をかしな人間

ふじあつむ

 

一、


 視界が開けた。


 と同時に、僕は喪失感を覚える。登るという使命ミッションを喪失したからだ。代わりに、人人人が容赦なく視界に割り込んでくる。紅葉シーズンの山は、人で一杯だ。自然を見に来たのか、人を見に来たのか、これでは分からない。


 周囲の人々は、お喋りに花を咲かせている。目的地に着いた達成感で、安堵の表情を浮かべる人も少なくない。


「きれい~~」

「山登りってい~わ〰」


 周りの朗らかな雰囲気とは裏腹に、僕は孤独だ。山頂に着いてしまった悲しみと、次の目的を探さねばならぬ焦燥感。


 皆が山頂から見える景色を美しいと口にすることが、さらに僕の孤独に拍車をかける。皆が美しいというものを、僕は美しいと思えない。キレイという場面で、キレイと言えない。


 こんなにも人がいるのに、

 こんなにも人がいるから、

 僕は孤独だ。


*************

二、


 私は「美」よりも「をかし」を好む。


「美しい」という言葉は、しばしばポジティブな意味で使う。けれども「美」は、たっといが故に距離がある。近づき難い。憧れの対象となる反面、虚像のように思える時がある。


 一方、「をかし」は我々の生活の中にある。既にそこにある。四季折々にある。どこか奥ゆかしさすらもはらんでいる。まさに陰翳礼讃の世界だ。


 国木田独歩が

 ”自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる。”

 と言ったのは、一々もっともである。武蔵野は「美」に覚えるような、距離感やハリボテ感がない。武蔵野は我々の生活に深く染み込み、温かさと少しのわびしさをもつ。まさに私が好む「をかし」である。


*************

三、


「うゎー。」

 山頂に着くと、彼女は感嘆の声を漏らした。


「綺麗だね。」

「君がね。」

「もぅ…!」


 彼女が喜ぶ姿に、僕は喜ぶ。彼女は僕の発言を、冗談のように茶化したが、これは本心だ。山頂から見える、この景色よりも、今、目の前にいる彼女が好きだ。


 僕らは一通り景色を堪能すると、人混みを抜けて、山頂から少し外れた所に腰をおろした。落ち着く。彼女が隣にいることを忘れるくらい、落ち着いている。


*************

四、

 

 木漏れ陽がすき。

 木陰がすき。

 木陰からこぼれる光がすき。


 ぴかぴかに光り輝く世界は、ホンモノ感がなくて、疑心暗鬼になる。

 どぉんとした暗闇は、その漆黒に飲まれそうで、足がすくんでしまう。


 陰から、やや斜め上に光を感じる。良き。

 枯れ葉のしゃきっとした音。楽し。

 濡れて、つるっとした葉っぱ。いや。


 くしゃっと葉っぱを踏みしめ踏みしめ、

 そっと静かに生を感ず。

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