僕と異星人彼女の宇宙的家族計画

鹿島さくら

僕と異星人彼女の宇宙的家族計画

 2時間目の授業を担当する教師が休みで自習の時間になったのをいいことに、クラスメイトの天笠雲母あまがさきららさんは僕を屋上に連れ出してこう言った。

相沢あいざわくん、私と結婚妊娠出産を前提に付き合って。断ったらこの学校の人間全員殺すから」

 間近に迫るピカピカの美少女フェイスのこらえるみたいな眉間のしわに、強いまなざし。ピンク色や紫、水色でグラデーションになった彼女の髪がさらさら揺れて僕の肩にかかっている。

 いやいや、何が起こってる? 告白された挙句に脅されてる?

「もしかして今日が僕の誕生日だからクラスメイトからのサプライズドッキリ企画とか……?」

 ほらよくある偽の告白で騙してあとでネタばらしするやつ。

 にへ、とぎこちなく笑いながらおどけて言ってみせるが、天笠さんに教室から連れ出されたときのクラスメイトのぎょっとした顔を思い返すとそれは違うと分かる。もっと言うならぼくの誕生日を知っている人はクラスのほんの一握りだ。さらに言うならうちのクラスにそんなおふざけをする奴はいないし、天笠雲母という女子生徒はそんなおふざけに一枚噛むような人ではない。去年から同じクラスの僕にはわかる。

「本気だよ。私の触手はその程度簡単にできるから」

 混乱する僕をよそに彼女は言って、制服の長いスカートをたくし上げた。自然と視線がそちらに向く。

 黒いスカートが幕のように上がり、彼女の白い脛がのぞく。いけないものを見てしまった気分になって顔をそらそうとしたが、叶わなかった。スカートから這い出すソレらに視線がくぎ付けになる。

 うねうねしているピンク色の細長い何か。ミミズのような、蛇のような、スライムのような……そう、しいて言うのなら触手。

 柔らかそうな質感のそれは時折動いて、そうすると光の加減か淡い青や紫にも見えて、なんだか彼女の髪のグラデーションみたいだ。その幻想的な色合いに一瞬見惚れるが、そうではない。

 今、僕が見ているものは何だ。幻か? 美少女のスカートの下からなにか得体のしれないものが這い出してきた。 というかいま彼女は触手って言った? 

 言葉が出ない。けれど、天笠雲母はそれに構わずズイとこちらに詰め寄って耳元でささやく。

「ね、わかるでしょ?」

 わからない、頭が追い付かない、待って欲しい。そう言おうとしたとたん、そのスカートの下から這い出たものはシュっと音を立てて僕が背を付けている壁に亀裂を入れた。耳元でパラパラ……と破片が散るが、そんなことは露知らず頭上に広がる快晴の空に下手なウグイスの「ホー、ケキョ」が響いた。


 おお聞いてくれ人類よ。17年生きてきて、美少女に触手で壁ドンされて、人質を取られて告白された者はいるか? いたら今すぐその時の苦労を分かち合いたい。ついでに教えてほしい、この状況をどうやって切り抜けたのか。

 そんなむなしい僕の脳内演説も現実を前には全くの無意味だ。当然、状況打破の策なんてひとつも思いつかない。テロリストに襲撃されてクラスメイトを人質に取られるも機転を利かせて華麗に解決する僕! ……なんていう中学時代に鍛え上げた妄想もここでは無力。お手上げ。白旗を振るから許してほしい。

「ねえ聞いてる? 相沢くん」

 間近に迫ったクラスメイトの顔から眼をそらす。彼女は1年生の頃からの僕のクラスメイト、天笠雲母あまがさきらら。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗の三拍子そろった冗談みたいな人。誉めそやされてもどこ吹く風、無口で誰かと群れることもないクールな人。クラスメイト曰く「高嶺の花」。そんな彼女の熱っぽく潤んだ目に見つめられていたたまれない。

「聞いてはいる、けど」

 とりあえず返事をすると、壁に刺さっているピンクだか紫だかの触手がするすると移動して僕の握りこぶしに触れた。

「っ、ん、ッ天笠さん」

 突然のことにびくりと身体が跳ねるが、触手はそれに構わずはい回るような動きでぼくの握った手を開く。そのまま解放できないくらいに強く、けれどこちらを傷つけない程度の力加減で五指に絡まる。しっとりしてほんのり暖かい器官に指先から指又まで丁寧に撫でさすられ、くすぐったいような感覚に身体がすくむ。

「離して、天笠さん」

「ダメ、答えてくれるまで離さない。相沢くんに私の赤ちゃん生んで欲しいの」

「でもそろそろ」

 自習時間終わっちゃう、とは言えなかった。天笠さんが空を見上げたかと思うと彼女の髪の毛が良く伸びてブォンと空を切った。その勢いの余波で風が顔に当たる。カツン、と音がして屋上のアスファルトに銀色に光る何かが落ちた。もう驚きすぎて何も言えない。

 一瞬の無言のあと、振り返った彼女の顔と言ったら。

「怪我してない?」

 迷子の子供みたいだった。

 さっきまで恐喝していた人とは思えない、その泣きそうな声。かすかにふるえている瞳。手は僕の肩をぎゅっと握って痛いくらいだ。

 唖然とした僕が首を縦に振ると耳元、消え入りそうな声で「良かった……」。抱きしめられていると気づくころには、彼女は既に身体を離して落下物の傍に屈みこんでいた。

 鋭く光るそれは刃物に見えた。鋭く冷たいそのかたち。刺さったら大けがをしていたかもしれない。こんなものが空から落ちてきたら最悪死ぬ、と不吉な考えが頭をよぎり臓腑がサッと冷えた。思わず手を握り締めてしまう。

「天笠さん……あの、僕」

 何か言おうとするが、振り返った彼女を見るといろんな感情が襲ってきて言葉を失ってしまった。気まずさに耐えられなくなって、結局僕は走ってその場を後にし、教室に向かった。どうせ彼女はクラスメイトだからその場から逃げたってあまり意味はないのだけれど。


***


「お、天笠さんが飛ぶぞ!」

 クラスメイトの木場宙彦きばそらひこが声を上げると、みんなの視線が身長160センチグループに集まった。走り高跳び用のバーを見据え、走りの構えを取る天笠雲母さんはあの派手なピンクと紫の長い髪をポニーテールにして平素より凛々しい印象になっている。

 白いスニーカーが土を蹴って走り出す。強く踏み込むと身体が高く跳ね上がり、背中が弓なりにしなって美しいフォームを描き出す。ふわりと揺れた髪が太陽に照らされてキラキラと光った。髪の毛の先ひとつバーにふれることなくバスンと分厚いマットに倒れこむと一斉に拍手が起こった。

「天笠ちゃんすごいよね、運動得意だと体育も楽しーのかなぁ」

 ひょこりと顔を出したダボダボジャージの女子生徒、松本姫織まつもとひおりが拗ねたような声で言った。遠藤千月羽えんどうちづはが苦笑して彼女の頭をポンポンと軽く叩く。

「アンタは運動苦手だもんね。てか150センチ組がなにこっち遊びに来てんの」

「うち体育ちょー嫌い。来月の体育祭も気が重いよー」

 ふたりの女子生徒たちの言葉に、天笠さんの横顔をじっと見ていた僕は思わず疑問をこぼす。

「……うちの学年っていうか学校で一番運動神経良いらしいけど、天笠さんって楽しそうではないよね」

 だってなんだか、さっき屋上で僕を前にコロコロと表情を変えていた彼女とは大違いだ。

 その場にいた全員が黙ったかと思うと一斉にこちらを向いて「確かに」と言った。 

すばるの言う通り、楽しそうではないよな」

 宙彦の言葉に、佐々波朝陽ささなみあさひが首をひねる。身長180センチグループから抜け出してきたらしい。

「運動はたいてい何でもできるはずだけどね。去年の天笠のハンドボール投げの記録、男子もぶち抜いて全校一位だったとか」

「野球部の奴らが記録抜かされたって悔しがってたよな」

「去年のバレー大会の女子の部、うちらのクラスが優勝したけどあれって天笠ちゃんがいたから優勝できたようなもんだったし」

「去年の体育祭もアンカーの天笠さんのおかげでうちのクラスぶっちぎりで1位だったよね」

「でも帰宅部なんだよな」

「まあそのあたりは個人の自由だけどさ」

 帰宅部。宙彦の言葉に同意しつつ、そう言えばそうだったなぁと僕が思い出すのはちょうど1年前のこと。この高校に入学したばかりの頃。天笠さんの運動神経の良さを知って上級生たちが部活の勧誘に押し掛けたのだ、バレー、バスケ、サッカー、卓球、テニス、陸上、バドミントン、新体操……様々な部活が「レギュラー間違いなしだよ!」と声をそろえて言ったが彼女は自身の椅子に座ったまま眉一つ動かさずに言い放った。

「興味ないので」

 その時点で取り付く島もないと勧誘を諦めた人たちもいたけれど、なお食い下がる人々にピンク髪の新入生は言ったのだ。

「個人競技ならどの種目でも私が勝ちますから、意味ないですよ」

 この発言に、当時彼女の前の席だった僕だけでなくクラス中が肝を冷やしたものだ。案の定、勧誘に来ていた上級生の一部はそれはもう烈火のごとく怒ったが、すでに彼女の運動神経の冴えを見せつけられたクラスメイト一同、傲慢な彼女の物言いにも妙に納得してしまっていた。

