第3話
クリスマス当日——。あの事故からちょうど一年。窓の外ではあの時と同じように雪がしんしんと降り積もる。
私は自力で車椅子に乗って台所へと向かう。台所の下の戸棚からカセットコンロを取り出し、食卓に置く。生憎、台所はバリアフリー化されていないため、カセットコンロを代用するしかない。同じ戸棚にあった鍋も取り出し、水と調味料を浸して我が家秘伝の出汁を作る。燃料となるカセットボンベをセットして、鍋をコンロの上に置き、点火する。具材は冷蔵庫の有り物の中から適当に選び、食べやすいように切って沸騰された鍋の中に入れていく。
「ただいまーって、ママ何してんの⁉」
頭に雪を積もらせた娘が帰宅してきた。台所にいる私を見て目を丸くする。
「何してんのって例年通り、クリスマス限定の鍋作ってるんだけど」
「ダ、ダメだよ。下手に動いて怪我したらどうすんの‼ ベッドで大人しくしといて」
「あれれ~。この前、一人で抱え込まないでって涙目になって𠮟ってきたのはどこの誰でしたっけ~」
「ぐぬぬ……」
「娘ばっかに働かせるわけにはいかないでしょ?」
「ぐぬぬぬぬぬ~」
娘に任せてばかりでは親として失格だ。いくら𠮟られても今回は譲れない。
娘は何か言いたげな表情で歯を食いしばる。そして、手に持っていたある箱を鍋の横に置いた。その箱はやたらとサイズが大きく、クリスマス仕様の装飾が施されている。
「これ、なーに?」
「ホールケーキ」
「ホールケーキ⁉」
我が家にホールケーキを買うようなお金なんて残ってないはず。仏頂面で腕を組む娘の顔を見る。
「ママが事故に遭う前。結構バイト掛け持ちしてたからお金貯まってんの」
「でも元々は自分のために使うもんじゃ……」
「別に気にしないで。ウチが勝手に買ってきただけだから」
私に視線を合わせようとせず、照れ隠しで毛先をクルクルさせる。どうやらこのホールケーキは娘からのクリスマスプレゼントでもあり、初めての親孝行でもあるらしい。
「あっ、当然ウチも食べるから半分残しといてよ」
「はいはーい」
娘にギロッと睨まれるが、母親思いの優しい性格が滲み出ていて全然怖くない。ここ最近、反抗期になり切れていないのがちょっと可愛い。
■■■
食卓には出来上がった鍋と娘がスーパーで買ってきたキチン、箱に入ったホールケーキが並ぶ。
鍋を完成するまでの間、娘がクリスマスの飾り付けをしてくれたおかげで部屋がとても賑やかだ。暫く奥の棚に放置されていたせいか少し埃っぽい感じもするが、気にしない、気にしない!
私は娘と正面で対面する形で座り、ご飯を皿によそう。
「私と二人っきりでクリスマス迎えていいの?」
「は?」
「友達と遊んだ方が楽しくない?」
「何言ってんの?」
「いや、ちょっと気になって……」
去年は事故の件であれだったが、いつもならクリスマスの日は友達と遊びに行ってて家にいないはず。こうやって顔を合わせて食べるのは小学生の時以来、久しぶりだ。
「友達はみんな、彼氏と一緒。それに今年は家で過ごしたい気分だったから」
「えっ、前はママと二人っきりだと寂しいってギャーギャー泣いてたくせに⁉ どういう心境の変化⁉」
「そんな昔のこといちいち掘り下げんな。あの頃とはもう変わったんだよ」
気分を悪くした娘は生意気に舌打ちしてそっぽを向く。それを見て私はクスクスといたずらっぽく笑う。
「早くケーキ食べよ。お腹空いた」
「先にケーキからいっちゃうの? デザートは後でしょ」
「うっさい‼ 今、ケーキからいきたい気分なの‼」
「はいはい。どうぞ」
こうムキになったら、娘は言うことを聞かない。私はやれやれと溜息をつき、箱からホールケーキを出そうとする娘を優しく見守る。
「おお、こうして見ると意外と大きいわね。しかもロウソクとかサンタの人形までついてる」
「特注だからね。けっこう凝ってるみたい」
フルーツがたくさん乗せられた生クリームのホールケーキ。ちゃんとクリスマス仕様でイチゴの周りには豪華な飾り付けが施されている。
「ほら、ロウソクつけるよ」
「えっ、つけるの?」
