ある天使の死別

海沈生物

第1話

 寝起きにふわぁとあくびをすると、背中の純白の羽が連動してぴょこぴょこと動いた。そのことに「今日も天使なんだなぁ」ということにホッと息をついていると、枕元にあるスマホからやかましい通知音が聞こえてきた。


 また、あのメンヘラ女からなのか。スマホを手に取って画面を見ると、私は顔をしかめる。


 画面には「444件の通知があります!」とアプリからの通知が来ていた。

程度には私との恋愛に飽きている癖に、毎朝こんなに大量の通知を送ってくる熱量はすごいと思う。とても尊敬する。どうせなら、その熱量を生かして作家にでもなったら良いと思う。もちろん、ただの冗談ジョークだが。


 正直、悪魔と不倫していることを知っているのなら、さっさと私の方から彼女を切ってしまえば良いと思う。しかし、そうであっても私は彼女が好きだ。天界から地上に降り立ってから初めて恋をした人間あいてだから、ということを抜きにしても、だ。


 とりあえず返信をしなければ、機嫌を損ねて面倒なことになるのは間違いない。私はスマホを弄って彼女のトーク画面に行くと、簡単に「あんまりうるさくするのなら、今すぐ捨てるぞ?」と、まるでのような態度で返信してやる。


 いつもなら、ここから


『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『私を捨てないで』


と怒涛の低姿勢ヘラヘラ謝罪モードに入るはずだ。今日もどうせそうするのだろうと思っていた。しかし、今日は珍しく返信が返ってこなかった。それどころか既読も付かなかった。

 妙だなと思って、いつも無視しているトーク画面を読んでみた。どうせ、またくだらない内容を書き連ねているだろう。そう思っていた。だが、今日は違った。私は思わずスマホを投げかけた。

 そこには


『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』

『ポストを見て』


という言葉が永遠に並んでいたのだ。444件の通知は全て、同一の内容だったわけである。

 

 天使である私も、流石に一瞬だけ恐怖した。スクロールをいくらしてもしてもずっと『ポストを見て』しかないのは、さながら現代を舞台とした、B級ホラー映画の演出っぽいなと感じた。冗談ジョークではなく、彼女を作家にするべきなのではないかと思った。

 しかし、これだけ『ポストを見て』と送り付けられると、一体ポストに何があるのか気になってくる。早速自分の部屋を出ると、アパートの入り口にあるポストを覗きに向かった。




 ポストの中には、惰性から数日間放置していた大量の郵便物が入っていた。その中には「ガス会社からの今月のガス料金についての通知」や「天界からの『もっと人間を幸福にしないと、貴方を堕天扱いクビにしますよ』という旨の通知」などがあった。

 どちらも目を背けたい案件である。私はそっと見ないふりをして大量の郵便物の下に隠してしまう。その時、ふと天界からの通知の下に一通の手紙を見つけた。


 その手紙は彼女からのものだった。封を開けてみると、中にはびっしりと文章の書かれた紙が二枚ほど入っていた。ここにあの『ポストを見て』の真意が書かれているのか。一体、どんなメンヘラトークが展開されているのだろう。

 私は一旦郵便物を全て部屋の中に持ち帰ると、早速手紙を読み進めてみることにした。


——————————————————————————————————————

愛する天使さんへ。 


 拝啓、悪魔と不倫をしてごめんなさい。アタシは悪魔の鋭く尖った二本の角に、人間では有り得ない四本の手に、そして単純な顔面の良さに負け、不倫に手を出しました。ちなみに顔面の良さが決め手です。……冗談ジョークだけど。


 話を戻しますが、これからアタシは。アタシは悪魔と「契約」を交わして、不倫をすることにしました。だからのです。ちなみに、その契約内容も一応書き記しておきますが、


【私と不倫をしてほしい!】


というものです。これ以上なくシンプルです。まぁそんな複雑なことを願う必要がなかった、というだけの話なのですが。


 あぁっと。また話がずれてきました。ごめんなさい。大体いつもLINEでやり取りをしているから、なんかこういう紙面上の真面目なやり取りって慣れないんですよね。ごめんなさい。

