華月堂の司書女官【短編~幼なじみ 林簾の事情~】

桂真琴@11/25転生厨師の彩食記発売

※ 書籍版に合わせたお話となっております


 ふ、と視界が明るくなった。

 ちょうど細かい字が暗くて判別できず、花音はこうに目を凝らしていたところだった。驚いて顔を上げると、同じく驚いた顔が手燭てしょくを持って立っていた。



「おまえ、マジで試挙しきょの勉強してんのな」

「……なによれん。あんたも馬鹿にしに来たわけ」

 花音は隣家の幼馴染を睨んだ。

「お、俺はべつに……つうか、馬鹿にされても無理ないぞ、おまえ。試挙を受ける娘がいるなんて、たぶんこの鹿河ろっか村始まって以来の珍事だからな」

「珍事でけっこうよ。普段から珍獣扱いみたいなもんだし」



 小さい頃から「本が好き」と言うとフクザツな表情をされてきた。



 それで村八分むらはちぶにされることはなかったが、なんとなく周囲との間に見えないおりのようなものを感じてきた。珍獣を鉄柵てっさくの隙間からのぞく好奇の視線。老若男女問わず、周囲が花音を見る視線は、それだ。



「どうせあたしは農作業やらせたら役立たずピカ一のダメ娘ですから!」

「イラついてんなあ。俺に八つ当たりすんなよなー」

「してないわよっ」

「なんだよ、差し入れ持ってきてやったのに。いらねえなら帰る」



 簾は踵を返して歩き出そうとしたが、衣の裾をがっちりつかまれて動けない。



「……いらないなんて言ってない」

「まったく、素直じゃねえなあ」



 簾は手に提げていた籠を積みあがった本の上に置いた。


「おまえの好きな包子パオズ。うちのくりやから出てくる物だから、肉の多さは期待するなよ」

「うわあ」


 花音は歓声を上げ、いい匂いが漏れてくる籠を伏し拝む。


「おばさんには一生足を向けて寝られないよ」

「うちの親父とおふくろも同じこと言ってるわ。遠雷えんらい教師せんせいには一生足向けて寝られない、ってな」



 隣家りんか林家りんけ夫婦は、遠雷のことを「君子」と呼んでいた。

 農作業に関して、身体が大きいわりには、遠雷は役立たずである。そのあたりは花音とどっこいどっこいであるが、遠雷はなんといっても私塾の教師。効率的に農作業をする方法をいろいろと指南し、それが村人たちや林家夫婦の崇拝を集めているのだった。



「いただきまーす」


 無心に包子を頬ばる花音を眺め、簾も一つ包子をかじりつつ室内を眺める。



 ここは遠雷が営む私塾。私塾といっても、物置小屋を少し広げたような粗末な小屋だ。使いやすいように整えられてはいるが、初春の寒さが壁板の隙間から入ってくるのは如何いかんともしがたい。簾は、ぶる、と肩を震わせた。

 花音は遠雷の物とおぼしき、大きすぎる綿入れを羽織っている。そして、包子を頬ばりつつも書物に目を走らせいた。頁をめくる細い指先は、室内の冷えた空気のせいか、赤くなっている。



「なあ、おまえ、いつからここにいるんだ?」

「んー……夕飯の片付けして、お湯使って……からかな」

「マジで?!」



 簾は絶句する。


 農家で朝の早い林家はもう、寝静まっている。先ほど、母屋にも包子を持っていったとき、遠雷も寝支度をしていた。



(こんな寒くて薄暗い中で、こんな遅くまでずっと一人で勉強するって……)



 小さな身体に大きな綿入れを羽織った背中を、思わずそっと抱きしめてやりたくなる。



(いやいやいや! 何を考えているんだ俺は!!)



 一人で赤面し、その勢いで簾は聞かずにおこうと思っていたことをつい口にした。



「な、なあ、花音。なんで試挙なんか受けるんだ?」

「それは……」



 今度は花音が言葉に詰まる。


 嫁入り前の刹那の至福、本読み放題の理想郷を叶えるため――とは、まさか言えない。


(でもっ、そのほかにもちゃんと理由はあるし!)



