かみさまのレストラン ~お腹いっぱい、ご飯を食べよう!~(短編)
雨傘ヒョウゴ
かみさまのレストラン
とにかく俺は、腹が減っていた。
テーブルの上には千円札が二枚ほど。それを使えばいいものの、どうにも面倒で食べる気にもならなくて、シンクからはぴちょんぴちょんと水が漏れる音が聞こえる。
部屋の中で、一人きりで体育座りをしていた。
学校から帰って学ランのまま、特になんの意味もなくリビングの絨毯の上に正座で座って、きつく拳を握っていた。すごくすごく、腹が減っていた。窓の外からは明るい光が入ってくるのに、俺の周りはひどく薄暗くて、寒々しい。
――母親が死んだ。
つい最近のことだった。事故だった。
家に帰れば母さんがいて、お帰りと言ってくれる。いつものことで、当たり前のことだった。
なのにその声がない。気づくとわけがわからなくて、俺はこうして固まっていた。父さんからもらった金で、さっさと何でも買えばいいのに、わけもわからず嫌でたまらなくって、こうしていつもじっとしていた。
ちくたくと、時計の針が進んでいく。腹がへった。そんなときだ。リビングの絨毯から、幾何学な模様が浮かび上がったのだ。
「えっ、あ、おう!!?」 ぴかぴかしている。なにこれ待って。うそやだちょっと。「いやいやいや!」 するすると周囲の景色が途切れた糸のように消えていく。真っ白な空間に変質していく。
「異世界転移!?」 お約束として知ってはいるけど。知ってはいるんだけど。
「今はまったく、そんな気分になれねぇんだよお!!!」
死ぬほど叫んだ。とにかく腹が減って、減って、仕方がなかったのだ。
***
「こんにちは、はやまよーすけ!」
気がつくと、舌っ足らずな動物が葉介の額をてしてししていた。
「肉球!」 とりあえず、わけもわからず叫んだ。叫ばずにはいられなかった。だって動物が喋っている。クリーム色でふさふさしていて、犬だか猫だかわからない風合いで、くるくるお目々は可愛らしいが、何分喋っていらっしゃる。「その上、なぜ俺の名前を知っている!?」
確実なる異世界に悲鳴を上げた。こっちの感傷もタイミングも、何もかも狙ってはこない。漫画や小説ではお約束だが、リビングで正座をしているところで狙われる男子中学生とはいかがなものだろうか。
「だって私、かみさまだもの」
舌っ足らずなピンクな舌をちらつかせて、犬は語った。でもやっぱり猫かもしれない。
「あなたをこの世界に召喚したわ、はやまよーすけ!」
「おやくそくーーー!!!」
とりあえず滑って転んでみた。けれどもあまり部屋の中が広いわけではなかったので控えめだ。
「こっちのタイミングも何もかも無視して呼びやがって! いいよそんなら思いっきり楽しんでやる! ステータス、オープン!」
お約束である。なのにいつまでたっても視界は変わらず、葉介は葉介のままであった。
「えっ……えっと、なに、してるの?」
犬猫がひいている。
「ステータス、オープン……」
小さく呟いてみたが、周囲にもちろん変化はない。
「……この世界、戦いは?」
「ないよ、そんなの。平和だもん」
「チートは? 俺つえーは?」
「なにそれニホンゴ? 外国語なの? 自動翻訳機能してる?」
あーあー、マイクテステス、床の上におすわりしながら、犬猫はしゃかしゃか器用に両手を動かした。ばかにされとる。あまりの悲しさに葉介は床の上に打ち崩れた。
「じゃあ一体、なんのためにきたっていうんだよおーーー!!!」
わけがわからないよ。
あんなに人が悲しみに打ちひしがれている最中だ。せめて打ち消す何かをおくれと悲鳴を上げずにいられない。そんな中、犬猫もとい神様は、短いもふもふの足をてしてし床の上を移動させて、大きすぎる尻尾をふりふりさせていた。
「そんなの見ればわかるでしょ?」