「……天笠さん、さっきの物言いはあんまりよくないと思うけど」

 怒り散らした上級生が教室を出て行ったあと、一応前の席のよしみで僕が言うと天笠さんは相変わらず顔色一つ変えないまま冷静な声で「そう」とだけ言ったのだ。その態度が傍若無人と言えばその通りなのだけど、なんとなく格好良いなと思ったのも僕の正直なところだった。

 向こうの方で体育教師が天笠さんに声をかけている。何か話した後に一つうなずいた彼女は走り高跳び160センチグループからこちらに移動してくる。

「もう少し高いバーで跳んでみろって、中川先生が」

 にこりともせずに天笠さんは言った。その決然とした態度に気圧されて、僕らはぎこちなく首を縦に振る。僕らの誰も跳ぶ気がないと知るや否や、運動神経抜群の女子生徒はスタートラインに立って跳ぶ準備をする。

「……成績も良いんだよな、天笠は」

「物理、化学、数学は全国トップレベルでしょ」

「その割にはなぜか国公立文系うちのクラスなんだよねー」

「文系科目好きなんじゃねぇの」

「そのあたりは個人の自由だから」

 宙彦の言葉にうなずいているうちに噂の彼女は駆け出す。ピンクと紫、所々水色にも見える髪の毛がキラキラしている。

「でも天笠って成績良いけど優等生ではないよな」

「髪色自由とは言えまさかのピンク髪だし」

「紫でインナーカラー入ってるし。てかあれマジで染めてんの? 綺麗すぎて地毛としか思えん。月幾らくらいかけてんだろ」

「天笠ちゃんはなんてゆーか高嶺の花だよー」

 その目立つ髪色も相まって、去年の部活勧誘騒ぎのすぐあと、実は人知れず上級生による嫌がらせが天笠雲母さんに対してあった。

 たまたまそれを見かけた僕が声をかけてとりあえずその場は収まったのだけれど、教員への相談はいらないと彼女は言ったのだけれど。どうにも引っかかって結局、僕は天笠さんを説き伏せて担任に一応報告をしたのだ。それ以来一応問題は起きていないらしい。とはいえ、彼女との個人的なやり取りはそれくらいだ。

 天笠さんの身体は弧を描きながら宙に浮いて軽々とバーを越えていく。体育の教科書に載ってもいいくらいに見事な走り高跳び背面跳び。 

 僕らが「おおー」と間抜けな歓声を上げて拍手を贈るとピンクの髪を揺らしたクール&ドライな女の子がちらりとこちらを見た。何気なく視線が合うと彼女はヒラヒラ手をふる。それが自分に向けられていると分からないほど、僕は鈍感じゃない。

 とたんに、屋上で迫られたことを思い出して目をそらす。手を握られた時の感触がまだ手に残っているようで落ち着かない。柔らかくしっとりとした触手の質感。無理強いはしないくせに妙に強い力。今は冷めたような淡い色の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめて熱っぽく光っていた。

「そういや昴くん2時間目に天笠さんに連行されてたけど何だったの?」

「天笠のことだから恐喝とかゆすりじゃないだろうけど大丈夫か?」

 千月羽と朝陽がこちらの顔を覗き込んで心配してくれる。……ああ、言いたい、でも言えない! 君らを人質に取られて結婚妊娠出産を前提に付き合って、とか言われてなんて。ついでに何だかとんでもないことを言われた気がする。なんだっけ、もう僕は情報が多すぎて混乱してるんだ。

「あー……平気」

 もう何をどう説明したってトンチキになる。無難に収めたい一心で言うと、とりあえず皆納得したらしい。けれど姫織と宙彦が僕の肩をがっしり掴んで言った。

「困ったコトあったらあたしらに良いなよ?」

「そうだぜ、俺たちでどうしようもないことならそれはそれで相談窓口探すの手伝うしさ」

 その優しさに思わず涙が出そうになる。持つべきものは友、とはよく言ったものだ。

(……ほんとにみんな良い奴だよなぁ)

 去年の夏前、学校の中で野良猫が子供を生んでるのを見つけたのがきっかけで彼らと仲良くなったんだったな、とミィミィ鳴く猫の赤ちゃんを思い出して心が和んだが、そこで思い出した。直近の問題。

(「相沢くんに」私の赤ちゃんを生んで欲しい、って言われたんだよな)

 チラと当の本人を見れば、相沢さんは既に最高身長グループで高跳びに挑戦する準備をしている。

(あれだけ成績優秀でまさか生物と保健体育は苦手とか? 勉強はできるけど世間知らずで男が妊娠できることを知らないとか? ……いや、でもそれはないよなぁ!)

 盛大に首をひねっていると、向こうの方にいた体育教師の中川がピッと笛を吹いてこちらに声をかけた。

「ほらそこ、松本、佐々波、自分の身長のグループに戻れ」

 すかさず反論するのは妃織だ。

「中川センセ、センセはこの松本姫織に背面跳びなんて高度が運動ができると思ってるんですか」

 見事な開き直りであるが、彼女の運動神経の悪さは学年でも有名である。だからと言って、教員も生徒を遊ばせておくわけにはいかない。

「松本、気持ちはわかるが体育の授業は出席して、最後まで成功しなくて良いから競技のルールを守って実践したら単位が出るしそう悪い成績も付かないんだ。失敗して良い、やるだけで良いから」

 妙に物わかりの良い説得だった。はなから大学の推薦入試をあてにしない、つまり高校での成績5段階評価が大学入試に直接影響しないクラスに所属している僕らにとっては、高校の成績など「それなり」で良いのだ。体育教師に笑顔で励まされて50メートル走女子学年最低記録保持者はすごすご元のグループに戻っていく。その間に何事もなかったように朝陽も自分のグループに戻り、最初の競技説明に従ってバーを越えようとしたがガシャンと音を立ててバーもろともマットに転がった。

「……難しいぞ、これ」

 マットにあお向けになったまま唖然とした朝陽がつぶやくと、クラスメイトたちがドッと笑って同意する。

「むしろちゃんと跳べたの天笠含めて3人しかいないぞ」

「それはそれでどうなんだよ」

「そもそもうちの高校は別に運動得意じゃないからな」

 そんなことを言っている間に姫織が練習用に設定されたバーに挑戦したが、案の定うまく飛べなかったらしい。

「……天笠さん、上手く飛ぶコツは?」

 近くにいた天笠雲母に問いかけると、運動神経抜群の彼女は一瞬びくりと肩を揺らして目を見開き、その後すぐに斜め下を見て呟いた。

「分からない」

 何だかその横顔が、寂しそうに見えた。


***


「昴、落ちるなよ!」

「気を付けてね!」

「落ちたらうちらが受け止めっからよぉ!」

「昴、俺たち黙ってるから集中しろ!」

 宙彦、千月羽、姫織、朝陽の4人の声を背に受けながら、木の枝に手をかける。朝陽の言葉にけん制されてギャラリーは口を閉ざした。少し上の方では黒猫がナァナァと心細そうな声を上げている。ぐ、と腕に力を込めて太い枝に上半身を乗せ、脚に力を込めて木の幹を上り枝に乗りあがる。幹を支えに慎重に身体を伸ばし、猫のいる枝に腕を伸ばして声をかける。

「迎えに来たぞ、下りてきな」

 黒猫がナァーン、と弱弱しく鳴いてそろそろと脚を動かし始める。去年僕たちが見つけた生まれたての猫たちとその母親は今も親子そろって健康に過ごしており、地域猫ならぬ学校猫のようなポジションになっている。僕らも生徒会に協力しながら中庭に寝床を作ったり去勢手術を受けさせたりしているのだ。だがその子猫のうちの一匹が中庭の木の上に登ったは良いが下りられない……という状況になっていた。

「ほら、こっち、こっちだ。大丈夫だぞ」

 声をかけ、腕を伸ばしたまま木の枝にまたがって座り込み安定した姿勢を取る。自分が落ちてしまっては元も子もない。

「お母さんが待ってるぞ」

 言葉の意味が分かるのか、黒猫は僕の腕を伝って肩にしがみついた。下から息をのむような音が聞こえる。

「昴、下りられるか?」

 我慢できなくなったように宙彦が声をかけてくる。

「大丈夫! ……君ね、先に下に降りてくれると助かるんだけど」

 猫に声をかけるが、今度は聞く耳持たないらしい。僕の頭の上に昇ろうとしたり、肩からずるりと腹のあたりに雪崩てきたり、忙しない。こりゃあ家に帰ったらコロコロでしっかり毛を取らないとな……なんて思いながら、結局猫が頭に乗った状態で足場にしていた枝を掴んで下りる。するとこちらの脚が地に着くよりも前に子猫は何事もなかったかのようにピョンと下りて、中庭の植え込みの陰に走って行ってしまった。

 僕が地上に立つと、4人は「はー!」と盛大にため息をついてその場に座り込んだ。

「昴が怪我しなくて良かったー!」

「びっくりしたよね、急に昴くんが木登りできるよって言い出した時は」

「木登り得意なの?」

 千月羽からジャケットとネクタイを受け取って「うん」と返事する。木登りは小さいころによくやっていた遊びだ。

「まあ登るたびに落ちて親をハラハラさせてたんだけどね。頭もたくさん打ったけど怪我もあんまりしなくて……」

 ただ、一度だけ例外がある。小学校低学年の時、木から転げ落ちてしまい、腕をおかしな風にひねったことがある。何となく痛かったが、僕は大して痛くもないし、とこれを甘く見て親に何も言わなかった。しかし3日経っても痛いのでこれはおかしいと親に相談したところ、すぐに接骨院に連れて行かれ、レントゲンを撮ると見事に骨折していたのだ。