 高給稼いで父を助けるとか、働き手として農村で役に立たないから役に立ちそうな場所で人様の役に立ちたいとか、世間様に顔向けできる理由もちゃんとある。しかし一番の理由に比べれば些末さまつすぎて、なんだか嘘っぽい。


 簾を納得させられる理由――それは年頃の乙女としては口にするのはいささか寂しいが、これもれっきとした理由で且つ周知の事実でもあるので、遠慮なく花音は言った。



「それは――嫁のもらい手がなかったから」

 簾が目を丸くする。

「そんな理由?」

「そう。そんな理由」

「ていうか、うちのおやじ、何も言ってなかった?」

「べつに……」



 花音は頁をめくりつつ言った。悪いと思いつつ簾への返答は上の空だ。

(早くこの書物読んじゃわないと、先に進まない!)


 一心不乱に頁をめくる花音の横で、簾はきまり悪そうに足元を見つつ話し続けた。


「おっかしいな……俺、あの日、おやじが李家に行くって言ったとき、伝えたんだけど。その……俺は、か、かか花音と、その、夫婦めおとになってもいいって……」


 最後の方は消え入りそうな声になったのを、簾は我ながら情けないと思った。

 花音も無反応だ。やはり聞こえなかったのだろう。


(しっかりしろ俺。男ならここできっちり伝えなくては!)



「あのな、花音」

 思い切って顔を上げると――椅子が空っぽだった。



「あ、あれ?」

 室内を見回すと、花音は手燭を持って本棚の前に立っていた。立ったりかがんだりして、真剣な面持ちで書物を探している。



(ぜんぜん聞いてねぇーっ!!)



 一気に脱力した。簾の決死の告白を、花音は聞こえなかったというより、まったく聞いていなかったらしい。



(……思えば、こいつはこどもの頃からそうだったな)



 簾は苦笑する。書物に夢中になった花音に何を言ってもムダなのだ。


 そもそも、書物に夢中になると周囲が見えていない。山の中で本を読んで日が暮れてしまい、泣いていた花音を、何度おぶさって帰ってきたことか。


(試挙なんて、受かるわけないしな)


 いくら花音が読書好きで物知りとはいえ、試挙はそんなに簡単に受かるものではない。女官なら尚更、狭き門だと聞く。



(続きは、試挙が終わってからでいいか)

 意気消沈した花音に求婚するのは、どこか姑息こそくな気がしないでもないが。



 簾は花音の傍へ行くと、花音の手から手燭を取った。

「あれ? 簾、いつの間に? ていうか灯り返してよ」


 簾は自分の手燭のろうを花音の手燭皿てしょくざらに移した。ぼう、と灯りが大きくなり、明るさが増す。



「えっ、蝋燭ろくそく、くれるの?」

「俺からの差し入れ。邪魔して悪かったな。がんばれよ」



 簾は花音の頭をぽんと撫でて、思わず笑んだ。



 いつも思うが、髪型のせいか顔立ちのせいか華奢なせいか、花音は子猫に見える。自分を見上げるこの角度からの花音の顔は子猫度が高く、簾は昔から好きだった。 



 手燭が無いので足元がよく見えず、十歩じゅっぽ隣の我が家へ帰るのにすっ転んで怪我をしたことは秘密だ。


***


――それから、ひと月ほど後。


「嘘だろ?!」


 簾は耳を疑った。

 花音が、試挙に及第したというのだ。



「いやいやいや、今、まき割ってた音で耳がおかしかったんだ、うん」



 簾は斧を置くと、地面に散らばった薪を束ねつつ、家の戸口へ聞き耳を立てる。


「本当かい?」

「はい! ほら見てください、及第、って書いてあるでしょう?」

 花音と母の歓声が聞こえる。簾の手から薪がこぼれ落ちた。



(マジか……)