 えっと、それで、なんだっけ。……あぁ、そうそう。アタシが死ぬって話だったけ。それで、どうしてアタシが死ぬかって話なんだけど……簡単に言えば、天使さんがだから、ってことになるかな。なんか皮肉アイロニっぽく聞こえていたらごめんなさい。


 アタシが天使さんの部屋のお皿を十枚連続で割っても、貴方は「大丈夫」と言ってくれました。高収入のお仕事に付いているので、アタシとデート中に「これ欲しいなー」と言ったら好きなものを買ってくれました。行為中も、まるで私の心を読んでいるかのように「やってほしい!」と思っていたことを全てやってくれました。


 完全無欠の天使さんの愛はまさに「純愛」と呼べるような代物でした。……本当に、天使さんとの日々は楽しかったです。それだけは、真実


 ————でもそれは、あくまでも過去の話です。在りし日の愛の語らいは過去に捨て置かれ、今はただ、永遠の静寂しじまだけがアタシと貴方の間で息をしているのだから。


 長く月日を天使さんと過ごしていく内に、やがて貴方の「純愛」はアタシの心を蝕みはじめました。天使さんのいつも言ってくれる「好き」は段々と重さを失くしていき、やがて空虚な言葉にしか聞こえなくなりました。

 貴方の与えてくれる「純愛」はいつしか、以前のようにアタシを楽しい気持ちにさせてくれなくなりました。ただ、水に触れると波紋が生まれるような。意思のないロボットから「好き」「好き」「好き」と言われるような気持ちになってきたのです。


 もしかすると、貴方が人間であったのなら、また違ったのかもしれません。しかし、貴方は事実として天使です。同じ種族である人間ですら分かり合うことが難しいのですから、天使と人間なんて異種族が分かり合うことなど、やはり無理だったのかもしれません。


 、アタシは悪魔と不倫をしました。突拍子のないことだと貴方は思うかもしれません。ですが、貴方の空虚な「純愛」を受け取れば受け取るほど、アタシの心には中身の入っていない「純愛」という名のケースが溜まっていったのです。

 永遠に溜まっていく「純愛」はやがてアタシに狂気を与え、、アタシは悪魔と不倫をした……というわけです。


 天使さんから見れば、アタシは愚かなやつに見えると思います。愛されている癖に、他の愛に溺れたがるビッチ野郎と思っているかもしれません。メンヘラ女と嘲笑しているかもしれません。もちろん、冗談ジョークですが。


——————————————————————————————————————

 それで話を最初に戻しますが、これから……というよりは、この手紙を書き終えて貴方のアパートのポストに投函し終えた後、悪魔との「契約」に従ってアタシは死にます。おそらく、貴方がこの手紙を読む頃には、アタシはもう死んでいるでしょう。


 この死は、アタシにとってのケジメです。貴方の「純愛」を裏切って、不倫をした愚かな人間であるアタシに対する、ケジメ。


 正直、殺されるのなら天使の貴方に殺されるべきだったなという後悔はあります。ですがもう、悪魔と契約してしまったのですから、仕方がありません。本当にごめんなさい。謝ってどうにかできるものでもないですが、謝っておきます。本当にごめんなさい。


 ……そろそろ書くこともないので、このあたりで筆を置くことにします。それでは、天使さん。どうか、お元気で。敬具。


愚かなる人間より

——————————————————————————————————————


 私は読み終わってすぐ、その手紙をゴミ箱に捨てた。


『彼女が死んだ』


 悪魔と不倫をしたということで、いつかこんな日が来ることは予想していた。しかし、まさかこんなにも唐突に来るとは思ってもみなかった。

 おそらく、今頃彼女は自分の部屋の中で息絶えているのだろう。どうせ近くに住む住人が彼女を見つけることだろうし、わざわざ見つけに行こうという気持ちはない。ただ、私の心には変な感覚があった。


「……今日は本当に、眠いな」


 私はふわぁとあくびをすると、背中の純白の羽をしゅん……と小さくたたんだ。その場に小さく縮こまると、私は自分の顔を膝に埋め、ただ心の奥底から漏れてくる声を押し殺した。


『今はただ、永遠の静寂しじまだけがアタシと貴方の間で息をしているのだから』


 その言葉だけが、虚しく私の心の中で、何度も、何度も、何度も、反響していた。

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