「普通なら痛くてその場で泣きわめくはずなんですが……」

 医者は呆れたように言っていた。その後、大きな病院で色々調べてもらって分かったのだが、僕は痛覚が鈍いのだそうだ。原因は分からないが、生まれつきの体質だという。自分の怪我を甘く見ないようにこんこんと医者に説き伏せられて、つまらないなぁと思ったのをよく覚えている。以来、この体質で何か問題があるというものでもなし、得したと思うことはあれど困ったこともなく、木登り禁止令が出た以外は両親と弟と一緒に平穏に過ごしている。

 まあ何はともあれ猫も無事でよかった、といつもの5人で帰ろうとしたところで、「相沢くん!」と呼ぶ声が後ろから聞こえた。 

 ぎくりと身体が緊張する。振り返ると案の定天笠さんが走ってきていた。すさまじいスピードで。

 息も切らさず僕の正面まで来た彼女は、僕の手首を握って言った。

「ちょっと、話したいことがあるから付いてきて」

 あまりにも突然で断ろうかと思ったが、夕日に照らされた彼女の目がなんだか必死で、眉間に刻まれたしわが苦しそうで、僕は「分かった」と答えてしまった。

「大丈夫か? 昴」

 朝陽が低い声で問うたので、天笠さんの方に一歩進み出て彼らに笑いかけた。

「ごめん、今日は先に帰ってて。じゃあまた!」

 手を振ると4人は笑って手を振り返してくれた。

「じゃあ日曜日は昴の誕生日会な」

「主役だからいくらでも遅刻して良いぞ」

「いつもの駅に10時集合ね」

「あとでまら連絡するから!」

 彼らと別れて夕暮れの廊下を歩く間、あちこちから聞こえる部活の音や生徒たちの笑い声がなんだか遠く聞こえていた。そうして天笠さんに手首を引かれたまま連れていかれたのは1階の空き教室だった。自習用に開放されている部屋に入ると彼女はぴしゃりと扉を閉めた。それが一種の死刑宣告に聞こえて無意識に身体が強張る。

「それで」

 部屋の電気をつける時間も惜しんで、彼女は僕を教室の隅に置かれた掃除道具入れのそばまで追い込んだ。西日に照らされたピンク色の髪がきれいだと場違いなことを思った。

「返事は?」

 その声で現実を振り返る。40人が入ることを想定した教室に2人しかいないのに、その隅っこで、香水か柔軟剤の香りがするくらいにひっつきあっているのがなんだか滑稽だった。成績優秀でいつでもクールでドライな人がすべての文脈を無視して喋っていて、調子が狂う。彼女の肩越し、窓から吹き込む風に揺れるカーテンが見えてようやく僕が口にした言葉は。

「……外から見えるよ」

 なんだかひどく弱りきったような声色で。

 そばのピロティーからは生徒たちのきゃあきゃあと楽しそうな声が聞こえている。

「ここなら死角だから大丈夫だよ」 

 時間稼ぎは無効だ。彼女の大きな瞳が夕日を受けてキラキラと光っている。

「……あのさ、結婚はまだしも妊娠出産を決めるにはまだ早くないかなぁ」

 だってまだ高校2年生だ。参政権だって持っていない。

「そもそも、僕は男だからね」

 そう。空から降ってきた刃物とか、天笠さんに生えている(?)触手とか、突然の全校生徒殺します発言で動揺していたけれど。

 天笠雲母は言った。相沢君に私の赤ちゃんを生んでほしい、と。

 この相沢昴、本日晴れて17歳。いかつい見た目ではないが女の子に間違えられたことはない。幼いころはともかく、今となっては身長も170センチあるし声変わりもしている。勘違いされる要素はないはずだ。

「だから赤ちゃんを産むとか無理だよ」

 これで彼女も諦めてくれるだろう。いや、どうか諦めてくれ。もはや賭けをしているような祈っているような気分だ。だが現実はそんな希望的観測をはるかに超える。

「私の母星、エレスティアの技術なら可能だよ」

 ……嗚呼、事実は小説より奇なりって言った奴は誰だ、アンタは本当に正しいよ。

「ボセイ?」

 一応聞き返してみる。話の意味は通じなくなるけど漢字変換は「母性」とか「墓制」であってほしい。

「そ、私の母なる星、生まれ故郷。第一、触手の生えた地球人なんていないでしょ?」

 ハイ、だめです。「母星」です。たしかに触手の生えた地球人なんていない。もしもいるならそれは逆に僕が地球人でないということになる。だとしても、当然のような顔でそんなことを言われても困る。親しい人が実は宇宙人だなんてそんな妄想は小学校時代に卒業してるもんだろう!

 あまりの展開に何も言えないでいると、自称エイリアンがぴったりと身体をくっつけてくる。触手の生えているらしい身体はやっぱり暖かい。

「ここにね」

 吐息交じりの声がして耳の後ろが熱くなる。それを知ってか知らずか彼女の指が僕の下腹部をそっと撫でた。思わず身をすくませるが当然彼女は逃してくれない。

「子宮を埋め込むの。相沢くんのトランスボディの身体なら大丈夫」

 大丈夫、ともう一度耳元で囁く声はひどく優しい。

「赤ちゃん作る時はちゃんと気持ちよくしてあげるし、生まれたら私も一緒に大事に育てるから」

 腰がすり合わされる。それが意味するものについにキャパオーバーを迎えた僕は彼女の肩を掴んで思いっきり引きはがした。

「待って待って、天笠さんの中でどこまで話が進んでるの?!」

 頬の熱さや首の後ろが汗を伝っていくのを感じながら半ば叫ぶが、彼女の返答はあっさりしていた。

「さっき話した通りだけど」

 ええと、と彼女は首をひねって言う。

「相沢くんが“覚醒”して、その上で相沢君が望むなら赤ちゃんは300人くらい作っても良いよ。私としてはあんまり数にこだわってほしくないけど。で、その子たちがみんな元気に育って自分で戦えるようになるってところまで私は考えてるよ」

 ……よく分からないが、僕は急に耳が悪くなったかもしれない。

 さんびゃく。サンビャク。三百。

「……300?」

「うん、300」

 聞き間違いではなかった。彼女は黒板にアラビア数字で克明に300、と書いた。非現実的な数字に思考がストップする僕をよそに、未来の伴侶候補(仮)は嬉しそうにしゃべっている。

「でもさっきも言った通り、数にはこだわらないし大事なのは愛情だから別に1人でも2人でも良いの!」

 歴史上、子供の数が3桁というのは実際にある話だがそれは父親に対しての数だ。母親の方はそうもいかない。出産は現代でも命がけの行為で、それを最低でも100回なんて。不可能、絶対無理だ。それとも彼女の母星の技術なら可能なのか。

 というか、天笠さんってこんなにニコニコしゃべる人だったのか。クラスの誰ともつるまず、昼休みはフラッとどこかに行ってしまって、全速力で走ってもバスケの試合でゴールを決めても汗ひとつかかず顔色一つ変えない普段の彼女からは想像もつかない。

「普通のエレスティア人も100人単位で生むのは無理。でも相沢くんみたいなトランスボディなら可能だよ」

 覚醒すれば、だけど。

 低い声で言って、彼女は一番近くにあった席の椅子に座った。それに倣って倒れこむように席に着くと、異星人を名乗るクラスメイトはすっくと立ちあがってチョークを持ち、黒板に「質問コーナー」と書いた。

「何か混乱してるみたいだから知りたいことどんどん聞いて!」

 混乱しないわけがないんだよなぁと思いながら思いついたことから聞いてみる。

「天笠さんの母星ってどこにあるの」

「アンドロメダ銀河の端。エレスティア星だよ」

 彼女は白いチョークで細長い楕円を二つ描き、そのうちアンドロメダ、と書かれた楕円の端に小さな丸を書いた。そこが彼女の故郷らしい。

「地球の人たちは信じられないと思うけど、隣の銀河系には地球人や私たちみたいな人たちがたくさんいて、宇宙航空技術が地球よりずっと進んでて星間交流も盛んなんだよ」

 言いながら、もう一つの楕円に天の川銀河、と書いて端の方に小さな丸を描く。

「ここが地球。エレスティアと地球は距離的に結構近いんだ」

 けれど、地球はいまだに他の星に生物に人間のような文明を築く知能生命体を見つけ出せていない。近いのは距離だけだ。

「地球の方が宇宙開発が圧倒的に遅れてるのに、他の星がそこに侵略してきたり恩を売ったりしないのはどういう意図なの?」

 例えば、かつての列強による様々な国への干渉のように。

 天笠さんは首をひねりながら言う。

「天の川銀河には地球以外に知能生命体がいないの。だから地球という星自体が貴重なサンプルでね。これを壊すのはご法度。この宇宙間協定に違反したらそれはもう怒られるんだ」

 どうやら地球は宇宙のガラパゴスのようなものらしい。

 じゃあ次の質問、と言ってエレスティア人はにっこり笑う。

「天笠さんが僕にその……子供を仕込むことってできるの?」

「できるよ。エレスティア人はみんな両性具有だから」

 返答はこちらの予想を軽く超えていた。頭を抱えていると「もちろん私も」という声が聞こえて目をそらす。視界の端で、制服のスカートからあのピンク色の触手が「いえーい見てるー?」とばかりに元気にぴょこぴょこ動いていてなんだか気まずかった。

「その触手……何?」

 問うと、彼女は照れたように触手をスカートの中に仕舞いこんだ。かと思うと彼女の長い色鮮やかな髪が伸び、いくつかの束を作った。その束の1つ1つが生き物のように動いている。まるでメデューサだ。さらに左腕が崩壊した。幾本かのロープを縒(よ)り合わせて太い一本になっていた綱がほどけるような、そんな具合だ。

