わたしが選んだもの、あなたが選べたもの

蒼桐大紀

本編

 けたたましい覚醒信号が響いている。


 単調だが明確なパルスはシアの意識を呼び覚まし、群の中からひとつの個を分離させた。


 目を開けると、円形の広場一面に広がるりんごの木々が視界に収まる。白い花と赤い果実が緑の中に色づいていた。

 天井があまり高くないので、擬似太陽光は昼時間でもひかえめに抑えられていた。ほのかに明るい。


「よいしょっと」


 シアは樹皮にうずもれていた右腕を引き抜いた。身体を起こすと、胸の隆起から細い腰までがあらわになる。樹皮はその動きに合わせて色を白に変え、ローブめいた貫頭衣かんとういに形を変えた。


 相変わらず身体は二十歳の頃のままだ。

 立ち上がり、両手で髪を背中に流し全身を伸ばす。


 覚醒信号はまだ続いている。そのパルスに乗って『園内に来訪者』、『対応を要する』、『人格部』、『シア』、『起きろ』……と群体意識の発する断片的な言葉が流れてくる。


「やかましい。起きたっての」


 声帯よし。確認ついでに皆を黙らせる。


 シアは集中するために目を閉じ、右手を中空へ差し伸べた。静かに、感覚だけを果樹園を構成する樹と共有する。


 中央にいるシアから見て左後方、南西通用口が開いていた。そこから入って来たであろう小さな人影をとらえる。子供だ。年は七、八歳くらい。長い髪と服装から、一見すると女の子に思える。ちょうど三十二番の木に触れて、左右を窺っていた。 


 シアはいったん感覚を収斂しゅうれんさせ、機械に頼ることにした。


「管理権限十七の三。警衛システム、南西通用口のライブログから船員情報を照合。前に出して」


 シアの声に応じて、目の前に空間投影入出力画面F L I P ‐ U Iが表れる。警衛システムは、見やすいよう湾曲させたワイド画面に統合英語J Eで必要な情報を提示した。



 名前:リコ

 姓氏:ケイ第九氏族

 年齢:八歳(船内暦二五〇年生)

 性別:女性(ただし登録上)

 付記:誕生時両有性りょうゆうせい発現(二五八年現在保留中)



「まだそんな子がいるんだ」


 再び感覚を拡げる。リコは左右どちらへ進むか迷っているようだ。

 シアは左腕を上げると、大仰な動作で前に振った。



 ざあ————————。



 園内の木々が枝葉を揺らし、三十二番付近から中央に向かって風を流れ込ませた。

 その風がシアの頬を撫でる。手を使わず顔に触ったような気がして変な感じだが、どちらも自分の身体なので仕方ない。


 遠いあの日、果樹園プラントと融合してから、人間としてのシアの存在は一度失われている。いまのシアは、植物型演算素子群の十七代目の人格部インターフェースであり、恒星間播種伝達船こうせいかんはしゅでんたつせん〈アーク・チェンバー〉の中枢そのものだった。




      ◎




 風が吹いた。


 さわさわと揺れる木々の間に、道が見えた気がした。


 行ってみよう、と思った。


 リコはワンピースの裾を丁寧に払って足を踏み出す。軌道上で働く船員服と同じ色なので、一番のお気に入りのワンピースだった。だから、今日はこれを着ることにした。


 今日はリコの八歳の誕生日で、大事なことを決めなければいけない日だった。

 朝、起きてきたリコを迎えた両親と祖父はお祝いの言葉を述べると、祖父が代表してこう尋ねた。



『リコはどうしたい?』



 何度も説明されていたことだから、それだけで十分だった。

 復習だって自分の中で何度もした。


 自分が少し前のご先祖様のように〝男の子でもあり女の子でもある両有性〟として生まれたこと。

 生まれたときは女の子の方が強かったから、女の子として育てられたこと。

 遠いご先祖様達が長い船旅のために作り替えた身体の仕組みは、ようやく見つけた地球型惑星新天地には合わなくて、また元の仕組みに戻したこと。それもまだ完全ではなくて、まだリコのような〝先祖返り〟が生まれてしまうこと。


 そして、両有性のままでは大人になれないこと。


「わかってる」


 木々の間を歩きながら、リコは何度もやった復習を頭の中で繰り返していた。風の余韻に前髪が乱される。すぐに整えて広い額を隠した。リコは自分のおでこがちょっと苦手だ。


「でも、わからないよ」


 変わっているのは自分の方なのだから、どちらか選ばないといけないのはわかる。けれど、リコは自分のことを女の子だと思っていたし、自分以外の女の子の身体のことをよく知らない。


 緑のカーテンをくぐりながら、リコは思った。


(選ぶってなに? 選ばないと私は女の子じゃないの?)


