自己顕示欲

ろば歩(ろばあるく)

自己顕示欲(一話完結型)

目的地に向かう電車がきた。

降りてくる人の流れを避けて、少しだけ空席ができた車両に乗り込んだが、なんとなく座る気になれず、ドア付近のポールに背中を預ける。


車内をふと見渡すと、九割方スマホを触る人、人、人。

その中で、おそらく塾帰りだろうという女子高生に目が留まった。


彼女の肩から膝あたりまでを占めているテニスラケットのバッグには、大きくYONEXのロゴがプリントされ、遠目から見ても少し汚れているのが確認できる。

先輩から譲り受けたものなのだろうか?それとも、かなり雑に扱っているのだろうか。それにしても、あの大きさのバッグを背負って毎日通学しているのは感心する。中身は重いのだろうか?私はテニス部に所属したことも、テニス部の友達がいてバッグを背負わせてもらったこともないので、全く想像ができない。


そんなことを考えていると、彼女がスマホをいじるのをやめ、足元に置いたスクールバッグから一冊の本を取り出した。青地に黄色の文字という特徴的な表紙。愛用者も多い英単語帳、DUO3.0だとすぐわかった。


自分の大学受験が終わってもう四年が経つが、まだ現役高校生の利用者がいることに驚かされる。あの時代は、英単語帳の三大巨頭がDUO、ターゲット、速読英単語だったが、今も変わらないのだろうか。


電車の中で単語帳を開く——受験を経験した人ならば、一度は行ったことのある行為だ。その回数が多かれ少なかれ。

果たして私は、高校の三年間で、何度電車の中で単語帳を開いただろう。もし私が電車で単語帳を開いていたのならば、きっと"単語帳を開いて勉強する高校生"という自分を、周りに見せたかったのだろう。それが一度でもできれば満足だったのだ。


の行為は、一般に自己顕示欲からくるものだと言われる。制服でTikTokを撮って、いいねをたくさんもらいたい。SNSで多少嘘をついてでも、みんなからチヤホヤされたい・・・。それが原因でトラブルが起きることもしばしばあるが、その溢れんばかりの自己顕示欲は人として自然なものだと思う。高校時代の私は自己顕示欲を発散させる方法の一つとして、電車の中で単語帳を開き、勤勉な学生であることを周囲の見ず知らずの乗客にアピールした。実際はまったくの逆だったのだが。当時はこんなちっぽけなやり方でしか、こんな狭い世界でしか自己顕示欲を満たす方法を知らなかった。


周りの友人たちはどうだっただろうか。多感な高校時代、きっと各々自分が知らないところで自己顕示欲を発散させていただろう。普通、自己顕示欲が高い人は目につくが、今となってはクラスメイトの誰が自己顕示欲が強かったかなど覚えていない。いや、思い出せないだけで、実は覚えているのかもしれない。


いつの間にか車両から人が消えている。例の女子高生が足元のスクールバッグを持ち上げ、もうすっかりガラガラになった座席の一つに腰を下ろした。座る際にラケットが入ったバッグも背中からおろしたが、どすん、と重量感のある音は響かなかった。彼女は相変わらず単語帳をパラパラとめくっている。何周もしているのか、よく見ると色とりどりで形も太かったり細かったり、まちまちの付箋が貼られている。


彼女に似た人を知っている。その人も、お世辞にも几帳面とは言えない女性だった。人の性分なんてふとした瞬間に簡単に変わるので、今はまったくの別人になっているかもしれない。


予測ベースで語ったのには理由がある。彼女とはおよそ十年前に話してもうそれっきりなのだ。


私は彼女と特別仲が良かったわけでもない。むしろ、二人で顔を合わせてあったこともない。なぜなら、彼女と知り合ったのは、当時流行だったAmebaグルっぽというSNS上でだったからだ。彼女と私は、中学生が共通の趣味を語り合うグルっぽ――私達の場合はカメラだった――に参加し、偶然彼女が、私がアップしたうさぎの写真を見てコメントをくれたことがきっかけで会話をするようになった。犬猫を飼う家庭は多いのでコメントが沢山つくが、うさぎを飼う家庭は犬猫のそれより少ない。なので、彼女は興味を持ってくれたのだろう。


