第24話 現代への帰還(最終話)

翌朝、俊介は別れの挨拶をすると頼み事を一つ加えた。


「それでは私たちは坂東へ戻ります。二度と忘れぬ旅となりました。皆さんもいつまでもお元気で!熊井にお願いがあるのだが、最初に出遭った場所まで送ってくれないか?」


「お安い御用だ!お前たちに矢を向けた場所だからな。俺も酒でも撒いて清めて来る!」


 熊井が白い歯を見せて笑うと長久も笑顔で言い添えた。


「また逢いたいものだが、俺は疾風が完成したら唐に渡り、父上の後を継いで交易の旅に出ることにした!いずれ、お前たちの暮らす坂東にも行くからな!」


「この先、日本と唐との行き来は益々盛んになるだろう。私は日本と唐との交易に力を注ごうと思っている。そのためには妻と娘を連れてしばらくは長安で準備をするつもりだ。俊介!お前たちは唐との交易をする考えはないのか?」


 長辰は俊介の眼をじっと見つめた。


「坂東に帰ってから決めます!貴方方のことは一生忘れません!」


 俊介が毅然とした口調で口走ると、都真子や傑も時代を隔てた長久たちとは二度と逢うことのない寂しさに心が鉄のように冷たく剛くなるのを感じた。


「お元気で!」


 快斗や慎太も切ない気持ちを胸の奥で回転させながら何度も後ろを振り返って別れを惜しんだ。


 熊井が森に入って行くと懐かしさがこぼれて来る。


「あの時、必死になって逃げた風景だわね」


 ついでに森の匂いも都真子の鼻を刺す。


「此処だ!俺の放った矢はもう見当たらないな!誰かが持って行ったのだろう……あれから三年も経ったのだからな」


 熊井は辺りに酒を撒くと合掌し目を閉じ俊介たちの旅路の無事を祈った。


「達者でな!」


別れの挨拶はやればやるほど心をへし折る。


 熊井はやがてもと来た道へと姿を消した。


「俺たちを此処へ運んだ杉はどれだ……何か木に印は残っていないのかな?それにしても、あれから三年も経ったのかよ……まるで浦島太郎だな。と言うことは、現代に戻ったら三年も歳を取っちまっているのか?」


 快斗が困惑して目尻を歪めると傑が冷静な言葉で諭す。


「そうではないが……遣唐使の出発前に此処へ舞い降りたのだからそれが七百一年、今は七百四年だからやっぱり三年は経っている。だが心配するな!俺たちからしてみればたったの二十日間ほどの出来事だ。それがタイムトラベルってものだ」


「おい!何か落ちているぞ!」


 慎太の背丈ほどの杉の根元から木片を摘まんだ。


「あっ!それって快斗が食べていたアイスの当たり棒よ!」


 記憶力のいい都真子は、快斗が口に加えていつまでも舐めていたのをしっかり覚えている。


「それじゃ、この杉に間違いない!三年前より育っている……」


「当たり前だろ!」


「TS1で探ればあの杉だったのかはすぐに判るよ!」


 俊介はTS1の黒い羽根を杉に取り付けると、電源は入れたままで実行スイッチを押さずにいる。


「この杉のタイムロードが映る筈だ!モニターを見よう!」


 皆、唾を飲み込んで食い入るような視線をモニターに釘付けにした。


すると、杉のざらついた木肌が映るやいなや映像が波のように歪み始め、轟音とともに旋風が巻き起こったのが分かる。


「この旋風の流れ込む道筋がタイムロードだ!」


旋風は大音響を上げたまま上昇すると、映像は天空から見た地上に切り替わったが、すぐさま、地上の一点目掛けて急下降を始めると画面は真っ白に変わったまま動かなくなった。


