終幕


 妻である美希が逝去してから、上田は月一での墓参りが習慣となっていた。それはもう二年以上続けている事で、今日も真っ昼間から霊園にいるのはそのためだ。


 平日の昼間となると、流石に人気は少なく、時折視界に入る人影は全て定年退職以降の年代だ。


 「………………………そう考えると俺がいかにもアレな人種に思えるな」


 昨日ゴールデンタイムに放送していた、働かないおじさんとか言ういかにも直球勝負な良識派番組の影響だろうか。


 確かに定職に就いていないが、就く必要がないだけで、勤労意欲が鷹の爪ほどもない職業ニートと同義にされても困る。


 二週間前の強盗騒ぎの報奨金は、ことのほか大きかった。前職の分の退職金だけで、後数年は何もしなくても遊んで暮らせる分はあったが、それの倍近くをたった二発の弾丸で稼いでしまったものだから、誰になんと言われようと上田はしばらく働かないつもりだ。


 「………………やっぱ勤労意欲無いのかもな。俺」


 両手をコートのポケットに突っ込みつつ、上田は独りごちる。慣れた道を少しゆっくり歩く。多分、しばらく訪れる事はないだろう、と思ったからだ。


 理由は一つ。全て、片が付いたからだ。


 何かが具体的に変わった訳ではない。平凡な日常に埋没していれば、それが激変する事はないし、言ってしまえば恒久極まりない。


 今の上田の生活もそうだ。


 まるで器械体操のように日常を繰り返し、酒浸り、眠りに落ちる。


 しかしながら生活とは裏腹に、精神的に変わった自分がいる。憑き物が落ちた、と言うほど単純な構造はしていないが、それでも少し楽になった。


 失って気づくものもある。上田の場合それは妻の美希であり、おそらくは彼女との日常だった。


 今彼女は自分の隣にはいないが、その理由を作った輩に仕返しは出来た。


 詰まるところ、自分は捌け口が欲しかっただけだ。鬱積した感情をぶちまけるための状況を望んでいただけだ。


 それが見つからなかったから、そして何も出来なかったと言う引け目があったから毎月のように妻の墓前を訪れ、何をするでもなく、ただ無言の逢瀬を重ねた。


 しかし、自分の過去に一応の決着は着いた。


 だからこそ、墓参りの頻度は減る事だろう。あくまで過去は過去でしかなく、それに拘泥し、縛られ続けるのはごめんだ。


「………………………」


 上田は一度だけ妻の墓前を振り返ると、すぐに前に向き直って歩き始めた。


 もう二度と、振り返ることなく。




 ●




 そんな風に感傷に浸ったまま上田が自分のマンションに着くと、急転直下の状況に陥った。


 自分の部屋のドアが開いている。更には養生シートなどが出入り口に引っ付いており、いかにもな引っ越し屋業者が出入りしていた。


「………おいおいおいおい!」


 流石の上田も慌てて、近くで作業していた業者に詰め寄った。


「おいこら一体何の真似だこりゃっ!?」

「は?何のって、引っ越しですが………」


 駄目だ。下っ端に聞いても要領を得ない。こっちは何で自分の家で頼んでもいない引っ越しをしているのか聞いているのだ。


「埒が開かねぇ!責任者は何処だっ!?」

「あ、カズヤ。やっと帰ってきた」


 と、気軽な声が聞こえてきたのは、開けっ放しにされている入り口の方から。その何処か聞き覚えのある声音に、上田は硬直し、こめかみを引きつらせた。


 おそるおそる振り返ってみれば、二週間前に出会った少女の姿。綾音だ。しかし今日は学生服でもなく、私服姿で更には左腕に三角巾を蒔いて首から提げていた。


「………………………おいガキ。こりゃ一体何の騒ぎだ?」


 取りあえず言いたい事は諸々あるが、一番聞きたいのはこの状況だ。しかし綾音は小首を傾げ。


「見て分からない?引っ越しよ引っ越し。私の、ね」


 さも当然のように宣った。


「だから何で俺ん家で引っ越し作業してるんだって聞いてるんだっ!」

「決まってるじゃない。今日からこの家に厄介なるから。ちゃんとご近所さんにもタオル配っておいたのよ?」


 そんな事聞いちゃいない。と言うか駄目だ。話がかみ合わない。一体何がどうなってる、と思い、この少女の管理責任者の名前を思い出す。腐れ縁の悪親友だ。


 上田はすぐさま携帯電話を取り出すと、リダイアルをプッシュ。耳に当て、コール音を数回。


『おや、どうした和………』

「どうしたもこうしたもあるか一体何だこの状況っ!?」


 相手が電話に出た瞬間、上田は大音声で喚いた。


『ああ、ひょっとして綾音ちゃんそっちに行ったかい?見たまんまだよ。しばらく君と暮らして貰う』

「貰うって………俺はそんな事を承認した覚えは無いぞっ!?」

