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 当猫はこの星、太陽系第三惑星に派遣された探査植物だ。現在はこの惑星で、猫と呼ばれた動物の姿をしている。

 名前という個別名を持つ者もいるが、当猫はいまだに良い名前を思いついていない。

 当猫は昨日、太陽系第三惑星に派遣された。

 事前調査の通り、どうやら、以前繁栄していた文明と旧支配者である人類は、既に滅亡に至っているらしい。

 これは、当猫の出せる最も大きな光と音を伴って、東京と呼ばれていた生物密集地帯に降り立ってみても、誰も反応を示さなかったことからも証明できた。

 もしこれで、様子を伺っているだけであるとか、当猫の着陸に嫌悪感を示し隠れているだとかであっても、当猫の知ったことではない。だから当猫は流れる音楽は流行曲ではなく、往年の名曲のほうがふさわしいと主張したのだ。

 行幸なのは、これも事前調査通り、この星は我々の生息域と非常に似通った生態系であることだ。

 見渡す限りの緑、推測するに我々の百億年前のご先祖である植物生命体が繁茂している。水没した都市はジメジメしており、私たちの肌に潤いを与えること間違いなし。

 移住先候補として名前が挙がるのも頷ける。

 皆も知っての通り、水と光さえあれば生きていける私たちが抱える最大の難問は、土が必要なことだ。この星はまさにちょうど良い。

「是が非でも、当猫はこの星を侵略しなくてはならない」

 一人での任務は独り言が多くなる。

「まあ、誰が見ているでもない。問題ないだろう」


 そう呟きながら振り向くと、一人の生命体がこちらをじっと見つめていることに気がついた。


 彼がぽっかりと口を開けていたから、当猫は失態に気がついた。

「先ほどの言葉、聞いていたのか」

 そう聞けば、こっくりと彼は頷いた。そして、ぱっと走り出した。時速60km/hは出ているだろう。どうやら彼は人類の生き残りではないらしい。

 当猫は電気ショックを浴びせて、彼を捕獲した。ぴちぴちと跳ねる様子は母星の海にいる魚を思わせる。

 電気ショックを浴びせたにも関わらず無傷の彼は、当猫に向かって声を荒げた。

「俺をどうする気だ」

 当猫は答えない。どうするかはこれから決めるからだ。当猫は触手上にした腕で、彼を調べ始めた。彼は不快感に呻く。

 彼は機械生命体だった。

 当猫は目を見張る。身長も体重も、無人探査でわかっていた人類のデータと同じくらいの大きさの彼は、無機物とほんの少しの有機物でできていた。

 外見は黒髪の整った顔立ちをした男だ。顔や身体には無数の銀色が走っている。これは内部の回路が表出しているためだろう。

 当猫は好奇心のまま回路に触って、内部ストレージへのハッキングを試みた。


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 紫色をしていた空が、地面に接するところから白い光に飲まれていく。昇る朝日を見ながら、右手で飼い猫を撫でる。