 その時、視界が拓けた。


 果樹園の真ん中の、ひときわ大きい木の下に、大昔の彫像のような人影がたたずんでいる。


 その人はまるで後ろにいるリコが見えていたかのように、足を止めたところきっかりで振り返った。

 背はあまり高くない。

 淡い色の髪を風になびかせて、その人は少し首をかしげて微笑む。


「やあ、リコ。いらっしゃい」


 不意に名前を呼ばれ、リコは思わず息を呑む。




      ◎




(驚いている驚いている)


 シアは戸惑うリコの姿を見て楽しんでいた。『意地が悪い』、『大人気ない』、『真面目に対応』……などと群体意識から注意されるが、それ込みでわたしなんだと思う。


「こんにちは。わたしはシア。ここの——」


 少し考え、


「管理人みたいなものかな」


 そう名乗ることにした。


「こんにちは。あの、どうして私の名前を?」


 手を伸ばせば届くぎりぎりの距離まで来て、リコはそう尋ねた。


(いいね、物怖じしないのも距離の取り方もいい、なにより礼儀正しい)


 シアはすぐに好感を持った。


「わたしは全船員の情報を見ることができるの」

「シアさんは、偉い人なんですか?」

「シアでいいよ。んん、偉い……のかなあ。うーん?」


 その言葉にわずかな抵抗を覚えて、シアは眉根を寄せた。とはいえ、リコが悪いわけではないので、思っていることそのままを口にする。


「権限は持ってるけど、そんなのおまけみたいなものだし。偉いってのとは違う気がするなぁ」

「じゃあ、シアの役割はなに?」


 そう来たか、と思った。シアは認識を改める。この子はきっと八歳にしてはかなり賢い。


「わたしの役割は、船の頭脳でもあるこの果樹園を見守ること。それから、ここに来たお客さんの相手をすること、かな」

「船の、頭脳……。ここ、メインコンピュータルームだったの?」

「正しくはかつてそう呼ばれていた場所だね。長い航海の間に植物型演算素子……て、つまり木の姿をしたコンピュータが進化してこんな風になったのさ」


 シアはふわりと両手を広げてみせる。


「ここもね。元を辿れば特異遺伝子管理プラントだったのだよ。そして、両有性を作り出したところでもあったり」


 シアはあえて軽やかに話したが、リコの表情がこわばる。なにかを言おうとしてためらった様子を見て、シアは先回りすることにした。


「リコ。わたしはあなたがどんなことで悩んでいるのかわかる。でも、あなたの気持ちはわからない」


 ひと息置いて、シアは続きを言った。


「だから聞かせて、あなたの気持ちを、あなたの言葉で」




      ◎




 吸い込まれそうな鳶色とびいろの瞳を見返して、リコは祖父に渡されたマップとカードキーを頼りにここへ来た経緯を話した。


「選ぶってなに? 選ばないと私は女の子じゃないの? ——あ、ごめんなさいっ」


 シアの気安さからか、普段は押し隠している言葉が飛び出していた。

 けれど、シアは気にした様子はなく「それでいいよ」と微笑んだ。


「お祖父ちゃんはここにヒントがあるかもしれないって……」


 並んで腰を下ろした二人に、木々の緑が優しく影を落としていた。


「ヒントねぇ……」


 シアは前を見据えたまま言った。


「船がこの惑星ほしの軌道に入ってから、いや、惑星地球化事業テラフォーミング開始から何年だっけ?」

「え。んー……っと、十六年」

「じゃあ、四十年くらい前の話になるのかな。先行させてた無人調査機がこの惑星を見つけて行き先が確定したまではよかったんだけど、当時の船内にはずっと起きて船を動かしていた両有性と人体冷凍保存処置コールドスリープから目覚めた男女の、二種類の人類がいたんだ」

