《伍》 結-ムスビ-
君と共に紡ぐ明日
薄紅の花弁が、ひらひらと
「大樹帝は近ごろ、
「わぁ、もうおしゃべりもあんよもなさるのかぁ。確かに、そろそろお生まれになってから、
しみじみと感じ入りながら、
春明邸の桜は、今年も鮮やかに盛りを迎えた。
子遠には春明が、去年に引き続き今年も、と、声をかけたのだ。おととしまでいた誰かのように、勝手に上がり込んで一杯やっていたわけではない。それがないのが寂しいのは――不本意ながら、確かだが。
「
ちくちくと慶長に棘をさす春明に苦笑しながら、もっともだと子遠はうなずいた。
「唐菓子は幼児にはちょっと、ね。母君の皇太后様がしっかりしていらっしゃるようだから、よかったけど」
「十四で突然、夫を亡くし、幼子ふたりの
戻された酒に唇をつけながら、春明はそう賞賛した。
二年前の
狐の
それを、時の大樹帝が、双璧と謳われた力ある陰陽師ふたりを引き連れて、祓い、鎮めたのである。
そうして都は安寧を取り戻した。しかしその安寧と引き換えに、帝と陰陽師のひとりは、命を落としてしまったのだ――ということに、世の中的にはなっている。そう、慶長が事を片付けた。
当の大樹帝が、世を滅ぼそうとした張本人――と、知られるわけにはいかない。事の真実と、大樹帝をそうまで駆り立てた願いを知るものは、春明と、慶長、そして
帝の権威は利用する。けして己が一族の繁栄は諦めない。そう強かに宣言した慶長は、しかし、そのために――と、
己が栄華は手放さない。が、大樹帝の無念もすくい上げようとしたのである。
そうして新しい大樹帝が即位し、それにともなう
定周たち一族が
兄の決意にならって、桐壺皇后もまた、内裏での影響力をなくすため、神宮へと入り、俗世とのかかわりを断った。そのため、幼い
少女の
「――こうした明日を、一番見たかっただろうお人だったのにな……」
亡き大樹帝の最期の憂い顔がしのばれて、春明はこぼした。最期まで、悲しい明日しか見つめられなかった聡い瞳に、見せつけてやれればよかったのだが。
春明と子遠のあいだに、しんみりとした空気がけぶった――瞬間。どたどたと
「師匠! 春明師匠!」
滑り込んできたのは、長い黒髪をうしろで一括りにした狩衣姿。まだ少年の齢の細い身体は、その大人の装いに着られて見える。
「
「あ、すみません。こんにちは……って子遠さんじゃないですか。じゃあ、別にいいじゃないですか」
ちょこんと下がった頭ににこやかに子遠が手を振れば、そう開き直る。春明は太い眉を思わずしかめた。
「お前、師匠の客人だぞ。その図太さ、本当にどこの誰に似た?」
「そんなことより、師匠、ひどいです! どうして俺の
「やかましい、それぐらい適当に術を使って自分でなんとかしろ。出来る程度の術は教えてあるはずだ」
「いやです! なんか洗濯干すのに術使うの、かっこ悪い!」
「どんなこだわりだ。言っておくが、お前の憧れの玄月。あいつは日常生活のありとあらゆることに、かっこうも分別もなく陰陽術を使いまくり、怠惰な生活を貪っていたぞ」
「げ、玄月さんは、そんなんじゃないもん!」
濡れた直衣を引っ掴み、秀玄はまだ幼いかんばせをぎゅっとしかめた。
彼は玄月が都に来る前世話になっていた、女陰陽師の息子だそうで、去年の秋ごろから、春明の弟子となって共に邸で暮らしている。
玄月が都に出てからも、なにかとやりとりしていたらしく、どうもずいぶんと――間違った方向に玄月の薫陶を受けてしまったらしい。
「玄月さんは、かっこよくて、真面目で、きっちりしてて、いつもきりっとお仕事をこなす完璧陰陽師なんです!」
「あいつ、本当に幼子にどんな教育を施してここまでにしてしまったんだ……」
「重症だね……。どれだけキラキラして見えてしまってたんだろう……」
「あんまりな言い様! いいです、自分でかっこよく乾かしてみせます!」
不憫がる春明と子遠のまなざしに耐えられなくなったのか、勝気に言い捨てて、秀玄はまたどたどたと
春明は、あたたかなため息をついた。
「騒がしくて悪いな、子遠」
「いいじゃない、にぎやかで。正直、春明が弟子を取ったって聞いた時は、どうなるかなって心配してたんだけど、楽しそうでよかったよ」
「まあ、確かに、他人と共に暮らす気がなかったのは事実だが……玄月を慕って京まで来たと言われたら……追い払うことも出来なくてな」
そうして結局、うまい具合に収まっているのだから、どこかで彼も満足げにほくそ笑んでいよう。
「秀玄もそうだが、定周もな。太宰府から堂々と私に助けを寄越せと便りをしてくる。玄月めがなにかあった時に開けと託した手紙に、困ったら私を頼れと書き残してあったらしい。己が名を出せば、絶対に私は断らない、とな」
「う~ん、死後なお甘やかしてもらえることが見透かされている」
頭を抱えるわりに、忌々しげな春明の口調はどこか嬉しそうだ。「
「おまけにこの譲り受けた射干玉の瞳がよく見えるせいで、仕事が増えに増えてな――悲しむ
「玄月らしい」
子遠の隣で桜を見上げるのは、懐かしい黒い夜空の瞳。花びらを散らす風が少しさびしさを運んできた気がして、子遠はそれを大切に抱きしめながら微笑んだ。
「いつまでも、君を飽きさせない男だね」
「本当にな。つまらぬ世も……面白くなるわけだ」
この花の春も、共に見たかくなかったといえば嘘になる。その姿形のない日々に、喪失で胸を焼かれる日もあった。けれど、それでも――
(共に紡ぐ明日を、求めている……)
桜の花弁に混じって、ひらりと一筋、紫の光の糸が空を舞って春明の手に落ちてきた。春明が都に放っている符のひとつだ。
やれやれ、とそれに彼は緩慢に手にした杯を置く。
「またどこかで厄介ごとが起きたらしい。……仕事だ」
「お疲れ様。天下一の陰陽師は休みなしだね」
「仕方ない。これが私の勤めだ」
ねぎらう友の姿に、春明は肩をすくめた。
「明日の安寧のために――力を尽くそう」
彼方を臨む射干玉の瞳は、いつかの誰かと同じように、楽しげに細められた。
陰陽双璧異聞奇譚 かける @kakerururu
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