「エレスティア人は腕も髪も脚も本来はこういう触手なの。それを縒(よ)り合わせて人間と同じ姿になってる。私は戦闘機構持ちマムディアドークだから触手の先端が硬化させることができてね、戦闘に使う前提なんだよ」

 ほら、と言うとピンク色の髪の先端、紫色になっている部分が固くツヤツヤとした質感に変化した。

「マム……何?」

 聞きなれない言葉だった。彼女はチョークを持ち、黒板に「戦闘機構持ち=マムディアドーク」と書きつける。

「生まれながらの戦士ってとこかな。エレスティア星の軍事力は戦闘機構持ちマムディアドークの数に直結してる節があるんだけど……数年前に終わった戦争の影響で今、戦闘機構持ちマムディアドークの数がすごく減ってるから国家上層部も軍部もその増やしたいって思っててね」

 わずかに沈んだような声色だった。黒板の方を向いているせいで彼女の顔は見えない。

 その場を支配した沈黙に耐え切れず、僕は次の質問をする。

「トランスボディって何?」

 エレスティア星からきた戦闘機構持ちマムディアドークの女の子は黒板の方を向いたままよどみなく答えた。

「宇宙中の誰もが欲しがる万能薬。本人が満17歳を過ぎて“覚醒”した場合、超再生能力を得ることがある、生命力の塊。その肉を食べればあらゆる傷が癒える万能薬となり、そして異星人の子供を産むことができる特別な体質を持つ人のこと。トランスボディは先天的に身体が頑丈で、痛覚が鈍いっていう特徴があるんだけど」

 途端に、SFマンガじみた話が現実味を帯びてきた。痛覚が鈍い、それは僕も持っている特徴だ。骨折の痛みですら気にならなかった鈍さだ。それを言われてしまうと、こんな嘘臭い話もなんだか信じざるを得ない気持ちになってくる。

 黙り込んだ僕の反応をどうとらえたのか、「そしてね」と天笠さんは声を潜めて言った。

「トランスボディは、私たちエレスティア星にとっては戦闘機構持ちマムディアドークを生むことができる唯一の存在なの」

 ……うん、なんだかこんがらがってきたぞ。万能薬のくだりはいったん忘れるとして。

 つまりエレスティア星では戦闘機構持ちマムディアドークは貴重な人材で、トランスボディからしか生まれてこない。けれど今はその数が減っていて、その数を増やしたい。そして今、戦闘機構持ちマムディアドークである天笠雲母がトランスボディであるらしい僕に結婚どころか妊娠出産まで含めて僕と付き合おうとしている。

 それってつまり……。

「体目当て?!」

 思わず大声を上げてしまったが、幸い傍のピロティで遊んでいた生徒たちはどこかに行ってしまっていた。

 とたんに天笠さんは愕然とした表情で震える声を上げた。

「あの、えっと、そんなことは……」

「え、だって、だってさぁ……」

「そ、そう、かもしれない、けど、それは結果論っていうか」

「いや、でも、でもさぁ!」

 お互いに要領を得ない言葉ばかり並べているが、とにかく僕は戸惑っていた。ついでに言うならちょっと怒っていた。

 だってなんだかそれは納得しづらい。世間はこんな美少女なんだぞ文句言うな、と言うのかもしれないけれど、ただ付き合うんじゃあない。結婚どころか妊娠と出産まで引っ付いてきて、彼女の話を信じるのならそれはエレスティアとか言う星丸ごと一つぶんの趨勢がかかってくる勢いなのだ。

「でも、それってフェアじゃないよ。僕にとっても、天笠さんにとっても」

 生まれながらの戦士だというエレスティア星の女の子は目を丸くした。なんだか、泣きそうな顔にも見えた。

「それに、それにさ、結婚とか妊娠とか出産って本人たちの同意によってのみ決まるべきでさ、国とか民族がこういう方針でこういう状況だから子供を生んだ方が良いとか生まないほうがいいとか、そんな風に圧力をかけられるのって、何かおかしいと思うんだよ、僕」

 戦闘機構持ちマムディアドークが眉間にしわを刻み、目を伏せる。痛みをこらえる時の顔だ、と思った。身体の傷ではない、胸に感じる痛みをこらえる時の顔。その顔を見ているとなんだか僕の方が耐え切れなくて、彼女の手をそっと握った。淡い桃色の触手の手を。

「だって、だってさ。僕の身体は僕だけのものだし、天笠さんの身体だって天笠さんだけのものだ。誰かに管理されたり縛られたりしていいものじゃないと思う」

 母星の軍事力の一翼を担う少女が顔を伏せる。触手がそっと指に絡む。わずかに力がこもって、握り返されたのだと分かった。

「付き合うのも結婚するのも身体を預けるのもさ、僕らは自分の意思で決めて良いんだよ」

 ゆっくり、静かな声で語りかける。祈るような心地だった。沈黙の後、吐息と聞き違うような声で「うん」と天笠さんは呟いた。

「……よく考えたら良く知らない人にこんなこと言われても困るよね」

 異星人が顔を上げて、眉をハの字にして笑う。

 そうだ、僕、初めて知ったんだ。どんな時も顔色一つ変えないクールでドライで成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗の天笠雲母さんがそんな顔するって。異星人とかトランスボディとか正直そのあたりの話は半信半疑なんだけど、でも、少なくとも今、天笠さんが、あの天笠さんがくるくる表情を変えてて、それにびっくりしてるのになんだかそれが嫌じゃない僕がいる。

(……いや、嫌じゃないというか、結構いいなって思ってる)

 だから、僕は言った。

「これから知っていったら良いんじゃないかなぁ。僕は知りたいなって思うよ、天笠さんのこと」

 たぶん宙彦とか朝陽とか姫織や千月羽もそう思っている。クラス中のみんなが思っている。

 だけどそれを言う前に、クラス一の美少女がずいっと歩み出て、僕の手を握ったまま酷く真剣な顔で言った。

「じゃあ、明日私とデートして。もっと私のこと知ってほしい」

 窓から差し込む真っ赤な光に照らされて、彼女の手も髪も頬も真っ赤になってキラキラと輝いていた。絡み合った僕の指も、多分頬も真っ赤になっていた。

「……うん、良いよ」


***


「相沢君、危ないよ」

 翌日土曜日、昼前の繁華街は人でごった返していた。カラオケ店から出て歩いていると、向こうから来る人にぶつかりそうになって、横を歩いていた天笠さんに腰を抱かれて引き寄せられる。ぶつからなくて良かったという安心よりも恥ずかしさが勝ったので「ありがとう」は絞り出すような情けない声になった。

「怪我してほしくないから」

 天笠さんは何でもないことのように言って静かに微笑む。ほんの少し口角を上げて目を細めた顔が、冗談みたいに綺麗だった。

「っ、あ、あのさ、ちょっと早いけどそろそろお昼にしない? このあたりのお店、どこも混むから」

 気まずいのをごまかすように言うと、彼女はパッと花が咲くように笑う。

「僕は好き嫌いもアレルギーも無いんだけど、天笠さんは? 去年の宿泊研修の時とかそういう感じじゃなかったと思うけど」

 去年の秋の宿泊研修は飛騨高山でのアウトドア体験と養蚕についての学習の二本立てで楽しかったなぁ、なんて思い出す。宙彦たちと5人で班を組んで、旅行中に千月羽が誕生日を迎えたからサプライズでお祝いしたのは思い出深い。

(……天笠さんは楽しかったのかな、あの宿泊研修)

 いや、それだけじゃない。学校生活自体が。

 昨年春の体育祭、クラス対抗リレーでぶっちぎりの一位を決めた時もそれが当然だと言わんばかりの顔をしていた。去年の夏休み前のバレーボール大会、顔色一つ変えずあっという間に女子チームを学年優勝させて、にこりともしなかった。(そして彼女以外の全ての者が圧倒的な試合運びに唖然として喜ぶどころではなかった)昨年の秋、大成功した文化祭の打ち上げにも来ることはなかった。昨年度の末、成績優秀者として廊下に名前が張り出されても見向きもしなかった。昨日、当たり前だと言わんばかりの顔で高く設置されたバーを軽々と背面跳びで越えていた。

 今、僕の横を歩いて台湾料理店を目指す彼女とはずいぶんなギャップがある。

「相沢君、中華の類好きなの?」

「うん。天笠さんは? その……故郷ではどういうもの食べてたの?」

「肉とか魚とか虫とか。エレスティアでの食べ物は全部人間の手で育てたもので、特に野菜なんかは工場で作ってるんだよ」

 最近、日本でもそういう技術が普及し始めているけれど、彼女の母星はそれが普通らしい。

「エレスティアは地球みたいに穏やかな環境じゃないからね。天然自然のものはともかく、少しでも人工的に遺伝子を操作したようなものは建物の中じゃないと生きていけないの」 

 そんな風に言いながら、アンドロメダ銀河から来た女の子は空を見上げる。春の風にピンク色の髪が揺れて、インナーカラーの紫や毛先の青がキラキラ光る。街行く人たちは彼女の横を通ると、時折振り返って彼女に見惚れる。派手な髪色が目に付くのだろう。通りすがりの小さい女の子が彼女を見上げて舌足らずにはしゃいだ声を上げた。