――ロップイヤー飼ってるんですね!私も飼ってます!私のはたれ耳がめちゃくちゃ可愛いんです。


そんなようなコメントと共に、彼女の飼っているうさぎの写真が添付された。カメラのコミュニティといえど、私を含め大半がスマホカメラを手にして初めてカメラを始めたような素人の集いだったので、画質は荒く、色彩や構図なんて何も考えてない写真がほとんどだった。


しかし、彼女の写真は美しかった。自分のうさぎの魅力を理解し、その部分を引き立たせる撮り方を熟知している。事実、彼女のうさぎの耳は綺麗だった。毛並みが耳を含め全体的に美しいのはもちろん、体の大きさに対して耳の比率が完ぺきだった。生き物を飼ったことがある人は分かると思うが、どんなに小さな生き物でも、個体の違いがある。目の形、顔の大きさ、体つき、外見以外でいうと、性格ももちろん違う。私のロップイヤーと彼女のを見比べると、やはり耳が美しいと思った。


――写真ありがとうございます!え、めちゃくちゃ可愛いですね!!何歳なんですか?

――再来月で二歳です!こうちゃさんのうさぎちゃんは何歳ですか?


私のロップイヤーは彼女のと同じ茶色の品種だ。その色を見て弟が、午後の紅茶みたいと発言したことから、名前がこうちゃに決まった。その名前を私はユーザーネームとしてこのコミュニティで使っている。今思えば、ゴゴティーという名前の候補もあったので、阻止できて本当に良かったと思っている。


――私の子はこの前四歳になったばかりです!もうすっかりおばあちゃんです(笑)


今までこんな会話を思い出すこともなかったが、いざ振り返ってみるとやはり覚えているものだ。私はうさぎの歳を返信すると、彼女のプロフィール欄から、ブログを見に行った。彼女のブログは、写真で埋め尽くされていた。今日の一枚、と言って夏の夕暮れ空の青とオレンジのコントラストが美しい写真がアップされていたり、秋の投稿にはオレンジ色の小さな花がついた木の写真が投稿されていた。私がそれをキンモクセイと知るのはかなり後になってからになる。


その中で、日常を収めた写真もいくつかあった。彼女の部屋の写真だったり、学校帰りに撮ったと思われる、制服でサーティーワンのアイスを食べているものもあった。ただ、部屋の写真は、ベッドの上に荷物が散乱している様子が写真の端に映っていたり、アイスの写真に映るスクールバッグは、持ち手がよれよれになっていたりと、彼女の性格が伺えて面白かった。


彼女とグルっぽで会話したのはそれっきりだったが、私は定期的に彼女のブログを見に行った。グルっぽで関わったのが唯一彼女だけだったので、執着心が沸いたという単純な理由だ。中学生の趣味・興味なんて秋の空より変化が速いが、彼女の趣味は一貫してカメラであり、投稿が止むことはなかった。


しかし、私はどうやら秋の空側の人間だった。彼女のブログを一年ほど追ったが、同時期にロックミュージックやアニメにはまり、日課にしていたブログの閲覧の時間は、新しいバンドを開拓したり、録画したアニメを観る時間へと飲み込まれていった。


最後に彼女のブログを訪れたのは、最後に閲覧した日からかなり日が経った頃だった。私も彼女も、高校生になっていた。


――この前久々にピグにログインしたらさー、結構人いてまだユーザー多いんだなって思った。


部活の帰り道、駅に向かう途中で、部員同士の会話が後方から聞こえてきた。ピグ?どこかで聞いたような・・・そうだ、ピグとはAmebaピグのことだ。ユーザーが個々のアバターを自由に作って、様々な世界に行くことができるコンテンツだった。無性に懐かしさがこみ上げ、私はその日帰ってすぐにパソコンの電源ボタンを点けた。もちろんピグを覗きにいくのではなく、彼女のブログを見に行くためだ。


