第4話 化身

 4月22日

 海斗は馬頭の魔法により現世に戻ってきた。 

 死んだ夏子は柳婆に変身し、五霞の人間を次々コロナに感染させた。

 古書『奇談類抄』によると、かつて常陸国鹿島(現・茨城県鉾田市)に樹齢千年以上の柳の木があり、これが美女に姿を変えて人を惑わしたり、あるときには老婆に姿を変え、道を行き来する人々に声をかけたという。このように柳の古木が怪異を成すことは日本のみならず、中国の書物にも記載が多くみられる。


 柳の木と老い、病気、死が関連しているという俗信は日本各地にみられ、加えて柳の枝の枝垂れる様子が女性のイメージがあることから、妖怪研究家・多田克己はこれらの要因が、柳の霊が老婆姿だという伝承を生み出したと見ている。


 また『絵本百物語』では『盧全茶話』『契情買談』といった書からそれぞれ「金陵の絮柳は人を招く」「島原の柳は客を化かす」と引用し、これらに油断してはならないと戒めているが、妖怪探訪家・村上健司によれば、これらは実際の柳の怪異のみならず、水商売の女性に気を許すなとの意味も込めたものとされる。


 4月23日

 工学博士の芳川は妖怪と戦うためのロボットを開発した。基地は行幸湖のすぐ近くにある。

 ギガタロスと名付けられたロボは最先端の人工知能を搭載していた。タルタロスとギガを組み合わせた。タルタロス(古希: Τάρταρος)は、ギリシア神話における奈落の神であり、奈落そのものとされる。 冥界の最奥にあることから牢獄として扱われた。 タルタロスで罰せられるシーシュポス。 後ろで見張っているのは冥界の女王ペルセポネー。

 ギガは国際単位系 におけるSI接頭語の1つで、基礎となる単位の10⁹倍の量であることを示す。 国際単位系 の制定時にSI接頭語として定められたもので、古代ギリシア語で「巨人」を意味する γίγας に由来する。

 戦闘中に誤作動を起こしたことが原因で、ギガタロスは行幸湖に放置されることになったが、海斗に発見された。海斗の手で再起動されたギガタロスは彼をパートナーだと認識した。ギガタロスとの交流を深めていくうちに、海斗は自分に自信を抱けるようになった。

 やがて、海斗はギガタロスを疾駆させ波動砲で柳婆を倒した。

 

 4月25日

 その頃、ギガタロスが起動したことを嗅ぎつけた軍の科学者たちは、血眼になってギガタロスを壊滅するための策を練っていた。芳川は正義の博士などではなく、派遣切りや消費税増税などを行う日本を潰すためにギガタロスを創り上げたのだ。

 妖怪との戦闘は想定外だった。

 

 元太郎は怪物から死体に戻った母の亡骸を抱きしめ、涙を流した。その涙は血で真っ赤だった。


 利根川に頻繁に目撃されている巨大な生物がいた。多数の目撃証言とビデオが存在する。目撃証言によると体長3m程度の生物で背中にコブがあり、ギザギザのある小さな突起が付いていて、頭はサッカーボールのようであると言う。海斗は基地でビデオを芳川と見ていた。写っている生物は左右に身をくねらせて泳ぐ12mくらいの生物である。

「コイツを倒すには君の力が不可欠だ」

 トネッシーと名付けられた怪物が26日の夕方、利根川からその巨体を現す。トネッシーは工場街を蹂躙、出動した自衛隊を、口から吐く4000度の高熱線で焼き尽くして退け、利根川の底に潜伏する。

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 トネッシーは瞬く間に人々の話題をさらい、トネッシーを特集した『インベーダーだべ』は大ヒットする。

 

 エネルギーを求めてトネッシーは原子力発電所や水力発電所を破壊しつつ巨大化したうえ、巨大な火の玉となって空を飛び回り、エネルギーを吸収できる場所を求め続ける。

 

 一方、物質イナハノモナンソがすべてのエネルギー吸収と放射線を遮断することを突き止めた芳川たちは、イナハノモナンソが火星の岩石に豊富に含まれることも知り、火星に急行する。命からがら地球に帰還するが、芳川博士が建設した濃縮ウラン原子炉の核燃料を求め、宇宙基地にトネッシーが出現する。破壊の爆風に巻き込まれた助っ人の最上風磨が研究室のタンクに足を挟まれる窮地のなか、なおも基地に近づこうとするトネッシーに対し、芳川と海斗は核燃料で基地外に誘導する作戦に打って出る。

 10年前の事故で初恋の相手、パピヨン(帰国子女)を失い世を捨て芳川は「ロボットが人類のために活躍する未来を創る」というパピヨンとの約束を守るため、海斗とギガタロスに乗り込んでトネッシーと対峙する。統合幕僚長の卜部健はトネッシーの前に立ち塞がった巨大ロボットがギガタロスだと気づき、操縦席にいる恩師の芳川に連絡を取って必死に制止するが、既に覚悟を決めた芳川は家族を連れて避難するよう卜部に告げて通信を切った。

 卜部率いるタスクフォースは、トネッシー撃退の為に機械化歩兵部隊と磯子菜々緒大佐率いる、戦車隊、更には別部隊の攻撃ヘリを五霞町へと向かわせる。南栗橋駅前でトネッシーと防衛隊の攻防戦が繰り広げられる中、事態はトネッシーを止めようとする亡霊の和央たちや、取材に走るTVクルーなどを巻き込みながら、観測ヘリが撃墜された事によるロケット砲の無茶苦茶な長距離支援射撃によって混迷の度合いを極めていく。

