Chapter Ⅱ 法師と梔子

Page8 : 異常

『報告』

 ・乙より甲へ 令和元年5月

 ・記録者:まだら素子もとこ

 ・概要:15日未明、㈱BSクリーン■■支部旧社屋において、多数の異彩いさい保持者が拉致・監禁される事案が発生した。

 異彩保持者の大多数は発見時すでに死亡しており、うち複数体には拷問を受けた跡も散見された。

 本件には複数の梔子くちなしが関与しているとみられ、計画的な凶行であったことは明白である。

 対処にあたったのは本件の報告者でもある協会所属の彩法師あやほうし――妃月彦。

 尚、くだんの過激派グループとの繋がりは現在調査中である。

 彼を除いた生存者1名は、協会にて保護済。


 ・特記:首謀者と思しき梔子は今なお逃走中であり、保管されていた異彩保持者の遺体の全ても、さきの梔子と共に忽然こつぜんと消失していた模様。


 各位は、調査に進展があり次第追って記載されたし。



       ◇◆◇◆◇



 夢もうつつもとろかすような、深く短い眠りだった。


 目覚めた楽陽の目に真っ先に飛び込んできたのは白い天井であり、白い壁と自らの身体を覆う純白のシーツがそれに続いた。いちめんの白は直近の記憶である灰色の部屋を想起させ、刹那、そこでの忌々しい記憶が蘇る。

 途端に曇る心模様とは裏腹に、彼女の脳味噌は自身の空腹を能天気に訴え始める。

 身を起こそうとしたその時、彼女の視界の脇から顔がにゅっと覗く。覚醒しきらない意識をそちらへ向け、目ヤニでかすむ両目をこすった。


「気分はどう?」

 浮ついた印象の女声。その問いかけに楽陽はぶっきらぼうな言葉を返す。

「ユーナさん……それ、何回訊くんですか?」

「いや、あんたもどんだけ寝るんだよ」

 即座にそう返される。


 赤い唇をへの字に曲げたその女性は、長いつけまつげをしばたたかせて不服そうに腕を組む。

 楽陽が聞いたところによると年齢は20歳とのことだったが、濃ゆい化粧のせいでプラス5歳は年上に見える。緩くかかったパーマヘアをコーラルピンクに染め上げ、毛先だけに鮮やかなターコイズブルーを入れている。

 さきの経験から髪色に対して敏感になっていた楽陽だったが、今回ばかりはその髪色が例の症状ゆえか否かの判別がつかないでいた。症状によって変色した髪色を生かしているのだとすれば、おそるべき美への執念だ――と楽陽は戦慄を覚える。


 彼女の名前は天音あまね友名ともな。他の人々からは‶ユーナ″と呼ばれているらしい。彼女自身がそう言っていたため、楽陽もそれに倣うことにしていた。


「そんなに寝てないですよ。1回の睡眠時間ってだいたい1時間くらいですよね?」

「それを30セットもかましといてなに言ってんのよ。海外ドラマみたいな尺で寝起きしやがって」

「1話1時間とするとちょうどシーズン3くらいか……まだまだですね」

「ですね、じゃねえから。なんだよ。過酷な状況から生還した人間に興味があったから看病を買って出たのに、なんかあんた、イメージと違うわ」

「なんですかその私利私欲にまみれた動機」

「なに寝ぼけたこと言ってんのよ。ギブが欲しければきっちりテイク。生き物の常識でしょ?」


 それから天音は、もっと悲壮ひそうに歪んだ顔や恐怖に萎縮いしゅくした姿が見たかったなどと散々喚き散らしていたが、甲高く鳴った楽陽の腹の虫に言葉を遮られ、いっそう不服げに奥歯を噛む。


「ごめんなさい。テイクはまとめて返すんで、とりあえずなんか食べるものを下さい」


 そう言った楽陽を見据える彼女の垂れ目が怒りでたちまち吊り上がる。しかしその怒気を噴出させる代わりに、天音は深々とした嘆息を吐き出すに留めた。


「他人とはいえ、傍で同年代の人間が瞬く間に殺されていく様を見せられたら、普通はまともじゃいられないでしょうに。あんた、つくづく異常だわ。心臓の代わりに鉄の玉でも入ってるんじゃない?」

