純白の空言
第4話
通学路の木々も少々色づいてきたこの頃。相変わらず足音は絶えないが、今まで通りの日常が戻っていた。
「おはよう、咲花」
「おはよう。今日はちょっと寒いね」
咲花は手をこすり、きゅっと縮こまる。
「もう秋なんだなぁって感じだよね」
「そうそう。昨日なんか栗ご飯食べちゃったし」
「いいなぁ。うちはまだだな。焼き芋ならこないだ食べたけど」
「焼き芋もいいじゃん。紅はるかがいい〜」
そんな感じで琴葉と咲花が何気ない会話を交わしている周りでは、女子たちはザワザワと話をしている。どうやら新しい化学教師の話らしく、とにかくかっこいい人がいいだの、眼鏡のクールな人がいいだのと様々な期待を抱いているらしい。そういえば今日から新しく転任してくるのだった。
「津川先生好きだったのになぁ〜」
「だよね〜。急に退職なんてやっぱり教師って大変なんだね〜」
津川は女子に中々の人気を誇っていたため、こんな会話もよく耳にする。だが、琴葉はそのような話を聞くたびに鳥肌がたった。咲花も苦い記憶が蘇るらしく、気まずそうにしている。彼女たちには口が裂けても津川はとんでもない最低野郎だったなど言えない。
「それにしてもどんな人が来るんだろうねぇ」
咲花は1時間目の授業である化学のノートをペラペラと捲りながら言う。特に見入っている訳ではなく、ただ手持ち無沙汰のために捲っている様である。
「優しい人なら誰でも良いけどな」
「あと、女の先生なら嬉しいけどな」
高校生の間では女性の先生は安心感があるからか、なんとなく人気が高い傾向がある。しかし残念なことに中々に女性教師の比率は低い。
そしてやはり、二人の淡い期待も、チャイムと同時に崩れ散った。まあこうなることなど心のどこかでわかっているものである。
「皆さんはじめまして。神田といいます。途中からですがよろしくお願いします」
「お願いしまーす」
手慣れた様子で授業を進める神田先生。眼鏡で理系独特の雰囲気をまとった人で、無駄にスラリとした体型が特徴的だ。一部の女子はざわついている。きっと授業終わりには先生を取り囲む列が出来るのだろう。とことん興味の無い話だが。
特段分かりやすいわけでもなく分かりにくいわけでもなく、スラスラと授業が終わった。ただしあの人よりかはよっぽどマシだ。
神田先生が転任してきた事以外は何事もなく時間が過ぎ、あっという間に放課後となった。琴葉がいつも通り部室に行くと、そこにはざわつく部員達と青ざめた部長小柴の姿があった。
「どうしたの? 部長?」
「副顧問が新しくつくんだってよ……。もう、嫌な予感しかしないっしょ?」
「ああ、あの人しかいないもんね」
部長は『はぁ』とため息をつく。いつもは何事にも反応の薄い部長にしては珍しい事だ。神田先生も決して悪い人では無いのだろうが、どこか接しづらいオーラが漂っているのは確かである。そしてもう一つ部長が懸念しているのは、この天文部の態勢が厳しくなってしまうことだろう。
今までは、部活にほとんど関心を持たなかった津川、優しすぎる校長先生のおかげでゲームや動画が見れるほどに自由な時間を過ごしていた。しかし転任してきた先生が副顧問とあればきっとそうはいかないだろう。
そうこう話しているうちに、遠くから段々足音が近づいてくる。そして静かに扉が開いた。
「こんにちは。今日から副顧問として神田先生にお世話になることになりました」
にこにこと微笑む校長先生の後ろからサラリと影が現れる。やはり予想は的中だ。
「こんにちは。神田です。星のことはあまり詳しくないのですが、よろしくお願いします」
「お願いします」
軽い自己紹介と活動内容の説明を済ませると二人は部室から出ていく。どうやらそこまで熱心ではないのだという事を確信した琴葉達は安堵のため息をつく。
「はぁ、よかったぁ」
「もう部活でゲーム出来なくなるかと思ったわ……」
そう呟きながら早速スマホを取り出している。一体天文部とは何なのだろうか……。
「やっぱりそれが心配だったんだ?」
「当たり前だろ? まあ、星が見えるようになるまでのこの時間を有効活用してるって事にしとこーぜ」
部長は悪戯な笑みを浮かべながら音ゲーを始め、それを合図にする様に後輩たちも各々やりたい事をやり始める。琴葉もカバンからいつもの通り本を取り出す。
