幕間②

ゆっくりと目を開ける。

目に映ってきたのは知らない天井。

質を見るに木、ひび割れた樹皮に覆われた小部屋に少女は寝ていた。

床には柔らかい葉っぱが敷き詰められていて、少女はゆっくりと起き上がる。

周りを見渡す。

どうやら、ここは木のウロの中らしい。

大きな木の樹洞の中に、誰かが部屋を作ったのだろう。

近くには、手作りの木イス、人形や小物置きが据えられていた。


「気がついたか」


鈴の鳴る様な軽やかな声に少女は振り返る。

すると、そこにいたのは。


「…よ、うせい?」


人ではなかった。

腰まで伸びた長い、絹糸の様な金髪。

横に伸びた耳の先は軽く尖っていた。

髪色と同じ色の眉と涼やか翡翠色の瞳。

通った鼻だちに、薄桃色の唇からは白い真珠の様な歯がのぞいている。

首から下は白い帯を包んだ衣服を見に纏い、背中からは半透明の蜜蜂の様な羽が畳まれた状態で生えていた。

足には何も履いていない。

だが、そこには傷一つない白魚の様な肌が見えた。

妖精は少女に向かって歩いてくると、目の前にしゃがみ込み、しげしげと見つめてくる。


「体はどうだ?」

「え?」

「覚えていないのか?お前は死にかけていたんだぞ?腕は明後日の方向に曲がっていたし、出血もかなりの量だったんだ」

「………あ」


少女は妖精に言われて気づく。

自身の体の状態に。

あの時、目の前の人外が言う様に、自分は死ぬはずだった。

見上げるほどに高い高い絶壁から宙に投げ出され、そのまま何かに捕まる事も出来ず、固い地面に叩きつけられた。

痛みを通り越し、その感覚すら感じ取れず、ただただ死を待つだけの孤独な存在となったはずだった。

少女は自分の体を首を降って体をひねって確認する。

そして、驚愕した。

今の自分には傷一つ付いていない。

崖から落ちた怪我は元より、逃げる際に擦り切れた手首、足首の傷まで無くなっていた。


「…傷が無い」

「痛みは?あるか?」


妖精の問いに少女は首を左右に振り、否定する。


「そうか…なら、良かった」

「あの…あなたは?」


少女の壮健に穏やかに微笑んだ妖精。

少女はあなたは誰かと質問する。


「誰って、妖精だよ。見るのは始めてか?」

「は、はい」

「まあ、それは当然か。私も滅多に人間になんて会わないからな」

「ここは、どこ…何ですか?」

「ここは、私達の故郷。妖精の住む森さ」


人間どもは帰らずの森などと呼んでいるそうだがなと言いつつ、妖精は少女の横に座る。

サラサラとした髪がその動きに合わせ、靡く。


「森…」

「おまえは?」

「へ?」

「どこから来たんだ?名前は?」


妖精の翡翠の眼差しで見つめられ、少女はしどろもどろになりながら答える。


「わ、私はビオラ。東方の…アララトという村の、農夫の娘です」

「なぜここに?」

「…逃げてきたんです」

「逃げてきた?」

「………村が襲われたんです。盗賊に」


少女は俯いて答える。

手は服を握りしめていた。


「村でいつもの様に仕事をして、夜になって寝ようとしていた所を、武器を持った男達がやって来て……お父さんとお母さんは殺されました。残った私は腕を縛られて、奴らの用意した馬車に連れて行かれました。同じ様な人が馬車の中には何人もいました」

「…」


少女の話を妖精は黙って聞く。


「連れていかれ、何日も馬車に揺られる中で、奴隷は辺境の村の出身の者達が多いと聞いた事を思い出しました。聞いた時はあまり関心が無かったんですけど、自分が当事者になって分かりました。こうやって奴隷は生まれるんだって…」


「私は、何とか逃げ出そうと必死に足掻きました。何か手段がないかと探しました。そしたら、たまたま腰の袋に入れていた小さな裁縫用の鋏を見つけて、それで縄を切って、みんなを助けようとしたんですけど見つかってしまって、そこからは必死に逃げて…それで、あの崖から」

「………そうか、分かった。もういい」


小刻みに震える少女の肩に手を置いて、妖精はもう無理に話さなくていいと静止する。

しかし、少女は経緯を口に出す中で自身が味わった恐怖を、絶望を………罪悪感を、止める事が出来ずに吐き出してしまう。


「怖かったんです。お父さんもお母さんも目の前で殺されて、自分もいつ殺されるかわかんなくって、奴隷になって売られたらきっと酷い目に合わされる。そう思ったらもう、今すぐに逃げ出したくて…………鋏で縄を切って時、みんなが私をじっと見ていました。助かるとそう思ってみていました。でも、奴らに見つかって、私は…逃げるだけで…何も……何も………」