「三種類じゃなくて?」

「両有性は性別だけで分けられないほど変わり過ぎていたからねぇ」


 リコが自分の肩を抱いた。シアはそっと手を添えた。


「そもそもこの船は人類という種を他の星系に残すためのものだから——というのは建前で、みんな怖くなったんだよね」

「怖くなった?」

「そこまでヒトの身体を変えてしまったことに。わたし達はいつの間にか人類じゃなくなりかけているんじゃないか……って。だから、なんとかして元に戻そうってなった」


 シアが立ち上がり、両腕を広げた。


「その名もヒト再構成計画。ここにはヒトの身体の仕組みを作り替えられる機能があったし、両有性の身体はテラフォーミング後の環境と合わないとわかったから都合がよかったのね」


 リコがうなずいたのを見て、シアは微笑みを返し内心で苦笑した。


(……ま、合わなかったのは凍眠コールドスリープしてた人達となんだけども)


「それでも完璧じゃなくて、何割かは適応できずに残っちゃったんだけどね。その時、植物型演算素子群が提案してきたのが、人格部として融合することだったのさ。ひととお話しする相手役にならないかってお誘い」

「じゃあ、シアは……」

「うん、元は両有性の人間だった」

「だった?」

「融合するとね、人間だった頃のわたしは薄れていくの。けれど、わたしを維持しないとこうやって話すのは難しいから、果樹園内部に残された動物性遺伝子をかき集めて人格部を形成してるのさ。わたしはそのうちの一人」


 シアは振り返り、リコの瞳を真っ直ぐ見つめた。


「話を戻すと、そんな過去があって両有性は男女どちらかを選ぶことになったのだけど……。リコはもう決めているんだよね」

「え?」


 言われて驚く。自分はまだわからないままで……。


「だって、さっき言っていたよね。『選ばないと私は女の子じゃないの?』ってさ」

「あっ」

「わからなくなったのは、リコがもう自分のことを女の子だと思ってるからじゃないかな。決まりきったことを選ぶなんていまさらだよね」

「でも、そんな風に言うのはわがままな気がして……」


 リコがそう言うと、シアはあっけらかんと言い放った。


「わがままなくらいでいいんだよ、こういうのは。たったひと言なんだけど、言うのと言わないのとでは全然違うよ。それに……」


 シアはそこでくるりと回って、まふしそうに笑った。


「リコは選べるんだから、さ」


 選べる。その言葉にはいくつもの〝選べる〟が重なっている気がした。


 リコはすっと立ち上がった。


「わかった。ちゃんと言ってみる」

「よし、善は急げだ。帰り道はわかるよね?」

「うん。シア、ありがとう」

「どういたしまして」


 シアはリコの前に立っておどけた笑いを見せた。そこで「あ」と思い出したように右人差し指を立てる。


「ここのことは他の人に話さない方がいいよ。リコが帰ったら、今回のルートも閉じちゃうし」

「もう会えないの?」

「ここではね。ま、船にいる限りはいつも会っているようなものだから」

「じゃあ、忘れない」

「うん」


 風が吹いた。


 大樹の麓にたたずむシアに手を振って、リコが走り出す。シアはその背に向けてそっと声を掛けた。


「リコ」


 振り向いた小さな同類に、お別れのひと言を送る。


「誕生日おめでとう」


 リコは一瞬きょとんとしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて大きく手を振った。


「ありがとうー!」


 シアは緑の中に消えた後ろ姿をいつまでも見守っていた。




      ◎




 こうして果樹園プラントは、新たな人格部苗床を得る機会を失った。


 植物型演算素子群も不滅の存在ではない。動物性遺伝子でやや強引に構成している人格部の寿命も長くはなかった。


 果樹園がリコの祖父を通じてここへ誘ったのは、彼女が〝選べなかった〟のならシアの代替わりにするつもりだったからだ。


 しかし、その目論見は外れた。


「いいじゃんそれで」


 群体意識先代達はなにやらうるさいが、すべて無視してシアはゆっくりと語りかけた。



 ——いいじゃんそれで。殺されるのでも消されるのでもなく、自分が選んだ生き方で自然に果てるのなら。ねえ、わたし達?



 そして、この思いもいつかは消える。十七代目の人格部であるシアが、最初にりんごの木を選んだひとの意図を辿れないように。


 ざわざわと果樹園が震えた。




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