「おねーちゃんの髪きれーだね。ママ、あゆも髪ピンクがいい! プリンセスフローラみたいにしたい」

 なるほど、確かに日曜朝の人気女児向けアニメの主人公の髪色はちょうど天笠さんの髪色に似ている。

 焦る母親をよそに、天笠さんは微笑んで女の子の前にしゃがみ込む。淡い色の瞳が柔らかく光っていた。目の前の存在が愛おしく見守るひとのまなざしだ。

「ピンク色好きなの?」

「うん! おねーさんの耳もかわいい!」

 女の子が遠慮なく彼女の耳に手を伸ばした。子供というのは遠慮がないが、ピンク髪のおねーさんは嫌な顔一つせず、それどころかにこりと笑って言った。

「じゃあこれあげる」

 天笠さんは両の耳からイヤリングを外した。ピンク色のリボンがついたハート型のそれを差し出すと、女の子は跳び上がった。

「かわいーい、おねーさんありがとー!」

 女の子の母親が焦って返そうとするが、女の子は貰ったイヤリングを握って離す様子もなければ天笠さんは気にしないでくれと言う。

「私があげたかったんです」

 そう言って微笑み、女の子の小さな手をそっと握った。

「……怪我しないで大きくなるんだよ」

 酷く切実な言葉を理解しているのかいないのか、女の子はにっこり笑って元気よく首を縦に振った。母親の方は恐縮して何度も頭を下げてから女の子と手を握ってその場を後にした。女の子が何度も何度も振り返って手を振るのに、天笠さんもいつまでも手を振り返していた。

「……子供好きなの?」

 ようやく母子が人ごみに見えなくなったところで僕が聞くと、天笠さんは曖昧に笑う。

「どうかな」

 よくわかんないや、と言った彼女は赤い提灯で飾られた店の扉を開く。香辛料や肉の焼ける匂いがして途端に食欲を刺激される。駅の高架下にあるこの店は屋台風の内装が特徴的で、料理も本場の味付けで美味しくてお腹一杯になれるのに安いので気に入っている。店員にランチセットを注文して、お冷代わりのジャスミン茶を受け取る。

「相沢君、今日の恰好このお店にピッタリだね」

 向かいに座った天笠さんに言われて気の抜けた笑いがでる。今日のお昼は絶対中華、と意気込んだ結果のチャイナシャツだった。

「天笠さんの私服初めて見たかも。おしゃれだね」

 去年の秋の宿泊研修はアウトドア用の動きやすい恰好ばかりでおしゃれをするとかそういうのじゃなかったなぁ、と思い出す。今日の天笠さんは長い髪をみつあみにして、リボンとパールをあしらったヘアピンをつけている。パステルカラーのパーカーに白いミニ丈のスカートの組み合わせが可愛らしく、淡い水色を基調にした厚底のハイカットスニーカーが快活な印象を与えている。

「ありがと」

「そのヘアピンも可愛いね」

 耳の傍を指さして言うと、天笠さんは蕩けるように笑って「宝物なの」と言った。

「人からもらったものでね。普段はつけないんだけど今日は特別。……それはそうと相沢君って歌美味いんだね」

「え、そう? 最低限音程とリズムがあってるだけだからあんまり上手いとは思わないんだけど」

「よく分かんないけどそれは上手いに分類されるんじゃないかなぁ」

「それを言うなら天笠さんも上手かったじゃん」

「……そうかな。人に聞かせたの初めてだからよく分かんなくて」

 顔を見合わせて「お互い分かんないことだらけだね」と苦笑する。

 午前10時に学校近くの繁華街の最寄り駅に集合して、真っ先に向かったのはカラオケだった。デート、と言った天笠さん本人もデートプランというものをよく分かっておらず、かく言う僕も天笠さんがどこに行くのを好むのかよく分からなくて、結局カラオケに行くことにしたのだ。

 歌はあまり聞かない、という彼女は全米ヒットチャート曲や去年のレコ大優秀賞曲などを2つ3つ歌ったところでネタ切れだと白状した。

「去年地球に来たばっかりだからこっちの曲あんまり知らなくて」

「去年来たばっかり? でもさ、去年の時点で僕にトランスボディのこととか教えてくれればよかったのに」

「そうしたいのは山々だけど……トランスボディがその力を発揮するのは満17歳を過ぎてからなの、それに合わせて、宇宙間協定でトランスボディを自分の星に連れて行くための勧誘は本人が満17歳を過ぎてからって決まってるから」

 なんだか、僕の知らないところで僕の身体の処遇に関しての話し合いと奪い合いとそのための規則が定められているらしい。

「ほんとうはその1年半前には相沢君を見つけてたんだけどね。地球に馴染むために色々訓練もあったから」

 体のつくりから違う生き物の住む星に潜入するのならそういうのも必要だよな、と思いながらも話半分……とは言わないまでもやっぱりどことなく夢物語を聞いているような気持ちにならざるをえない。だから、別に意地悪というつもりではなく単純な興味で天笠さんに言ったのだ。

「じゃあエレスティアの歌でも良いからさ、天笠さんの好きな曲聞かせてよ」

 最新楽曲の宣伝をするテレビの音量を0まで下げると、彼女は咳払いしてから耳馴染みのある曲を口ずさんだ。

「Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are……」

 良く知ったそのメロディを一通り歌い終えると、エレスティア星の女の子はこちらを振り返って困ったような顔で言った。

「あんまりカラオケ向きの曲じゃなくてごめんね」

 その物言いで、なんだか僕は分かってしまった。

「もしかしてさ、天笠さんが去年の文化祭の打ち上げのカラオケに来なかったのって僕らに遠慮してたから?」

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗の3拍子揃った高嶺の花は弱りきった顔で頷いて言った。

「ボロが出たらいけないと思って」

 眉を下げて笑うその顔に、僕は心の底から理解してしまった。

 ……ああ、なんだ。なんというか、彼女は普通の女の子だ。

「あの歌好きなの?」

 運ばれてきた料理を受け取り、魯肉飯(ルーローハン)を天笠さんに差し出すと彼女は照れたように笑って答えた。

「私の……お母さんが小さいころによく歌ってくれたの」

「お母さんってことはその人もトランスボディ?」

 確か、戦闘機構持ちマムディアドークを生める唯一の存在がトランスボディという特異体質だと言っていた。なら、戦闘機構持ちマムディアドークの天笠さんもトランスボディから生まれたことになる。

「そうだよ。トランスボディは地球で数十年に1度しか生まれないから私たちが迎えに行くの。私の父親に当たる人が、私が今こうしてるみたいにアガストスを迎えに行って結婚したの。エレスティアに永住したのは大学を卒業した時だって言ってたかな」

 だからきらきら星が歌えるのか、と納得する僕の向かいで異星人の女の子は目を伏せる。

「アガストスは男の人でね、優しかったなぁ。数年前に亡くなってるんだけどね。私、小さいころはあの人にべったりだった」

 男の人。数年前に亡くなった。衝撃の大きい言葉に、追加で運ばれてきた点心を受け取り損ねたが、天笠さんがすさまじい反射でキャッチしてくれたおかげで大事故を避けられた。周囲の客や食事を運んできた店員から「おぉ~」と感嘆の声があがったが、僕の思考は別のところに飛んでいた。

(男の人、で、天笠さんを生んだ……)

 彼女の母星、エレスティアの技術なら男性に子宮を埋め込んで問題なく妊娠出産させられるというから話に矛盾はない。

(そして亡くなった)

 まだ甘えたい盛りの十代半ばで大好きな親を亡くした彼女が今日までどんな心境で過ごしてきたのだろうと思わずにはいられない。同じトランスボディの僕をどんなふうに思っているのだろう。

「相沢君、大丈夫?」

 黙ってしまった僕の顔を覗き込んで天笠さんがヒラヒラと手を振る。淡い色の瞳をパチパチさせながらあどけない表情を浮かべている。

「ごめん、動揺して」

 声は絞り出したようだった。

 怪我がないなら良いの、と笑った女の子は生まれながらの戦士だという。ならば反射神経や運動神経がすさまじく良いのも当然のことなのだろう。もしかしたら体育の授業でもバレー大会でも体育祭でも彼女はボロが出ない程度にずいぶん手加減しているのかもしれない。ならつまらない顔をして部活に所属しないのも納得できる。

「……実は、クラスのみんなとはもうちょっと仲良くなれたら嬉しいな、とは思うんだけど」

「もっと気軽に声かけていいんだよ。もしちょっと変なこと言ってもうちのクラスだったらみんな気にしないと思うよ」

 うちのクラスは良くも悪くも宙彦を筆頭に「みんな色々事情があるもんな」という前提を掲げている。だから朝陽や千月羽も干渉しすぎない程度にお互いを気にかけている。例えば一緒にカラオケに行ったとして、歌うのが苦手だからと言えば誰も無理強いはしないだろうし、何なら割り勘のカラオケ代も少し安くしてくれるはずだ。

「多分、話しかけてくれたら姫織も喜ぶよ。それに誰とも交流がないと逆に目立っちゃうし」

「……それもそうだね」

 そう言って天笠さんは柔らかく笑った。その顔をただ素直に、好きだと思った。


***


 デザートの豆花まで食べてお昼を終えた後、近くの映画館で映画を見て、それから駅ビルに移動して天笠さんの新しいイヤリングを買うことにした。

「映画面白かったね」

「うん。一族の寿命を延ばすために数十年に一度生まれる延命薬の子供って設定がなんとなくパナゴラの人たちみたいで」

 パナゴラ。知らない固有名詞が出てきたな、と首をひねっていると、熱心にイヤリングを眺めていた天笠さんが顔を上げる。

「エレスティアの隣にある星だよ。まあトランスボディもあの延命薬の子供に似たところあるけど」

 そういえばトランスボディの肉はあらゆる傷をたちどころに治す万能薬としての効果を持つと言っていた。

 バナゴラの人たちは生まれつき寿命が短くてね、なんて言いながら店内を練り歩く異星人の女の子が明るい声を上げて僕の方を振り返った。手にはリボン飾りのついたイヤリングを持っている。