本当に自由だな――。一体この時間が無くなってしまったら、どうなるのだろう。時々そんなふうに変に不安になってしまう事がある。
そんな琴葉の目にはバラバラでありながらどこか一体感のある温かい部室を眺めていた。
琴葉はいつも通り家に帰り、食卓についた。今日は肉じゃがだ。絶妙に染みていない家庭ならではのジャガイモが冷えた体に染みわたる。ホクホクとしていて何気にこれが一番美味しいのではないだろうか、と食べる度に思ってしまう。
「ねえねえ、今年も天体観測合宿やるの?」
母がニヤニヤと笑みを浮かべながら聞いてくる。琴葉の母は「青春」という言葉に敏感で、何かとこういうイベントがあるときにはチョッカイをかけてくる。合宿は冬の天文部の恒例行事だ。
「やると思うよ。でも、顧問も新しくなったばっかりだし分からないけど」
「えっ、校長先生が顧問なんじゃなかったっけ」
「校長先生は顧問だけど、今日新しく副顧問の先生が来たんだよね」
思わず『嫌だ』と顔に出てしまったらしく、母は苦笑いをする。
「どんな人? カッコいいの? 苦手なタイプなの?」
「まだよく知らないけど、静かで冷たそうな人」
「へぇ〜、まあ副顧問だし大丈夫だよ。きっと」
母のそんな励ましを聞きながら、琴葉はジャガイモ同様にあまり染みていないしらたきを口いっぱいに頬張った。
――次の日――
「琴葉さんちょっと来てもらえるかな」
いつもはこんなことなどないのだが、昼休み琴葉は校長先生に呼び出された。校長室の前には部長小柴の姿があった。ということは天文部関連だということは絶対だろう。まだ校長先生はいないらしく、二人で部屋の前で待つ。貴重な昼休みが奪われてしまうのは少々納得がいかない。
「もしかして部長のゲームバレたんじゃない?」
「えっ、誰にも見られてないと思うけど」
「昨日はミーティングあったし、実は、みたいな?」
琴葉は少し意地悪な顔で部長に言う。部長は意外だという顔で言い返した。
「もし校長先生に言われたらゲームやってないって嘘ついてやるから」
「そんな見え透いた嘘誰にも通用しないと思うよ」
二人でそんな推測をしながら話していると、遠くから少しずつ足音が近づいてきた。校長先生だ。
「すみません。待たせてしまって」
「大丈夫っすけど、どうしたんですか?」
「実は毎年天文部でやってるっていう合宿だけど、今年もできることになったのでお知らせしようと思いまして。昼休みにすみません」
「いやいや、そんなことないですよ」
校長先生は本当に申し訳なさそうな顔をするのでこちらまでなんだか申し訳なくなる。
「合宿は冬休みに予定していて、近々ミーティングを開こうと思っているので一応部員の皆さんでも話し合っておいてください」
「分かりました」
短い会話を終え、二人は昼休みの騒がしい廊下を進む。
「今年もあるんだね」
「去年は顧問が顧問だったから、自由に観測もできなかったし、あんまり良い思い出ないなぁ」
「本当だよな。俺なんかずっと監視されてたからゲームどころじゃなかったし」
不満げな顔で言う小柴。確かに去年の合宿は規制が厳しくあまり面白いものとは言えなかった。
「でも、今年なら大丈夫じゃない? ちょっと期待してみようよ」
「まあな。俺はゲームさえ出来れば何でもいいけど」
合宿の準備と言ってもそれほどやることはない。ただ、機材の準備やスケジュールの確認をするくらいである。だが、そのスケジュールの確認も流石に顧問が校長先生なだけあって忙しく、何日かたった今もできる機会がなかった。
「どうしようか。中々校長先生時間ないみたいだし」
「神田先生でもスケジュールくらい知ってるんじゃね?」
「その手があったか。でもあんまり親しくないし、頼みに行きづらいし……」
いきなり先生を訪ねてスケジュール教えて下さいというのもなんとなく気まずい気がするが、確かに他に手は無い気がする。あまり聞きに行くのが遅れては、天体観測の予定が立たない。
「しょうがないだろ。他に方法あるん?」
「仕方ない。じゃあ行きますか」
まずは二人で職員室に向かう。神田先生は他に部活は持っていなかったので、帰宅していない限りそこにいるはずである。
静かな廊下を進む。窓からは部活に勤しむ運動部員達の姿が見えた。時々強い風が吹き、その度に校庭で寒そうにしているのが校内からでも分かる。