 言うが早いか部屋を出て行こうとする天音に楽陽が呼びかけると、彼女は不機嫌そうに振り返る。

「いつまでそこにいるわけ? いろいろ教えてあげるから、とっとこ5秒で支度して」



       ◇◆◇◆◇



 黒いパーカーに黒いスキニーパンツ。拉致・監禁された往時の服装に着替えた楽陽と、手にしたスマホを頻りに弄る天音が並んで歩く様は、明らかにちぐはぐでどこか異質だ。


 天音の服装は派手の一言に尽きた。極限まで短かくしたハイビスカス柄のプリーツスカートに、クリーム色のニットをインしている。両耳には、手入れの行き届いた長髪を彩るように煌びやかなイヤリングが揺れていた。

 足許を彩る厚底スニーカーも目の冴えるようなオレンジ色ときており、濃ゆいメイクと相まって一層華やかな印象を受ける。

 そんなわけで陰と陽。2人の姿はまさしくそんな概念を余すところなく体現していた。

 視線を感じて隣を見遣れば、同様に楽陽を見ていた天音と目が合う。彼女は小さな鼻孔を何度かひくつかせ、「あんたなんか……臭いわね」と呟いた。


 楽陽は即座に自身の二の腕を嗅いでみたが、特筆すべき異臭は感じられない。ともすればこれは――と楽陽の脳裏にとある言葉が浮かぶ。

「これはあれですか、俗に言うイジメというやつですか?」

 あっけらかんとした調子で言った楽陽だったが、それに対して天音は怪訝そうに眉をひそめながら、「いや違うけど」と煮え切らない様子で答えた。


 院内食堂の一角へと場所を移した2人は、それぞれが注文したメニューを口にしながら会話を再開する。

 真っ先に口火を切ったのは、やはりと言うべきか天音の方だった。


「なにから話せばいいやらって感じで迷うから訊くんだけど、なにから訊きたい?」


 気怠そうに言いながら、天音はきつねうどんを静かにすする。

 なにから――と言われても、そもそもなにが起きているのかさえ分からないのだから挙げようがない。思った楽陽は次の瞬間、それをそのまま言えばいいのだと思いつく。


「あれはいったい、なんだったんですか?」

「おいこら、抽象的な質問を抽象的な質問で返すでない」

「ごめんなさい」


 すでになくなりかけのオムライスを更に一口頬張りながら、楽陽は小さく頭を垂れる。


「言うまでもないことだろうけど、あんたらを拉致した奴らは人間じゃない。表向きにはいないとされている、言わば宇宙人みたいな存在ってわけ」


「え、それじゃあ私は、宇宙人に誘拐されたってことですか?」


「クチナシ」

 天音は目だけで楽陽を見つつ、そう言葉を強調した。続いてスマホになにかを打ち込むと、その液晶を楽陽の方へと向ける。そこには【梔子】という馴染みのない文字が打たれていた。


「名前のわれはよく分からない。ってか、そもそも奴らがいつからどうやって生じたのかさえ曖昧なのよ。なんでも『古事記』や『日本書紀』に登場する妖怪と呼ばれる存在の源流だ――とかなんとか言われてるけど、実際のところはまあ調査中? って感じ」


「妖怪って……ほんとにいたんですね」

「いるわよ。それだけは確か。だってあんたも見たでしょう? 人間とは明らかに違う怪物が、次から次へと人間を惨殺していく光景を」


 オムライスをまた一口食べながら首肯した楽陽は、脳裏に立ち顕れた凄惨な記憶を即座に打ち消した。


「適当なことは言いたくないから確かなことだけを話してあげる。梔子くちなしがあんたを襲った理由は、あんたが奴らのことを視認できていたからよ。そもそも人外の異形がはびこっていたら大騒ぎでしょう? そういうことよ。普通の人間に梔子を見ることはできないの。妃さんからも言われていたと思うけど、あんたや私は特殊人材レア・リソース。人材を欲しているのは人間ばかりじゃないってことよ」

「あの、それじゃあ梔子さんたちは、私たちを連れ去っていったいなにをさせるつもりだったんですか?」


「分かんない」

 天音は間の抜けた鼻声で、しかしきっぱりとそう言った。

「梔子が人類と相反する主張を掲げていることは確かだけど、奴らがなにをくわだてているのかは分からない。まあ、だからこそ脅威なんだけどね。共生なのか、支配なのか、はたまたもっと計り知れない目的と意思をもっているのか――それを解き明かすのも私たちの役目ってわけ」