「ね、これ可愛くない?」

 点内の照明を受けた長い髪がふわりと広がって、ピンクや紫、水色がキラキラと光っている。その髪を飾るヘアピンのパールやリボンもキラキラと光っている。

「……うん、可愛いね」

 思いのほか静かな響きで。思いのほか低い音で。

 その言葉は自然と僕からこぼれ出た。

 ニコニコしていた天笠さんはピタリと動きを止めて小さな声で「そうだよね」と呟く。戸惑ったような反応を見せる彼女の手にそっと触れて問う。

「イヤリング、これで良い?」

「あ、うん」

「じゃあ貸して」

 そのままレジに持って行って財布を出すと、後ろからついてきた天笠さんがわたわたとカバンを漁り出して苦笑してしまった。何時も何でもそつなくこなす彼女にもこんな一面があるのかと思うとなんだか胸が熱くなる。

「無料でプレゼント包装ができますけれど、どうしますか?」

 気を利かせた店員さんの言葉にお願いします、と言うと後ろにいた天笠さんは「むぇ」と奇妙な声を上げたきり黙り込んで手を止めてしまった。財布から330円を出す間に店員さんが慣れた手つきでピンク色のリボンを袋に張り付けて差し出してくれる。ありがとうございましたーの声を背に店を出て、フロアの端で袋を差し出した。

「僕からその、プレゼントってことで」

 照れているのか「んぅ」とぐずるような声でそれを両手で受け取った彼女はその場に立ち尽くした。黙ってくちびるをもごもごさせて、僕の方を見たり足元を見つめたりする彼女に出来るだけ静かに声をかける。

「何かあった?」

 こくん、とひとつ首を縦にふる仕草があどけない。

「……あのね、これ、今つけて良い?」

「うん。こっち座ろ」

 その手をそっと握ってそばにあった椅子に誘うと、天笠さんは無言で僕の隣に腰かける。そのまま慎重な手つきでプレゼント包装を解き、台紙から外したイヤリングを両の耳に飾って笑った。

 照明を受けてキラキラ光る彼女の頬の赤みはたぶん、チークなんかじゃなくて。

「……可愛い?」

 真っ直ぐに僕を見る瞳の潤んだような色がきれいだった。

「うん、可愛いよ」

 言い聞かせるように彼女の手を握る。

「大事にするね……包装も」

「良いよ、そんな」

 たった330円。本当は格好をつけるような値段のものでもない。だけどあの瞬間、なんだか無性に、僕は彼女に何か彼女自身が気に入るものをプレゼントしたくなった。

「私が大事にしたいの」

 柔らかに、けれど決然とした趣で言い切った彼女は静かに微笑んでいた。きゅ、と手を握り返される。

「相沢君のことも、全部」

 今度は僕が頬を赤くする番だった。

 手をつないだまま、妙な照れからお互い言葉も少なく繁華街を歩き、駅ビルの屋上庭園に向かっていた。時刻は夕方5時。夕暮れの屋上庭園には人の影もなく、傍のレストランはディナー営業の準備を始めているようで店内の温かい光が漏れている。

 二人して、色とりどりの花を咲かせた植物たちの影になったベンチに座り込む。

 ここに何をしに来たというわけでもない。ただ静かに人のいないところで天笠さんと何か話したかった。けれど、何を話すという明確な指針があるわけでもなし、隣同士に座って黙り込んでしまう。

「あのさ」

 先に声を上げたのは彼女の方だった。

「私のこと、天笠さんじゃなくて、キララで良いから」

 それが本名に近いから、とエレスティア星から来た少女は言う。

 キララ・アイミュール・アガストス。それが彼女の本来の名前だそうだ。本当の本当は、地球人には発音しづらい、もっと違う音らしいけれど。

「うん……キララさん、僕のこともさ、昴でいいよ。みんなそう呼んでるし」

 宙彦や朝陽だけでなく、姫織や千月羽もそう呼ぶ。僕も彼らを下の名前で呼ぶ。

 キララさんが胸のあたりで手をキュッと握る。

「……昴くん、あのね、私ほんとうに昴くんのこと」

 そこで言葉は途切れた。

 ゴウと強く風が吹きつけて、髪が乱れて視界をふさぐ。

 頭上を影が覆って影ができる。

 見上げた夕焼けの空に何かが浮かんでいる。

 鳥か、虫か、コウモリか。否、生物ではない。

 ドローンか。否、それほど小さくはない。

 飛行機か。否、それほど大きくはない。

 自家用ジェットか。否、翼はない。

 飛行艇か。否、楕円ではない。

 夕暮れの空に浮かぶ丸いかたち。しいて言うのなら空飛ぶ円盤。それは次第に大きくなって屋上庭園に接近する。

「あの形……パナゴラか」

 それを見上げてキララさんが低い声で言った。

「パナゴラって」

 アクセサリー屋で聞いた名詞だ。

「件のね。少し前の戦争でエレスティアと同盟を組んでいた星よ。戦争も終わって同盟は解消されたのだけれど……トランスボディを奪いに来たみたい」

「え?」

「言ったでしょう、万能薬としてのトランスボディは宇宙中の誰もが欲しがってる。そして、昨日相沢君が17歳になったから……勧誘にきたのよ、あの人たち」

 空に浮かんだ丸の一部が崩れて、そこから人が降ってきた。ドシン、と着地したのは緑色の肌をした人だった。否、人というべきなのか。

 胴を支えるのは6本の脚。それぞれが金属のようなものに覆われている。上半身はほっそりとしていて、でっぷりと丸い腹部には大きな線がはいっている。背に大きな砲台のようなものを背負っている。頭部はなんとなく人間と同じ風だが、目は爬虫類のようで、鼻はなく、代わりに側頭部に大きな穴がある。

 腹部の線がパクリと丸く開いてそこが音を発した。

「よぅ、泣き虫騎士サマ、久しぶりじゃねぇか。オレの顔を忘れたわけじゃねぇだろうな。パナゴラ俊英騎士団特攻隊長、ヌアバだ」

 しゃべっている。パナゴラという種の人々が。

「一人で来たの? 余裕ってこと?」

 キララさんが睨みつけて返事すると、黒い丸が喋る。

「地球の領空内を通過できる船の数と大きさ、地上に降りられる戦闘要員は宇宙間協定で決まってるし、まだトランスボディが覚醒してないなら必死になる意味もないしなぁ。とりあえず様子見ってとこだ」

「……舐められたものね」

 キララさんが僕を後ろに下がらせたかと思うと、カバンの底からルービックキューブのようなものを取り出して宙に放る。そこから灰色の幕のようなものが現われて屋上庭園をドーム状に覆った。

「なに、これ」

 あたりをきょろきょろ見まわしていると、ヌアバと名乗った異星人の腹がパカリと開いていった。

「このドーム内は今、この空間の外とは切り離された状態だ。つまり、ここで砲弾がぶっ放されても」

 ヌアバが背に負った砲台から砲弾を放った。ボガン、と音を立てて着弾したが傍のベンチは破壊されず、不自然に足元が盛り上がって灰色の瓦礫が散らばった。

「実際にその場にあるものを壊すことはない。ただし、俺たちパナゴラ人やエレスティア人や人間……知能生命体は別。この空間内での怪我や死は」

 ヌアバが続けざまに砲弾を放つ。瓦礫が飛び散り、その衝撃に身をかがめる。最後の砲弾は煙幕だったらしい。視界がふさがる。

「この空間の外にも反映される」

 煙をかき分けて鈍色が襲来し、僕の頬をかすめて行った。

「……ちょっと」

 そばで低い声がした。キララさんの声だった。三つ編みがほどけて宙を浮きながら、飛んできた第二波の刃物を絡めとっている。

「アンタね、昨日昴君を襲ったのは」

 ピンク色に絡まった刃物は見覚えのある形だった。昨日、屋上にいたときに見た物と同じだ。

「本気じゃねぇよ、今のだってちょっと肌をかすめた程度だ。当たり前だろ、トランスボディはまだ覚醒してないんだ。超再生能力がないのにマジの攻撃なんてしたら死んじまう。こっちの目的はトランスボディの捕獲なんだぜ?」

 けらけらと笑ってヌアバが砲弾をけしかける。キララさんは僕をベンチの下にもぐらせて言った。

「ここにいて。私、ちょっとあいつを倒してくるから」

「待っ……」

 ポン、と水色のスニーカーが灰色の床を踏むと彼女の身体が高く跳ねる。人間では到底不可能な高さまで持ち上がった身体はヌアバの背の砲台を足場にしてもう一段階高く跳び上がる。そうして、彼女のカモシカのような白い両脚が変色した。

 否、本来の姿に戻ったのだ。 

 ピンクと紫、そして水色。構成された触手の脚。その水色の部分がツヤツヤとした輝きを纏い、いかにも硬そうな質感へと変化する。

 キララさんの身体は重力に従って真っ直ぐに落ち、ヌアバの背の砲台を切り落とした。

 豆腐でも切り裂くように、いともたやすく。

 キララさんはそのまま背を蹴り倒し、バランスを崩した身体を地に倒れさせるべく彼の6本脚を斬ろうとする。

「そう来ると思った!」

 だが、ヌアバはそれを予想していたようで、背中に取り付けていた装備品を新たな段階に移行させる。背中から青く透き通る機械の羽が生えたかと思うと目にもとまらぬ速さで戦闘機構持ちマムディアドークの触手の間合いから抜け出し、そのまま反撃に転じる。

