楽しい魔物狩り

 地面にわずかに残った足跡を瞬時に見つけるのは、決して簡単なことではない。ある種の特殊技能であり、身につけるには相応の訓練と経験が必要だ。そして、野外活動には必須とされる技能でもあるが、通常は魔法使いに求められる技能ではない。魔法使いが単独で動くことは珍しいし、パーティー単位で動く時には斥候がそういった役割を担うからだ。クロイがこの技能を習得しているのは、スパイという単独で動く任務が多い特殊な立場だったからだ。訓練時代も、任務においても、クロイは過酷な野外活動サバイバルを何度も経験していた。


「足跡は北の方に続いてる。一見消えかかってるけど、この足跡がついてからまだ半日も経ってない。このまま足跡を追っていけば、それほど遠回りしないで魔物を狩れると思うよ」

「ついた時間までわかるのか……待って、じゃあこれが何の足跡かもわかる?」

「パキケファロ・ボアの足跡だね。大きさはそれほど大きくない。成獣したてってところかな。はじめての狩りには丁度いい相手だと思うよ」


 パキケファロ・ボアはボア類の一種であり、アマルジェイル大森林には多く生息している種類だ。一般的な体長は成人の身長と同程度。四足歩行で動く草食の魔物であり、その攻撃方法は単純な突進に限られる。特徴的な体の部位としては頭頂部が挙げられ、ヘルメットのように硬く発達した構造になっている。この硬い頭頂部に攻撃することは推奨されないが、反面大きな衝撃には弱いという特徴も持っている。


「パキケファロ・ボア! うわっ、授業で習ったやつだ!」

「授業は王国内でよく出会う魔物から重点的にやってるみたいだからね。運が良ければ、他の習った魔物も、何種類か出会えるかもよ」

「本当!? わー、楽しみー!」


 はしゃぐエマに微笑みながら、クロイはアヤに確認する。


「じゃあ、とりあえず足跡を追っていく、でいいかな?」

「うむ、それで頼む。魔物狩りか……楽しみだ」


 頷きながら、アヤは好戦的な笑みを浮かべた。



 しばらく歩いていくと、地面についた足跡は徐々にくっきりと、見るからにごく最近ついたものに変化していった。


「……もうだいぶ近いな。2人とも、しっかり周囲を警戒して」

「う、うん!」

「了解」


 何気ない様子で2人に指示を出しながらも、クロイは何か釈然としない気持ちを抱えていた。足跡のつき方、もっと言えば魔物の動き方がどこかおかしいからだ。ためらうようにウロウロと動いたり、あるいは同じ場所を何度もぐるぐると歩いたり。かと思えば、急に走り出していたり、とにかく落ち着きがない。パキケファロ・ボアは非常時以外は温厚で、ゆっくりと動く種族だ。このような落ち着きのない動きは、一般的な動きではない。

 とは言え、魔物にも個体毎の性格差は存在する。たまたまこういう動きをする個体がいるとしても、それほど不思議でもなかった。


「考えすぎか……?」


 クロイが呟いた時、前方の茂みの中から物音がした。草木が揺れる音に続き、ペキっと枝を踏み折る音が響く。


「魔物の側から向かって来たか……2人とも、打ち合わせどおりに」

「はいっ!」

「いつでも!」


 3人が声をかけ合うのと、茂みの中から魔物が姿をあらわしたのは、ほぼ同時だった。ヘルメットを被ったような、特徴的な頭部。足跡を残していた張本人、パキケファロ・ボアだ。


「ウォォオオオオン!」


 クロイ達の姿を視界に収めた瞬間、パキケファロ・ボアが激しく咆哮する。と、思う間に一気に走り出し、その硬い頭部を前方に突き出しつつ猛然と突進を開始する。標的は一番近くに立っていた人間――クロイだ。


「迷いなく突進を選ぶか。どうも攻撃的過ぎるな、この個体は……【土壁ウォーレン】」


 クロイは魔物が突進してくるタイミングに合わせて、的確に魔法を発動した。硬い頭部をいかしたパキケファロ・ボアの突進は強力で、人間がまともに食らえば全身を骨折するような大怪我にもなりかねない。しかし、熟練の魔法使いなら対策はそう難しくない。突進の進路に【土壁】を生成し、頭を激突させてやればいいだけだからだ。

