~番外編~

another story 汝が名を口にせよ

「レグルス」

 返事をすることなく、呼ばれた本人はフッと少女を振り返った。少女、ミレアはこちらを向いてはいない。呼ぶために名を口にされた訳でないことはほぼ確信していたので、彼はそのまま元の位置に顔を戻した。

「レグルス」

ミレアはこうして、無意味にも思われる単語を飽くことなく繰り返すことがある。一度、あまりにも名を繰り返すのでなんだと問うと、呼んでみただけだと返された。彼女にとって、これは一度聞いたことを忘れないための確認行為なのである。

「レグルス」

「なんだ?」

 声の表情が変わった。今度は彼女は明確な意思で以てレグルスのことを呼んでいた。だから、レグルスもそれに応える。

「誰が、付けた?」

「?」

「貴方の、名前。レグルスって」

 どうやらミレアは名付け親のことを尋ねているらしい。力を抜いた手足を揃えてぽてりと座り、微妙に首を傾げてこちらを見上げている。彼女の質問に答えるべく、レグルスは古い記憶を掘り返そうと試みた。

「考えたのは父で、決めたのは母と言うのが正確だろうか」

「?」

「古い慣習の好きな家だった」

 そう言って手の甲に顎を乗せ、どこか遠い所を見ながら思い出す。そんな彼を、相も変わらず無表情なまま見つめながら、ミレアは続きを待った。

「魔術で創った紙に名の候補を幾つか書き、魔術で生み出した炎にその上を躍らせる。焼けずに残った名をその家の子に付ける。あの辺りで『名残しの儀』と呼ばれる昔の伝統で、俺の時は母が火をつけ、父の考案した名が残った」

 語る横顔がどこか郷愁に揺れていたのを、ミレアは決して見逃さなかった。ミレアはレグルスの家族のことをよく知らない。直接話を聞くのは恐らくこれが初めてだ。だが、なんとなく察しはついていた。残虐非道と呼ばれる彼も、家族は大事にしていたのだと。寧ろ、だからこそ今の彼があるのだろうということまでも。

「ご丁寧なことに候補名にまで信心深さが溢れていた。レグルスの他にもデネブやリゲル、ベガなんて女の名もあったという。どれも星の名だ。あの家じゃ星に絶大な加護を期待していたから。縁起を担げればなんでも良かったのだろう。俺の世代では殆ど誰もやる者がいなくなるほどすっかり廃れた行事だったというのに」

 廃れる、という言葉が、ミレアには今一つ掴み難かった。が、なんとか彼女なりに変換して理解する。

「どうして? 名前、大事。付ける、儀式も、大事」

「悪い慣習も同時に流行ったからだ」

 レグルスはそこで瞼を閉じた。あまり言いたくない内容のようだ。

「たとえ魔術により生み出されたものでも、炎の行方は気紛れだ。稀にどの名も残すことなく焼いてしまうこともある。その場合、子供は間引かれた」

「間引く?」

「殺すんだ」

 間髪入れずにレグルスは答えた。そして、再度スッと目を開いてから説明する。

「いずれも残らないということは、それすなわち『後世に名が残らない』ことを意味した。お家の名声が第一な輩にとって、それは致命的な欠陥でしかなかった。以前ならどうと言うことはない、そこに相応しい名がなかったというだけで、別の候補名を挙げ直せば済むことだった。だが、一度横行した悪習の流れは止められなくなっていた。名が残らない子ならこの家には要らないと……だから、親が殺すんだ。自らの子を、自らの手で」

 レグルスの顔は、嫌悪に彩られていた。一体この世界の誰が、『魔荒し』と呼ばれる彼がこのような表情で間引きについて語ると想像できようか。

「当初は秘密裏に行われた間引きも、流行すると同時に明るみに出るようになった。あまりにも数が増えたことで、僅かでも残っていた良心が疼いたのだろうか。倫理的に問題があるとかで、そのうち儀式自体が風化したんだ」

「誰が、付けた?」

 唐突にミレアが話の方向を変えた。一瞬、これだけ話したのにまだ同じことを訊くのかとレグルスは訝しんだ。だがすぐに、ミレアの頭もそこまで悪くはないだろうと思い直す。彼女が一つの話題にいつまでも拘らないのもいつものことだ。

「私に、名前。ミレアって」

 やはり、全く同じ質問を繰り返した訳ではなさそうだった。ミレアは今度は、彼女自身の名付けの過程を知りたがっている。そのようなことを、レグルスが知っているはずもないのだが。

「やっぱり、父さんか、母さん? お祖母さんとか、いた? 〝前の私〟なら、知ってた?」

「俺だ」

「?」

「お前の名は、俺が付けた」

「? そう?」

 いくらミレアでも、今のレグルスの発言が如何に不思議なものであるかは理解できたようだ。つい先日まで互いの存在さえ知りえなかったのに、彼がミレアの名を決められる訳がない。ミレアは首を傾げつつ、だが健気にも無理やり納得しようとしていた。そんな彼女の頭を撫でながら、レグルスは自分の見解をゆっくりと説明した。

「あの時、お前は生まれ変わった。自分の名も、知らなかった。そこに、俺が名を与えた。だから、俺がお前の新たな名付け親だ」

「……名付け、親」

 他人が聞いたら随分なこじ付けだと思われたかもしれない。だが、ミレアには非常に納得のいく解釈だった。まるで何かが、納まるべき場所にストンと納まったかの如く。

 暫くレグルスの言葉を反芻していたミレアは次に、何を思ったか腕を精一杯伸ばしてレグルスの頭を撫で返してきた。

「今日のレグルス、饒舌」

「……間引きが解らないのに何故饒舌を知っている」

「?」

 この少女は殆ど他人との関わりを持たない。当然だ。連れ回しているレグルス自身が他人からの干渉を極端に避け、出会った者──要するに研究員だが──は確実に喋れなくしてしまっている。故にレグルスは、時折ミレアがこういった小難しい言葉を持ち出してくると、一体どこで調達して来るのか疑問に思えて仕方なかった。当の本人がミレアの言語機能の発達に際し、最も大きな影響力を持つ身近な手本であることは、全くと言って良いほど失念している。

「私は、ミレア」

 初めて名を教えた時のように、ミレアはその名を繰り返す。

「レグルスが、言ったから、ミレア」

「そう。お前は、ミレア。それ以上でも、それ以下でもない」

 レグルスが自身についてよく口述するこの文句は、妙な付加価値で見られたくない一心からのものだった。魔術に関する資産家の息子としてではなく。『魔荒し』という名を介してでもなく。ただ自分を、自分という唯一の存在としてのみ認めて欲しかった。そしてミレアにも、彼女以上にも、彼女以下にもなって欲しくなかった。今ある彼女以外の何かを、望んで欲しくない。今の彼女から何かを削って欲しくもない。そんなレグルスの隠れた願いに、応えるようにミレアは続けた。

「私は、ミレア」

 そして己がものより大切であるかの如く、彼のその名を口にする。

「貴方は、レグルス」

 それ以上でも、それ以下でもない。

 レグルスには、ミレアがそう口に出して言ってくれた気が、した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マリオネットが見た夢は 望月 葉琉 @mochihalu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