中学生ながら彼女の写真への熱意は、ブログを一年以上続けるくらいには強かった。好きこそものの上手なれ。今でも更新しているとすれば、その技術は飛躍的に上がっていることだろう。ただ、もし写真に飽きてやめてしまっていたら?時が経っているとはいえ、彼女のブログのいち熱狂的な読者だった過去の私が少しだけ悲しむことになる。期待半分、不安半分に私はお気に入りに登録していた彼女のブログ名を押下した。


最後の投稿は一週間前で、タイトルは”大切なお知らせ”。今でこそ不安を煽る見出しだが、当時の私は何も気にせずマウスのホイールを転がした。


――こんにちは!私の写真をいつも見に来てくださってありがとうございます。

今日は皆さんに大切なお知らせがあります。

中学生から今までずっと写真を撮るのが好きでしたが、この度、私自身が被写体となって活動することになりました!うれしー!!

写真好きが高じてたくさんの写真仲間ができて、オフでその方々とお会いした時に、ぜひ私を撮ってみたいと声をかけていただいたのがきっかけです。

なので、今後はこのブログに私の写真も出てきたり、他の方のブログに私が出てきたりすると思います。

すごい美少女とかはあまり期待しないでください(笑)

なので、よろしくお願いします!


予想の斜め上の事態が起きていて、ふふっと笑ってしまったと同時に、私は自己顕示欲を満たす場所をまったく知らなかったのに対し、彼女が自分を出すプラットフォームを高校生ながら既に持っていたことに羨ましくなった――彼女の場合、自己表現といった方が正しいが。


彼女は、撮る側から撮られる側になった。今まで顔を知らなかった知り合いの顔を見るときは、少し怖いような、でも見てみたいというむず痒い気持ちになるが、例にもれず私もそうだった。今でも更新しているということは、また一週間後位にこのブログを訪れれば彼女の姿を拝むことができるだろうと考え、私ははやる気持ちを抑え、画面右上のバツマークを押下した。


電車が大きく揺れた。ポールに寄りかかっているとはいえ、少しだけ前のめりになったので慌てて体制を整える。――停止信号です。しばらくお待ちください、というアナウンスが鳴る。先ほどまで女子高生が座っていた席にはもう誰もいない。


私は本当に一週間後に彼女のブログを再訪したかというと、答えはNOだ。一週間後にはとうにそんなことなど忘れていた。きっと、当時はまた別のものに熱中していたのだろう。今、改めて彼女のブログを見てみようか?当時は家のパソコンからでしか彼女と繋がることができなかったが、今は手にスマホがある。動きを止めた電車の中で私はスマホを取り出し、お気に入り画面で何度見たかわからない彼女のブログ名を検索した。


――最新の投稿のタイトル、”活動リンクはこちら!”

投稿は2021年。ということは、一年前までこのブログを続けていたということになる。几帳面ではないけれど、まめな子だったんだなあと感心しながら、画面を下へとスクロールした。


――日頃から、ブログを拝見していただきありがとうございます。

この度本ブログを一時的に閉鎖し、投稿はTwitterで行っていくこととなりました。

以下がアカウント名なので、よろしければフォローお願いいたします!

mitsu_photograph


見えそうで見えない絶対領域に焦らされる人の気持ちが今なら理解できるなと考えつつ、私は彼女のアカウント名をコピーし、急いでTwitterの検索欄に貼り付けた。ベージュの服を着て、うつむき加減で立っている女性のアイコンが候補にあがった。


”みつき”、それが彼女の本名だった。いや、彼女のAmeba上でのユーザーネームは”しろ”だったので活動名かもしれないが、今はそんなことどうでも良かった。十年越しに初めて彼女の姿を見る感覚は、高揚感もあり、こんな簡単に見つけることができてしまったという謎の喪失感もあった。