丸太でできたテーブルの上をするりと跳ねて、神様はちらりとこちらを振り返った。椅子があって、カウンターがあって、その向こうには厨房がある。あとは朱色に塗られた丸っこくて可愛らしいドアが一つ。壁は木目だ。
葉介は、小さな部屋の中に座っていた。
「……定食屋?」
店員も、誰もいないけれども。
「そうそう!」
多分嬉しげに、かみさまはひげをひくつかせた。
「ここはかみさまのレストラン。おいしいって言わなきゃ帰れないお店なのさ!」
なんだそれ、地獄かよ。
***
つまりかみさまの話をまとめてみると、彼はこの店のコックとして召喚されたらしい。料理がきっとおいしいだろうから【日本国民】で、あんまり若すぎるとよくないので【15歳以上】、あとは食いしん坊な腹ペコなら、きっとお料理が上手に違いないという謎の理由で、【一番お腹が減っている人】。そんな3つの条件で絞り込んで、見事に葉介は該当した。なるほど。理解した。んなわけないちょっと待て。
「二つはわかる。二つは。いやそれでもわかんないけど! 日本の料理がおいしいとか偏見だし、外国だってウメーに違いないし! というか関係なく、【一番お腹が減っている人】ってなんだよ! そんなわけないだろ、どんだけ15歳以上の日本国民がいると思っているんだよ!?」
理解に苦しむ。
確かに腹は減っていた。葉介の人生最高に減っていたが、数日断食していたわけでもなく、あくまでも健康的な腹の減りだったはずだ。
「あれかな、肉体的なお腹の減り以外にも、気持ちの問題も含まれるからかな?」
つまりは葉介の腹は、体も気持ちも含めて餓えに餓えまくっていたということだろうか。なにそれやだ恥ずかしい。
かみさまはとってもおいしい料理が食べたかった。この世界にはこの犬猫の舌を唸らせる料理人がいない。それなら一世一代の召喚術をここに使って、おいしい料理を作ってくれる人を呼び寄せようという魂胆らしい。
「だったら、普通に大人の日本で一番料理がうまい人っていう条件で呼び出せばいいじゃんよお!」
こんな普通の男子中学生を呼び出すな。
葉介の叫びに、わかっていないなと犬猫かみさまはふんと彼を鼻で笑った。
「そんなことをしたら、そんな人はただでさえ忙しいのに、きっと大変なことになっちゃうでしょ? できるわけないじゃないの!」
「変なとこで良心的ィ!」
ほんとそれ。
「あくまでも素人さんでお料理が上手な人を呼び出したかったの。私、家庭料理ってものを食べてみたかったから。じゃあさっそく。はやまよーすけくん、きみのテクニックを見せてくれたまえ!」
この冷蔵庫はきみが思う通りのものが出てくるよ! と見覚えがありすぎる、葉介の背丈よりも高い電化製品を、神様は短い足でたしたしさせた。意外とハイテクな異世界である。
「いやできないけど」
「エッ? ドウイウコト?」
なんでちょっとカタコトなんだよと思いつつも返答した。
「いや俺、料理なんてできませんけど」
かみさまはひっくり返った。それから大げさなまでにぴくぴくしていた。そんなにショックだったのか。
「ただの男子中学生ですので。料理なんてしたこともねーですけど」
かみさまピクピク。
***
とかなんとか言っても根性を出せばなんでも作れるはずだよ、さあ、きみがおいしいと思うものを頑張って作って私に食べさせるのだ! と葉介の周囲をくるくる回り続けるかみさまであったが、葉介としてみれば、そちらのリサーチ不足である。こちらとしても付き合う義理もなければ、そもそもそんな気分でもなかった。
葉介は本来なら部屋の真ん中で延々と正座をして、やることと言えば時計の針の音をきくくらいだ。何もしたくなんてなかったのだ。いろんなことを後悔したり、怒ったり、いるはずのない人間を思い出して、ただただ腹を空かせているくらいだった。だからほっといてほしかった。異世界と聞いて、心が躍らないと言えば嘘であったけれど、とにかくタイミングが悪かった。条件にも当てはまらないし、チートもないし。