 ここ数日、寝床の中でああでもないこうでもないと考えていた求婚の言葉が、ガラガラと音をたてて崩れていく。



「おばさんの包子のおかげです! 差し入れ、いつもありがとうございました!」

「なに、あんな余りもので作った包子でも役に立ってよかったよ。それにしてもすごいねえ、花音ちゃん。李家で大見得おおみえ切ったって聞いたときはどうなることかと思ったけど、本当に試挙に通るとはねえ。たいした娘だよ!」


 簾の母は自分のことのように喜んでいる。


「そういえば、簾もいるんだよ。おーい、簾! 花音ちゃんだよ! 試挙に及第したってさ!」

 その大声に道行く村人がなんだなんだと群がり、騒ぎが大きくなった。



(今、ぜったい顔を見られたくねえ。誰にも)



 簾はがっくり肩を落とすと、裏からそっと家を離れた。


***


 裏山の山桜の木の下まで来ると、簾は腰を下ろした。


 ここは、日中はほとんど誰もいない。そのため、農作業をこっそり抜けた花音がここでよく本を読んでいた。日暮れに泣いている花音をよく迎えにきたため、簾もこの場所を知るようになったのだった。


「あんなにメソメソ泣いてた花音が……試挙に及第するとは」


 自分でも驚きだった。こんなにも衝撃を受けるとは。


「すげえよ、花音」

 花音が試挙に及第したことが衝撃なのではない。そのこと自体は、母と同じく自分のことのように誇らしい。



 ここに至り、簾は気付いたのだ。

「俺……花音のこと好きだったんだな」



 しかも、かなり。求婚できないことが、これまでの人生で最も大きな衝撃になるほどに。



龍泉りゅうせんか……遠いな」

 鹿河村は州の最北端、京師けいし・龍泉を有する州と予州の境界に位置する。京師までは馬車で二、三日の距離で、さほど遠くはない。



 しかし、花音が行ってしまうには――遠すぎる。



「だーっ俺の馬鹿! なんでもっと早く気付かなかったんだよ……」


 村で嫁取りの話が持ち上がり、幼馴染たちが次々に一緒になっていくのを横目で眺めていたのも、父が持ってきた縁談を断ったのも、何かが心に引っかかっていたからだ。


 それが、花音の存在だったと、今気付くとは。


 もっと早くに気付いていれば、花音は試挙を受けることもなく、簾も初恋を成就させ、万事丸く納まっていたはずなのに。


「俺っていつもこうなんだよな……」

 三男坊で、いつもいつの間にか周囲に助けられて、肝心なことに自分で気付くのが遅いのだ。しかし気付かなくても周囲がなんとなく何とかしてくれるため、特に困ったこともなく生きてきた。


