いっこのブイ
ときどき打ち寄せた波がかぶせられてるブイみたいになる。打ち寄せているのは、記憶。主に、自分の振る舞いにまつわる。脳みそを通さずに返して、飛び出させてしまった言葉にときおり後悔することがある。カラーコンタクトについて話していて、茜はアジア人っぽい顔じゃないよね、って言われて、それをどう受け取っていいか戸惑って、でもなんかちょっとにやけていやいや、なんて返した自分のこと。でも結局それを褒め言葉として受け取っているじぶんがその中にいたのが後から透けて見えて。東アジアの女の子の、白人の顔を目指すみたいな化粧の傾向、つまり瞳の色をうすく変えるコンタクトレンズ、白い肌にするために塗り込めるファンデーション、鼻を高く見せるためのシェーディング、そしてそれらを「ハーフ顔に見せるメイクテク♡」なんていう見出しと共に載せているファッション雑誌、そういうのがイヤって話をしていたくせに、アジアっぽくないって言われて喜んでしまうのかい、じぶんよ……。波の上をゆうゆうと漂っていたいのに。
あるいは例えば、友だちの劇団の、楽屋の中の雰囲気とか、何かを成したっていうことを、凄く感じるようなのを見て、ひりつくような焦燥感が背中からあがってくる感覚、私がやってることを私が好きなんだっていう確信が持てるのか、ただ同じ土俵であることは辞めたくない、置いていかれたくない、少しずつじぶんは進んでいるって、言えるのだろうか、結局、他人と比べてしまうじぶんを止めようとして、それでもこぼれ落ちて満足に浸りそうになる、「ああいう連中よりはまし」「あんなことにかまけてるあの子よりまし」違う、違う、そういうのを考えるじぶんで居たいわけじゃない、それでも何か拠り所がほしい、安心が欲しい。じぶんが進めているんだって自分で思うのが凄くむずかしい。
友だちが持っている世界をよそ、って出来ないで、自分はこうでいいって認めるのが凄く難しくて、言葉を操って自分の生活について喋って、自分を固めていく。友だちは素直にいう、「すごいじゃん、ちゃんとやってるじゃん」そんなんじゃない、そんなすごいわけじゃない、先に広がっている、行き止まりが見えない大地に、どんなレールをひいていくのか、自分はそれが見えてるみたいに喋るけど、自分のなかのじぶんは不安そうにゆれている。