 美しい景色だった。温かな存在だった。この光景を見るために、休日でも日の出前に目覚める習慣が出来てしまった。

 右手はじんわりと温かい。左手のコーヒーの方が温度としてはより熱いはずなのに、猫の鼓動を感じる方が熱く、鼓動が高鳴るものだった。

 美しい景色だった。温かな存在だった。

 大好きだった。


「あ“あ“っ!」

 ジジッといけない音がして、触手が焼き切れる。叫んだのは機械生命体の彼だ。彼は目を白黒させながら飛び起きた。

「植物でできた、猫? なんだ、俺に何をした」

 当猫は答えず、こてんと寝転がって見せた。機械生命体はぱちりと瞬きをした。

「何をしている?」

「当猫はこの星の住民が最も愛でたという姿をとっている、どうだ」

「どうだ、とは?」

「愛らしさ。我々に土地を与える気分になる?」

 当猫は愛らしいと計算されるべき角度で、その生命体の前を転げ回る。

 生命体は何かをこらえるような顔をした。

「猫を見るのは初めてだし、そんな媚びられると萎える」

 当猫はすぐさまポーズを解いて、なんとはなしに顔を舐める。

 その様子を、機械生命体はなおも興味深そうに眺めていた。どうやら彼は、当猫たちの狙い通り、この姿がお気に召すらしい。

 彼は何となくの呈を装って問うてきた。

「さっき、土地がどうだかとか言っていたな。お前が空から来たのは、侵略のためなのか」

 当猫は、大銀河協定に従って肯定する。

「侵略に来た。この星の土地が欲しい。代償として科学技術を供給するから、お願い」

 顔を洗って見せた当猫に、彼は頭を掻いた。

「俺に言うなよ」

 そう言うと彼は、当猫の頭をさりげなく撫でた。その手は不思議に暖かく、柔らかく感じる。なかなかの頭を撫でる技量を持っている彼は言う。

「正直、俺らはこの星の土地はどうでもいいと思っているよ」

「この美しい土地を?」

 高層ビル群であった場所は湧き出る地下水と植物に覆われている。隆起した土地には黒々とした土が分厚く積み重なっており、木々がのびやかに背を伸ばしている。

 当猫たちが今いる、高層ビル前のテラスにすら、よく日光を吸った柔らかな砂が覆いかぶさっており、当猫たちにとって、とても過ごしやすい環境となっていた。

「美しかろうと、俺らが必要なのはマザーコンピュータとデータセンタの中にあるインターネットだから」

 つまり彼らは独自の仮想空間で生活しており、最小限以外の土地を必要としていないのだと言う。

「ならばどうしてお前は外にいたの。こんな誰もいない場所で、一人で」

「俺は一人が好きなの。『ウォーキング・デッド・ライク・ウォーク』の150回目の観返しと、『四季の化身』の記念すべき1回目の視聴をするために地上に来たんだ」

 なんでかお前には話しやすいな、そう言いながら彼はなおも当猫の頭を撫でさする。

 どうやらこの個体は、機械生命体のなかでもはぐれ個体らしい。密接な社会を構築しながらも、そこからあえて孤立したいとは、珍しい個体だ。

 いやむしろ、密接な社会だから安心して孤立出来るのだろうか。

 建てた仮説を聞いてみると、機械生命体は否定した。

「危険な地上に出るなんて、正気でやることじゃない」

 地球は現在三種類の支配者がいるのだと、彼は言った。悪魔、ドラゴン、幽霊。それらが地球を三分割して統治しており、ここ、旧アジア圏を支配する悪魔はひどく乱暴なのだと彼は言う。

「君ではなく、悪魔に許可を求めれば、侵略できる?」

「侵略できないかな。悪魔はマザーコンピュータに許可をもらって支配しているらしいし」

「マザーコンピュータが支配の許可を与えているのに、乱暴なの?」

「マザーコンピュータも、許可を与える相手を間違ったと、俺たちだけの秘匿インターネットでしょっちゅう言っているよ」

 当猫は、ギラリと目を輝かせた。

「つまりマザーコンピュータに許可を得れば、この星は当猫たちのものだ!」

 当猫はわささと触手をだして、差し出した。ぎょっとしながらも、機械生命体は恐る恐るそれらを握った。

「協力者第一号、これからよろしくね」

 機械生命体は今度こそ、ぎょっと目を見開いた。

「協力者になった覚えはない。お前、俺の名前も知らないだろう」

「知っているよ。さっきハッキングしたから。須藤アイアースというのだろう」

「何勝手に人のデータストレージにアクセスしている。マナー違反だ」

 じたばたと手をほどこうとするのを、一蹴してみせる。そして、周囲の様子も一周見せてやる。

 周囲では、機械生命体が当猫たちの様子を伺っている。銃器を構えて、こちらに照準を合わせているところを見ると、アイアースほど間抜けではないらしい。

 アイアースは言う。

「なあ、あいつらから見ると俺はどう見える」

「協力者かな。まあ、気にするなよ」

 がっくり項垂れながらも、アイアースは両手を上げた。

「旧アジア圏所属、須藤アイアースだ。貴方がた悪魔軍に逆らう意思はない」

「同じ機械生命体なのに、インターネットを介したコミュニケーションは取らないの?」

 アイアースの、ぴきりと青筋が立った音が聞こえた気がした。機械生命体らしく、回路が切り替わる音が聞こえただけかもしれない。

「旧アジア圏では、悪魔側に就いた機械生命体は、インターネットから遮断される。マザーコンピュータの決定だ」

 当猫の言葉に返事をしたのは、こちらを取り囲む機械生命体たちだった。彼らは問う。

「お前は何しに来た、宇宙人」

 そう問われれば、大銀河協定に沿って当猫は答えるしかない。縋るようなアイアースの視線を振り払う。

「地球を侵略しに。手始めに旧アジア圏のマザーコンピュータに直談判しようと思う」

 返事は銃声で返ってきた。

 当猫はすぐさま身を翻して、アイアースを背後のビルの中に押し込めた。窓ガラスの壊れた箇所はアイアースの悲鳴と共に崩れ、彼を銃弾から守った。

 当猫は、事前に配布されていた認知速度を上げる薬を摂取していたおかげで、アイアースが悲鳴を上げるよりも早く、悪魔側に就いたという機械生命体たちに肉薄することができていた。

