在り方
はるより
本文
時期は秋。野菜や果物が実り、人も動物も食欲が旺盛になる季節である。
ヴィルは本日、老夫クーパーの農作業を手伝い、畑に肥料を撒いて回っていた。
農業に関してそれほど明るくないヴィルから見ても、カルム村の土壌は肥沃なものだ。
少し黒っぽい色をした粘土質の土は養分をたっぷりと含んでおり、蒔かれた種を優しく受け止めて大切に育ててくれる。
先日収穫された小麦もとても出来が良かったらしく、クーパーを始めとした畑の主たちは皆歌を歌いながら、上機嫌で穂を刈り取っていた。
「おーい、ヴィリアム!都の子達が到着したらしいぞ!」
家屋の並ぶ村の中心地から畑に繋がる道。
そこを歩きながら、クーパーが大きな声でヴィルに呼びかける。
ヴィルは手にした袋に残った堆肥をその場に撒き終えると、顔を上げる。
『都の子達』、というのは以前からカルム村で噂になっていた、都からこの村に越してくるという若者夫婦の事である。
元々人口が少ないということもあるが、田舎の村というのは村民同士の繋がりが強いため、情報はあっという間に広がるものだ。
クロエが持ち帰ったその話は、日暮れ前には末端のヴィルにまで届いていた。
クーパーはヴィルが都から来たということを知っている。
そして引っ越してくる夫婦も歳若いということで、彼らにとっても接しやすいであろうヴィルに声を掛けたのだ。
ヴィルは背負っていた籠を下ろし、タオルで顔の汗や汚れた手を拭うと、話し声の聞こえる方へ向かう。
クロエの幌馬車の脇に村民のほとんどが集まっており、その中心には少し戸惑った様子の人物が二人立っていた。
短い茶髪に眼鏡の少し神経質そうな男性と、蜂蜜色の髪を高い位置で纏めた愛らしい顔立ちの女性である。
男性は次々に名乗る村民の名前を覚えようと必死になっているようで、メモを取りながら何度も周りの人間の顔と見比べている。
女性はそんな様子をにこにこ笑顔で眺めながら、人々の農作業で汚れた手を全く気にする事なく握手を交わしていた。
ヴィルはふと、その女性を見て気になる事があった。
女性は頭に包帯を巻いており、片手はギプスを嵌めて首から吊っていた。
それが少なくとも転んで出来た傷でないという事位はヴィルにも分かる。
ただ、彼女の表情を見る限り男性から暴力を振るわれているようにも思えない。
「ああ、よく来たね坊や。こちらはクラークさん夫妻。今日から向こうの空き家に住むから、困っていたら助けになっておやり」
「はい。……初めまして、ヴィリアムと申します。」
二人の傍らに立っていたクロエに促されて、ヴィルは頭を下げた。
夫妻はそろって彼の方を向き、握手を求める。
「初めまして、ヴィリアム。セオドア・クラークだ」
「テディで良いわよ」
「おい、やめないか!……テッドと呼んでくれ」
「私はエイラ。宜しくね!歳も近そうだし、堅苦しいのは無しで良いかしら?」
仲良さげに、そんな掛け合いをするクラーク夫妻。
ヴィルはそんな二人を微笑ましく思いながら手を握り返した。
「僕は向こうの一番森に近い家に住んでる。もし何かあれば、気軽に訪ねてきてほしい」
「ほんと?ならお言葉に甘えて、この後お伺いしちゃっても?」
「こら、エイラ!勝手に図々しいことを……」
「分かった。豪華なもてなしは出来ないけれど、それで良ければ」
「えっ!?」
驚愕の表情を浮かべるテッドと、怪我をしていない方の手を上げてばんざーい!と喜ぶエイラ。
カルム村では他者の食事にお呼ばれしたり、家族以外の人と共に団欒の時を過ごすことも珍しくはない。
ヴィルは自ら他の者の家に上がらせて貰うことは余りなかったが、その分お呼ばれする事と人を迎える事に関しては慣れたものである。
ヴィルは家に残っている食材を思い浮かべ、夕飯に野菜のスープと塩漬け肉を使った簡単な料理くらいなら作れるだろう、と考えていた。
周りの村民たちは彼らの様子を見て、後を託したとばかりにその場を去り、思い思いの方へと散って行った。
「なんというか……大らかな場所だな、ここは。」
「皆親切で温かい人達だ。僕も去年都から来たばかりだけど、良くしてもらえている。」
