ルンバ・ルンバ

永里茜

第1話

 ルンバ、インドネシア語でイルカ、という意味らしいのだが、ルンバ、それは踊りの一種であったりルンバ、お掃除ロボットの名前であったりもする。二つ繋げてルンバ・ルンバというのがそのカフェの名前であった。

 店の外の自販機でエプロン姿の男が飲み物を買っているのを横目に、看板を前にして一旦立ち止まる。二つの扉の片方には、「関係者以外の立ち入りを禁ず」とある。もう一方の、"open"という札のある側を開くと、先ほどの男が速足で私を追い越し、カウンターの向う側についた。かれは、

「こちらでまず、お頼みになって会計をお願いします」

 と低く、掠れた声で言った。その声の低さは、愛想がないというわけではなく、むしろ温かみを備えたものだった。ちらりとその人を見やると、頭になにやら民族衣装風の帽子を被せている。カルボナーラと珈琲を頼んだ。

「お席にお持ちしますので、どうぞ」

 と促されて、店内へ足を進める。絞られた照明に、何か金属質の楽器などが用いられたアジアの音楽が流されている。BGMと呼ぶには少し耳に残る。テーブルや椅子の装飾こそ控えめだが、ところどころに配置された壺などが、音楽と相まって独特な雰囲気を醸し出していた。見回して、席を検討する。場所によっては本も読み辛いほどの暗さだ。壁際の、割合明かりがとれるところを選んだ。

直ぐに料理が出された。カルボナーラをぐいとかき混ぜると、むっと湯気が立ち昇ると共に胡椒の香りが曖昧に鼻へ届く。二、三枚のハムが中心に置かれていた。ねち、と卵の粘着質な感覚がフォークへ伝わるのを、スプーンに巻き取れば、盛り付けが傾いて壊れゆく。文化祭の飾りつけを一息に剥がし落としてごみ箱に投げ込む感覚、あるいはもっと遡れば巣の前で待ち構えて蟻を潰してゆく親指の感覚、丁寧に盛られた皿からのひと掬い目はそんな残酷さを楽しむ気分を思い起こした。食べ終えてよりは珈琲を待ちつつ、隣についた赤ん坊連れの四人組の会話が耳に入る。インドネシアに住んでいた頃の苦労話などが出て、ふと店主の帽子がスカルノのそれと同種であるということに思い至った。

そのうちに、反対側の壁際に座っていた中年女性の真向かいへ店主が座った。そういえば店の表に「手相みれます」の看板が有った。かれの声は不思議な音楽に掻き消されてよく聞えないものの、女性の熱心に頷くさまから占いの空気感が漂ってきている。途切れ途切れにひらかれる男性の口から告げられた言葉を漏らすまいとしているかの女の目は大きめに見開かれて、真剣そのものだった。照明が暗いのをこれ幸いと、暫く観察を続ける。やはり男の帽子に注意を引かれた。その毒々しい紫と赤のペイズリー柄は不規則にわだかまりを描き、何とはなしに目が追いかけてしまう。終わりのない螺旋に脳内へ混乱が来され、ぐるぐると回る赤と紫に涼やかな、しかしひたすらに繰り返される楽器の音階が刻まれる。軽い眩暈に貧血の症状を見て取って、眼をつむった。

自然と、ルンバの三文字が私の頭の中を巡り始めた。ル・ンの二文字は踊るように跳ね、バ、の部分で両脚を打ち付けるように着地する。そうしてまたルンが飛び上がり、バで降り、イルカが海上へ高く打ちあがり、飛沫をあげる図がそこへ加わる。ペイズリー柄の渦はばしゃりと跳ねた波紋によく似ている。反復される音階がルンバと結合して、回り続けるプラクシノスコープのように無限につづいて行く。

珈琲の香りに顔をあげると、盆にカップを載せ、訝しげにこちらの様子を伺う店主が目の前に居た。

「少し眠くて、すいません」

 と言うと、かれは

「いえ、」

 と言葉少なに珈琲を置き、次の手相客のところへ再び腰を下ろしに行ってしまった。

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ルンバ・ルンバ 永里茜 @nagomiblue

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