痛な懇願だった。

職員はにっこり笑って言った。

「貴方を助けていたら、俺の仕事をする時間が無くなるじゃないですか。」

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