 そのツケが、これだとは。


 簾はがっくり肩を落とす。


 地面には、フキノトウが顔を出していた。蒲公英たんぽぽも茎を伸ばしている。雪や枯草を押して生えてくるそれらの植物は、たくましい生命力にあふれている。


 自分は、賢くはない。しかし、この植物たちのように逞しさには自信がある。そして、前向きに考えられる強さも。


「……よし」

 簾は、顔を上げた。


「確か女官って、任期があったよな」

 三年だか五年だか、決められた任期があったはず。



「そんなに待てない。だから――俺が花音を迎えに行く」



 どうせ自分は三男坊だ。土地は無く、嫁を迎えても親や長兄の手伝いをするか、ちっぽけな土地を高額で手に入れるしかない。


「だったらいっそ、花音と龍泉で暮らせばいい」

 花音は無類の本好きだ。村の本は読みつくしたと言っていたし、京師・龍泉にはたくさんの書堂ほんやもある。


 顔を上げると、山桜の蕾がふくらみかけている。

 簾は大きく息を吸った。簾の胸も、新しい夢に向けて大きくふくらんだ。


***


 花音が京師・龍泉に向けて旅立ってから、しばらく経ったある日。


 白家はくけの私塾のオンボロ小屋で、本の整理をしていた大男が顔を上げた。



「おや、簾君じゃないか」

「遠雷教師、こんにちは」

「久しぶりだね。牛は売れたのかい」



 確か簾は、自ら育てていた牛を市に売りにいくとかで、林家夫婦の反対を押し切って南方の町へ行っていると聞いていた。



「はい、おかげさまで」

「そうか。それはよかった。花音が、君の顔を見られないで旅立つことを残念がっていたよ」

「そう、ですか……」

「まあ、三年なんてすぐだからね。戻ってきたら、また話相手になってやってくれ……いや、それまでに簾君は誰か良い娘さんと結婚してしまうかな」


 簾の父に一度は断られた経緯があるので、遠雷は花音を嫁に、とは言わない。寂しそうな遠雷に、簾は持っていた小さな袋を差し出した。


「お願いがあるんです。これで、俺に勉強を教えてもらえませんか」


 遠雷は差し出された袋をのぞいて、驚いて眉を上げた。


「これは、牛を売ったお金では?」

「はい。三男坊が世話をかけた分を両親に渡した後の、俺の取り分です。これで勉強を教えてください。俺……宝珠皇宮の武官登用試験を受けようと思っているんです」



 遠雷は驚いた。簾は学問をあまり好まず、この私塾にもほとんど顔を出したことはない。武官登用試験とは、どういう風の吹き回しだろうか。



「武官登用試験って、筆記試験もあるんですよね。俺、体力とか武術には自信があるけど、勉強はぜんぜんなんで……お願いします!」


 頭を下げた簾に、遠雷は慌てて言った。


「もちろん教えるよ。ほら、顔を上げなさい」

 そうして、差し出された袋を簾の手の中へそっと返す。

「ただし、お金はいらない」

「でも」

「これはとっておきなさい。君の大事なお金だろう」



 簾は三男坊だ。田畑が分け与えられない代わりに牛を所有していたはずだ。それを売ったということは、なにかよほどの考えや覚悟があって武官登用試験を受けるつもりなのだろう。


(花音に、影響されてしまったか……?)


 だとしたら申し訳ない、と思った遠雷だが、すぐにその考えを打ち消す。

 簾が明るく笑っていたからだ。


「じゃあ、労働力として使ってください! 花音の分までなんでもしますから!」


 それは、自分の思い描く未来に向かって突き進んでいく者の、前向きな顔だ。


(簾君には、花音は関係なく、きっと何か彼なりの考えがあるのだな)

 遠雷はそう納得して、簾の申し出に笑顔で頷いた。


「それはありがたい。むしろ花音より役に立つよ、簾君は。なにせ花音は鍋は焦がすわ、水をこぼすわ、私の仕事が増えるばかりだったからね……ははははは」

 乾いた笑いで遠い目になる遠雷に、簾は慌てて言った。


「ま、まあまあ遠雷教師! きっと花音は後宮で花嫁修業できますって。俺、次の武官登用試験ぜったいに受かって、花音の様子を見てきますから!」

「おお、それはありがたい。ぜひ『引く手あまた』な尚食女官になっているかどうか、見てきてくれ。そうとなったら私も、簾君が試験及第できるように頑張って教えなくてはな!」

「はい! じゃあさっそく、昼餉の準備しますね!」


 遠雷と廉は妙に意気投合し、その日からオンボロ小屋で簾の猛勉強が始まったのだった。




――何も知らない遠雷と廉が盛り上がっている頃。

 やっぱり何も知らない花音は、宝珠皇宮入宮式にて、厳かに配属を告げられていた。

「尚儀局司書女官、白花音。――後宮蔵書室、華月堂に配属する」




(おわり)




※ この後、華月堂で花音は奮闘します!よろしければ、ぜひ書籍版『華月堂の司書女官 後宮蔵書室には秘密がある』でお楽しみくださいませ⭐︎

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華月堂の司書女官【短編~幼なじみ 林簾の事情~】 桂真琴@11/25転生厨師の彩食記発売 @katura-makoto

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