 外観からすると、彼らは揃いの服装をしている以外は、悪魔とは関わりのないように見える。触手を伸ばし、三人をまとめてハッキングする。

 当猫は思わず驚いて、動きを止めてしまった。

 ハッキングをした全員が、不可解なプログラミングにもなっていない文字列によって、洗脳されていたからだ。

 理屈を飛ばして結果だけを得る手法は、まさしく、魔法と呼ばれるのにふさわしい。異世界の存在がどのように地球を支配しているのか、理解した当猫は、触手を動かすことを再開する。

 第二撃はその隙をついた十字射撃だった。かわすことはもはや不可能だった。当猫は猫であることを諦めて、本性を現すか悩み、結果、ただ棒立ちすることとなった。

 防いだのは、声もなく放たれた銃撃だった。銃弾は正確無比に敵の銃弾を弾く。

 その後に、軌道を変えられた無数の銃弾を避けるのも、反撃として触手を残る二人に這わせることも、造作もないことだった。

 動くものがいなくなった戦場で、当猫はアイアースに敬礼する。

「助かった。さすが協力者第一号」

「はは、それは良かった。ああ、どうしてこんなことに」

 頭を抱えるアイアースに、当猫は肩に駆け上って丸くなる。

「猫、かわいい。いや、本当にお前は地球を侵略するつもりなのか」

「する。そうしないと、当猫の幼馴染が足りない土地の代わりとして、人工衛星として打ち上げられる」

 アイアースはごくりと喉を鳴らした。

「それはまた冗談みたいに壮大な話だな」

 当猫にとって、冗談でも比喩でもない話だった。

 当猫の住む母星、イプシロン系第四惑星は人口増加が叫ばれて久しい。土地さえあれば際限なく増え続けることの出来る当猫たちにとって、その土地が同胞の幹であれ、問題はないのだ。

「倫理的な問題があるだろう」

「それほど切羽詰まった問題なの」

「お前はそれでいいのか?」

「当猫はその件を一切承認していない」

 アイアースは同情する顔を見せた。

 周囲には機械生命体が活動を停止している。彼らの脳波にあたるものは動いている以上、生きてはいる。いわゆる気絶の状態だ。

 いや、脳波はどこかに接続しているようだ。

「この機械生命体たちは悪魔とつながるネットワークを独自に構築している。きっともう、当猫たちの情報は悪魔たちに伝わっていることだろう」

 慌てたように身を隠そうとするアイアースに、諦めろと声をかける。

「須藤アイアース、どうしたんだ、須藤アイアース」

「個体名を連呼して念押しするなよ」

「そう言っても、さっき自発的に助けてくれたのは君だろう。須藤アイアース」

 アイアースに向かって頭を下げると、彼は目を丸くした。

「どうして君が当猫を助けてくれたのかはわからない。けれど、当猫が幼馴染を助けるために頼れるのは君だけだってことはわかる」

 頼む、と当猫は心から言う。

 頭を下げているから、アイアースの表情はわからない。けれど、体表の温度が上がり、いわゆる赤面している状況だとは感知できた。

「頭、上げろよ」

 アイアースがそう言うには、120秒の時間が必要だった。顔を上げると、澄ました顔のアイアースが自らの毛髪を弄っていた。

「俺がお前を助けたのは、悪魔からのあのひどい支配から逃れられるかもしれないと思ったからだ」

 そういう性格でもなかったはずなのだが、宇宙人と会って考え方が変わったみたいだ。そう彼は苦笑する。

「では」

「侵略、協力するぜ」

 当猫は我ながら、狂喜した。初めての侵略でまさか、こんなに早く協力者を得られるとは思わなかったのだ。例えそれが自らよりもか弱い機械生命体であろうとも、不思議と心強くてたまらなかった。

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③宇宙植物猫 機械生命体と地球侵略旅行 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa

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