村民との距離に慣れないのか、困ったように笑いながらテッドはヴィルの顔を見た。
「まぁ、あなたも都出身なの?お話出来るのが益々楽しみになったわ!」
エイラはそう言って嬉しそうに目を輝かせている。
やはり天真爛漫そうな彼女にも、見知らぬ村での生活には幾許かの不安があったのだろうか。
「僕は作業の途中だから、悪いけど少しだけ待っていて欲しい。何なら先に上がっていてくれても構わないが……」
「ああいや。俺たちも荷物を家に運び込まないといけないから、気にしないでくれ。」
そう言ってテッドは馬車の荷台に乗せられたままの家財を指して言った。
確かにコンパクトに固められているとはいえ、木箱や布袋がいくつも重ねられているのを見ると少し骨が折れそうである。
「後で家の前まで馬車を移すから安心しな。それに、か弱い乙女でも運べる物なら手伝いもしてあげるよ」
「わーい!ありがとう、クロエさん!」
「良いよ。その代わり、モリス商店をご贔屓にね!」
ヴィルはその荷物の量に、自らが手伝いの申し出をするべきかと考えていたが、クロエの言葉を聞いて安心した。
口ではああ言っているがクロエは仕事柄、重い荷物は運び慣れている。
その証拠にシャツに隠された身体は、下手な都育ちの男性よりも鍛え上げられており、噂では馬車を襲った賊をその身一つでボコボコにして追い返したとも聞く。
……いや、それに関しては流石に噂であって欲しい、とヴィルは思った。
「それじゃ、また後でね!」
「ああ、また」
馬車に乗り込む三人に手を振り、ヴィルは再びクーパーの畑へと戻る。
そして少し浮き足立った気持ちで、先ほど自分が置いて行った籠を背負い直すのであった。
*****
「へぇ、ならヴィルは王宮仕えの騎士だったの」
「ああ。と言っても、正統なものとは少し違っていたが」
前のめりになりながらヴィルの言葉を聞くエイラ。
ヴィルは他言すべきでない細部の情報に関してはぼかしていたが、縁のない市民には王宮と関わりのあった人間の話が興味深いらしい。
中庭での女王のお茶会の様子や、武芸大会の話などを語ってみると、エイラは食い入るようにして耳を傾けていた。
「……僕の方から質問をしても?」
「どうぞ!」
「その怪我は、どうかしたのか」
ヴィルがエイラの腕を指差しそう尋ねると、夫妻は顔を見合わせた。
「話しにくい内容なら、無理にとは言わないが……」
「いや、そういう事じゃないんだが。ただ、余り他言して良いものとも思えなくて」
「うん。だけど、とても誇りある事だから。心配しなくて大丈夫よ!」
彼らの言葉を聞いて、ヴィルは確信を得る。
「君たちは、もしかして霧の騎士か?」
「……なぜそんな事を?」
警戒した様子で、テッドがそう呟いた。
いざとなればエイラの手を引いて逃げようと思っているのであろう、彼の腕がテーブルの下でゆっくりと動いているのが分かる。
「驚かせてしまったならすまない。僕も、都にいた頃は迎撃戦に参加していたんだ。」
ヴィルがそう告白すると、二人は目を丸くしていた。
参加した迎撃戦のほとんどは霧の騎士としてだが……それを証明する証拠はないため、ヴィルはベッド脇のサイドボードの中から宿木の紋章が刻まれた機械仕掛けの仮面を取り出し、二人に見せる。
「ええっ、本当!?まさかこんな所で仲間に会えるなんて!」
「ああ……驚いたな」
どうやら彼らは仮面を見た上でヴィルの言葉を信じてくれたらしく、信じられないといった風に目を瞬かせている。
「……俺たちがここに越して来たのは、それが原因なんだ。毎回エイラが大怪我を負うもんだから、一度戦いから離れたくて」
「私は平気だって言ったんだけど、テディが女王様と勝手に話を進めちゃうんだもの」
「そうでもしないと、お前は納得しないからな」
「……なるほど。」
合点のいったヴィルは、二人の会話を聞いて小さく頷いた。
この様子だと、きっとエイラがブリンガーなのだろう。
大切な人が傷付くのをシースとして見ている事しかできない辛さは、ヴィルにもよく理解できる。
「次元の柱は、今も無事なのか?」
「ええ、皆頑張っているもの。」