「ごめんけど、さっさと家に帰してくれないかな」
他をあたってください、とぺこりと葉介は頭を下げた。小さなかみさまの体だ。彼だか彼女だかわからないが、その前に座り込んで、できる限り深々と頭を下げたのだ。なんだかわからない生き物だが、神を名乗るならば、無下にはすべきではないように感じた。さっきは腹を見せてピクピクしていたが。
かみさまは真っ黒い瞳で、曇りのないぴかぴかの綺麗な瞳をしていた。じっと葉介を見上げている。瞳の中がくるくる、ぴかぴかと星が光っているみたいで不思議だった。
「うん、そうだね。わかった」
よかった、理解してくれた。ほっと葉介は息を吐いた。
「でも契約はもう成立しているから、おいしいを聞くまで帰れないよ?」
「いやだから地獄かよ」
っていうか誰からおいしいをきけっつーんだよ。お前かよ。わんちゃんにゃんちゃんは何を食べればおいしーなの。死んだ母親は犬か猫かを飼いたがっていたが、残念ながら葉介の父親がアレルギー持ちであったため、葉介は犬猫を飼った経験がない。葉介の母親は飼えもしないはずなのに、わんちゃんにゃんちゃん様々な種族世界選手権を一人で開催し、一人で解説して一人で盛り上がるほど犬猫好きだった。
「チョコ……ネギ……?」
いつだか母親が語っていたような気がすると記憶の底をひっくり返していたとき、軽やかな音でドアベルが鳴り響いた。驚いて振り返ると、羊が立っていた。
「ひ、ヒフッ……」
驚きのあまり葉介の口から奇妙な音が漏れてしまったが、羊は葉介の顔を見て首を傾げた。それからすぐさまかみさまを見つけて、「あ、かみさま!」嬉しそうな、舌っ足らずな声だ。
羊と言っても二足歩行で、きちんと服まで着ている。ふわふわもふもふなのに、暑くないのだろうかと不思議に思うが、本人? 本羊は特に気にしていない様子で、両手に持つ籠の中にはいっぱいの卵がつまっていた。
「あのねぇ、僕ねぇ、今日は卵を持ってきたよ!」
話し方をきくところ、羊は子供なのかもしれない。だ、誰の……? と彼らの会話を背後で覗き込みながら、葉介は素朴な疑問が溢れたが、羊は卵では生まれないので、普通に鶏のものなのだろうか。というかそこら辺のツッコミは野暮なのだろうか。「お隣のニワさんが、たくさんくれたの」 あんまり聞かない方がいい気がする。
「これでおいしいもの、作ってくれるんでしょ?」 きゃっきゃと羊は嬉しげだった。うんうん、とかみさまは頷いている。嫌な予感がした。「もちろんだよ!」 ヤダヤダ。
「ここは材料持ち込み式、おいしいと言わなきゃ帰れない、『かみさまのレストラン』だからね! このシェフ、よーすけシェフが、きみを存分に満足するご飯を作ってくれるとも!」
聞こえないようにと端っこに逃げていたのに、かみさまが短い前足でてしてし葉介の足を引っ叩いてくる。逃げられない。
「やったぁ!」
なんて羊は言って喜んでるし。無茶振りじゃねーか。
なんて諦めたくて仕方がなかったわけなのだけれども、日本への帰還を諦めるわけにもいかず、葉介はとりあえず見事なまでに褐色のその卵を片手に持った。なんとなく新鮮な気がする。そう思うのは、さきほど『お隣のニワさん』発言があるからだろうか。おそらく産みたて。
料理なんて学校の調理実習がせいぜいで、それも洗い物係に徹していた程度だ。葉介ができることと言えば、卵を割ってかき混ぜることぐらいだ。その他の必要な材料は、葉介が頭の中で念じるだけで冷蔵庫から出てくるらしい。なんと便利か。
とりあえず米を出してみたら生米のくせになんだか腹が減ってきた。なんとなく研いでみて、首を傾げていると羊にやり方を教えてもらった。それから、「土鍋……鍋……で、炊く……??」「そこ、炊飯器があるんじゃない?」羊が指をさしていた。あるんかい。
