シルビアの憂鬱

 ひとつひとつは小さなミスだった。万全の体制で迎え撃てば、脅威にはなり得ない相手だ。しかし、現実はどうだ。注意力の欠如が、敵の発見を遅らせた。蓄積した疲労が、魔法の発動を滞らせた。焦った挙句、引いた足が木の根にひっかかった。


「くっ、しまっ……!」


 悲鳴のような声が、転んだ少女の喉から漏れる。もう体制を立て直す時間はない。魔物は涎に濡れた口を大きく開き、今にも少女の頭を噛みちぎろうと――。


千の白銀サウルバ睡りの弦ストル深くシン凍てつけフィーネ――【氷河棘矛アイシビル】!」


 氷のように透き通った声が響く。その瞬間、目にも止まらぬ速さで魔物の頭をが貫く。いや、それだけでは終わらない。魔法が当たった箇所から、魔物の体は凍りついていく。そして見る間に、哀れな魔物は一体の氷像へと変わり果てた。


「……ふぅ。なんとか間に合ったようですわね。大丈夫、怪我はない?」


 シルビアは安堵の息をつき、腰を抜かしたままの少女に手を差し出した。少女はその手は取らず、慌てて自分で立ち上がった。


「も、申し訳ありませんシルビア様! とんだ失態です。シルビア様を護る立場のはずの私が、逆にシルビア様に助けて頂くなんて……!」

「いいえ、困った時はお互い様ですわ。貴女が無事で良かった」

「シルビア様……!」


 少女は感激したように目を潤ませる。シルビアは少し周囲を見渡してから、言葉を続けた。


「……ここらで一度休憩にしましょう。貴女の足もちゃんと治療しておいた方がいいわ」



 やはり、今日はなにかがおかしい。

 手近な木の根に腰を下ろしながら、シルビアは今日何度目かの疑問を頭の中に浮かべた。

 シルビアの班はシルビアと3人の少女、あわせて4人の編成になっている。シルビア以外の3人はいずれも有力な貴族家の令嬢だ。特に忠誠心と実力を買われて選抜された3人であり、普段の学校生活でもシルビアの護衛を兼ねて一緒に行動している場面が多い。もっとも、結界のある学校の中ではそこまで大げさな警戒は必要ない。そのため、昼食の時間は遠巻きに行動してもらっていたりする。


「普段はあんなミスをする子じゃないんですけど……」


 他の2人に足を手当てされている少女を横目に見ながら、シルビアは口の中で呟いた。そもそも護衛として選抜された少女たちだ。シルビア程ではないにせよ、本来の実力は極めて高い。そんな彼女がつまらないミスで窮地に陥ったのにも、理由があった。


「……みんな、疲労が溜まっていますわね」


 無理もない、とシルビアは思いながら魔物の氷像を眺める。今日だけで、大型の魔物と出会うのは7回目だった。小型の魔物とのものも含めれば、既に戦闘回数は10を容易に超えている。慣れない森林という環境に加え、これだけの連戦。しかも、どれも命の危険のある戦闘だ。いくら魔法の実力があるといっても、精神的な疲弊は避けられない。そろそろ長目の休憩を取らなければ、と考えた矢先の出来事だった。


 そこまで考えて、シルビアは首を振った。いや、そもそもこんなに魔物と遭遇すること自体がおかしい。アマルジェイル大森林は多くの魔物が生息する地帯ではあるけど、演習に使っている南部地帯はそこまで魔物の数は多くない領域だ。チェックポイントに到達するまでに魔物と遭遇する頻度は、多くても1、2度。事前の課題説明ではそう聞いていた。多少の偏りはあるにしても、シルビアたちの遭遇ペースは明らかに多すぎる。しかも、北に進むほどに魔物との遭遇ペースは上がっているように思える。それだけではない。遭遇した魔物の中には、草食で大人しい種類のものもいた。しかし、そのどれもが迷わずシルビアたちに襲いかかって来た。まるで、この森の魔物が残らず凶暴化しているかのようだ。


 ――その時、突如笛の鳴るような音が響いた。


 ピィィィイイイイイ!


 シルビアたちは素早く立ち上がり、音の発信源と思われるあたりに目を凝らした。


「どこかしら?」

「えーっと……あ、あそこです!」


 少女が指差した先では、上空に向けて光の弾が打ち上がっていた。緊急時用の信号弾だ。あれを打ち上げてしまえば、教師の救助を得られる代わりに、試験に戻ることはできなくなる。


「……また、どこかの班がリタイアしたようね。ここからは少し距離があるけど」

「……手に負えない魔物と遭遇したんでしょう。私たちだけじゃない、みんなも……」


 信号弾が打ち上がるのも、もう何度目だろう。まだ残っている生徒の方が多いが、それでも既にかなりの数の生徒がリタイアしているはずだ。ここまでくれば、もう間違いない。魔物の遭遇頻度が異常に高いのは、シルビアたちだけではない。


「明らかに異常事態ね。森全体に何かが起きている」


 シルビアは内心、歯軋りしたくなる気持ちだった。この異常事態に、教師たちは何をやっているのだろう。生徒たちの安全を考えれば、すぐに実習を中止するべきではないか。それとも、この程度の活性化はよくあることなのだろうか?

 ちらりと仲間たちを横目で見る。あと何度の戦闘なら耐えられるだろう。控えめに言って、シルビアは天才だ。並の魔物なら、必ず一撃で葬り去る自信があった。魔力量は無限ではないが、まだ優に10回以上は全力の魔法を放てる。夜に十分な休息を取れば、自分自身は問題ないだろう。

 しかし、仲間たちの疲労は大きい。護衛を兼ねている彼女たちは、常にシルビアの身辺に大きく注意を割いている。精神的な負担は、見た目以上に大きいはずだ。さっきの戦闘も危なかった。これ以上、無理をするべきではないかもしれない。


「……リタイア、するべきかしら」


 声に出すつもりのなかった呟きが、存外大きく響いた。その呟きに真っ先に反応を示したのは、先ほど転んだ少女だった。


「――だ、だめですそんな! シルビア様がリタイアだなんて!」


 慌てて叫ぶ少女を見て、シルビアは「しまった」と思った。これでは彼女を責めているようだ。そんなつもりは毛頭なかったが、タイミングが悪すぎる。


「落ち着いて、貴女のせいではないけど――」

「いいえ、いいえ! 私のせいでシルビア様がリタイアするなんて、そんなことあってはいけません! 次は絶対、足を引っ張りませんから! ……そうだ、私が負担になるなら、私だけ置いて行って下さい!」

「……そんなこと、出来るはずがないでしょう。とにかく落ち着きなさい」


 シルビアは少女をなだめながら、リタイアのタイミングを逃したことを悟った。本当にリタイアするつもりなら、何も言わずにさっさと信号弾を打ち上げるべきだった。これからリタイアする場合、少女は自分自身を激しく責めたてるだろう。忠実な彼女に、そんな思いはさせたくなかった。


 ――とにかく、進むしかない。


 シルビアが覚悟を決めて顔を上げると、木の上にとまるカラスと眼があった。黒光りする、無機質な眼。それが、じっと彼女の姿を捉えている。あのカラスを見るのも、今日何度目だろう。カラスはなぜか、いつも彼女を見つめていた。まるで、何かが起きるのを待っているかのように。


「……貴方は一体、何を待っているのかしら?」


 シルビアの呟きに答えるかのように、カラスが「カアッ」と短く鳴いた。

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本当は最強のスパイだけどクビになったから普通の魔法学生 数奇ニシロ @sukinishiro

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