少女の握りしめた拳に涙がポタポタと落ちた。

妖精は少女の頭をそっと撫でる。

少女の嗚咽がウロの中に響いた。




「ぐすっ…すみません。泣いちゃって…」

「大丈夫だ、気にするな。ちょっとは落ち着いたか?」

「はい。泣いて少し、スッキリしました」

「そうか」


数十分ほど泣いてからようやく泣き止んだ少女は鼻を啜り、目を擦る。

少女は妖精を見上げると聞きそびれていた事を聞いていく。


「あの…」

「ん?」

「私の傷って、もしかしてあなたが?」

「ああ、そうだぞ。私が治した」

「やっぱり…………ありがとうございます」

「礼なんていい。ただの気まぐれだ」


ぶっきらぼうに言う妖精に少女は薄く笑う。

そう言ってはいるもののこちらを宥めてくれた時の手は、妖精の優しさの確かな証明で、それは少女に信頼を持たせるのであった。

そんな少女の様子に一瞬、怪訝そうな顔をした妖精だったが、すぐに元に戻り、他の話題を振ってきた。


「悲しくて、つらい話はもういいだろう。そういった話をしているとさらに辛くなるだけだ。それよりも、もっと楽しい話を聞かせてくれ」

「楽しい話…ですか?」

「ああ」

「でも、私、面白い事なんて…大した経験が」

「なんでもいい。話してくれ。私は外の話が聞きたいんだ」

「外?」


少女が首を傾げる。


「私は生まれてこの方、この森から出た事はない。だから、外の世界の事は何も知らないんだ。だから…知りたいんだ。どんな景色が広がっているのか。どんな者達が生きているのかを」


ウロの外に目を向けて、妖精は寂しそうに言う。

そんな妖精を少女は不憫に思った。


「出られないんですか?」

「無理だ。ここを離れる訳にはいかない」

「どうして?」

「…創造主の言葉を忘れたのか?」

「主の?……あ」


妖精の言葉に少女はハッとする。

古い古い御伽話。

人がまだ一介の獣だった神話の世界。

その世界において獣はある罪を犯した。

創造主に禁忌と指定されたその行いによって獣は人となり、この世界の覇者となった。

妖精は創造主によって生み出され、人の咎を断じ、ある物を守護する役目を持つ。

つまり、妖精がいると言う事は即ち…


「こ、ここにあるんですか?人の始まり、この世の始祖たる生め」

「しーっ…」


妖精は少女の唇に人差し指を押し当て、静止させる。

それ以上は聞くな。

そう言っているように。


「お前は何も知らないただの人間だ。だが、お前がそれを私に問いただせば、私もお前をこの場に生かしておく事が出来なくなる。お前の事は他の仲間達には内緒にしてあるが……皆に知らせなければならなくなる」


妖精は人差し指を離す。


「せっかく助けたんだ。無駄にしてくれるな」

「……はい」


少女は頷く。

それをみた妖精はなら…と話の筋を元に戻す。


「聞かせてくれ。外の世界を」

「はい」


少女は腕を組んで少し悩み、そこから辿々しくではあるが話し始めた。


「えっと、そしたら…まずは私が住んでいた村についてなんですが……」

「ふむ」


少女の話を妖精が真っ直ぐに聞く。

ウロの輪っかでリスが木の実を齧り、その様子をみていた。



数日後、少女と妖精は森の外に向かって歩いていた。

いつまでもここに少女はいられない。

他の妖精達に見つかってしまう。

そうすればせっかく助かった命も無駄になるだろう。

それ故に少女と妖精は森の中を見つからない様に隠れ、進み、森の外の付近まで来ていた。

少女の背中には木の実が沢山入った麻袋が背負われている。


「ありがとう妖精さん。食糧まで用意してもらって」

「気にするな。話を聞かせてもらった礼だ。ついでにこれも持っていけ」


妖精は少女にある物を手渡す。

それは薄く半透明の輝きを放つ羽衣だった。


「これは?」

「私の羽を加工して作った衣だ。人間達の中では蒐集家?とかいう連中がいるんだろう?そいつらに売りつければ、それなりの価値になるだろうさ」

「そんな、そこまでしてもらうわけには」

「いいんだ。言ったろう?礼だと。ならありがたく受け取っておけ」


そう言って妖精は少女に衣を押し付けた。

少女は袋の中に、衣を入れると頭を下げた。


「本当にありがとう、妖精さん。この御恩は絶対、忘れません」

「ふっ…さぁ、行きな。もう、盗賊なんかに捕まるなよ?」


妖精の言葉に少女はもう一度頭を下げると、歩き出した。

妖精が遠くなっていく背を少し、寂しそうに見つめる。

妖精は踵を返し、森の中に帰ろうとした。

だが、その時、後ろから声がかかった。


「妖精さん!」


妖精が振り返る。

そこでは少女が手を振っていた。


「いつか!必ず!生きて、恩返しに来ますから!」


少女は笑う。

妖精は驚いた顔をして固まった。

そして、妖精は手を振り終わり、再び歩き出す少女の背を視界から消えるまで見つめていた。














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灰色のラナンキュラス ひらぞー @mannennhirazou

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