 クロイの狙いどおりに壁に勢いよく激突したパキケファロ・ボアは目を回し、思わずと言った様子でへたり込む。


「2人とも、今だ!」

星の息ルミス目覚めの蕾ジェルメイ届いてミーティオ、【光針ラディクラ】!」

「――黒曜の淵オビシス抉れる犀利ロエージ刺されタブスト、【石刃ストレイド】」


 クロイのななめ後方で待ち構えていたエマとアヤが、すかさず魔法を打ち込む。十分な魔力を込められた光の針と石の刃が、勢いよく魔物の首元に突き刺さる。パキケファロ・ボアは血を流しながら数秒苦しそうに呻いたが、やがて声も出せなくなり、がっくりと倒れ伏した。


「…………たお、した?」

「……ふむ、もう息はないようだ」


 油断なく構えたままのエマの言葉に、剣を抜きながら近寄り、じっくりと獲物の様子をたしかめたアヤが答えた。


「うん、作戦通りにいったね。2人ともおめでとう、無事魔物狩り成功だよ」


 クロイは明るい調子で声をかけた。単に作戦を上手く実行しただけではない。狩りの時には、獲物を確実に仕留めるまで油断してはいけない。2人ともその基本がしっかり出来ていた。クロイは内心、あらためて2人の吸収力の高さに驚いていた。

 そんなクロイの言葉に対する2人の反応は対照的だった。


「……成功? よ、よかった〜、ドキドキした〜……」


 エマは心底ホッとした、というように膝から崩れ落ちた。はじめての戦闘。はじめての魔物狩り。無事に作戦通りに戦えた喜びよりも、今は安堵の感情の方が強かった。


「なるほど、魔法の利便性はすごいな。ここまで簡単に魔物を倒せるとは……」


 対して、アヤは感心したような口調で戦闘を思い返していた。魔物との戦闘ははじめてではない。剣を使った狩りなら、入学前に経験があった。しかし、剣で行う狩りは普通、ここまで一方的な展開にはならない。至近距離で魔物の攻撃をかわし、命がけで攻撃を入れる必要があるからだ。遠距離から一方的に攻撃を撃ち込むだけで終わる魔法での狩りは、新鮮な体験だった。


「……でもこの作戦、クロイの役目だけ危険だし、難易度が高くないか? 少しタイミングが遅れたら、怪我では済まないだろ?」

「慣れてるから大丈夫だよ。リスクの低いやり方は他にもあるけど、パキケファロ・ボア相手ならこれが一番効率がいい」


 アヤの気遣わしげな言葉に、クロイは軽い調子で答えた。もっとも、アヤの指摘は的を射ている。クロイの役割はこの作戦の肝であり、難易度も危険度も高い。【石壁】を出すタイミングが早すぎれば避けられてしまい、遅すぎれば突進をもろに食らう可能性が高い。そのため生成は瞬時に、かつ突進の衝撃に耐えられる強度で行う必要がある。突進のタイミングを測る技量、的確かつ高精度の魔法技術、そして魔物に襲われている状況下でも平常心を保つ精神力が求められる役割だった。


「クロイくん、倒した魔物どうしよう?」

「うーん……」


 エマの問いかけに、クロイは少し考え込む。本来であれば、夕食用に肉をいくらか切り取っていきたいところだ。しかし、少し考えた後、クロイは首を横に振った。


「討伐証明部位だけ切り取って、残りは置いていこう。さっきの魔物の動きが気にかかるし、それに……」


 パキケファロ・ボアは温厚な草食も魔物で、積極的に人を襲うことはほとんどない。追い詰められて突進などの抵抗をすることはあっても、最初からあそこまで攻撃的な個体は見た覚えがなかった。


「……どうやら、一回の戦闘では済まなさそうだ」


 北の方を見やりながら、クロイは少し固い声で続けた。

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