騎士家令嬢は魔物恋愛の夢を見ない
文月ヒロ
騎士家令嬢は魔物恋愛の夢を見ない
――とある昼間の話。
「申し訳ありません、今日はフィアンマ様とお食事の予定が……」
「何だフィフィー、お前もか。実は私も今夜婚約者と食事会の約束をしていてな。そういう事だフレイシア、今晩の城内巡回はお前に任せても構わないか?」
「あ、はい……問題ないですナイトリアさん」
「そうか、ありがとう」
「ありがとうございます」
「……いえ…」
そんなやり取りの後、二人の騎士が去っていくと長い赤髪の少女――フレイシア=ソード=アイハートは、顔に浮かべていた苦笑いの表情を取り払う。
そして、
「ま、またやってしまった…………ッ」
壁に両手をつき、ふらつく体を支えながら彼女は生気のない声で呟いた。
ここはロマンドリア王国城近くの騎士宿舎。
団員が女性だけで構成された
――「あ、はい」じゃないのよッ。あぁ…本当に、あそこで拒否しておけば良かったものを……馬鹿ッ、私馬鹿ぁぁぁぁぁあああッ!!
フレイシアはその場にうずくまり、両手で頭を抱えた。
同期のナイトリアは「今晩の城内巡回」と言ったが違う、正確には今晩
昨日は先輩のハイセリーゼに恋人とデートだとか言われ、一昨日には後輩のコーネに意中の子爵家令息へ今日の社交界中に告白するからと理由を付けられ、更に三日前、四日前、五日前には――。
兎に角、フレイシアはまたしても王城の夜間警備を頼まれてしまった。そして断れなかった。
交代制のため一晩中の勤務でない事を喜ぶべきか、連日の夜勤で顔と名前を城兵達に覚えられ、「あの子、何で毎晩城内を見回っているんだ?」と変人認定されている事を嘆くべきか。
どちらにしても、これ以上は疲労が限界だ。
……いや、真に考えるべきはそれではない。
「あれ?私もあの人達と同期・同年よね。そうだったわよね」
騎士家の長女として、団長のシルバーナ率いるこの騎士団に入団して早三年。
十八になり婚期真っ只中の今、フレイシアにはその手の話はまるで来ない。
その事実を再び思い出し、彼女は思わず、自分で自分を疑うような台詞を口にした。
けれど、仕方がない。
「だ、だって、もう後輩の何人かは婚約者や恋人がいるっていうし、男っ気なしで有名な副団長も先月結婚したって……ハッ――私このままだと、もしかしなくても婚期を逃すのでは…!?」
薄々気付いていた事実に直面し、フレイシアは強烈な焦燥感に見舞われた。
まずい、非常に不味い。
この二ヶ月間、四分の三程度が昼夜の出勤で、たまの休みも疲労回復という名の長時間睡眠に消えてしまい見合いどころではなかった。
「こんな事している場合じゃないわ、お見合い、お見合いでも何でも良いから、早いところ打開策を打っておかないと……ッ」
しかし、同期や先輩、後輩達からの頼みも安易に断れない状況にある。
「魔物なんか助けるんじゃなかったわ……。あぁ、そうだった、
言って、一階に降りてから宿舎の外へ出る。
フレイシアが向かったのは、馬小屋……の隣に設置された小さな小屋。
そこに一匹のスライムがいた。このスライムの世話が、最近追加された彼女の業務だった。
「このスライム殺してはいけないの?」
「さぁ、どうなのかしら。一応飼育しているみたいだけれど、団長に聞いて――」
「す、すみません、出来れば殺さないで頂けると助かるのですが……」
小屋の真ん中でピョンピョンと跳ねるスライムの前で物騒な発言をしていた騎士二人。
その会話にフレイシアは申し訳なさそうな声で水を差すと、声に気付いた彼女達がこちらに振り向く。
二人は「そうなのね」と、フレイシアの内心も知らず軽く返し去っていく。
フレイシアは溜息を吐いた。
「あわや大惨事、って少し話が飛躍し過ぎかしら?」
若干の安堵と共に呟き、彼女はスライムに対し微笑む。
少し前にフレイシアが拾ったこの魔物には、知性がある。
騎士団の遠征中、
もっとも、そんな身勝手で一歩間違えれば命に係わるような真似をした彼女は、団長から一週間の謹慎と数ヶ月間の減給を頂戴してしまった。
おまけに、そういう事もあって罪悪感から、仲間の頼みも断りづらいし団内でも委縮してしまっている。
けれどいいのだ、こういう時間もそんなに悪くは――
『それにしても、
『えぇ。案外、魔物趣味なのかもしれないわよ?』
「ま、魔物、しゅみッ……?」
遠くから聞こえた騎士二人の言葉の刃が、フレイシアの特段強くもない心に深々と突き刺さる。
前言撤回。最悪の判断を過去の自分はしてしまったらしい、今この時間が最低の時間に思えて来た。
「大丈夫ですか?」
同じ騎士団の仲間からの風評被害に、精神的な意味で再起不能一歩手前の重傷を負っている彼女へ、不意に声が掛けられる。
その声に、フレイシアはそういえばそうだった……と思い出す。
以前助けたこのスライムには並外れた知性がある。
そしてもう一つ、
青く丸い粘液状の体が魔力を帯びて膨張し、人型へと姿を変えていく。
この世界には魔法という不思議を成す力が存在する。
今見ている光景もその一つである。
そう、このスライムは人間に擬態出来るのだ。
「こんにちは、ミズト」
「こんにちは、フレイシアさん」
ミズト――スライムの名前だ。
