第4話

 ふたりきりになった下駄箱で、私たちは対峙していた。


「どうして……」


 意図せず眉間に力が入ってしまう。彼はそんな私の険相に片手を上げて笑う。


「ごめんね余計だったかな。でもやっぱほら、揉めごとは無いほうがいいじゃん? お互いにさ。あの子たちだってあんな簡単に引き下がったんだから、さっきはちょっと魔が差しただけだよ」


 そう、彼にとってはなんだ。当然、内輪揉めなんかして欲しくないに決まっている。だから私が見ているのを知りながら彼女らを諭して帰らせた。

 私だってあの三人が靴に手を出そうとしたのはたまたま偶然が重なっての出来心だと思う。日頃から私の物を捨てたり隠したりする機会を積極的にうかがっているわけじゃないはず。

 あの場さえやり過ごせば比較的穏やかな日々が訪れる、そんな打算があったから彼も首を突っ込んだんだろう。


「ゆるさない」


 だからこそ私はきっぱりと言った。


綿禰わたねくんが止めなかったら佐藤さんたちは絶対私の靴に手を出してたわ。それって今日は収まったけどまたチャンスがあったら、そのとき魔が差さないとは限らないじゃない。そうよね?」


「あー、うんまあ、そう言われると、そうかなあ」


 半笑いでしどろもどろに頭を掻く彼を上目遣いに睨み付ける。昼のことがあったからじゃない。違う、それは嘘。昼のことがあったから彼にきつく当たってる。そうしないと自分を保てないから。


「今ならあの三人を現行犯で押さえられた。そうすれば私がをあの子たちに、そしてクラス全員に教えてあげられたわ。でもその機会はきみのせいでダメになった。次に魔が差すとき、きっと私はそこにいないでしょうね」


 淡々と、それでいて重苦しく彼を詰めていく。


「千載一遇の機会だったのに」


 きみのお友だち獲得ゲームは無事に終わったんだからもう私は必要ないでしょう? どうせ私はこんな人間なの。わかったらこれ以上近寄らないで。距離を保ってお互い静かに残りの学生生活を送りましょう?

 そう思って、願っていた。でも彼はそうではなかったらしい。いつもの軽薄な笑顔で距離を詰めて私を見下ろす。


「ごめんね、もしそうなったら俺が沙奈さなちゃんを守るよ。守れなくても一緒に戦う。俺はあの子たちより沙奈さなちゃんの味方だから」


「な、なにを馬鹿なこと言って」


「馬鹿なんだよ俺、知ってるでしょ」


 怯むように更に足が下がったけれども、かかとと背中がなにかに当たって阻まれる。気付けば壁際に追い詰められていた。彼は覆い被さるように壁に肘を付いて顔を寄せ、私は逃げるように顔を背ける。


「え、その、綿禰わたねくんの成績なんて、私……」


 見当外れなことを口走っている自覚はある。彼は構わず片手を私の顎に添えて自分の方へと向かせた。意外な強引さに逆らえず彼を目を合わせてしまう。

 どうして……。


「こ、こういうからかい方は止めて」


「本気さ。好きなんだ、沙奈さなちゃんのこと」


「す、好きって……こんな友だちもいない陰キャになにを……」


「誰かを好きになるのに、友だちがいるかどうかなんて関係ないでしょ」


 本当に馬鹿げてる。私に好かれるような要素なんてあるはずがない。


「これって趣味もないような詰まらない人間だわ」


「別に趣味で選んだわけじゃないよ」


 昼間の軽率な妄想の数々を現実が上回ってくる。


「化粧っ気もないし眼鏡もダサいし髪だって……」


沙奈さなちゃんは可愛いよ。目鼻立ちも整ってるし髪も綺麗だからちょっと手入れすれば誰にも引けは取らないって。まあ、そんなことはしなくていいけど」


「どういう意味よ……」


 困惑する私の、もう鼻先に迫った彼の顔がにぃっと悪い笑みを浮かべた。


沙奈さなちゃんが可愛いことは俺だけが知ってればいいからさ」


「は、はあ?」


沙奈さなちゃんが化粧しておしゃれになって誰の目にも可愛いってわかるようになったら悪い虫が付くかもしれないじゃん?」


「そんなことは……な、ないと、思う、けど……」


 もう隠しようもないほどに、顔が火を噴きそうなほど真っ赤になっているのが自覚出来る。視線を逃がそうにも顎を引かれて逃げられない。彼が本気なのかどうかはわからない。でも、私にはもう本気にしか聞こえない。頑なに拒みたかった心はあっけないほど簡単に揺らぎ波打ち攫われてしまった。


 顔が熱い。心臓が痛い。息が苦しい。私は今どんな顔をしているのだろう。


 空気を求めるように半開きになった私のくちびるを彼が重なるように塞ぐ。言葉にすればただそれだけの、けれども生まれて初めてのキスに肢体からだが強張り膝が震えた。崩れようとする私を支えるように強引に膝を割り込んで身体を押し付けるように強く抱きしめられる。

 呼吸もままならずそれでいて自分が全て溶け出して彼に飲み込まれるような鮮烈な体験から解き放たれたとき、私の両手は縋るように彼の制服を握りしめていた。


「どう、して……」


 息も絶え絶えに問う私に、彼は全く申し訳なくなさそうに微笑んだ。


「ごめんね、沙奈さなちゃんが可愛過ぎたから我慢出来なくて」


 くちびるを伝う粘りのある雫を舌で舐め取ると涙目に彼を睨み上げる。


「ゆるさない」


「困ったな。どうしたら許してくれる?」


 全然困ってなさそうな彼を見て、腹いせにありったけの条件を叩き付ける。


「毎日手を繋いで登校してくれないとゆるさない。私が用意したお弁当を食べてくれないとゆるさない。彼女が居るか聞かれたらちゃんと私の名前を言わないとゆるさない。それから……それから……」


「それから?」


「宿題とプリントを忘れたらゆるさない」


「え、え?」


「テストで赤点を取ったらゆるさない」


「ちょ、ま……」


 形勢は逆転していた。


「授業をサボるのもゆるさないわ」


 壁際に追い込まれて膝を割り込んで身体を押し付けられ彼に縋りついて涙目で見上げながら、それでも、もう嫌と言わせないのは私のほうだ。

 呆気に取られた彼の半開きのくちびるへ軽く舌を這わせて最後のひとつを告げる。


「私がきみを嫌いになるより先に私のこと嫌いになったら絶対にゆるさない。そのときは……ごめんね、じゃ済ませないから」


 さすがの彼もとどめの一言には苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

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ごめんねくんとゆるさないちゃん あんころまっくす @ancoro_max

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