無知の男

阿房饅頭

無知の男

 すでに魔法という概念が世界に満たされた中で、生活魔法の水しか使えない男がいた。


「お前なんぞ、井戸のごとく水を皆に配ればよい!」


 ある貴族の父は生まれた息子に烈しく激昂しながらに告げた。

 彼は貴族の長男であったはずだが、魔法が何も使えず、生活魔法しか使えなかったから。

 気づけば、汚らしい納屋の中で飼い殺しにされていた。誰もいない納屋の中で死にかけていた生活。長い生活の中で外に出されるのは水を出し続けるときのみ。

 心がボロボロになりながら、体も水ぼらしい体にされて、納屋に軟禁され続けた生活。それでも、男には一つの幸せがあった。

 非常に美しい水のように透き通った女がずっと付き従ってくれていた。


 だが、ほかの人間には見えない夢の幻のような女。水の女。


「お前は誰だ?」


 20になった時、初めて水の女は答えた。


「私はウンディーネ。貴方とずっといた女よ」


 男は聴いたことのない単語と女が初めて答えたことに困惑した。


「何かしたいの? あなたには強い思いを感じるの。答えてあげたらやってあげるわ」


 男はまず、体をきれいにしたいという。

 生活魔法は水を出すだけだ。だが、それを自分に使うことを親からも誰からも許されなかった。


「可哀そうね。だったら、みんな洗い流してあげようか?」


 みんなというのは誰だろうか、と男は問う。


「貴方を汚した人たち。すべてよ」


 ああ、それなら楽ができる、と男は答えた。

 だって、それなら自分を使ってきた人たちの手間が減る。自分が楽になれると。


 いじめてきた父や母、妹、弟。自分を蔑んで虐げてきた使用人たちも。そうだな、自分は誰にも愛されなかった。でも、それでも愛されたかったのだ、と。


 男はうなづいた。


 頼む、と。


「ありがとう」


 そして、屋敷はすべて洗い流された。男や家族を洗い流した。そういえば、国がどうとか言ってきたナカムーラとかいう従兄弟がいた。アイツもきれいにしてやろう。

 アイツはよくわからないことをして、評価の割れていた大臣の暗殺を嘆いていた。洗い流すということは心がきれいにもなることだと思ってのことだった。


 ナカムーラは国王だった。洗い流された。国はウンディーネにきれいにされた。


「俺は大臣を大事にしていた。確かに圧制だったかもしれない。けれども、金持ちが幸せになり、その富の分配はできていたはずなのに、どうして!」


 男には関係がない。ナカムーラのしっぱいはそれだけだった。

 男は精霊術士だった。それも類を見ないほどの。

 無知であったため、手加減を知らぬ力は国を一つの湖にして終わらせた。精霊術師であった男も洗い流されて死んだ。

 力を知らぬものは、死んだ。虐げられたものの復讐はそれで済んだのだ。


後世、精霊術師が正当な評価を得て、湖を調べた男がウンディーネから話を聞き、無知は恐ろしいことだと嘆くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無知の男 阿房饅頭 @ahomax

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