「つけるに決まってるでしょ?」
娘のことだからロウソクを横に退けて、食べる始めるのかと思った。娘は黙々とケーキにロウソクを立てて、ライターで火を灯す。ご丁寧に箱に入ってあったサンタの人形もケーキの真ん中に置いてあげる。
「——明かり消すね」
一通り、ロウソクに火をつけ終えた。娘はわざわざ電気を消しに行って、部屋を暗くさせる。
「「——」」
電気を消したのは良いものの、二人の会話が途切れる。二人ともロウソクの火を一点に見詰め、こっからどうすればいいのか考えている。
「あの~、そろそろロウソクの火、消さない?」
一分間の沈黙の後、気まずい空気に耐えかねた私は火を消そうと提案する。しかし娘は首を横に振る。そして、意を決したような面持ちで、小さく息を吸い——、
「真っ赤な、お~は~な~の~♪ トナカイさ~んは——♪」
なんとあの娘が歌い始めた。しかも娘が歌うこの曲は昔、私が娘に歌ってあげていた『赤鼻のトナカイ』だ。クリスマスの日に二人は寂しいと泣き叫ぶ娘を宥めるために毎年のように口ずさんでいた我が家の名曲。何年か越しに娘の口からあのメロディーを聴くことになるとは思わなかった。
「いつも、み~ん~な~の♪ わ~ら~い~も~の——♪」
今にも消え入りそうな掠れた歌声。情感溢れる美声とは程遠いが、不思議と心が揺さぶられる。
私も娘に釣られて歌い始める。
「昔のこと、いちいち掘り下げんなって言うくせに、これはズルいよぉ……」
途中で泣きそうになって声を詰まらせる。そんな私を無視して、娘は歌い続ける。やや身をよじりながらも恥を押し殺し、声を絞り出す。心なしかロウソクの火も娘の歌に合わせて踊っているように見える。
「——流石にこの歳でこの歌はきつかったかな」
二番の歌詞まで歌い上げたあと。頬を僅かに赤らめ、恥ずかしそうに白い歯をこぼす。その表情を見た瞬間、私は咄嗟に娘の元まで車椅子を走らせ、彼女の体をギュッと抱き締める。
「ママ、どうしたの⁉ 車椅子から落ちちゃうよ⁉」
「もう落ちてもいい‼」
「ちょっ、ママ⁉」
危うくバランスを崩しそうになるが、娘が慌てて体を支えてくれた。両足が無いせいか、こうやって抱き締めると娘の体が大きく逞しく感じる。
「ママ、一旦離れて。汚い」
娘の服に私の涙と鼻水で汚れてしまう。こんなにも取り乱したのは生まれて初めてだ。娘を産んだ時でさえここまでではなかった。歳を重ねて涙もろくなったかもしれない。
娘に拒否られても抱き締めたまま離さない。
「そう云えば、今年のクリスマスプレゼントまだだったね」
「クリスマスプレゼント——? 去年も一昨年もなかったけど?」
「じゃあ、何年分かのクリスマスプレゼントをここであげちゃいます」
娘はキョトンとした顔でこちらを真っ直ぐ見詰める。頭の上に見えないはずの疑問符が浮かぶ。
「そのままジッとしてて」
「なになになになに⁉」
「こら、ジッとしなさいって言ってるでしょ」
抱き締める力を強め、お互いの息がかかる距離まで顔を近づける。突然のことに娘は動揺し、これ以上接近されないように両手で抵抗するがもう遅い——。
「ふぇっ⁉」
私は娘の頬に優しいキスをお見舞いする。キスされた直後、娘の口から間抜けな声が漏れる。
「形では残せないけど、これで許してくれる?」
「んんんんん~⁉」
「なんかちょっと嬉しそう?」
「別に嬉しくない‼」
娘の顔は湯気が出そうなぐらい熱くなり、真っ赤っ赤に染め上がる。声にならない声を上げ、足をバタバタさせる。
「ああ、恥ずい。チョー恥ずい。死ぬほど恥ずい。もう火消しちゃう」
「きゃっ‼ なんも見えない」
娘がロウソクの火を消したせいで部屋は暗闇に包まれる。暗闇の中では娘の無邪気な笑い声が響く。
「今年のクリスマスは一生忘れない気がする」
「私も絶対に忘れないと思う——」
私は再び娘と抱き合い涙を流して、気が済むまで笑い合った——。
クリスマスは二人きり 石油王 @ryohei0801
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