第7話 新たな一歩


 アンファングの街並みは、典型的な「ファンタジーの街」と言った景観だ。

 木と漆喰で建てられた建物群に、整然と舗装された明るい色調の石畳。街の中央に相当する場所には大きな広場が設けられており、広場のど真ん中には、てっぺんに大時計を冠した大きな石柱が立っているのが特徴だ。

 ゲーム時代、この大広場はプレイヤー同士の交流の場として賑わっていたのだが、それはこちらの世界でも変わらないらしい。夕刻にも関わらず、広場にはたくさんの人々が行き交っており、中には設置されたベンチに座って談笑する人もいれば、広場の隅に敷物と商品を敷き、威勢のいい声で商売に励む商人と思しき人の姿もあった。





「はぁ、疲れた」


 そんな大広場のベンチにどかっと腰を下ろした俺は、背もたれにぐたりと身体を預ける。

 頭上を振り仰いでみれば、空は既に茜の色を通り越し、ゆるやかに夜の帳を下ろし始めていた。


 あの後、三人揃って入門の手続きを受け、無事にアンファングの街に入ることができた俺たちはそのまま、冒険者証の再発行……という再登録を行うため、冒険者ギルドへと足を運んだ。

 書類への記入と犯罪歴の照合、手空きの実力派冒険者を交えたギルド重役たちとの面接試験に、ギルド側の機材を用いた魔力波形の調査という工程を経て、ようやく承認を受けた俺の手には、手のひらサイズの長方形のカード――冒険者の証明証アドベンチャラープレートが握られていた。


 慌ただしい行程と、堅苦しい空気続きで疲れの溜まった体をほぐすように、うんと大きく伸びをする。

 ずいぶんいろいろあったように感じるが、実はまだ目を覚ましてから1日も経過していないのだ。にもかかわらず、ここまで疲れたような気分になっているのは、慣れない環境に気を張り続けたが故なのだろう。




「アステルさーん、お待たせしましたー!」


 そのまましばらくベンチで休んでいると、俺の名を呼ぶ声が耳朶を叩く。

 天を仰いでいた顔を声のした方へ向ければ、こちらに向けて手を振りながら歩いてくる声の主――セレネの姿が視界に入る。隣にはサテラも並び歩いており、二人の手には、俺の手元にあるものと同じ、鉄色のプレートが握られているのが確認できた。


「お帰り、二人とも。その様子だと、無事に発行してもらえたみたいだな」

「ん、問題なし。……アイアンのプレート、懐かしい気分になる」


 サテラの言葉につられて、俺も手元の冒険者証に目を落とす。


 ルクシアの冒険者は、ギルド側によって実力を評価され、いくつかのランクに分類される。

 ランクは下から順番に、〈アイアン〉、〈カッパー〉、〈シルバー〉、〈ゴールド〉、〈ミスリル〉、〈アダマント〉。俺たちのランクは当然ながら、最高位の紫ランク……だったのだが、それを証明するための冒険者証はどこかに消えた後。なので、今の俺たちは三人そろって、冒険者見習いともいえる鉄ランクの地位にある。

 サテラの言う通り、長らくお目にかかることもなかった鉄ランク用の冒険者証は、懐かしくも目新しい存在に見えた。


「確かに、こうしてまたお目にかかると、なんだかちょっと不思議な気分になるな」

「そうですね。なんというか、すっかり忘れてた初心に帰ることができるような気がします」


 セレネの言葉に同意し、しばらく手元の冒険者証を眺めた後、「さて」とその場をまぜっかえす。


「ひとまず、再登録完了お疲れ様。……今日はもう遅いし、冒険者家業は明日から頑張るとするか」

「賛成。面接なんて久しぶりだから、疲れた」

「私もです。今日はゆっくり休んで、明日に備えましょう」


 二人の同意を確認して、俺は身体を沈めていたベンチから腰を上げる。


「さて、問題は今晩の宿だけど……」

「ん。三人でパーティを組み始めた時の宿なら覚えてる。宿代が安くて、よく使ってたお店」

「あぁ、私も覚えてますよ。お店の名前は確か、〈テイクアレスト〉でしたっけ」

「うおぉ、懐かしい名前が……あったなぁ、テイクアレスト」


 宿の名前を聞いて、懐かしい記憶に思わず顔をほころばせる。

 件の宿屋は、エタフロを初めたばかりのプレイヤーが、チュートリアルで必ずお世話になる宿だ。サテラの言う通り、安値で体力LP魔力MPの全回復ができるうえ、同時に食事による若干のバフ効果を受けられることから、アンファングを拠点とするプレイヤー御用達の施設でもあったのだ。