「あれ? 先生いなくね?」
忙しなく先生たちが働いている職員室の透明なガラスの壁の向こう側には、神田先生の姿はなかった。
「あれ。ホントだ。うーん、他にいそうなところは……」
「化学室か」
二人の声が揃い、思わずクスクスと笑ってしまった。周りにいた人達がこちらにジロジロと視線を向けるのに気が付き、ピタッと笑うのを止める。
「またあそこに行くのか」
「いい思い出は無いけどね。でもあそこぐらいしか無いし」
「しょうがねえな。行ってみよう」
あれはこんなに冷え込んだ今では考えられないほど暑い夏のことだったな、と思いながらあの時のように二人で廊下を歩く。
「そういえば、本当あの時はなんか不思議な感じだったよな」
「うん……」
あの時は必死であまり考えなかったが、部長や咲花の目にはどう写っていたのだろうか。急に私が焦って、訳のわからないことを言って、津川がいなくなって――。あり得ないことがあり得てしまう、琴葉にはなれてしまった事だが、相当奇妙な事件だっただろう。
「でたー。化学室だ」
例によって扉にはプレートが下げられている。前回とは違うのは、教師の名前が『神田』になっていたことくらいだ。
「よし、開けるわ。失礼しまーす」
ガチャリと音を立てて開く。が、そこに神田の姿は無かった。
「あれ? いないね」
きちんと整理された化学室の中に人気はなく、静まり返っている。
「帰ったのかな」
「そうじゃね? また出直すか」
そう部長が言った瞬間、急に後ろに気配が現れる。
「もしかして俺に用だったか?」
「あっ、はい」
そこにはスラリと立っている神田先生の姿があった。授業のときのようなスーツではなく、シャカシャカとしたジャージを身に着けている。大分普段とは印象が変わり、下手をすれば運動部のようにも見える。
「天文部の合宿のスケジュール教えてもらえないかと思ったんすけど」
「ああ、ちょっと待ってて」
化学室の奥をゴソゴソと探る音が聞こえる。
「はい。これが予定表だから。なんか分かんないことあったら聞いてな」
「分かりましたぁ」
あっさりとスケジュールを手に入れた二人は、早足で部室へと戻る。津川とは違い親切な神田先生に何故か物足りなさのようなものさえ感じた。慣れというのは恐ろしいものだ。
「よし、みんなー。と言っても六人だけど、会議を始めます」
「そんな大げさじゃなくて良くない?」
「雰囲気だよ。いいじゃん」
「そうっすよ。部長いいじゃないですか。盛り上がりましょうよ」
後輩の佐々木がそう言うと、部長は呆れた顔をする。
「今回の合宿は3泊4日。天体観測の聖地と言われている山奥で行います。私達2年生は去年も行ったところです。暗くなるまでは各々自由時間で、ハイキングとか野鳥観察とか先生に言えば出来るらしいです。で、夜は天体と流星群の観察、四日目に軽いレポートを書いて終わり、という感じです」
「自由時間暇じゃね?」
「いやぁ、まぁ、ねえ」
「副部長困りすぎ〜」
琴葉のおどおどとした返しに後輩たちはゲラゲラと笑う。
去年は確か冬休みの宿題をこの自由時間にやっていた気がする。しかも、先生の監視のもとで。おかげで宿題こそ終わったものの、無言の厳しい時間が流れていた。今年はそれだけは避けたい。
「じゃあ、山の探検でもしようぜ。そこって確か天体観測の聖地だけど都市伝説の聖地でもあるし」
「いいなぁ。僕も探検したいです」
「いいけど、迷わないようにしないと。遭難なんかしたら大事になるよ」
「迷わないっすよ。俺も行きたいっす。でしょ?星野?」
「もちろん。行きましょ」
後輩はすっかり部長の提案した山の探検に乗り気だ。正直私も行きたいが、先生になんと言われるか。仕方がない。他の後輩にも聞いてみるか。
「でもねえ。近藤と真依ちゃんはどう?」
「僕も興味ありますね」
「うちもどうせなら行ってみたい!!」
「で? 副部長?」
「分かった分かった」
「じゃあ、決定ということで!」
こうして天体部は山の探検隊へとすっかり変わってしまったのであった。
フットステップ――静寂な真実と狂騒の空言―― 如月風斗 @kisaragihuuto
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