『覚えは無くても、だよ。そもそも、彼女の左腕の怪我、君のせいでしょ?』

「う………」


 言われ、上田は言葉を詰まらせた。綾音の左腕の怪我は、上田の狙撃によって出来た銃創だ。弾丸は二の腕を突き抜け、綺麗に真っ二つに断ち割った。


『利き腕を作戦中だけとは言え相棒に壊されたんだ。彼女の腕が完治するまでの間、責任は取らないとね?』

「………………俺に厄介ごとを押しつけてないか?」


 何だか相村の声音が少し苛立っている様に思え、そんな事を言ってみる。だが、あちらはため息混じりで。


『だったら代って欲しいよ。綾音ちゃんが仕事できないお陰で、隣町の連続通り魔事件、僕が担当する事になっちゃったんだから。今だってその張り込み中』


 隣町の事件なら、中署とは管轄が違うと思うのだが、色々とあるのだろう、と上田は納得する事にする。しかし納得いかない事がまだある。


「だが何で俺なんだ。利き腕の自由がきかないなら入院でも何でもすりゃいいじゃねーか」

『事件事件でろくに学校に通えてないんだ、綾音ちゃん。単位がやばいんだよ』


 お前が気にする事じゃない、と上田は思ったが口には出さない。電話越しの相村の声音が妙に殺気立っている。理由は知らないがからかったりするのは危険のように感じた。


『何もかも出来ないって訳じゃないけど、自炊はままならないみたいだから、君に任せる。大丈夫、居候って言ったって、二ヶ月かそこらだから。どうせ暇でしょ?』

「だからって子守しろってのはどうだよ?」

『ああもう五月蠅い………って、ごめん、ちょっとこっちで動きあったから切るね!』

「おい風人っ!?」


 ぽろりと本音を漏らした後、いきなり慌ただしく通話が途切れた。何度かかけ直してみるが、時既に遅し、電源を落としているようだった。


「状況は飲み込んだ?」


 すると、綾音がどこか楽しそうに話しかけてくる。それに対して上田は舌打ち一つ。


「飲み込めるか。おいガキ。お前家は………」

「これを機に、引き払ってきましたー。もう、次の入居者が入ってる頃じゃないかな?」

「最悪だ………」


 家があるなら路頭に迷う事はないだろうと思い、突き放そうと思ったが、宿無しときた。本当に引き払ったかどうかの真偽は定かではないが、それを確かめる術もない。


「まぁまぁ、ほんの二ヶ月ぐらいよ?楽しくやりましょ」

「お前な。俺の近所づきあいをどうする気だ。この年で女子高生と同居って、普通に考えてまずいだろうが」

「ん?ああ、一応、カズヤの妹で、怪我して通学の不便を理由に下宿させて貰ってますって言っておいたから」


 なんてこった、と上田はため息をついた。ここまで用意周到だと、逆に引くに引けなくなって来る。都心にしては珍しく、このこの一帯、特にこのビルの近所づきあいは強い。


 基本、お人好しの集まりで形成されているため、そんなエピソードを聞かされた日には、何かと世話を焼こうとするだろう。


 すると、ご近所さんと顔を合わせるたびに妹さんは元気だとか色々聞かれる訳だ。その時に、妹役の綾音がいないと色々不都合が出てくる。


「………お前、まさか狙ってやったんじゃねーだろーな」

「いやー、ここの人たち、みんないい人だね」


 いや、きっと間違いなく狙ってやったに違いない。この女狐め、と悪態をついていると、不意に綾音が視線を外にやって、こんな事を聞いてきた。


「ねぇ。何であの時、犯人殺さなかったの?仇なんでしょ?奥さんの」

「………………………」


 それに対して、上田は無言。あの最後の狙撃。綾音の腕を貫いた弾丸は、確かに犯人にまで届いた。だが致命傷には至らず、肺に到達はしたが、一命を取り留めている。


 土屋康生は、まだ生きている。


 今は重体患者で、警察病院のベッドの上だが、完治すればそのまま逮捕の運びとなるだろう。


 何故殺さなかったのか。いや、違う。きっとそんなに深い意味はない。


 だから上田は綾音の頭に手を乗せて。


「風で狙いが外れただけだ。俺は天才だが、だからってあんな神業狙撃が二度も成功できる訳がねぇ。あいつは運が良かったんだ」


 そう言って、彼は玄関へ向かう。


「ほら、早くしろ。部屋は余ってるから、そこに家具置いてやる」


 背を向けたまま上田そう告げて、ため息をつく。胸中で、たまには騒がしいのも悪くはないか、と思いながら。

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禊の弾丸 86式中年 @86sikicyuunen

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