湖と狐

高黄森哉


 狐は緑の小鳥を追いかけて、湖のほとりにやって来た。湖の周りの草木は枯れ、地肌を見せている。枝には、水滴が凍り付いている。オレンジの足が地面を踏むたび、ざくざくと、霜が崩れる音がした。


 湖の岸の近くに、小さな東屋があり、だれかが作った、石橋が渡されている。それは、石橋というには、おそまつなもので、単に石が島まで点々としている、と表現した方が、正しいくらいだった。


 鳥は、橋を沿うように飛んだ。

 狐は、石と石の間を跳びながら、鳥を追った。


 狐がついに、六角形の東屋に到着する。その時には、鳥はすでに、どこかに飛び去っていた。狐は、鳥を逃がしたことについて、悔しいとは思わなかった。ただ、鳥はどこに行ったのだろう、と不思議に思った。


 六角形の辺に設けられた、木製の柵。六つの角には、柱があり、屋根を支えている。まあるい外向きのベンチが中央にある。狐は、その周りをグルグルと、回った。しかし、鳥はどこにもいなかった。


 取り探しには飽きてしまい、柵から顔を出して、水面を眺めた。魚はいないかな、亀はどこだろう、自分の顔が映ってる、汚い水だな。湖の水は、濃いオリーブグリーンだった。


 狐は帰る。東屋から出て、石橋を進む。そして、石畳の真ん中で、足が止まった。急に、過去のある苦い思い出が、キリキリと蘇ってきた。狐は、先の見通せない、水面をじっと見つめた。


 狐は、湖に落ちたことが一度だけあった。それは、一年前のこと。丁度、今、来た石橋を渡るとき、うっかり、足を滑らせてしまったのだ。真ん中の石が、ほかより、少しだけ離れた間隔で設置されているせいであった。狐のトラウマだった。


 狐は、この水が透明だったらいいのにな、と思った。透明だったら、この湖の全てが知れるのに。落ちたって怖くないのに。湖に落ちてしまったって、得体のしれない、怖さを感じなくて済むのに。


 そう願ったとき、水面に反射する自分の顔が、急に、狸に変化した。タヌキは、では、叶えてやろう、といった。余りに唐突な出来事に、狐は驚くこともできなかった。


 水はたちまち透明に澄み渡り、底まで、見通せる。狐は多くのことを知った。この湖には、実に魚が多いこと。捨てられた自転車の残骸。または、狐の骨。そして、この湖の深いこと。


 まるで、高いところに、立たされているようだ。水は透明すぎて、ないも同然だった。足がすくんで、狐は動くことが出来なくなった。にっちもさっちもいかなくなった狐は、石橋の真ん中で、うずくまって泣いた。


 泣きながら懇願する。

 池の水を戻してください。

 池の水を元に戻してください。

 しかし、湖の水は元には戻らなかった。

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湖と狐 高黄森哉 @kamikawa2001

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