 ゲーム開始当初、フレンドたちと「わかりやすいけど、さすがに直訳で「休憩Take aするrest」ってネーミングは安直すぎるだろ」と笑いあっていたのも、今や懐かしい記憶である。


「よし、じゃあそこにしよう。場所は、俺たちの入ってきた門の近くだったな」

「ん、そう。道に向けて飛び出したベッドの吊り看板があるから、すぐにわかる」

「オーケー。んじゃ、チェックインに行くとするか」

 

 目的地を決めた俺たちは、善は急げとばかりに連れ立ってその場を後にした。







 本日の宿泊先である宿に到着した俺たちは、その足でチェックインを済ませ、宿の個室へと通された。


 落ち着いた色調の木材と漆喰で作られた部屋は、天上からつるされている水晶のような室内照明――「魔力灯」と呼ばれるルクシアではありふれた照明器具が放つ、温かみのある光で照らされている。チェストやベッドなど、宿泊に必要なものは一通りそろっており、豪勢さはないものの、非常に快適そうな空気を醸し出していた。



 いや、実際のところ、この部屋が快適であることには間違いないのだ。


 ただ一つ、たった一つだけ問題点を挙げるとするなら――



「……四人部屋しか空いてなかったのは予想外だった」


 俺の予定では、二部屋を分けて使うことを計画していたのだ。

 にもかかわらず、空き部屋が無かったせいで三人で四人部屋を利用することになったのが、完全な予定外だった……ということだろうか。


「まあまあ。料金はかさんじゃいましたけど、満室じゃなかっただけいいじゃないですか」

「ん。それに、一人少ないからそのぶん広く使える。お得に考えるべき、だと思う」

「いや、まぁ、それはそうなんだけどさ……」


 二人の言う通り、宿泊できたこと自体は運がよかったと言っていいし、予定よりも広々と部屋を使えるのもお得に考えて良い部分だろう。

 だが、問題はそこじゃない。問題なのは、「三人全員が同じ部屋に宿泊すること」そのもの……なのだが、そんなことをいちいち口にして変な空気にするのも、という考えが先立つせいで、俺の口からは歯切れの悪いもごもごとしたうめき声が漏れるだけだった。


 そんな俺の心情を知ってか知らずか、セレネが「さて」と口走る。

 腰かけていたベッドから立ち上がり、うんと一つ伸びをして――






 

 俺の目の前で、何のためらいもなく上着の合わせを開いた。


「っ」


 ぎょっとして硬直する俺には全く気付かない様子で、セレネがするすると上着を脱いでいく。

 下に身に着けていた簡素なブラウスのボタンも緩め、穿いていたサイハイブーツを外し、つややかな白い脚を晒し――


「……アステルさん、どうかしました?」

「へっ?!」


 ふと顔を上げたセレネが、フリーズしている俺を見て、きょとんとした表情を浮かべる。

 その声音があまりにも平常通りだったものだから、問われた俺の方が素っ頓狂な声をあげてしまった。


「い、いや、その。服っ、着替え、てるから……」

「はい、着替えてますよ? だって、いつもの服のまま布団に入って、しわくちゃにしちゃうのも良くないじゃないですか」

「それは、そうなんだけども。いや、言いたいのはそう言うことじゃなくて……」


 ピントのズレた会話の最中、ふと俺の脳裏に、自分で考えた脳内設定の一文が浮かんでくる。


 ――そうだ、確か脳内設定だと「宿に泊まる際のアステルたち三人は、全員同じ部屋に泊まっている」と言う設定があったはずだ。

 パーティを組んだ当初、節約を理由に相部屋していたのだが、旅を続けるうちにいちいち部屋を分けて取るのが面倒になっていき、最終的には特にお題目もないまま相部屋で過ごすのが当たり前になっていった……という脳内設定を妄想していた覚えがある。その内容を現状に照らし合わせるならば、今この場でおかしな挙動をしているのは、セレネではなく俺なのだ。



「……いや、その、ごめん。変なこと言った」


 どうにかそれだけ絞り出して、俺は壁に向かい直す。

 自分の考えた設定で自分の首を絞めることになるとは思いもよらなかったが、当人は特に気にしていないのだ。これ以上取り沙汰して、余計なやけどを負う必要もないだろう。


「セレネ。アステルはたぶん、目の前で異性が着替えてるからびっくりしてただけ、だと思う」


 そう思っていたのに、俺の不審な挙動に目ざとく気づいていたらしいサテラが、端的な解説をさしはさんでくる声が聞こえて来た。


「え? ……あ、あぁー、そういうことでしたか」


 間の抜けた声に次いで、どこか得心したようなセレネの声。先ほどと違い、平坦だった声音が、動揺の色を孕んでいるのが聞いてとれた。


「あはは、ごめんなさい。ついいつもの調子で着替えようとしてました」


 背中越しに、セレネが謝罪する声が聞こえてくる。

 ややうわずってこそいたものの、その声色に俺のことを責めるようなそぶりはない。どちらかといえば、照れ笑いのそれに近いように思えた。


「……着替えを見られたの、怒ってないのか?」


 彼女からしてみれば、ブラウスの下こそ晒していなかったものの、着替えるところを真正面からガン見されていたのだ。普通なら怒られて然るべきだろうところなのに、予想していた叱責の一つも飛んでこないのを不思議に思って、俺は思わずそう聞き返していた。