「私たち?」

「言ったでしょ? 妖怪の概念が初めてあらわされた『古事記』。それが編纂へんさんされたのは8世紀初頭。つまり人類はめちゃくちゃ長い間、梔子の脅威から種を護り続けてきたわけ。梔子も見えないただの人間に、そんな芸当が果たせると思う?」


 そこまで言った天音は、最後までとっておいた油揚げを盛大に頬張った。咀嚼そしゃくもそこそこに飲み下す。


「私たちは【法師ほうし】って言ってね、梔子に対抗しうる特殊人材を集めて武装を施した秘匿ひとく組織なのよ。大日本帝国成立当初から存在しているけれど、もちろんおおやけにはされていない。それらしく言っちゃえば、日本の暗部ってやつね」

「それって日本政府は関知してるんですか?」

「してはいるけど静観を決め込んでるわ。だいいち彼らの常識CPUじゃ到底処理できる案件じゃないし、私たちを束ねてるは政府よりも格上だから、そもそも政府連中に怯える必要もないわけよ。なにしろ協会のルーツは天皇制が施行される遥か以前からあるからね。年功序列の風土が色濃い日本じゃ、いくら政府のお偉いさんであっても、天国のおじいちゃんに噛みつく度胸はないんでしょうね」


 政治が真の意味で『祭りごと』だった時代。神をおそれ自然に祈ることで世を成した歴史の裏には、梔子と呼ばれる異形とそれに抗う法師たちの存在があった。

 信じがたかったが、天音がそれを語る様子に嘘の気配は微塵もなかった。


 自身の巻き髪を指先でもてあそびながら、天音はグラスの水を一息に煽った。楽陽の皿上に残ったプチトマトを素早くさらうと口内へ放る。

 それを呆けた様子で眺めていた楽陽は、自分がただならぬ事態の渦中に放り込まれてしまったことを、今更ながらに痛感していた。


「あの、そんな秘匿事項をこんな公共施設で話していても良いんですか?」

 言っても信じないから――そんな返答を予想しつつ問いかけた楽陽だったが、天音の返答はその予想を裏切るものだった。

「この病院は協会とズブズブだからね。いわゆる市井の人間なんて、少なくともこのフロアには存在していないはず。だから一切無問題モーマンタイ

「ズブズブなんですか」

「そう。ズブズブのヌプヌプ」

「それを私に話すことに関しても……問題はないんですか?」


 意を決してそう口にした楽陽の背筋を、わずかな悪寒が奔る。言い終える前から結果が見えているような感覚。それが存在しない冷気となって皮膚の内側を吹き抜けていく。

 予感とも言えるそんな兆しを受けて楽陽は確信する。自身の行く末を決定付けてしまうほどの事柄に、今、自分は踏み込んだのだ。

 楽陽の問いに、天音は存外にも軽い調子でこう答えた。


「問題もなにもあるわけないじゃん。清崎楽陽。あんたも今日から私たちの一員なんだからさ」

 言ってから試すような視線を楽陽へと注ぐ。

「すでに決定済みなんですね」と返す楽陽の心中に動揺はさほどない。こうなることはなんとなく予想できていたし、自分の行く末に愛着も興味もそれほどありはしなかった。

「この生業なりわいは言うまでもなく、他のどんな仕事よりも過酷で危険よ。腕を落とされることもあれば、そのまま命ごと持っていかれることも日常茶飯事」

「はい」

「それを知った上で尚、拒否する素振りひとつないっていうのはどういうこと?」

 天音は片肘をついて楽陽の顔を覗き込んだ。彼女の瞳に動揺がないことを加味した上での言葉であることは明白だった。

 その意にできる限り沿うように――と、楽陽は言葉を選ぶ。


「約束したんですよ。たくさんの人たちと。彼らの遺志を継ぐためには、法師として生きて法師として死ぬのが良いんです。私の役割は今のところそれだけなので」

「そこにあんたの意思はないってこと?」

「彼らの遺志が私の意思だと思ってもらえれば大丈夫です。もともと私に望みなんて大層なものはないですから」


 楽陽の返答を聞き終えた天音は、見据え続けていた瞳をついっ、と逸らした。

螺子ねじが飛んでるって言うよりも、そもそも螺子がないのかもね」

 ぴしゃりと両手を合わせて、「ごちそーさま」とトレイを持って席を立つ。


「やっぱりあんた、異常だわ」

 そう言う天音の表情は、なぜか少しだけ笑っているようにも見えた。

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おかえりニルヴァーナ 春鄙菊 - ハルヒナキク - @konabe

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