第16話 怖い絵について

1.お品書き:未読歓迎

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 本話は『叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼』関連エッセイです。シリーズを横断してうろちょろしている幽霊が見える公理智樹こうりともきと、不幸の申し子藤友晴希ふじともはるきが呪いの家に入ったり入らなかったりする話です(雑。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330657885458821

 そのつながりで『狂気が詰まった絵画』の話というリクエストを頂いたので、今回は怖い絵です。絵を一枚も張り付けずに絵の説明をするという企画はある意味狂気なのではないか。自分の想定しているターゲット層がよくわからない、まあいいや。本編はとまっていてごめんなさい。


1.恐怖を感じる絵

 自分はあまり絵に恐怖を感じたりはしないんのだが、狂気といってもピンとこないのでとりあえず一般的に恐怖を感じる絵から考えてみよう。

 パッと浮かぶのは禁忌に触れる絵で、例えば無残な死体とか、気持ち悪いものとか、悪魔とかそういうものではないだろうか。

 その系統で一番ピンとくるのは『我が子を食らうサトゥルヌス』かな。スペインの画家ゴヤが描いた、黒い背景に茶色い変なポーズの巨人が頭のない白い子供の腕を齧ってる絵。なんとなく進撃の巨人っぽいな。絵が好きな人だと多分知っている。


 この絵はもともとギリシャ神話がベースで、サトゥルヌスは自分の子供に殺されると思って子どもを全部丸呑みした話なんだけど、もともとの絵はチン〇が起ってたらしい。

 御幣がある書き方だな。ようもともと書かれていたのを上書きして消したわけで、その消された理由についての話だ。

 こういう局部を隠す改変はルネッサンス期以降からままあるもので、バーン! と出てたアレやら尻やら胸やらを後世の画家がせっせと上から葉っぱとか布とかを描き入れて行った。


 何故こんなことをしたかといえば宗教改革だ。

 当時の教会は金が欲しかった。教皇が免罪符を販売してだな、つまり金払って免罪符を買えば罪が許される。それで罪とはそんなもんじゃないと反対したのがルターだ。つまりルターは信じるべきは聖書のみで、ストイックにするべきだ! という主張(それを考えると南無阿弥陀仏と唱えれば極楽にいける浄土真宗は狂気の沙汰だが。)。

 これが宗教改革。

 ちなみにルターを後援した画家にクラナッハがいる。この人の描く女性は極めて非肉感的で肉的な女性の魅力が皆無で一部の界隈では『貧乳の神』と崇められている。ストイックだね。

 そしてルター派やプロテスタント派の動きに対して反宗教改革が起こる。プロテスタントが強くなってきたからカトリック側も身を正し、きちんとやろうという流れができた。聖職売買を禁止したり離婚したイギリスの王様を破門したりと色々アピールを始めた。その流れで教会というものを浄化して行こうとした。この辺はあまり学校で習わないな。

 

 そんな中、トリエント会議が行われる。プロテスタントと仲直りしようという意図もありつつ結構長丁場で行われた会議だが、そこで出たトリエント教令で、聖像について「淫らな興味をそそるものはすべて避け、堕落へと導くような聖像が描かれたり飾られたりすることのないように」することになった。

 そんなわけで色々隠されてしまったのです。教令の通りならキリスト教における聖像じゃなきゃいいのだが、こういうのは拡大解釈やら忖度やらされるもので、ローマ神話のはずのサトゥルヌスの陰部も真っ黒になった。


2.バロック美術

 それでサトゥルヌスだけど、同じテーマを描いた画家にルーベンスがいる。ルーベンスのほうがより写実的で、自分はこっちのサトゥルヌスのほうが好き。

 ルーベンスは物凄くキラキラしい宗教画を描く人で、バロック美術の大家だ。他にはベラスケスやレンブラントが有名か。バロック大好き。この辺は宗教画に権威(迫力)をもたせようとするカトリック側の絵画勢の反撃だ。


 それまで流行していたのはルネッサンス美術で、調和と優美さを融合したような絵だった。ボッティチェリとかダヴィンチとかミケランジェロとか、きれいなやつです。

 これに対してバロックは反宗教改革の影響を受け、重厚感に溢れる敬虔な絵が模索された。なんていうか、信仰にふるえたつ情動?

 具体的に言うと黒が多くて彩度が派手でジャーン!ジャーン!って感じ(語彙。

 バレエ好きな人にはルネッサンスはクラシックでバロックはコンテンポラリーっていうとわかりやすいかもしれない。ともかく劇場っぽい絵が流行った。家に置いとくにはちょっと暑苦しくて心が休まらないが、権威付けにはよい絵だ。


 そういえばルーベンスは『フランダースの犬』でネロが教会に見に行った絵を描いた人だ。フランダースの犬で展示されていたのは『キリスト昇架』と『キリスト降架』のはず。この絵は技量は物凄いんだがキリストがリアルに血を流していて、今の価値観では幼い少年が見るにはちょっとグロい。どうせなら『ヴァリチェッラの聖母』くらいにしとけばいいのに。