米を入れて、水を入れて、ピッとしてみた。みんなで体育座りをして早炊き40分。ほかほかご飯のできあがりである。お茶碗によそって、卵を割ってのせてみた。醤油を頭の中で念じて作って、何滴か垂らしてみる。卵かけご飯のできあがり。
こんなものでいいんだろうか。やばいだろうな、と思いつつも、葉介達三人は、いただきますと両手を合わせた。
「おいしい」
羊の言葉である。瞬間、葉介は自宅のリビングに戻っていた。おいしいめっちゃチョロかった。それからというもの、葉介はちょくちょく異世界に召喚されることとなった。
召喚されて、向こうに行っている間は現実の時間は経たないらしい。それはなんともありがたい。そして葉介は毎度召喚される度に、卵かけご飯を作った。お米を炊いて、卵をのせて終了するのなら、なんたる楽ちんな異世界召喚である。
「おいしくない」
「そろそろ飽きたよ」
しかしながら羊とかみさまが反乱した。
「この間は、おいしいって言ってたじゃん!?」
葉介はのけぞって叫んだ。気分的にはブリッジしたい。出したものはおいしく食え。
「いやだって、毎日こればっかりだし」
「フリンツ、お前毎日来るなよ! っていうか俺を毎日喚ぶなよ!?」
前半は羊に、後半はかみさまに向かってである。ちなみに羊の少年は現在8歳で、名前はフリンツというらしい。案外すっきりしたお名前だ。かみさまの名前は秘密らしい。
「もういい、お前らなど肉でもくっとけ!!」
葉介が生み出したのは、牛肉ステーキ、特売20%引き。なぜだか真っ赤なシールがはられたビニールパッケージつきである。この世界が、葉介が願うだけで冷蔵庫から材料を取り出すことができる。あとは焼いて、塩コショウをのせるだけ。みんな大好きお肉だろう。と思うのに、なぜだか唐突に腹が減った。
フライパンにのせると、じゅうじゅうおいしげな音がきこえるのに、葉介の腹はとにかく減って減って仕方がない。やっとフリンツとかみさまのおいしいをもらったときには、腹が減りすぎて少年はそのまま床の上に崩れ落ちた。
「なんだこれ」
目の前がくるくるする。わあわあ、とフリンツとかみさまが、二人一緒に葉介の顔をもふもふする。やわらか。ふわふわ。しかし腹減り。
「そうだ、忘れてた!」
神様がもふもふの尻尾をふって、葉介の上でぴょんぴょん跳ねた。
「きみはなんでも材料を生み出すことができるけど、もちろん無から有はうまれないよ。消費しているのはよーすけのカロリーだから、お値段とかもろもろ含めて、お高いものは、それ相応に大変だよ!」
なんだそれ、早く言え。
「あと、出てきてるのはよーすけの頭の中にあるものだから、わかんないものも出ないからね!」
そっちに戻ったら、ちゃんといっぱいご飯をたべるよーに! というかみさまの声がきこえたのだ。
リビングの上で仰向けに転がって、腹をぐうぐうと鳴らしていると、珍しいことにも父親がいた。目の下にはすっかり深い隈をつくって、葉介を見下ろしながら、しゅるしゅるネクタイをほどいている。
「どうした。眠いのか?」
まさか今まで異世界に言っていた、なんて言えるわけもない。
「いやそういうわけじゃなくて」
最後まで伝える前に、彼の腹が返事をしていた。ぐう。絶妙な気まずさの中で、「飯、くってないのか?」 父親が、テーブルの上の千円札数枚に目を向けている。
「食べそこねた」
自分の分のステーキも出していたのに。何を言っているんだと父親は瞬いたが、言い直すつもりもない。
「たまにはどっか、食べにいくか?」
聞かれた言葉は聞き間違いかと思ったけれども、気づいたら頷いていた。動くことも辛いほどだ。そう思っていたのに、行こうか、と返事をしていた自分に驚いた。腹が減ったけれども、何も食べたくない。ずっとそう思っていたはずなのに。