ヴィルは自らが犯したミスが原因で霧の騎士として戦えなくなり、女王の持つ戦力に穴を開けてしまった事を申し訳なく思っていた。
特に一京はユリの花章を持つブリンガーであり、迎撃戦での被害を抑える重要な役割を担っていた。
慕う者としての贔屓目はあるかもしれないが、彼が戦線を退いた事による影響は大きいだろうと、ヴィルは考えている。
この世界に大きな異変が起きていない以上、凝華や昇華の怪物を退け続けられている事は間違いないのだが、やはり気にはなるものだ。
「しかし、閉鎖されたコミュニティに突然入り込むと、邪険に扱われるのではないかと心配していたから……なんというか拍子抜けしているよ。」
テッドは窓の外に広がる、村の風景を眺めながらそう言った。
今はもう日も落ちて、温かな光が立ち並ぶ家から漏れ出ている。
この静かな村は、もう数時間もしないうちに眠りにつくだろう。
「繰り返すようだが、皆良い人たちばかりだ。心が広く穏やかで……愛情深い」
「ヴィル、確かにそれもあるかもしれないけれど……恐らく真髄じゃないわ」
嬉しそうに言ったヴィルの言葉を遮るように、エイラが言った。
ヴィルとテッドは、きょとんとして彼女の方を見る。
「きっと皆は、敬愛する女王陛下の名の下に送られてきた私たちを……天の御使いのように思っているのよ。本人達にそのつもりが無くても、ね。」
エイラは、はっきりとした口調でそう続ける。
彼女は微笑んでいたが、決して能天気な笑顔を浮かべているわけではなかった。
ヴィルはその言葉に、なるほど、と思う。
確かに……この村の人々は不思議なくらいに温かく
その答えが、自分の後ろに女王陛下の存在があるからだと考えると、納得も出来る。
「だから、その私たちは……皆さんの期待に応えられるよう、出来る限りのお手伝いをしていきましょう?ヴィルはこれまで通り、私たちはこれから、ね」
「……そうだな。」
少し寂しいような、複雑な心境になりながらヴィルは頷く。
昨日までと何ら変わらないはずの気温が、少しだけ肌寒く感じられた。
その後間もなく、クラーク夫妻はヴィルの住む小屋を後にし、自分達の家へと帰って行った。
ヴィルはテーブルの上に広げられた茶器を片付け、就寝準備を済ませる。
それから、仮面をサイドボードにしまう前に、百合とそれを守るように取り巻く寄生木の紋章をそっと指でなぞった。
「……お元気だろうか」
ヴィルは、自分を家名や役割で見られることについては慣れているつもりだった。
都にいた頃は、彼がハウンドであり、王宮仕えの騎士であった故に……寧ろ『ヴィリアム』個人として扱われる事の方が少なかったのだ。
ただそれは、十八の頃までは家に帰ればフォルクマーが。それ以降は一京が、『ヴィリアム』に語り掛けてくれていた上での話だ。
だから、村人の真意を確かめた訳ではないとはいえ……エイラの言葉を聞いて、こんなにも寂しく感じているのかもしれない。
ふとヴィルに仮面を渡した、『浅黒い肌と黄金の瞳』を持つ男の言葉を思い出す。
『運命は数奇なものだ。』
『それ程に離れ難いのならば、今度こそ己の意志を遂げると良い。』
その意味は理解できなかったが、あの日の約束……一京の隣で、霧と桜が手に取る光景を見る事は叶わないだろう。
情けないな、と思いながらヴィルは、仮面をそっと引き出しの中に仕舞う。
何はともあれ、明日から生活が一変するというわけでもない。
気を取り直して、また畑仕事を頑張ろう……そう思いながら、ヴィルは眠りにつくのであった。
*****
その日、ヴィルは夢を見た。
広がる夜の荒野で、焚き火を囲んで数人の人間が談笑している。
ふと、隣に座る小柄な少女が何かを語りかけてきた。
まるで水中に居るように音が反響して……言葉こそ聞き取れないが、彼女は楽しげな笑顔を浮かべている。
ヴィルは、自分のものかそうでないかすら曖昧な意識の中で、愛しい人へ心に誓う。
運命が尽きるその時までは、側に居よう。
この身は剣。彼女の行く険しき道を切り開くための
在り方 はるより @haruyori
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