 

「そんな、怒るものでもないですよ。見知らぬ人に覗かれるならともかく、アステルさんならなんともないです。ね、サテラちゃん?」

「ん。それに、肌なんて何度も見せてる。今更見られて困ることもない」


 あっけらかんとした返事に驚いている間に、後ろからは再び衣擦れの音が聞こえ始める。音の数がひとつ増えているので、おそらくはサテラも一緒に着替えているのだろう。


 ……彼女たちの言う通り、二人が地肌を晒した姿は何度も目にしていた。

 が、中の人からすれば、それはあくまでも「ゲームの中のキャラクターの姿」に対する話である。こうして現実に目の前で脱がれるのとは、まるでわけが違うのだ。


「ふふ、なんだか不思議な感じですね。アステルさんって基本的に何事に対してもアイアンハート! って感じでしたし、そうやって慌ててるの、新鮮な気がします」

「ん、確かに。いつもより人間っぽい感じがする」

「いや、元から人間だからな? 俺だって男なんだし、目の前で女の子が着替えなんてしてたら動揺くらいするからな?」


 のほほんとした調子の二人に、思わず背中越しのツッコミを入れる。


 ……しかし、思い返せば確かに、夢想の中のアステルは「いついかなる時も動じない寡黙な男」として振る舞わせていた記憶がある。

 いくら認識上で同一存在として扱っていたとしても、アステルは中の人の空想から生まれた、いわば理想の体現とも言える存在だ。そこに一般男性おれの魂が実装されている状態なのだから、微妙にキャラが崩壊してしまうのも致し方ないことだろう。


「とにかく、ごめん。これからは気をつけるよ」

「まぁ、お心遣いは嬉しいですけど、私たちは気にしませんよ?」

「右に同じ。……というか、むしろ面白い。もっと、わたしたちであたふたしてほしい」

「身が持たないからやめてくれ……」


 冗談なのか本気なのかわからないサテラの言葉に、思わず壁向きのまま頭を抱える。

 つくづく思うが、脳内設定がこうして現実になると軽い拷問だ。どうせ脳内だけの妄想だとあることないこと書き連ねていた過去の自分を殴りたくなってくるし、これから先、こんな調子で性癖を詰め込んだ存在であるこの二人と一緒に生活していくことを考えると、色んな意味で先行きが不安だった。




「はい、もう大丈夫ですよ。お騒がせしました」


 セレネの声に振り返れば、先ほどまで旅装だった二人の装いが、肌触りの良さそうな部屋着に変わっている。

 セレネはいわゆるシャツワンピ姿で、サテラは足首付近まで丈のある薄いブルーのネグリジェ。どちらも課金コンテンツの一つとして売り出されていた衣装で、当然ながら二人にも非常によく似合っていた。


「こっちこそ、変なこと言ってゴメン。……とりあえず、もう寝ちゃおうか。明日は早いからな」

「ん、賛成。明日からは忙しくなる」

「とりあえず、まずは資金繰りからですね。ため込んだ預金は無いものになっちゃった以上、手持ちのぶんだけだと正直心もとないですし」

「だな。昇格も目指しながら、地道に鉄ランクの依頼に励むとしようか」


 明日からの方針を軽く話し合ってから、部屋の証明を落とす。


「おやすみ、二人とも。明日から、またよろしく」

「はい、こちらこそ。おやすみなさい、アステルさん、サテラちゃん」

「ん。おやすみ」


 暗がりから聞こえる、二人の優しい声音に耳を傾けながら、俺もまた、自分のベッドに横になった。








 ――直後、いつものコート姿だったことを失念していた俺が暗闇の中で着替えていたら、音に気付いたセレネとサテラが照明をつけ直したせいで、ズボンを脱いだ直後のパンツ一丁な姿を見られてしまい、悲鳴を上げてしまったのは、ここだけの話。

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俺得幻想譚〈オレトク・ファンタジア〉~大好きなゲームの世界に転生した俺は、理想の恋人たちと旅をする~ 矢代大介 @connect8428

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