おかしな事に、ある時自分から人間に化け、名を名乗ったのである。
「何だかスライムがこうして挨拶して来るって、考えてみたら変よね?」
「……あはは、すみません、前から言ってますけど人間だった頃の癖が抜けなくて」
「別に怒ってないわ。どうして謝るのよ」
「いや…えっと、二ホンでの教育の賜物といいますか、これも癖みたいなものです」
「ふぅ~ん、変な国ね。国の名前だって聞いたこともないし」
曰く、ミズトは転生者
一応、それらしい言動もあるし、普通では有り得ない人への完全擬態も可能なためある程度は信用出来る話なのだが。
「それはそれとして、いい加減私以外の前でもその姿になって貰えると助かるわ。この前報告書に貴方の事少し書いたけど、誰も信じてくれなくて困っているし。……あ、挙句に、団長に『お前、頭は大丈夫か?そうか、疲れているんだな』とか言われて違うんです頭は大丈夫ですけど心の方が疲れ切ってもう駄目なんですそんな目で見ないでくださいお願いします団長…………」
途中から愚痴なのか懇願なのかよく分からない発言をしながら、フレイシアの表情は暗くなっていく。
「――コホンッ、兎に角お願い」
「あ、えと…頑張ります……」
気を取り直し、再度ミズトに注意する。
が、帰って来たのは歯切れの悪い返答。
フレイシアは小首を傾げる。
「どうしたの、煮え切らないわね」
「いや、だって……人間に完全擬態出来て知性のあるスライムって珍しいんですよね?その事が騎士団内に広まったら――」
「十中八九国王陛下の耳まで届いて、騎士団の手から離れた後、宮廷従魔師にテイムされるわ。元人間だって報告したらもっと話は複雑になるかも」
「……それは、その、凄く怖いですし困ります」
「困る?はぁ…大丈夫よ、きっと悪いようにはされないし、今だって半分私にテイムされているようなものでしょ」
「確かにそうですけど……俺だってフレイシアさんにテイムされるなら、まぁ、やぶさかではないといいますか………」
そう答えるミズトの声は、後半徐々に小さくなっていった。
照れ。それが何に対してのものであるか理解し、気恥ずかしさがフレイシアにも伝染する。
だが、彼女は僅かな胸の高鳴りを誤魔化すようにして、頬を人差し指で搔き視線を逸らし言ったミズトの言葉に呆れの反応を示す。
「あのねミズト、私だって慈善事業で貴方の面倒を見ている訳じゃないの。それに騎士家として、あと女として、そろそろ良い相手を見つけなきゃいけない時期に入って来てるし」
「えッ、あの、フレイシアさん結婚するんですか!?」
「そうね、出来たら嬉しいわね、
話を軌道修正しようとして失敗した上に、フレイシアは自身のそこそこ切迫した状況を思い出し果てしなく憂鬱になった。
「はぁ、もういっそ貴方と結婚しようかしらミズト。……なんてね、冗談よ。貴方この国の人間じゃないし、そもそもスライムとじゃ後継ぎも作れないし」
自分でも、馬鹿な事を言ったな、とフレイシアは思う。しかし、そこで思わぬ返答が彼女の耳に届いた。
「あぁ、いや、出来ますよ?多分……」
「へ?」
ミズトの言葉に一瞬思考停止になるフレイシア。
そんな中でミズトは恥ずかしそうに頬を赤くして言い淀むが、おもむろに小さく言った。
「その…子ども、多分出来ると思います…………」
「……………………ッ」
フレイシアはあまりの衝撃に口をパクパクさせた。
子ども、出来る、できる、こども、子どもが。頭の中でミズトの発言を反芻する内、理解が追い付く。そして最悪だ、今のは聞き間違いではないし勘違いでもない。
何が最悪かはよく分からないが、兎に角最悪だ。
――お、落ち着くのよ、一旦落ち着きましょう。そう、相手はスライム、相手はスライム、スライム、スライム……そういえば前にフィフィ―からスライムと人間の官能小説を借りて読んだけれど、もしかして
などと考えながら、
「フレイシアさん?」
「す、する訳ないでしょッ、スライムと結婚なんて!」
突然ミズトに話しかけられてフレイシアは叫ぶように言葉を返した。
――が、
「スライムは、やっぱり嫌いですか……?」
そう言って、しょんぼりと落ち込んだように項垂れるミズト。
ショックで完全な擬態が僅かに解けて、粘液状の触手みたいになった頭頂部も力なく垂れている。
「あ、いえ、そうじゃなくて…だから、あぁあ………………!」
オロオロとするフレイシアは、ミズトにどんな声をかければいいのか分からなかった。
いや、本当は分かっているのだが、言うのが躊躇われたのだ。
思わず、小さく溜息を付く。
本当に過去の自分を恨んでやりたい。
人間が魔物に恋をするなどあるはずがないのだ。というより、色々な意味であってはいけない。だからしない。
頬が紅潮するのを気のせいにして、フレイシアは、眼前で盛大に気落ちするこの元人間のスライムにかける言葉を再び探すのだった――。
―――――――――――
――――――――
普段は書かない異世界恋愛モノを書いてみました。感想、評価頂ければ嬉しく思います。
それと、現在『第七魔眼の契約者』という連載作品を書いております。
今日、十一月十九日は投稿日ですのでよろしければどうぞ。
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