 なおルーベンスの絵は結構エロく写実だから、むちむち美人が裸だったりする。


 そろそろ怖い絵に戻ると、ゴヤもルーベンスもサトゥルヌスを書いている。

 よく見ればよりグロいのは写実的でルーベンスの方だが、有名なのも怖いのもゴヤのルーベンスだ。ゴヤのほうが狂気がぱっと見でわかりやすい。

 ルーベンスの絵はパッと見、子どもを食ってるけどなんか理由があるのか聞いてみたらわかるかもしれないと思わせるサトゥルヌスだけど、ゴヤのほうはもう会話が成り立ちそうにないサトゥルヌスだ。そんな空気がある。

 これは2人の画家のバックボーンにも関係するかもしれない。

 ルーベンスはもともとでかい工房を経営しつつ外交官としても活躍して爵位も授かっている。まさに綺羅綺羅しいライフを送っている。一方のゴヤが生きていたスペインはナポレオンが侵略した時期で、制圧したフランス軍は略奪や破壊をくり返し、スペイン人はゲリラ活動をして反抗した。その頃の状況は悲惨で、多くの市民が虐殺された。そんな風景をゴヤは結構描いている。


 とはいえ必ずしも悲惨な生活歴のある狂気的な絵を描くものでもない。

 例えばヒエロニムス・ボスはルネッサンス期の狂気変キャラ画家がいる。明るい絵柄で変な生き物がたくさん殺し合ってる絵を書いていて自分も大好きだけど、この人は確か幸せな人生だった記憶。ピカソもあんな絵を書いてるけど社会的には成功していたはずだ。間違ってたらごめん。

 だから必ずしも人生の幸不幸は絵とは関係ない気もするんだけど、魂にくる狂気を感じる絵を描く画家は悲惨な体験をしてる人が多い気はする。自分の世界観が絵に滲む作品の他人からは理解できない部分が狂気的な絵に感じるのではないか。


 この世界観の作り方は色々あって、ヒエロニムス・ボスみたいなキャッチーでかわいいキャラクターに明るく楽しく人を食わせたりもあるけれど、ある意味精神的なものを絵につっこんだジャンルとしてはシュルレアリスムか。


3.シュルレアリスム

 シュルレアリスムの作品はどこか狂気的に見える。解けた時計の絵を描いたダリが有名だ。シュルレアリスムは厳密にはその手法を指す。だから詩や小説、映画など多岐にわたる概念だ。


 シュルレアリスムはもともと頭の中を描こうという試みで、しかも無意識を抽出しようというものだから、そもそもぶっ飛んでいる。

 もともとはダダイズムという第一次大戦で発生した虚無主義的なもの、人間の理性なんてないという考えからスタートして、それからフロイトが混ざって夢の中から無意識を紐解いていくっていうのがベースだった記憶。


 ブルトンの本『溶ける魚』の序文にある『シュルレアリスム宣言』にシュルレアリスムの定義がされている。

『心の純粋な自動現象であり、この自動現象にしたがって、口述、記述、その他あらゆる手段を用いながら、思考の実際の働きを表現することを目指す。理性によっておこなわれるどんな制御もなく、美学的、道徳的な一切の懸念からも解放された、思考の書き取り』

 これだけじゃよくわからないが、人間の奥底にあるものを思うがままに書き取って、現実を超えた超現実を描くことを求めた。

 それでシュルレアリスムは無意識を描く行為だから、『溶ける魚』は書く内容を決めずに次々に書くという、自分みたいなプロットなしで思いつきでエンドを決める泡沫作家にはなかなか勇気づけられるわけで。


 詩だとバタイユが該当するといわれているけど、正直自分は詩はよくわからない。ダリの映画は『アンダルシアの犬』だが、これはブニュエルとダリが見た夢の内容を撮ったわけのわからない映画と聞くので一度見てみたい。

 ダリは最愛の妻ガラが亡くなると筆を折った。ダリの無意識が光を失ったのかも知れない。光がないと物は見えないからだろうか。

 ダリの絵はなんとなく人に繋がってる気がする。時間の概念とか、空間の概念とか自分の中のものを取り出して描いているような印象だ。『球体のガラテア』とか『幻覚剤的闘牛士』とかなにか無機物的な気がするけど全体的な動きが人間みを感じる。


4.マイナー気味の狂気画家紹介と次回予告

 上に描いたとおり自分にとって怖い絵はただグロいとかじゃなくて世界観がささる絵なわけで、他の人が見ても怖くはないかもしれない。それ以前に絵を貼らずに画家の紹介をすることに狂気を感じる件について。


 ロシアのアントンセミョーノフの絵は、基本モノクロなんだけど人間が滅んだ後の廃墟的な世界で不思議な生き物が淡々と暮らしているっていうイメージだ。世界観の広がりを感じる。ズジスワフ・ベクシンスキーも同じような感じ。

 ベクシンスキーはもうちょっと人っぽい。苦悩とか思考を感じる。ああ、クトゥルフ感があるのかも? 神話感とか壮大な感じというか。

 やはり正直絵を文で表現するのは無理がありすぎるので、もし気になったらgoogle先生にお尋ね下さい。


 まとまりがないのは仕様ー。

 次回は遊郭の話を書きたいのだが、哲学の話で書いたのがあるのでそっちをもってくるかもしれない。更新はいつもどおり遅いです。

 リクエストがあると受け付けますが、納期はよくわかりません。

 ではまた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歴史・神霊・科学・宗教な雑多関連エッセイ Tempp @ぷかぷか @Tempp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