――2016.10~活動開始。2021年アカウント開設。それまでの写真は以下リンクのブログへ。


みつきのプロフィールはシンプルにまとめられていた。逆に活動者ならもう少し主張が激しくてもよいのではないかと思ったが、その理由は最新のツイートを見て理解した。


――【応援してくださっている方へ】

被写体活動を無期限休止することになりました。

作品を楽しみにお待ちいただいていた方には、本当に申し訳ありません。

数年この活動を続けてきて、撮られるのは好きだけど、撮る方が得意なのかもしれないと気付いたためです。

このアカウントはしばらく残します。


やっと今のみつきにたどり着いたのに、彼女は再び姿をくらましてしまった。なぜ撮ることも撮られることも同時に続けない?元々あなたはどちらも興味があって、活動の両立を始めたじゃないか。なぜ今更やめてしまった?みつきにどんな心境の変化があったのかを知りたくなり、急いで画面をさらに下へスクロールして、一枚目の写真で思わず指を止めた。


そこには真っ白のビキニを着てプールサイドに腰を掛け、こちらに艶めかしい表情を向けた女性がいた。これは、みつきが撮った写真?それとも写真か。確かめるべく、さらに下へスクロールし、昔の写真を一つずつ見ていく。どこかの森でおへそを出した迷彩服を着て銃を構えている写真、下町の細い路地裏で脚を大胆に露出し寂しげな表情を浮かべている写真、どれも同じ顔の女性が写っていた。やはりこれは・・・と疑惑が確信に変わっていく中、決定的なツイートでため息が漏れた。


――スタジオでの一枚。めっちゃオフ!という文面と共に、今まで見てきた写真とは違う素の表情を見せる同じ顔の女性。間違いない、あの女性はすべてみつきだった。私は自分のバイアスを恥じた。被写体と聞いて真っ先に、太陽の下でワンピースを着て、眩しい笑顔を浮かべるような女性を思い描いていたが、みつきはそうではなかった。そうではなかったが、私の目に映るみつきの表情はどれも活き活きとしていて、実に幸せそうに活動をしている様子が見て取れた。では、みつきが活動をやめてしまった理由は?少しでも手がかりを得るために、みつきのツイートを一つずつタップして開いていく。


――みつきちゃん、元気系なシチュエーションも似合うんだね。なんでもいけちゃうモデルさん、すごい。

――どんどん表現力上がってる!カメラマンさんも表情を引き出すのがうまいんだろうな~。


肯定的なリプライが散見されるが、中には眉をひそめてしまうリプライもあった。


――なんでど素人のただの被写体モデルなのに、こんなエロ系目指してんの?

――目立ちたいだけだろ、きっしょ。


ツイートが最新のものになるにつれて、否定的なコメントは膨れ上がっていった。


――売れるのに必死なんだろ、こういうやつらとかグラビアアイドルって。

――自己顕示欲高すぎん?この歳になってこれはきついわー。


彼女の最後のツイートの直前には、このようなコメントが全体の七割にまで増大していた。みつきはこのようなコメントに心を抉られ、活動をやめてしまったというのか。私は複雑な気持ちになった。彼女は自己顕示欲を満たすためにこの活動をしていたわけではなく、自己表現として楽しんでいたことを知っていたからだ。


自己表現が際どいものの場合、自己顕示欲と同等に見られて非難を浴びるのは普通なのだろうか。この世界で、どれくらいの人が同じ原因で心を痛めているのだろうか。私はやはり、そういった経験はないのでわからない。ただ一つわかるのは、私は何が自己顕示欲で何が自己実現なのかを判断できないということだ。おそらくそれは、本人以外誰もわからない。もしこのバッシングを受けていた女性がみつきではなかったら、私も同様に、自己顕示欲で活動している女性だと考えていやな目を向けていた可能性だってある。


そして彼女が本当に、自分は撮る方が得意だと思ってその活動に専念することにしたのか、見ず知らずの人からバッシングを受けて、半ば自虐的に撮る方が得意と発言したのか真意はわからない。彼女の足取りが途絶えてしまった今、彼女を知る方法はなくなってしまったから。


――”電車が動きます。ご注意ください”。

気づけば次は私が降りる駅だった。みつきのTwitterを閉じ、もうすぐ着くとチャットをしてドアの前に立つ。わたしがこんなことをしている間に、みつきは何をしているのだろうか。先ほどまでの乗客の中に、みつきはいただろうか。みつきには、自分のことを気にかけている人がいることを知ってほしいと、そう願いながらゆっくりと開いたドアからホームに降り立った。











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