***
スーパーに行くなんて、一体どれくらいぶりだろう。肉、肉、肉、魚、魚、魚。子供の頃は、母親にくっついて、何を食べたいだの叫んでいた気がする。なのにいつの間にかどうでもよくなっていて、スーパーから帰ってきた母親が、「ほらこのお肉、20%引き! すごいでしょ!」とケタケタ笑う姿を見ているくらいで、それにもそうかいそうかい、といつも適当に返事をしていた。
あの世界では、葉介の頭にあるものしか生み出すことができない。だったら目をこやすべきなのだろうか、とうんうん考えてみた。いつまたあの世界から呼び出しがかかるかわからないから。とりあえず、初心者におすすめときいたホットケーキミックスを買って帰宅している最中、あいかわらずの別名地獄のレストランに呼び出された。片手にはホットケーキミックスを持っていた。まさかの持ち込み可であった。
あいかわらずのかみさまが、「やあ!」と器用に片手を上げて、ぴょこぴょこジャンプ力を見せつけている。それから聞こえたのはドアベルだ。はいはい、お決まりのフリンツだね、と思ってたら増えていた。だいたいフリンツのもふもふの二倍くらいあるおっさん羊がフリンツとともにやってきた。「ハーーーーアーーーー!!!!」 恐ろしすぎて悲鳴が出た。倒れなかったことを褒めてほしい。
「いつもうちのせがれがお世話になっとります。ご挨拶にも伺いませんで申し訳ないと」
そして礼儀正しかった。いえいえ、そんなこちらこそ、ともふもふな握手をしたところで、さらにでかい鶏がやってきた。「ああああーーーーーーいやぁあああああ!!!!」 泣かなかったことを褒めてほしい。
「うちの卵をいつもおいしくいただいているとききまして、ご挨拶に。とってもおいしいでしょう」
つまり彼女はお隣のニワさんである。そんなノリでいいやつなの。
とりあえずでかすぎる鶏コッコとおっさん羊、子羊フリンツに犬猫かみさまと周囲のふわふわの量が多くてたまらなくなってきた。ここはおいしいと言わなければ、帰ることができないレストランなのだ。ニワさんから再度いただいた卵と、ホットケーキミックスとあとはもろもろ、葉介のカロリーから召喚したバターや牛乳を混ぜ合わせて、ふわふわ分厚いホットケーキのできあがりだ。
「これは素敵なsweetsね」と、ニワさんは細すぎる足をくんで、ホットケーキにさくりとフォークをぶっさしていたのだけれど、今なに? なんてった? ちょっと発音良すぎなかった?
「ホットケーキなんて初めてつくった」
パッケージの裏側に作り方なんて書いてるから、案外簡単にできるんだなあ、とぼやいていると、埋もれるくらいに顔をつっこんではぐはぐしていたかみさまが「いやそんなことないでしょ」と口の周りを食べかすだらけにして顔を上げた。
「そんなことはあるって。男子中学生舐めんなよ」
「ホットケーキくらい、日本人なら誰でも一回は作ってるよ」
「おそらくそれは偏見だってば」
***
あいかわらず、葉介はリビングの真ん中で正座をして、時間ばかりがすぎるのを待っている。ちくたく針の音がきこえて、遠い動物達の国にひっぱられる。それからご飯を食べて、いただきます、とおいしかった、という言葉をきいた。たくさんの、今まで何度もきいた言葉だったはずなのに、どこか遠くて不思議だった。
「うちの母さんって、ちょっと変な人だったんだ」
そう言って、かみさまとゆっくり話すことができる程度には、葉介はいろんなことを飲み込んで、噛み砕いて、腹の中で昇華できたのかもしれない。
「変わった人だったの?」
「うんそう。俺の名前、葉山葉介だろ。名付けたのは母さんなんだ。葉介は葉っぱだから、どんどん水をもらって、大きくなりなさいって。そんなら、いつき、とか、大樹、とか。そんな名前にすりゃよかったのに。おかげで俺の小学校のあだ名はヨウヨウだよ。どこのパンダってんだよ」
「か、かわいいと思うけどなあ」
