いっちゃんとの関係

いっちゃんは知らない

「……あんた、昔からそういうところあったね」


 私の下で、私のことを冷めた目で見つめている。そういう所ってどんな? って言い返しても絶対言葉になんて出来ないくせに。


 いっちゃんは結婚してしまう、私を置いて。


 いっちゃんこと、一ノ瀬紗枝は私の憧れだった。背が高くて、いつもしゃんと前を向いている。

 真面目で成績もトップだけど、同級生たちのアイドルやら化粧品やらくるくる変わる話題に全然追いていけなくて、困ったように笑う顔が好きだった。


 流行りのコスメを貸しても「私はいいよ」とすぐに諦める。いっちゃんは自分の美しさを知らない。

 すらりと長い手足に、小さな顔。何もしてないなんて信じられないほどきめ細やかな肌に、自然と長いまつ毛。


 全ての女の子が苦労してて手に入れたい要素を、いっちゃんは生まれた瞬間から持ってる。それなのに、「私はあーちゃんになりたい」なんて無欲な顔で言う。


 いっちゃんに羨まれるべきものなんて、私には何一つないのに。


「ねぇ、何か言ってよ」


 優しくされるほどに惨めな気持ちになる。本当はこんなことするつもりじゃなかったのに。


 海外ドラマにハマってるいっちゃんの為に、独身最後のパーティーを計画したのは私だった。他の友人を誘わなかったのは、最後の夜にいっちゃんを独り占めしたかったから。

 適当に程よくお酒を飲んでふわふわしてればそれで良かった。むくみや肌荒れに十分注意して、明日に障りがないように。


 いっちゃんは途中まで本気でストリッパーが来るかもしれないと怯えていた。上半身裸のレスキュー隊が膝の上で踊るやつ。


 呼ぶわけないじゃん、私たちに男が必要だって本気で思ってる?


 だけど、いっちゃんは明日結婚する。こうなる日が来ること、本当はわかっていたはずなのに。


 彼女は私に流されて付き合うことになった。多分、私が初めての女で、私が最後の女。


 いっちゃんには"普通"の幸せが似合うと思った。笑った顔が好きだったのに、私と付き合ってからは怒ったり泣いてばかり。 


 本当はあの夜、引き止めて欲しかった。駅のホームで最終電車を待ってる時。「帰らないで」って言ってくれたら。


 いっちゃんはあっさり私を手放した。「気をつけてね」って息をするみたいに言って私の顔も見ずに。

 帰りの電車で、私は死ぬ程泣いた。あまりになりふり構わず泣いていたから、端に座った私の隣の席が二つ空くくらい。


 こんな気持ちにさせるいっちゃんのことを、許さないって思ってた。絶対後悔させてやる、って。


 でも、駅のホームでもう一度再会した時、やっぱり諦めきれなくて、友達でもいいから一緒にいたいって本気で思った。だからなんでもない振りをした。


 友達に戻ったいっちゃんは、前よりもよく笑った。私の携帯が鳴っても怒らないし、道で急に手を繋いでも気まずそうに避けたりしない。


ーー私たちは"親友"だから。


 結婚の報告をされた時、素直に喜ぶことなんて出来なかった。だからといって、私と結婚する未来も無いのだけど。


 どうせ結婚式には招待されないと思っていた。それなのに、しばらくしたら丁寧な招待状が届いた。可愛い物に疎いいっちゃんのくせに、センス抜群の可愛いクマのエンボス模様があしらわれていた。


 私はすぐに出席に丸をつけてポストに投函し、その足で結婚式用のドレスとハイヒールと口紅を買いに出掛けた。……これは全て、私の為に。


 ドレスも口紅も順調、可愛いパールのミニバッグも買えた。満足だったのに、最後の店でシャンパンゴールドのハイヒールを試着させてもらった時、涙が溢れた。


 でも、いっちゃんはきっと気付かない。私の涙も、この日の為に色んなものを新調したこと。


『これが、最後の夜だね』


 いっちゃんは何気なく言ったつもりだったんだろうけど、私には無理だった。


「……いっちゃん。いかないで、さみしいよ」


 ようやく絞り出した声は震えていた。泣いて縋ることしか出来ない馬鹿な女みたいだ。


「……私はもうすぐ、"いっちゃん"じゃなくなるんだよ」


 そんなこと、全部今更だった。新しい名字なんて考えたくなかった。優しそうな旦那さん、きっといっちゃんを幸せにしてくれる。


 いっちゃんの手が私の頬に優しく触れた。吸い寄せられるように唇に触れると、甘いリップクリームの香りがした。私がおすすめした桃の香り。 


 いっちゃんの髪を梳くように触れると、くすぐったそうに身を捩った。彼女の髪の手触りが好きだった。私の長い髪を羨ましがるけど、私は彼女の髪の方が羨ましい。どんなに強い風が吹いても、綺麗に纏まるのをいつも見ていた。


 結婚式まで伸ばすって言ってたのに、堪え性の無い彼女は結局ショートへアに戻した。後悔していたみたいだけど、ショートが彼女に一番似合っている。


 私の方が彼女をよく知っている。今なら、まだ間に合うような気がしていた。


「……これが、最後ね」


 私はまた馬鹿みたいに泣いた。この数ヶ月で何回泣いたんだろう。私の涙は一向に枯れない。鼻が詰まって窒息しちゃいそう。


 やっぱり私には、これが最後の夜みたいだ。

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