 しかしその動きすら戦闘機構持ちマムディアドークは見切り、パナゴラ人の丸い腹にピンク色の腕を突っ込んだ。薄緑色の背中を触手が貫通する。ブシャ、と音を立てて濃い緑色の液体が飛び散った。そのまま今度こそ脚を刈り取った。ビシャビシャと音を立てて緑の血が吹き出る。

「ぎぇッ……かつての同盟相手で戦場では仲間だった俺にも容赦が無いなァ、泣き虫の騎士サマよ」

 ぎぇッぎぇッっと不気味な声で、パナゴラ人のヌアバは嗤っていた。脚をすべて切り落とされて。

「当たり前でしょう、昴君を傷つけるなら誰だって容赦しない。必ず守る、そう誓ったの」

 そう言ってエレスティア星の戦士は腕を上げる。緑の体液で汚れた腕を。

「……無理だよ、お前にゃ」

 ブォン、と音がしてヌアバの身体が勢いよく上空に飛び上がった。その上に乗り上げていたキララさんはバランスを崩す。

 機械の羽で飛びながらヌアバはかすれた声で、腹から緑の血をまき散らしながらけらけらと嗤った。

「アンドロメダ銀河最強の白兵戦士の血が聞いてあきれる! アガストスを喪って戦場に立てず、そうしてお前の代わりに必死に戦場で戦ったたった2人の兄を喪った!」

 お前が殺したんだよ!

 視界の端でキララさんが膝から崩れ落ちた。触手たちが力なく灰色の床にへたり込んでいる。

 ぎゅっと拳を握る。我慢が出来なかった。ベンチの下から出て、上空で飛ぶヌアバに向かって叫んだ。

「勝手を言うな! 大事な人を失って悲しみに打ちひしがれるのは当然のことだ、戦えなくなるののどこがおかしい! キララさんは普通の女の子なんだぞ!」

 ハ、と嗤ってヌアバが言った。

「戦士として生まれた戦闘機構持ちマムディアドークにとって戦うことと守ることは同義だ。その腕の一振り、髪の一振りは大砲の一撃に匹敵する。それだけで敵を遠ざけ、手の中にあるものを守ることができる。だというのにコイツは戦うことを放棄して、まだ手の中にあったものを取りこぼした。こいつは二人の兄を見殺しにしたんだよ」

 そのせいで結果として戦争は長期化し、泥沼化した。

 エレスティア星の同盟星の住人は唸るような掠れた声で言った。発声器官である腹の穴の怪我のせいではない。多分、このパナゴラ人戦士もまた大事なものを喪っている。それが察せられる声だった。

「そもそもあのアガストスが最後までトランスボディ覚醒しなかったことにも問題がある。そのせいで戦闘機構持ちマムディアドークの新世代がたった、たったの3人! そのうち1人は途中ほとんど戦わなかった!」

 ……そうだ。そういえば、トランスボディは100人単位で子供が生めるというのに。キララさんの兄弟はたったの2人しかいないという。

「あの男が覚醒してもっと沢山子供を生んでいればいれば俺たちが苦労することはなかった」

 吐き捨てるように言って、ヌアバが機械の羽で僕の目の前に降りてきた。キララさんはうずくまってこぶしを握り締めている。

「アンタが当代のトランスボディか。頼むぜ、沢山子供を生んでくれよ。次の戦争に間に合うようにな」

 ぎぇッぎぇッと嗤う声に煽られて、目の前に来たヌアバに僕は怒鳴った。

「あのさぁ、そもそもさぁ、たった一人の地球人と14歳とか15歳の子供の戦闘能力に頼らないといけない軍の構造が僕はおかしいと思うんだけど! そこンとこどうなんだよ!」

 パナゴラ人の爬虫類のような目がキョトンとしてからひどく冷たい声で言った。

「俺たちパナゴラ人もエレスティア人も、そういう風にしか生きられねぇんだよ。どうだ、俺の星に来るか。パナゴラ人の短命の定めを打ち破るのにトランスボディが必要なんだ」

「嫌だ!」

 キララさんのところに駆け出す。へたり込んでいた彼女が顔を上げる。その瞳いっぱいに涙が溜まっていた。

「僕はキララさんと一緒が良い! 僕を利用する人じゃない、大事にしてくれる人と一緒が良い!」 

 手を差し出し、立ち上がるように促す。けれどキララさんの手はそれを握り返すことなく、硬化した触手になって僕の横を素通りしていく。ガキン、と派手な音を立ててヌアバの構える刃を防いだらしい。

「……おいおい、暢気なものだなトランスボディ。戦闘機構持ちマムディアドークがどうやって己の番(つがい)になるトランスボディを探すのか知りもしないのか!」

 ひび割れたような声が嘲笑を上げて言った。

「本能だよ」

 違う、と叫んでキララさんがヌアバに斬りかかる。違うものかよ、と言いながらヌアバは機械の羽を操りその攻撃を避ける。俊英騎士団とやらの特攻隊長は伊達ではないらしい。

戦闘機構持ちマムディアドークの中でも母親であるトランスボディと過ごす時間がもっとも長い者が次代の戦闘機構持ちマムディアドークたちの父親となる。トランスボディに特有の匂いやフェロモンのようなものを覚えるんだ。そうして、父親役の戦闘機構持ちマムディアドークは本能的に己の番(つがい)となるトランスボディを求めるようになる」

「本能なんかじゃない、私が昴君を見つけて、昴君が好きなのは!」

「どこが違う!」

 ザシュ、と音がしてキララさんの触手の先端が斬られるが瞬時に再生し、長く伸びてそのままヌアバの腕を掴み上げる。しかしそれよりも先に機械の羽が勢いよく光を発して自身を拘束する触手ごと引きちぎって上空へ逃げる。

「その本能があったから俺たちよりも先にトランスボディを見つけられたんじゃねぇか!」

 その銀河を越える程の強烈な本能! 

 ケタケタとヌアバが嗤う。

 キララさんが再び高く跳躍し、それを追跡する。

「お前がトランスボディを守ろうとするのも、大事にしたいと思うのも、攻撃をけしかけた俺に異様に怒るのも、戦闘機構持ちマムディアドークとしての遺伝子に組み込まれた本能だよ!」

 硬化した触手とヌアバの手にする刃が弾きあう。キララさんのピンク色の髪が刃を相手しながら、その足が複雑な動きでヌアバの胴体を絡めとる。僕はもうそれを唖然と眺めているしかできない。

 本能? 僕のことをキラキラした目で見つめていたあれが? 僕のことを大事にしたいと言ってくれたことが? いや、例えば、最初に彼女は全校生徒を人質にとって僕に結婚と妊娠と出産を前提にしたお付き合いを迫った、その強烈な衝動の正体だと考えれば。

「違う、違うの!」

 キララさんが必死に声を上げる、

「私、昴君が好きだよ! 本当なの!」

 彼女のピンク色の腕がヌアバの背に付いた羽を壊そうと蠢く。だが、それは叶わなかった。

「ついでに言うならキララ、お前はずっとアガストスの影を追い求めてる。先代トランスボディを己の番(つがい)に重ねてるんだ」

 ヌアバの振るう刃がその手を離れ、その柄が彼女のヘアピンに当たった。カチャンとささやかな音を立ててヘアピンが落ちる。 

 キララさんが目を見開いて、それを視線で追う。がら空きになったその側面にナイフが刺さる。真っ青な血が噴き出した。身体のあちこちに装着しているナイフのうちの一本らしい。そのまま動きの鈍った触手を掴み上げ、ヌアバは彼女を床にたたきつけた。

「キララさん!」

「だい、じょうぶ」

 うめき声を上げた彼女は血を流しながら手の中のヘアピンを見つめていた。

「良かった……」

 それは人から貰った宝物だと言っていた。多分、きっと、間違いなく、今は亡きアガストスから貰ったものなのだ。

「昴君、下がってて。危ない、から。それからこれ預かってて」

 触手の手がそっと持ち上がって、僕の手を握る。誰から貰った物でも彼女の宝物であることに変わりはない。うん、と返事してそれを受け取ると上からヌアバが急降下しながら叫んだ。

「いなくなった奴の影を追い続けるな!」

 怒号と共に駆け下りてきたナイフが僕の手元でキラリと光る。

 次の瞬間、真っ赤な鮮血が上がり、それと一緒に砕けたパールが弾けてキラキラと光った。

 事態を認識するのに一拍必要だった。

 ヌアバの振るうナイフが僕の手と一緒に彼女のヘアピンを破壊した。

 鈍い痛みを認識するのに二拍必要だった。

 うめき声をあげてその場にうずくまる。応急手当が必要? ナイフは抜かない方が良い?それよりもヘアピン。キララさんの宝物が壊れた。パーツを集めて直さないと。そういえばキララさんは。

 キララさんは……。

 顔を青くし、目を見開き、力なく頭を横に振りながら崩れ落ちた。肩を震わせ、しゃくりあげるような声が聞こえ、それは次第に鳴き声になり。

「あ……あ、ア、ア、アァァァッァアッ!」

 絶叫となった。

 うずくまった彼女の身体が震え、次第に痙攣のような動きをし始める。

「キララさん?」

 様子がおかしい。戦闘機構持ちマムディアドークとしての本能であれ何であれ、守ると決めたはずの僕が怪我をし、そして何よりも宝物が壊れたのだ。彼女が混乱するのも無理はない。

