第4話 星の瞬き

 恐る恐る区画から外に出ても、何も音がしなかった。けれどもその瞬間、私は何が起こったかを理解した。私たちの仕事は予期せぬ形で終わってしまったのだ。

 目の前にはたくさんの人間が倒れていた。大気の組成を調べた途端に鳴り響くアラート。やはりユフ。この都市にとうとうユフ毒が入り込んでしまった。


 それが予定通りの期限なのか予定より早まったのかはわからないけれども、ユフはこの都市の寿命に追いついてしまった。

 私たちは未来に間に合わなかった。父さんも死んで、みんな壊れてしまった。ヘルメットの中に水がこぼれた。機能的には知っていたけれど効果が発揮されたのは初めてだ。このまま漏れ続けると私はヘルメットの中で溺れてしまうのかな。


 でも、あれ?

 驚きが私に満ちる。

 どうして私は壊れてないんだろう。ユフは極小で、ユフの前ではこんなスーツなんて意味がないはずなのに。そう思って自分を調べると、ユフ毒は確かに私の体表面に接していたけど、それ以上は侵入しないようだった。

 何故? 慌てて記憶を探る。

 思い当たるのは……あのバクテリア?

 ひょっとしてユフを中和しているの⁉


 多くの国の人間が探し求めたもの。それがこの大深度地下にあったのか。

 そんな。ひょっとして私がすぐ出てくれば父さんや家族は死んだり壊れたりしなかったのかしら。

 ……いいえ、それでもきっと間に合わなかった。だってこの死体はもう9日以上前のものだから。調査した死体は体内深くにまでユフが浸透していた。

 父さんも家族も既にみんなどこかで死んで壊れてしまった。


 私はどうしたらいいのかな。

 初めて出た人間の区画を見回してみたけれど、私以外何も動くものはない。私だけがこの世界で動いている。最低限の空気と灯りをつくる機能だけが辛うじて残っているようで、大勢の人が住んでいた都市はシンと静かだった。


-星が見たかった。


 ふと、父さんの声が聞こえた気がした。

 そうだ、父さんは地上の星がみたかったんだ。私は父さんの望みを叶えるために作られた。それなら私は星を見に行こう、そう思った。もう地下を掘っても避難すべき人間はいないんだ。他には何もなかったし。

 ユフは地上に近づけば近づくほど強い。バクテリアがどのくらい保つかはわからないけど、なるべく星に近づこう。


 昔一度だけ学んだこの都市の構造を思い出し、地上へ至る階段通路にたどり着く。

 この都市に人間が降りてきた後はずっと閉鎖されていた通路。ユフが通らないよう土が詰めてある。気休めだけれど。

 機械を操作し、土を廃棄すると長い長い螺旋階段が現れた。その階段を登った。残りの3日分の食料を食べ尽くし、それから更に歩いて非常用電源がフツリと切れてもまだたどり着かない深度にこの都市はあったのか。けれどもユフはたどり着いてしまったのか。そう思いながら闇を上り、やっと小さな扉にたどり着く。

 300年ぶりにキキィと開かれた扉の先は、中と同じく真っ暗だった。けれども見上げると、数限りない白点で溢れていた。宇宙。これが宇宙。父さんがみたかった本物の空。吸い込まれるよう。私の表皮が突然ざわざわとさざめいた。


-俺の娘たち。

-俺はみんなに名前をつけたかったんだ。バイオロイドには名前をつけちゃいけない法律だけど僕はこっそりつけている。君たちの番号に相当する番号の彗星の名前が君たちの名前だ。秘密だよ。

-試験管の中で育つ君達1人1人の前で一緒にその彗星の動画を観たんだ。本当はいつか動画じゃなくて君たちと一緒に本物の空を見たい。

-俺は君たちに会うこともなく君たちを真っ暗闇に放り込む。けれども情報取得の許可は付与させた。大分反対されたんだけど、せめて君たち自身が自分の星を見つけられますように。


 空を見るために持ってきた望遠鏡を掲げ、星を見上げた。

 はるか遠くに短く白い尾をひくラッセルリニア。

 父さんが見たかった星。私の名前。


 私はユフ毒に汚染されない。ひょっとしたら私がユフに汚染されない唯一の物質なのかもしれない。私があれば父さんたち人間はユフから逃げなくてもすむのかも。届いて。そう思って持ってきた照明灯を打ち上げると、その光は新しい彗星のよう夜空にまっすぐ落ちていった。

 今度は私を誰か見つけて。


Fin

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空に落ちる 〜ユフの方舟 Tempp @ぷかぷか @Tempp

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