「母さんの名前は陽子だから、そことも合わせたらしいけど、あの人はネーミングセンスってものがなかったんだ」
母さんのことを言い出したら、やまほどある。台所じゃいつも鼻歌を歌っていたのに音痴だったし、ときどきぶっとんだことを言うし、そのくせご飯はうまかった。なのに彼としてみれば、それが当たり前のことだったから、何もいわなかったし、ありがたいとも思わなかった。そういえば、かみさまに言われたとおり、昔一緒にホットケーキを作ったかもしれない。あんまり覚えていないけれど、彼の母は葉介なんかよりずっと上手で、それこそおいしくてたまらなかったような気もする。
「あー……」
天井を見上げた。ここは大きな樹をくり抜いてできたレストランらしい。木目色が優しくて、その分なんだか胸が苦しくなった。
『葉介にとってのお水は、ご飯なんだから、どんどんしっかり食べて大きくならなきゃいけないのよ』
そう言われていたのに。
食べることが億劫で、嫌になった。だからずっと、毎日することもなく部屋の中心で座り込んで、時間がすぎることを待っていた。
「母さんの料理、うまかった。何が一番かな。やっぱりカレーとか、好きだったな。普通とはちょっと違うんだ。でももう作り方もわからない」
きいておけばよかったのに。あんな日が来るなんてわからなかった。わかろうともしなかった。後悔したところで、なんにもならない。
「……どうかな。ちょっとくらい、レシピとか、あるかもよ」
「あるわけないよ。あの人ズボラだったんだから」
「ず、ズボラだったの?」
「めちゃくちゃ抜けてたんだから」
かみさまはずっこけた。けれども、かみさまの言葉が、妙に耳に残って、気づくと葉介は、いつものリビングから立ち上がっていた。少しずつ、少しずつ足を動かす。なんだか怖くて、ときおり思考がぐらついた。胸が苦しくて、体が思い。怖かった。母親のいないキッチンを見ることが、嫌だった。
だからその場所は探さなかった。
案外わかりやすい場所に、それは置かれていた。丸っこい、見覚えのある母親の文字だ。『陽子さん、傑作レシピ集!』と表紙には書かれている。っていうかなんだよ、自分で傑作って。わらっちまうわ。そんな風に、葉介はわずかに口の端を上げながらも、小さなノートをめくっていく。向こうの世界に召喚されたのは、それからすぐあとのことだ。
***
「今日は、カレーを作ってみようと思う」
「かれー?」
「かれー」
「かれーね」
「かれれー」
すでに固定のメンツとかしてしまったフリンツ、フリンツの父親、そしてニワさん、かみさまである。本日の持参品は玉ねぎとじゃがいもと人参で、なんともお誂え向きだった。ちなみにご飯はすでに炊かれている。カレー粉は葉介の冷蔵庫の中から取り出した。あいかわらず出せば腹が減ってくるから、手早く作るに越したことはない。腹が減っても、作らなきゃご飯は出てこないのだ。
「なんだ、えっと、肉にしょうがと、にんにくを揉み込んで、ヨーグルト……」
材料が多い。大丈夫だろうか、とちょっとずつ出していく。スーパーに行ってイメトレを繰り返したおかげか、以前よりも負担が少ない。もやもやしているものを無理やり取り出すと、それだけ腹の減りが早くなるのだ。ちなみに肉はどうするべきか悩んで豚肉にさせていただいた。本来のレシピなら鶏肉だったのだが、きらきらした瞳のニワさんを見て、どうすればいいかわからなかった。
「ケチャップに、ウスターソースに、砂糖に、トマト缶に……? なんだこれ、めちゃくちゃ入ってるな」
母親のレシピは、こっちの世界に行くときにポケットの中に入れていたのだ。すでにカレー粉は投入済みだ。腹をくすぐる匂いがしてたまらない。野菜達は火を通して、一緒にぐつぐつ煮られている。
「最後にバターと牛乳で、味を調節」
少しだけ味見した。なんだかぶるりと体が震えた。
いただきます、と皿を並べて、みんなで向き合って食べてみた。
