こぼれでた思い。
少覚ハジメ
こぼれでた思い。
いつも、岬あおいが視界の中にいるのは、僕が目で追っているせいだ。きれいなものからは、目が離せない。たぶん、それと同じなんだろうと思う。岬は、背が高くて、170cmにちょっと足りないくらいで、細くて、足が長い。僕は、去年背が7cm伸びたけれど、まだ163cmしかないのを、悔しく思う。話しかける時には、いつも僕は少し視線を上げなくてはいけなくて、岬はそんな時、顔を少しうつむかせて目を合わせてくれる。それがとても嬉しい。僕に、彼女が近づいてくれるから。そんな時は、身長差を忘れられる。
文芸同好会は、いつ無くなってもおかしくないし、僕らの高校進学とともに消えるかもしれない。それは、それでいい。必要ならばまた誰かが作るだろう。名前は変わるかも知れないが。
岬と僕がいるのは間借りしている図書準備室で、専用の部屋など、こんな二人しかいないような同好会には用意されておらず、図書室と続きの部屋だから、本を持ってくるのにもちょうどいい。
ただ、図書室にある本を読むのかというと、案外そうでもなくて、自分が書店で見つけてきた本を読んでいることの方が多い。
活動内容は、本を読むことだけ。会誌を作ったりもしないし、執筆活動をするわけでもない。ただ、読む。去年は四人の会員がいたが、二人が卒業し、新入生は入ってこなかった。
本を読むならなんでもよかったし、実際のところ、岬と僕ではかなりジャンルが違う。彼女は、どちらかといえば救われない話が好きだ。貧困や、抗えない運命や、弱い人々が苦しむ。でも岬は、救われないことで彼らは救われてもいると考えている。呪詛を撒き散らし、声をあげて泣き、時に死に、どうしようもなく墜ちていくのも、別に不幸と決まっているわけではないと。
僕にとっての不幸は、何だろう。困窮しているわけでもなく、抗えない運命とは、身長が思うように伸びないことくらいしか思いつかず、呪いたいのもやはり身長のことだ。身長がないと岬に相応しくないと思う事が不幸なのかもしれない。してみると、不幸とは相対的な深刻さとは関係なく、本人の主観でいくらでも定義がかわる、つかみ所のないものだ。
ふと、恋をすることは幸福だろうかと思った。人を好きになることの大切さについては、おおかたの見方が、大事なことだと言い切っている。が、大事な事が幸福と等式で表されるかはわからない。では、岬に恋している僕はどうだろう?もし僕が、自分に自信を持てて、告白し、それが成就する。それは素晴らしいことにも思えたし、まったく未知の領域であるがために、恐ろしいことだとも思えた。この場合の恐ろしいは、でも不幸であるということではない。紆余曲折を経て、結局離れてしまうことが怖い。恋愛において別れとは、もうあなたとは一生会いたくない、という場合も数多くあるだろう。それが怖い。岬に嫌われるのが、一生会えなくるのは怖い。
「二宮くん、そろそろ帰ろうか」
岬が荷物を文庫本をカバンにしまいながら言う。夕日の中で彼女が立ちあがると、それを追っていた目にまぶしい光が入り、僕は目を細める。
細めた目に、岬の顔が近づいてくる。いつもの、僕の目に視線をあわせる姿勢だ。光にあたる、彼女の睫毛が美しく、思わずながめてしまう。
「二宮くんの目は、いつもきれいだね」
突然いわれて、僕は視線を外して、そんなことないよとつぶやいた。
「岬は、きれいだし、背が高くてかっこいい」
「なにそれ、お返し?うれしいこと、いうんだね」
うれしい、といわれて僕は恥ずかしくなる。普段、思っていることを口に出しただけだ。もっといえたら、どんなにいいだろう。そう心でひとりごちたつもりが、口は止まらなかった。
「岬は、すらっとしてて、細くて、色も白いし、髪が黒くて、まっすぐで、とってもきれいだし、ドキドキするし、僕を見てくれるときの目がやさしくて、茶色くて、大好きなんだ」
はっとする僕に、岬は優しいような、照れたような顔をむけて話し出す。
「そんなに愛されてたとは思わなかった。二宮くんも小さくて、かわいくて、髪がやわらかそうで、いいにおいだし、落ち着くし、いつも見ててくれるし、わたしは、好き」
僕の衝動的な告白めいたものに、岬はまっすぐ目を見てこたえてくれる。手は自然と相手を求めて繋がり、二人の足音が、図書準備室の床にこだまして、扉がばたんとしまる音がする。
きょうは、バス停で、お別れ。
あすは、あさっては、その先は。
不思議と怖くなかった。行けるところまで、行ければいいと思った。
こぼれでた思い。 少覚ハジメ @shokaku
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