 そして、夜が近づく頃ギガタロスは波動砲でトネッシーを倒した。これにより元太郎も成仏した。

 

 ※イナハノモナンソを逆から読んでみろ。


 一難去ってまた一難、ダイダラボッチとなった和央が五霞町を襲撃し、桜子たちを乗せた護送車を破壊した。

 ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人。類似の名称が数多く存在するが、以下では便宜的にダイダラボッチと呼称する。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある。)。

 茨城県水戸市大足おおたらは、土地の西南にあった山のおかげで村は一日の半分は日陰になり、日が早く暮れてしまい困っていた。そこでダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウと呼称)は村人のために山をどけてあげた。しかし、山をどけた跡の土地がえぐれてしまい、雨が溜まるようになったので、川をつくり沼底をさらって水が流れるようにした。どけた山は水戸市・笠間市・東茨城郡城里町に跨がる朝房山、作った川と沼は桜川、千波湖である。「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石像が創られている。

 西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。

 陸軍の執拗な爆雷攻撃もダイダラボッチのその強靭な表皮には無力だったため、芳川博士の開発した特殊火薬の使用が提言されるが、芳川自身は効果に懐疑的な見解を示す。


 ダイダラボッチはついに茨城空港へ上陸し、その侵攻を阻止すべく自衛隊も空港に布陣して総攻撃に出る中、ようやく特殊火薬が到着する。風磨がトラックを利用した爆破攻撃を仕掛けるが、芳川の懸念通りダイダラボッチの表皮には通用しない。しかし、海斗が照明弾内に時限装置付きの特殊火薬を仕込む作戦を提案する。これが功を奏し、照明弾を2発飲み込んだダイダラボッチは体内から爆破され、死亡する。こうしてダイダラボッチの脅威は去ったものの、同時に人類はその存在の謎を解明する手段を永久に失ったのだった。

 

 ラスボスは夜刀神やとのかみは、『常陸国風土記』に登場する日本の神(蛇神)である。

『常陸風土記』の行方郡段に見え、行方郡の郡家の周辺の原野に群棲する蛇体で頭に角を生やした神で、その姿を見た者は一族もろとも滅んでしまうと伝えられていた。継体天皇の時代に箭括氏やはずのうじ麻多智またちが郡家の西の谷の葦原を新田として開墾するに際し、妨害する夜刀神を打殺したりして山へ駆逐し、人の地(田)と神の地(山)を明確に区分するためにその境界である堀に「標のつえ」を立て、以後祟りのないように社を創建して神として崇めることを誓い、自ら神の祝として仕えるようになったといい、麻多智の子孫(箭括氏)によって『風土記』編纂の時代まで代々祀ってきたという。


 また、孝徳天皇の時代に行方郡を建郡した壬生連みぶのむやじ麿まろが、夜刀神の棲む谷の池に堤を築こうとすると、池の辺の椎の樹上に夜刀神が集まり、いつまで経ってもそこを去らなかったという事件が起こったが、麿が大声で「民政のための修築であり、王化でもあるが、それに従わないのはどのような神祇か」と叫び、築堤工事で使役していた人々に「憚り怖れることなく、全て打ち殺せ」と命令したために逃げ去ったといい、周囲に椎の木があり、泉が湧いていたのでその池を「椎井(しひゐ)の池」と名付けたという。

 

 夜刀神は永久の闇を五霞町にプレゼントした。

 風磨は最近、民俗学に凝っていた。今まで読んだ書物なども参考にして推理した。

 まず、麻多智とは、在地の豪族で、族長的人物であった。そして、自ら先頭に立ち開墾し、勇敢に自然と戦うが、自然=神に対する畏れを始め、民衆と同様の日常的生活感を持つ、共同体族長的、英雄的な「開発」を行った。


 逆に麿は、茨城国造で、大化改新後に行方郡を立てた人物であり、国造でありながら冠位を与えられ、下級官人となった人物で、律令制下の郡司がイメージできる。そして特徴は、律令国家形成期の郡司級官人の指導により多数の役民を動員し、儒教的合理思想によって、土着の神も教化の対象とする、公権力利用の律令的な「開発」を行った点が挙げられる。


 また、麻多智の開墾地は、谷の入り口付近の葦原であり、特別の用水施設も存在しなかった。当時の技術では水抜き施設は作らなかったため、ここでの開発とは、谷の落口の中洲などを利用し、葦原の一部を区切った湿田であったと考えられる。そして、湿田は季節により、また大雨により水没する危険があったため、当時の人々は自然に対する畏れと同居する形で開墾を進めたのであり、夜刀神を祀ったのもこれが理由であった。


 対して麿の開墾は、堤を築き池を作るという治水事業を伴っている。また、この工程には多くの人手も必要であったが、それは律令的(税や顧役)要素を持った「役民」が補っている。作られた池の具体的な機能は不明だが、その池が安定的な耕地を生み出すためのものであり、池が造成されて初めて、谷の奥まで開田することができたのであった。 

 

 夜刀神はギガタロスの波動砲を前にして破れ、五霞町に平穏が戻ってきたのだった。

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五霞殺人事件 鷹山トシキ @1982

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