「なんだか不思議な味だけど、とうちゃん、おいしいよ!」
「これはうまいなあ。何杯でも食べられるぞ」
「とってもdeliciousね! 興奮して羽毛が震えているわ!」
「うんうん。大成功だよ、ね、よーすけ!」
三者三様の反応だった。そんな中だ。葉介はスプーンを口にくわえたまま、ひどく腹の中が温まっていくことを感じた。それから、ぼろりと涙がこぼれた。わけもわからなかった。ぼろぼろこぼれた涙を我慢することもできなくて、「うまい」勝手に言葉が口からこぼれていた。
「すごく、うまい」
たまらなかった。
だから泣きながら少しずつカレーを食べた。うまい、うまい。そんな葉介を、かみさまな真っ黒な瞳をほんの少しだけ細めて見つめていた。よかった。ちゃんと食べてくれた。おいしいって言ってくれた。本当によかった。
***
「葉山陽子、きみはこの世界に選ばれたよ!」
陽子が立っていたのは真っ白な空間だ。両手にはスーパーの袋をひっかけていて、足元はサンダルだ。一人の女性が、呆然とした表情で立っていた。目の前には少年である。小さな体の割には尊大な態度で、「やあやあ、驚いたかな?」両手を後ろに組んで、陽子の周りをぐるぐる回って歩いていた。
「葉山陽子、きみはトラックにひかれて死んでしまったんだよ。覚えているかな? ここは別世界の入り口さ。きみには僕のかわりの、新しいかみさまになってもらいたい」
彼女にとって、目の前の少年が何を言っているのかさっぱりだった。彼女の息子なら、少しくらいの話が通じただろうに、陽子はただの主婦で、その上買い物帰りなのだ。だからとにかく目を見開いて、ぱくぱくと声にならない言葉を口から出した。
そんな陽子の様子を、元かみさまはため息をついた。この世界にやってきたときの自分だってそうだった。仕方がない、と言葉を続ける。
「ほら、換気と同じだよ。いつまでも同じものがとどまっていては、世界が濁ってしまうからね。そのかわりといってはなんだけど、きみにはどんなことも叶う力を与えることができる。もちろん元の世界に戻って生き返るとか、そんなことはだめだけどね。かみさまと言っても、何をするわけでもないから好きなように、まったり生きたらいい」
今まで、様々なかみさまがいた。
「美しくなりたい?」 とにかく、世界中の美を集めて、誰よりも美しくなろうとした神がいた。「強くありたい?」 武力で国を制圧し、その頂点に立とうとした神がいた。「とにかくただただ金が欲しい?」 泉のように湧き上がる金を手にして、この世の贅沢の限りを尽くした神もいた。
「なんでもできる。ただしきみの目的に沿ったもの、一つだけだよ」
と、言いながらも、こんな選択をいきなり突きつけられて、選ぶことなんてできるはずがない。遠い昔のことだけれども、彼だってそうだった。なんだか懐かしくて、少年が瞳を細めたときだ。
「そ」 陽子が震えた。「そ?」 彼は首を傾げた。
「そんなこと、どうだっていいわ!!!!」
めちゃくちゃに激しかった。
「私、死んじゃったのね。そうよね死んじゃったのよね!? どうしましょ、どうしましょ! 今から晩ごはんを作らなきゃいけないのに、食材!? 無事!? あっ、そういう問題じゃない!」
スーパーの袋をガサガサさせて、陽子は暴れた。ジタバタした。少年はぽかんとして陽子を見た。
「うちにはねぇ、育ち盛りの男の子がいるの!」
あまりの迫力に、「はい」と思わず敬語で少年は返事をした。
「旦那もいるけどね、あの人はほら、仕事人間だから! 大人だし、なんとでもなると思うのよ。でも葉介はねぇ。あー、こんなことなら、男の子だからって思わずに料理のイロハを叩き込んでおけばよかったわ! あっ、私が作ったレシピ集、ちゃんと気づいてくれるかしら? 捨てられちゃったらどうしよう! 自信作なのに!」