「大丈夫、落ち着いて。ヘアピンは」

 この空間の中での損害は僕ら自身の傷以外は現実には影響しないと言っていた。だから、多分大丈夫なのだ。

 だけど、もうそんな理屈など問題ではないらしい。

 少女の身体が膨張していく。むくむくと膨らみながら拡大し、ずるずると解(ほど)けながら伸び、服が脱げる。脚から臀部、背中へ。腕から肩、背中へ。その体が巨大な触手の群れへ変化していく。腹も胸も触手に変わり、どこが顔だったか分からなくなる。唯一、目と思しき器官が触手の群れの中にあって、その淡い潤んだ色が彼女の瞳そのものだった。 

 巨大な触手の塊が吼えながら腕とも脚とも言えないものを硬化させてヌアバを攻撃した。羽ばたこうとした機械の羽ごと掴み、地面にたたきつける。それでも再び飛び上がろうとするヌアバを掴み、その頭を触手ではたく。何度も強打し、腕を引きちぎる。

 戦い、というよりも一方的な攻撃だった。

「く、そ。先祖返りして理性が飛んで」

 ヌアバが苦々しくつぶやいたが、巨大な触手の塊に下敷きにされる。当の本人は自分の下で呻く者にも構わずそのまま僕の方に向かってくる。

 伸ばされた腕はピンク色の柔らかい質感のままで僕の手をそっと握った。良く知った触り方だった。その手に、熱いものがしたたり落ちる。見上げると、淡い色の目が涙を流していた。

「ワ、たシ」

 目の傍、短い触手の生えたところが蠢いて声が出た。聞きなれた少女の声だった。

「うん」

 それだけ巨大な、顔も何もないような触手の塊でも、これがキララさんであることに間違いはなかった。手には相変わらずナイフが刺さったままでさすがに痛みに鈍感な僕でも痛かったけれど、彼女の泣きそうな顔を見ていると痛がるのは申し訳なかった。しゃくりあげる彼女の肌にそっと触れる。温かく、柔い肌だった。

 巨大な触手の塊が少しずつ縮み始める。小さくなった触手の塊は己の身体を人間の形へと編み上げた。

 天笠雲母さんがそこに立っていて、涙を浮かべながら微笑んで僕に腕を伸ばす。

 だが。

「これだから白兵戦士最強が聞いて飽きれるッ!」

 ズ、と静かな音がした。

 キララさんの身体が揺れる。その胴に刃が刺さっている。あの機械の羽が彼女の身体を貫いてぐりぐりと傷を広げている。

「っ、ぐあ、あ、ぅ……」

 倒れこむ彼女の背中越し、ヌアバが見えた。斬られたはずの脚が2本だけ再生している。ちぎられた腕にはあの機械の羽を取り付けて、刃の代わりにしているらしい。どういう仕組みか分からないが、そういうことができるらしい。

「確実に殺すまで気を抜くんじゃあねぇよ」

 キララさんを後退させようとした僕の身体が前に出て、ヌアバがとっさに刃でなく肘で僕の腹を殴りつける。二人そろって横転し、そこを狙ってもう一度刃が振り下ろされたが、勢いよくピンク色の触手が伸びる。触手はヌアバの胴を横薙ぎはたいて彼を引き倒した。戦闘機構持ちマムディアドークの髪が伸びて応戦したらしい。だが、明らかに反応が鈍っている。側頭部の傷を考えれば無理のないことだった。もたれかかる身体は肩で息をして、ぐったりと目を閉じている。

(だめだ、どこかで態勢を整えないとキララさんが) 

 彼女に肩を貸し、歩き出す。キララさんもゆっくりと身体を動かして傍の花壇の影に座り込んだ。

「ごめ、んね」

「ううん」

 キララさんが肩で息をしながら少し笑ってしゃべる。にこりと笑って、彼女が髪の触手を広げて立ち上がろうとする。灰色の床にぼたぼたと血を流しながら僕の肩を支えにしようとして、けれど膝から倒れこむ。

「キララさん!」

「わ、たし、昴くんが好きです。どんな人が相手でも、自分より強い人が相手でも、駄目なことは駄目って言える、そういうところがかっこよくて好きだよ。去年の春、私に絡んできた上級生に、駄目だって声を上げた時から」

 ずっと好き。

 吐息のような声だった。

 ざり、と床を踏みしめる音がする。本来6本の脚で動いていたヌアバがいびつになった脚で這うようにして近寄ってきている。彼女を下がらせ、震える身体を前に出す。刃の貫通した手も肘でしたたか打ち付けられた腹も痛んだが、ヌアバがトランスボディの捕獲を目的としている以上、僕を殺せないのは明らかだった。僕なら今、キララさんを守れるかもしれない。

 守りたいのだ。

 守らせてほしい。

 戦う力なんて無くても。

(……いや、力ならある。戦う力ではないけど)

 服のボタンに手をかける。チャイナシャツの襟を広げて、首筋をさらしてキララさんを抱き寄せ囁いた。

「食べて、僕を。トランスボディの身体を食べればその傷がたちどころに治るんでしょ? この力で、君を守らせてよ。その代わり、キララさんはその力で僕を守って」

 は、と首筋に吐息が触れた。二の腕を強くつかまれる。

「痛いよ、良いの?」

「キララさんなら良いよ」

 怪我していない方の手を持ち上げて彼女の頭を抱き寄せる。肩のあたりに熱く湿った呼吸がある。

「もう、何でもいいよ。本能でも、先代のトランスボディに重ねてても、それでもいいよ。キララさんが抱えてるものも含めてキララさんで、僕はそういうキララさんがが好きだからだから」

 パッ、と光が上がる。それが自分から発せられたものだとは分からなかった。

 グ、と肩に固いものが食い込む。彼女の歯が立てられたところが燃えるように痛い。

「んッ、あ、んぅ……グぅ、ん、ン……」

 己の口からうめき声が漏れる。そのそば、肩口で戦闘機構持ちマムディアドークがごくん、と何かを嚥下する音がした。

 途端に戦闘機構持ちマムディアドークの身体が輝きを纏った。側頭部と腹部の傷がふさがり、力なく垂れ下がっていた触手たちがその身を持ち上げた。

 同時に、僕自身も光を纏っていることにようやく気付いた。肩に感じていたはずの痛みが遠ざかり、手の傷もふさがって、痛みが無くなっている。

「……ま、まさか。“覚醒”したのか、トランスボディが。番との絆を深めて。なら尚のことそこのトランスボディは俺が」

 すぐそばまで迫っていたヌアバが武器を構える。

「させるもんか!」

 その前に立ちはだかって声を上げるとヌアバが一瞬ひるむ。その隙にヌアバの腕を桃色の触手が素早く掴み上げると彼はその場に尻餅をついた。そのまま震える声で彼は言った。

「おいおい、覚醒した今のお前はキララとつがったら、それはもう本当に戦闘機構持ちマムディアドークを産むための存在になるんだぞ。そういうシステムに組み込まれる。その上でこれから宇宙中の奴らがお前を狙いに来る!」

「……私が守る。ううん、お互いに守り合うから」

 キララさんの決然とした声で言って、硬化した触手を伸ばす。ヌアバの再生した脚とその腕に付いた刃が破壊された。うめき声をあげる彼を「そもそも」と僕は睨んだ。

「子供を何人産むとかその子たちをどうするかとか、そんなのは僕とキララさんとその子たちがそれぞれ考えることだ! 第三者が恋人間の話に首突っ込んでひっかきまわすな!」

 触手がトドメとばかりにヌアバの腹部に打撃を加えてから、動かなくなった体を抱える。そのまま戦闘機構持ちマムディアドークは高く跳躍し、ヌアバの身体を高く放り投げた。空にはあの丸い宇宙船が浮かんでいた。

「さっきの通りよ、コイツをとっとと母星持って帰って! ……良いこと? 私の恋人である昴くんを私から奪えるなんて思わないで」

 キララさんの声が聞こえたのか、丸い宇宙船の一部が歪んで彼の身体がその中に回収された。

 宇宙船が飛び去るとそれを戦闘終了ととらえたのか、ルービックキューブのようなものがエレスティア星人の手の中に戻って、あたりを覆っていたドームのようなものも消え去った。

 空は既に暗く、一番星が光っていた。屋上庭園は何事もなかったかのように静まり返っていた。

「……キララさん」

 一歩彼女に歩み寄って、三つ編みの解けた長い髪にあのヘアピンを飾った。予想していた通り、壊れずにすんでいたのだ。

「改めてなんだけど」

 開いたくちびるにひた、と柔らかいものが触れた。彼女の指先に封をされて黙る。潤んだような淡い色の瞳に見つめられては何も言えなくなった。

 一拍。呼吸を挟んでキララさんが口を開いた。

「昴くん、結婚も妊娠も出産も前提じゃなくて私といいから付き合って」

 彼女の手をそっと握って近づいて、そのくちびるにくちづけする。

「喜んで」

 くちびるが触れ合う程の距離で返事をすると、手を握り返された。指に絡んだ触手の手が柔らかく温かかった。

「……帰ろうか」

「そうだね」

「明日、クラスのお友達と誕生日会なんだよね。楽しんできてね」

「うん。……絶対、昨日天笠さんと何があったのかって問い詰められる気がする」

「……強引なことしてごめんね」

「別に良いよ。恋人になったって正直に言うつもりだから」

 ちらと隣を見ると、街灯に照らされた彼女の顔が紅潮してキラキラと光っていた。

「……キララさん照れてる」

「昴くんも照れてるじゃん」

 視線が合うとなんだか気恥ずかしくて、だけど嬉しくて、2人で笑いながらゆっくりと歩きだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕と異星人彼女の宇宙的家族計画 鹿島さくら @kashi390

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