「白い世界……意識が薄れる直前、この白い世界に包まれた記憶がある。この先が現代に違いない!」


「俺も白い壁が現れたのを覚えている!帰れそうか?」


 慎太が顔の皮を振動させながら期待と不安を眼から滲ませる。


「大丈夫よ!きっと帰れるわ!」


 都真子が不安の濃霧を吹き飛ばすように吠えた。


「皆、離れるなよ!実行スイッチを押すからな!」


 皆の緊張が頭蓋骨を突き抜けた時、俊介はTS1のスイッチを強く指で押し込んだ。


 空間はすぐに歪み始めた。


「あの時と全く同じだ!身体が浮き始めた……奈良の土地が空から見える……今は何もない緑の平地だ……」


急降下も始まった。


「杉をめがけている!やっぱり白い世界が……」


 俊介が隣に浮かぶ都真子に喚きかけるやいなや、その意識が遠のくのを感じた。


「おいっ!君たち、こんなところで寝て貰っちゃ困る!」


 慎太は耳奥に日本語が飛び込んだ拍子に瞼を開けると、目の前には宮司の衣装を身に纏い黒縁の眼鏡をかけた男が、腕時計を嵌めた手首の先に箒を握って立っている姿が映る。


「箒……しかも現代風……眼鏡、腕時計……と言うと、現代しかない……戻った!現代だ!」


「現代?当り前じゃないか!」


 慎太は喜びで目尻を急角度で下げたまま首を振り回すと、俊介たちが転がっているのに気が付いた。


「おいっ!起きろ!やったぞ!現代に戻ったぞ!」


 皆、慎太の馬鹿でかい声で正気に返った。


「本当に、現代?……春日の御神木……」


 半信半疑の都真子はすくっと立ち上がると、目の前に立つ宮司に尋ねた。


「すいません!今日は何年の何月何日ですか?」


「君たち、頭は大丈夫?正月が明けたばかりだと言うのに日付も分からないの?今日は2024年の1月3日だよ!」


「本当だわ!良かった!あの日に戻ったのよ!」


 傑は脳中の霧がまだ靄を掛けている。


「此処は春日大社ですか?」


「いい加減にして下さいよ!新春の春日大社ですよ!」


宮司は何度も尋ねられ呆れ返っている。


「春日大社だって!」


 慎太よりさらに大声を辺りに響かせたのは快斗だ。


「大声を出すのは止めて下さい!他の参拝者の迷惑ですよ」


 俊介が首を左右に回すと大勢の参拝客が馬鹿げた目つきで五人の姿を覗き込んでいる。


「新年会か何かで酔っ払っているのかしら、嫌ね……それに何よ、あの恰好は……」


「早く、ここを出よう!ご迷惑かけました!」


 いちばん意識が鮮明な慎太が皆の腕を持ち上げた。


「ところで、貴方たちが来ているその着物……ちょっと変わっていますね……」


 都真子は自らの両袖から足元まで眺め、さらに他の全員まで長辰に貰った和服を着ているのを目にして顔を赤らめた。


「これは正月用の晴れ着で……でも寒いわね……早く着替えましょう!お金はあったかしら……」


皆、バッグをまさぐって財布とスマホを取り出すと、傑が感心して口を尖らせた。


「いやっ、戦争に巻き込まれたり滝壺に飛び込んだりしたのに、よく無くさないで持って帰って来たものだ……もしあの時代に落として拾われたら、歴史を狂わせてしまうから大変なことになったな」


「傑の指摘はその通りだ。タイムトラベルには歴史を変えてしまう怖さがあるからな……」


俊介も背筋を冷やしたが、その以上に奈良時代の着物姿で歩くのをじろじろ見られるのは閉口だ。


「あそこに衣料店がある!」


目ざとい快斗が発見すると、全員で飛び込みダウンとジーンズに着替えた。


「やっと現代に帰って来た実感が湧いたな!着る物ってこんなに大事だと思わなかったよ……ところで腹が減らないか……和食と中華はいいから洋食を食べようよ」


 ホッとしたのも束の間、食欲の餌食になっている慎太と快斗は早速、イタリアンレストランを見つけて暖簾を潜り、ビールやピザやパスタなどを注文した。


「この味が現実だ!あれは夢だったのかな?」


 ビールで乾杯したあと慎太が不思議そうな顔をしてビールの泡を舐める。


「皆で同じ夢を見たわけ?それはないでしょう……」


 都真子が舌で否定すると俊介がバッグを引き寄せた。


「夢じゃないさ!那の津で貰ったもの……覚えているか?」


 俊介はそろりと小刀と香炉を取り出してテーブルに置くと、一瞬、時間が止まり快斗の鼻の穴から言葉と息が漏れた。


「これは……やっぱり夢じゃなかった……」


「皆、本当に済まない!俺の所為で皆を危ない目に遭わせてしまった。心から謝る!本当に申し訳なかった!」


 俊介は項垂れるように頭を下げると傑がパスタを飲み込んだ。


「歴史学者の俺にとっては最高の体験だったよ。実際に過去を見たのだからな。だが、原因はTS1の機能だろ……凄い機械を発明したものだな。いったい、この先、この機械をどう使うつもりだ?」


「俺も刺激的な経験が出来て面白かったぞ!なあ、慎太!」


「ああ、こんな経験はしたくたってできないからな」


「まあ、皆、俊介をフォローしちゃって男の友情ね」


「じゃ、都真子は俊介に損害賠償でも取るのか?」


「もちろんよ、しばらくは食事でも奢ってもらうわよ」


「そりゃ、そうだな……あれだけ危ない目に遭わせたわけだから、そのぐらいはして貰わないとな。俺もそうしよう」


 快斗が掌を返したように口を伸ばす。


「お前ね、さっきと言っていることが違うだろう」


 慎太が割り込むと俊介は皆の言葉で救われた気持ちになった。


「そう言って貰うと気持ちが軽くなる。分かった、任せとけ!此処の食事代も俺が持つから……だが、傑の言ったことは肝に銘じないといけない。TS1は危険性を孕んでいる。いやっ、TS1と言うより、この偶然のタイムトラベルは樹木の持つ不思議な力が起こした現象だ。樹木が時間を超えて繋がっている証拠を見つけたということで、TS1がその力を引き出したに過ぎないのだ」


「確かにそうだ!TS1じゃない、樹木の未知なる力だ!おいっ、次は未来に行くか?」


 好奇心の強い傑が目を輝かせる。


「もうタイムトラベルは懲り懲りよ!さあ、今夜の泊りは奈良ホテルよ。お風呂にゆっくり入りたいわ。でも時間があるからどこか見学してから行きましょう!」


「風呂か……いいね、俺も入りたい!」


快斗は都真子の案に飛び付くと、皆、揃って入浴に気持ちが向いて、とうとう早めに宿に入ることを決めて店の外へ出た。


傑は高尚なTS1の理論が、入浴と言う現実問題に負けた気がして俊介に話しかける。


「こうした姿を見せたら……きっと長久に笑われそうだ」


「そんなことはないさ。現実ほど強いものはないからな」


 俊介はそう言ってふと顔を上げると、そこには奈良時代で見た青空と全く同じ青空が広がっているのを目にした。


すると、過去と現在……そして未来、まるで電車に乗って隣の座席に移るくらい近い……そう感じる自分を不思議に思うのだった。


 

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ネンリンデカⅢ長安からの帰還 東 風天 あずまふーてん @tachan65

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