よくぞまあ、それだけ口が回るものだと元神様は感心した。なんというか、とにかく図太い。新しい神に選ばれただけのことはある。
「とにかく、私の願いは一個だけよ。葉介が、きちんとご飯を食べて、大きくなれるようになること! ただそれだけ!」
あまりの勢いに圧倒されてしまったが、「いやいや」とりあえず元かみさまは首を振った。
「きみはもう死んでるわけだから。その葉介くんに会っちゃいけない。わかるかなこれ」
「だったら、私ってわからないようにしたらいいじゃない! ほら姿でもなんでも変えてとかどうかしら!?」
それならまあ、と顎をこりこりとひっかいて、元かみさまは頷いた。
「それならいいけど。葉介くんをこっちの世界にちょっとだけ喚ぶ程度ならできるし。で、きみの姿はどうする? それこそ絶世の美女にすることもできるけど」
「犬!!!!!」
食い気味の返事だった。お、おう、と元かみさまはちょっとひいた。
「いや待って」 そりゃそうだ。犬なわけない。言い間違いだろう、と彼が頷いたときに彼女は叫んだ。「やっぱり猫!!!!」 間違いではなかった。
「待って、だめ、選べない。犬、やっぱり猫、いやいや犬猫! どうしたら、どうしたらいいの!」
未だに迷い続ける陽子を尻目に、元かみさまはため息をついた。もしかしたら、ちょっと変な人選をしてしまったかもしれない。
こうして見事に元かみさまから、陽子にバトンタッチが行われた。犬だか猫だかわからない姿で彼女は一つの大きな樹をくり抜いて、可愛らしいレストランを作った。いつでも直球な彼女だったから、名前は『かみさまのレストラン』。かみさまと一緒に、みんなでご飯を食べるレストランだ。
彼女のことが母親なんてわかりはしないけれど、彼女の記憶よりも、少しだけ痩せてしまった少年がこちらの世界にやってきたのはすぐのことだ。初めて会ったときは、ほんの少しばかり泣いてしまいそうになったけれど、ぐっとこらえて頑張った。
そんな少年は、今。
***
「おかなへった!」
「へったよへったー!!」
「ちょいまちちょいまち!」
レシピを片手に、こぐま達の猛攻撃をかわしている。
いつの間にやら、レストランはたくさんの動物達がやってくるようになった。大きな動物達も、小さな動物も、みんな同じ切り株に座って、騒いだり、歌ったり、ときにはお行儀よくしている。フリンツは葉介のお手伝いに精を出して、そんな息子の様子を気になった彼のお父さんがちょくちょく顔も出していた。ニワさんは羽根のお手入れに忙しくしながらも、ときおり優雅に扉を開く。
「うーー!! オムライスなんて、作ったことねぇよ!」
「忙しそうにしてるねぇ」
「誰のせいだってんだ、誰の!」
葉介がつくったケチャップライスを専用の小皿でもぐもぐして、むふんと口の周りを汚しながらも、彼女はにんまりと笑った。
「ああおいし」
あいかわらず、犬だか猫だかわからない姿だ。
「うふふ。でもね、よーすけ。いっぱいご飯を作っていっぱいいただきますをして、いっぱいおいしかったをもらったら、きっととてもいいことがあるよ」
ご褒美だってあるかもしれない、と歌うように話すかみさまに、「はいはい」と彼は適当に聞き流した。だってとにかく、こぐま達が必死なのだ。
今日も彼の周りでは、いただきますの声がきこえる。それから、ごちそうさま、おいしかったの声も。
ここはかみさまのレストラン。おいしいをきかないと、帰ることができないお店。お客様も、かみさまも。それからもちろん――――コックの彼も。
どうぞ、レストランにいらっしゃい。
お腹いっぱい、ご飯を食べよう。
かみさまのレストラン ~お腹いっぱい、ご飯を食べよう!~(短編) 雨傘ヒョウゴ @amagasa-hyogo
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